関わり方は三者三様であり、また教育にも三つの形がある。
今回短めです。
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その日ゼルマは珍しく人と会う予定が無かった。
普段ならばエリン達と過ごしたり、最近ならフェイムと出会ったりもしていたのだが今日は全員都合が合わなかったのである。
(そういえばそろそろ先輩に予定を聞いておいた方が良いか?)
基本的にノア・ウルフストンは引き籠り性質の人間だ。
研究に集中しだすと一か月外出しないというのはざらにある。
今回の場合で言えば、智霊大祭期間中に多くの研究資料を手に入れた為その調査に忙しいのだろう。
すれ違って軽い挨拶を交わす程度の事はあったが、基本的には外出していないようだった。
(野外調査か……何処に行くんだ?)
ゼルマは智霊大祭の時にノアと交わした約束を思い出す。
野外調査とは文字通り、最高学府の外へ出向いて実地調査を行う事だ。
最高学府からの外出は気軽に行えるものではないが、だからといって内部だけでは研究できない事も多い。遺跡の調査や発掘を要する魔術歴史部門は代表的な例である。
(前に会った時は時間さえ合わせれば良いと言ってたが……)
その程度で外出許可が得られるのは流石六門主の家系といった所だろうか。
魔術歴史部門の門主であるウルフストンならば外出許可を得るのも簡単という事なのだろう。
等と考えがら最高学府の校舎内をゼルマは進み目的地へと辿り着く。
扉を開けると、どことなく古さを感じさせる匂いが感じられる。
そこは最高学府内に点在する資料室と呼ばれる空間の一つであった。
研究に必要とされるのは何も書籍だけとは限らない。
理論研究では確かに先人の記した参考文献が重要になるが、対象となる魔術によっては文字よりも物質から得られる情報の方が重要な場合もある。それこそ野外調査と同じだ。
という訳で最高学府の内部には最高学府がこれまでの長い歴史の中で蒐集してきた資料が多く保管されており、一部の貴重な資料を除き申請さえすれば誰でも閲覧する事ができるのである。
今日ゼルマが訪れたのは中央第四資料室。
様々な鉱物資料やそれに関する魔術の資料について閲覧する事ができる場所だ。
今日ゼルマがこの場所を訪れたのは偶然からの単なる思い付きではあったが、元々いつかは訪れようと考えていた場所でもあった。
ゼルマが資料室を訪れた目的、それは結晶魔術について調べる事。
クリスタル・シファーが得意とする結晶魔術について知見を広める為である。
【末裔】の大賢者であるゼルマの使命とは【天賦】の大賢者であるクリスタル・シファーを観察し、危険が迫った場合にはそれを防ぐ事。つまり極端に言えば、ゼルマにとってクリスタルがどのような魔術を使うかは関係ないという事になる。
ゼルマにとって重要なのはクリスタルの身の安全であり、彼女の経過。にも関わらず彼が今こうして資料室を訪れ結晶魔術について学ぼうとしているのは、彼自身の単純な知的好奇心からである。
(さて……ん?)
そして資料室内を物色しようと部屋の中を見回した時、ゼルマはソレに気が付いた。
同時に、ソレもゼルマに気が付いた。
「……こんにちは」
「ああ。こんにちは」
短い黒髪に紳士服を身に纏ったその人物は、陽光を浴びながら窓辺で本を読んでいた。
黒髪と同じ、落ち着いた黒色の紳士服。だがその人物は男性ではない。
睫毛は凛と伸び、所々に女性的な要素も感じられるその人物は間違く無く女性。
正に演劇に登場するような男装の麗人そのものであったのだ。
一目見て教師であると分かったゼルマが先んじて挨拶をすると、その人物も静かに挨拶を返す。低音の落ち着いた印象を受ける声色である。
「私に構わずこの部屋を使い給え。私も静かに本を読みに来ただけだ」
「……はい。そうさせて貰います」
「ああ。……ん、待て」
「……なんでしょうか」
不意に、ゼルマは女性に呼び止められる。
そうして数秒、まじまじと見られた後に女性は思い出したかのように言った。
「そうか君があのゼルマ・ノイルラーか」
「……俺の事を知ってるんですか?」
「当然だろう。君を最高学府に居て知らない者はモグリだ。一端の魔術師なら姿は兎も角、その噂位なら聞いた事があるだろうさ。そうだろう魔導士ゼルマ・ノイルラー?」
仕方の無い事であるとはいえ、ゼルマは気分が少し落ちる。
ノイルラーの名前は一部の魔術師にとっては有名なもの。
大賢者の末裔であるノイルラーの名前は若い魔術師ならば兎も角、教師の立場に居るような優れた魔術師ならば知らない者は居ない程度には有名である。
それこそレックス・オルソラに見下されていたように。
自身の先祖の恩恵をただ享受するノイルラー家は大賢者を尊敬する多くの魔術師にとって良い物には映らないのである。
それ故に、ゼルマはいつものように返す。
「……残念ですが、俺に何かを期待されても応えられませんよ。ご存知かと思いますが」
ノイルラーの名前を知る者が取る反応は三つ。
見下して嘲るか、大賢者の遺物である『賢者の石』の恩恵を受ける為に擦り寄るか、或いはノイルラーの血を狙うかである。
殆どの魔術師は一つ目、外の世界では二つ目が多く、三つ目は現在となっては滅多に居ない。
ノイルラーが『賢者の石』の起動に成功した当初は、自らの家系に大賢者の血を取り入れようと多くの魔術師が婿、或いは娘をとろうとしたようだが今はそれも無い。
ノイルラーの血を取り入れた家系は、ノイルラーの魔術師になってしまうと分かったからだ。
それはノイルラーでなければ『賢者の石』を使えないという事でもあったが、そうとは知らずに取り入れた魔術師にとっては詐欺にあった気分だった事だろう。
……まぁ、元々まともな方法で血を取り入れていないので文句を言われる筋合いも無いと、ゼルマは思うのだが。
兎も角、ノイルラーの血に面白いものは何もないとゼルマは伝える。
「いや、既に受け取っているよ。君の論文だが、非常に面白かった」
「……え?」
だが返って来た言葉は、全く彼の予想に無いものだった。
女性はそう言うと席から立ち上がり、ゼルマの元へと歩み寄る。
女性の口元には僅かながら確かに微笑みが浮かんでいた。
「確かに近代魔術師の戦闘は準備の多寡に応じる可能性が高い。遅延魔術を予め仕掛けておく技術は非常に興味深いものだ。オルソラとの決闘を見られなかったのが残念でならない」
それは意外な言葉だった。
ノイルラーを知る者がとる行動とは思えない、想定外の言葉。
「血統に因らない技術であるという点も良い。あの方法は他の魔術にも応用が利くだろう。そうだな、流体制御に用いるのも面白そうだ」
「……干渉方法を増やすという側面からの応用ですか」
「そうだ。あの理論の面白い所は事前準備によって連続発動の上限数を増加させられるという点だ。勿論、それなりの力量が本人にあるというのは大前提だが」
「流体制御というと動力機関としての想定でしょうか?」
「それもある。だが流体制御は元々複雑な魔術式を要求する分野だ。君の理論がそこまで応用できるのかは、また研究もとい発展が必要だろう」
それは余りも真っ当な会話だった。
魔術について意見を交わす。
魔術師として、とても普通の会話だった。
教師と学徒。二人の異なる立場がこれ以上ない程に表れている光景であった。
「だがそれを差し引いても、だ。現代の魔術師にとってあの理論は非常に有用だろう。特に魔術陣を使えない魔術師にとっては研究の幅が広がるだけでなく、才能の差を努力次第で覆せるという証にも見えたかもしれない。だからこそ、君からは既に面白いものを受け取ったと言いたかったのだ」
「―――ありがとう、ございます」
女性が笑う、ゼルマは上手く言葉が出せなかった。
それは今まで得た事が無い類の言葉だったからかもしれない。
ゼルマは幼少期に大賢者の知識を得てから、周囲の同年代の人間と比べて余りにも成熟した思考をするようになってしまった。
それが良い事だったのか、悪い事だったのかは今となっては分からない。
理性に従えるという点で魔術師にとっては強力な性質なのだろうし、それだけを以て今の性質を悪だとは断定できない。それに助けられた事も実際多くある。
だが、だからこそゼルマにとってその類の経験は無かった。
素直に人から褒められるという経験。
友人関係ではなく、自身よりも立場が上の者からある意味認められるという経験が彼には乏しかった。
この理論はゼルマがゼルマ自身で生み出した理論である。
日夜研究を続け、そして遂に完成した理論である。
レックス・オルソラとの戦いを経て、彼が魔導士として認められた証の理論である。
この魔術理論は、ゼルマの人生の中で数少ないゼルマの持ち物だったのだ。
それを友人でも家族でもない人間から認められたと認識した。
ゼルマが認める人間から、そう認められた。
それがゼルマにとって不可思議な感触を生みだしていた。
「ああすまなかった。自己紹介が遅れたな」
最高学府には六つの部門が存在する。
現代魔術部門を始めとする魔術の大分類となる六つの部門だ。
しかしその部門の中には更に幾つかの学科で別れている。
例えば現代魔術部門であれば、魔術式の理論を専門とする魔術式科、現象を生みだす事を専門とする現象科、そして物質を操る事を専門とする物質科の三つの学科が存在する。
当然、部門の長が六門主であるように、各学科にも学科の長となる魔術師が存在する。
そして現代魔術部門物質科を統べる科長こそ―――
「物質科のヴィザー・アージュバターナーだ。よろしく頼む」
『三態自在』ヴィザー・アージュバターナーであった。
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