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大賢者の末裔  作者: 理想久
第三章 魔術師の宿題
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噂は深層の泡と同じである。


 ■◇■


「ほぇ~、なんか凄いんだな」


 クリスタルの説明を受けて、フリッツが感嘆の声を漏らす。

 本当に理解しているのか定かでは無いが、兎も角凄さは彼にも伝わったらしい。


「【十二典載】自体の説明も必要ですか?」

「いやいやいやいや!十分!!面白いけどよ、この調子だと課題が進まないって!!」

「そうですか。ならこの辺りにしておきましょう」


 ぶんぶんとフリッツが手を振って断る。

 昼休みの時間も限られている。

 この調子でクリスタルの話を聞いていると、課題が全く進まないまま昼休みが終わってしまう。


「だが良い予習になった。ありがとう、クリス」

「どういたしまして。では続きをしましょうか」


 四人はそれぞれの課題の続きに戻る。


 集中して課題に取り組み四人。内、少々騒がしい者が一名。

 フリッツが課題に行き詰る度に三人に尋ね、エリンが厳しく、ゼルマが普通に、クリスが微笑みながら教える。三者三様の教え方だったが、教える割合としては隣席に座るエリンが圧倒的に多い。

 結局の所、一番面倒見が良いのはエリンなのだ。


 そうして、暫くの時が過ぎ……不意にエリンがクリスに話しかける。


「そういえばクリス。魔境にはいつ行くつもりだ?」

「―――!」

「まだ考え中です。早い内に出たいとは考えていますが、旅程や研究の都合もありますので」

「そうか。確かに今すぐにとはいかないか」


 魔境。それは大陸西方に広がる魔物が住まう人間未開の地。

 魔物が蔓延る危険領域であり、様々な資源が眠る場所でもある。


 そして、そんな魔境の土地権利こそクリスが先日の新星大会で勝ち取った賞品であった。


「いいなぁ、魔境かぁ。行ってみたいぜ」

「長期の外出許可は正当な理由がなければ得られないからな。これはクリスが勝ち取った特権だ。それにお前はまず課題を終わらせろ。進級すらできないぞ」

「ぐぇ!!助けてゼルマ!!」

「俺には救えん」


 最高学府が外界から隔絶された理由の一つが、外出許可を得る難易度の高さである。

 秘密保持の為、治安維持の為、そして魔術師の安全の為。様々な理由があり、最高学府の出入りは厳しく制限されている。

 その為、日帰りのような短期間の外出であればそれ程煩雑は手続きは要しないが、数週間に及ぶような長期の外出ともなると許可を得るのは至難の業だ。

 魔導士の野外調査(フィールドワーク)や最高学府が企画する研究計画(プロジェクト)等、最高学府によって正当性が認められなければまず許可は得られないのである。


 そういう意味では、クリスが今回得た『魔境の土地権利』は間違いなく正当な理由であると言える。

 最高学府の長である学園長キセノアルド・シラバスが授けたものであり、新星大会の優勝者という実力が公式に認められた者が賞品として得た物。

 間違いなく申請書類を揃えれば許可が下りることだろう。


「だが許可が下りそうで良かったな、クリス」

「いえ、元々許可は得られていたんです」

「ん、そうだったのか?」

「はい。元々の予定では凡そ三か月後に東から時計回り大陸を一周して魔境に赴く計画でした」

「それは……よく許可が下りたな?暫くは最高学府に戻れないだろう」


 最高学府は大陸の中央部に位置している。

 そこから東に向かえば帝国があり、西に向かえば西方諸国が。そこから更に西に向かえば魔境が広がっているので、帝国と魔境は丁度反対の位置関係である。

 つまり東から西へ大陸を時計回りに一周するという事は、少なく見積もっても半年以上は要する長い旅路だ。道中で立ち寄る場所も鑑みれば、一年は軽く必要だろう。


 エリンの言う通り一年以上の外出許可は滅多に下りるものではない。

 六門主クラスならば兎も角、一般の魔導士ではまず下りないものだ。


「規定通りに申請したら下りましたよ」

「多分、それはお前だけだ。普通は規定通りに申請しても通らない。そうだろう?ゼルマ」

「……まぁな。普通の魔導士なら一年の長期外出はまず認められないな」

「特待生で良かったですね」

「特待生の言葉が軽いな……」


 クリスタルは特待生の特権のお陰だと認識しているが、それだけではないのだろう。

 大賢者の再来と称されるクリスタル・シファーは、それだけの信頼を最高学府から得ているのだ。


「まぁ、そういう訳で色々と考えなければいけなくなったのです」

「元々三か月後を予定してたんだろ?そりゃそうだわな」

「準備もしなければいけませんし、予定も立て直しですね。やり残した事がないようにしないといけませんから」

「だが良かったじゃないか。土地は手に入っているんだ。堂々と魔境へ行ける」

「そうですね。それは僥倖でした」


 元々は三か月後を予定していた外出。

 しかし期せずして魔境の土地を手に入れた事で日程の変更が必要となったのだと、クリスタルは言う。

 結果として外出迄の期間が短縮された事で彼女としては僥倖だったのだろうが、それでも予定の組み直しという作業が手間である事は彼女も同じらしい。


 一方、単なる僥倖では済まなかった者も居る。


「…………」


 他の者達が会話している中で、ゼルマは一人静かだった。

 それは、クリスタルが魔境に行くという事が彼にとっては決して良いものでは無かったから。

 正確には、クリスタルが最高学府を離れるという事がゼルマにとっては良いものでは無かったからである。


 【末裔】の大賢者であるゼルマ・ノイルラーには役割がある。

 それは【天賦】の大賢者であるクリスタル・シファーを観察し、守護する事。

 生まれながらの役割、ゼルマという人間が生きている意味だ。


 最高学府内であれば、彼女の近くに居る事は難しくない。

 レックスの件でこのような関係性になってはしまったが、近くに居ても不自然でない関係性になれたのは結果としてゼルマの役割で考えれば幸運だった。

 しかし最高学府の外となるとそうはいかない。

 ゼルマは大賢者だが、最高学府二年目の学徒である。

 外出許可だけではない。彼にはまだ必修科目を履修する義務もある。必修科目を履修しなければ当然次の学年には上がれない。


「……クリス」

「はい、何でしょうか?」


 ゼルマがクリスタルに話しかける。

 いつもより低い声の調子だったのだが、クリスタルは気が付かなかったようだ。


「予定では真っすぐに魔境へ行くつもりなのか?」

「それも考え中ですね。色々な場所を見て回りたい気持ちもありますので」

「……そうか」


 外出の日程が三か月後であれば、まだゼルマにも出来る事がある。

 研究計画を立てて外出許可を申請する事や、それ以外の方法もあっただろう。

 三年目までの魔導士の特例として、研究計画に基づく外出期間中の必修科目履修の免除がある。これを利用すれば長期間外出していたとしても、単位不足に陥る事は無い。


 だが研究計画の申請にはそれなりの時間がかかる。

 要する時間は研究の進捗によっても変わるが、今のゼルマは一か月前に論文を提出し魔導士の学位を得たばかり。三か月あればなんとかできたかもしれないが、それよりも短い期間となると難しいだろう。


「今考えているのは、西方諸国を少し巡った後、魔境へ赴くといった予定ですね。帝国へはその後でも。建国祭の時期にさえ間に合えば問題は無いので」

「帝国の建国祭か。確かに、それは是非見ておきたいな」

「はい。序列九位…彼の〈栄光帝〉も一目拝んでおきたいですから」

「実物はさぞ覇気に満ちているのだろうな」


 帝国の建国祭は大陸で最も有名な祭典の一つだ。

 帝国の栄華を証明するかの如き祭典で、毎年多くの人間が大陸中から集まる。祭典の中では皇族が揃って表舞台に顔を見せる為、帝国民にとっても非常に心待ちにされている祭典なのだ。


「あ、そういえば〈栄光帝〉といえばよ、ゼルマ。あの後お姫様とはどんな感じなんだ?」

「……はぁ」

「な、なんだその溜息は」


 ゼルマはフリッツからの問いに思わず、溜息を吐いてしまう。

 それはここ最近のゼルマにとっての悩みの種を思い出させられたからだ。


「少し聞いてくれるか……?」

「お、おお。珍しいな?お前がそんな感じなの。良いぜ、話せよ」

「悩みならば聞かせてくれ、ゼルマ。友人だからな」

「……?」

 

 フリッツとエリンが何かを察したのか、優しくゼルマの話を聞くと言ってくれる。

 クリスタルはまだ良く分かっていない様子だった。


「お前達、小動物は好きか?」

「ん、まぁな。結構好きだぜ」

「私もだ。森に居た時は良く肩に乗せていたものだ……懐かしい」

「まぁそれなりですかね」


 皆がそれぞれ、ゼルマの問いに答える。

 彼等らしい回答だ。

 可もなく不可もなし。


「その小動物が大きくなって、しかも四六時中側に付いて来るとしたら?」

「まぁ……若干大変か?」

「少し疲れそうだな。一人で過ごす静かな時間はやはり欲しい」

「嫌ですね」


 その回答を聞いて、ゼルマは一言。


「そういう事だ」

「「あぁ……」」


 察しがついたのだろう。

 何せ、現に彼等はその光景を目撃している。

 更に言えば、そこから発生した噂も知っている。


 噂はこうだ。

『うきうきで男性魔術師と歩く皇女の姿を目撃した』

『新星大会で帝国の皇女の補助要員を務めていたのはその男性魔術師』

『謎の男性魔術師の正体は帝国からやってきた皇女の指南役』

『帝国の皇女が年上の男性魔術師の研究室に入り浸っている』

『実は男性魔術師と第五皇女は恋仲である』等々。


 最初は単にゼルマとフェイムが話している姿を見られただけだったのだが、流石は帝国の第五皇女という事か。次第に噂には尾ひれがついていき、今や完全な嘘も流れている状態だ。

 中には結果として真実を言い当てているものもあるのだが、殆どは根も葉もない噂話である。


 だがフェイムがゼルマと以前よりも堂々と会うようになったのは事実。

 ゼルマと出会う度に、隠しきれない程の喜びのオーラを振りまくのだ。

 流石に人の多い場所では控えているが、ゼルマが居ない時でもゼルマの研究室に入り浸る等、以前よりも明らかに遠慮が無くなっている状態である。


「まぁ……な。でも噂になるのも仕方ねえんじゃねえの?」

「彼女は講義で出会ったら必ず挨拶しにくるからな」


 特待生であるフェイムだが、大会以降ゼルマの指示通り幾つかの必修科目に出席するようになった。彼女がこれまで独学で学んできた分野について、改めて基礎を覚える為である。

 それは良い。必修科目は軽んじられがちだが、魔術師にとって基礎となる重要な事を教えている。必修科目を任せられる教師も全員優秀な魔術師だ。

 だがしかし、必修科目という事は当然ゼルマが出席しているものもある訳であり……。

 そうした講義ではフェイムは必ずゼルマに挨拶をしにくるので、目立って仕方がないのだ。


 因みに最初はゼルマの隣に陣取ろうとしていたのだが、流石に止める様に言った。

 その妥協点として挨拶が採用されたのである。

 今にして思えば、やり込められたのかもしれない。

 流石は権謀術数を知る帝国の第五皇女である。


「ま、いいじゃねえの!慕って貰える後輩が出来てよ!」

「それはまぁ、な」

「正直羨ましいぜ、可愛い後輩に恵まれてよ」


 だがこれはゼルマの選んだ道である。

 ゼルマが選択した未来である。


 それに、噂話やフェイムへの対応等で疲れる部分もあるがゼルマ自身本心から彼女の事を疎んでいる訳では決してない。

 寧ろ最近はフェイムの勉強計画の作成等、ゼルマなりにやりがいを感じる部分もある。実際、彼女はゼルマから与えられる課題をよくこなしている。

 約束通り表でゼルマの事を『師匠』と呼ばないだけ、マシなのかもしれない。


「言っても私達もまだ二年目だ。そもそも彼女に私達が教えられる事があるのか……?」

「そりゃああるだろ!生き様とか」

「……少なくともお前の生き様を参考にする事は無いだろうな」


 そんな他愛無い話をしていると、昼休みの終わりを告げる鐘の音が鳴る。

 クリスタルを除くゼルマ達三人は、再び講義を受ける為に図書館を去るのだった。


 ……因みにこの日、フリッツの課題は殆ど進まなかった。


 ■◇■


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