物語の終わりとは、静かで劇的である。
■◇■
閃光が舞う。水晶が躍る。
黄金の如き光はより輝きを増して、それに呼応するかのように水晶は冷ややかに透き通る。
剣が振るわれ、花弁が散る。花弁が飛び、光が覆う。
まるで舞台の様だ。誰かがポツリと呟いた。
まるで演劇の様だ。誰かがポツリと呟いた。
呟きは熱狂の渦に溶けて消える。しかしそれは真実であった。
舞台も、演劇も、創作と言われれば間違いない。
真実ならざる虚構である。
だがそこに演者の熱意が込められ、作品として成り立つ様に。
今観衆の眼前で杖を交える両者の決闘は、真実でありながら創作のように熱を帯びている。
真実でありながら、幻想の如く完成している。
真逆の立ち位置に在る筈の二つが熱を帯びる事で漸近する。
最早それが何を意味しているのか等、誰にとってもどうでも良い事と化した。
祭典とは人々の想いであると、嘗てとある魔術師は言った。
智霊大祭とはそも、そうやって始まった。
そして今、新たな時代を担うべき若き才媛が―――相争う。
運命か、奇跡か、或いはどちらでもあるのか。
栄光が満ちるか、理が勝るか。
はたまた全く異なる未来か。
魔術が再び放たれる。
光の大剣が直線に飛翔し、巨大な花弁が迎え撃つ。
剣と共に宙を駆ける栄光纏う少女が幾本もの槍を眼下の水晶の如き少女へと投擲する。
しかし足元から伸びる水晶の柱が、その全てを捩じり、壊す。
宙を駆けていた少女が水晶の柱へと着地すると、柱を目にも止まらぬ速さで駆け降りる。
背後に生じた燃え盛る火球が、少女に先んじて飛んでいく。
剣が衝突する。甲高い音が響き、空気が震える。
瞬間、花弁の間隙を縫って伸びる水晶の刃が少女の服を切り裂く。
帝国で縫製された特注の服は、高い物理強度と魔術耐性を誇るもの。それでも激戦によって衣服には同じような切り口が生じており、しかしその全てが急所から外れている。
少女が飛び退いて、魔術によって軽くなった身体を浮かせる。
疲労が吐息から滲み出るが、それはもう一人の少女も同じ。
表情自体は変わらない。水晶が何百年も変わらないように。
しかし、それでも少女には理解出来た。
試合相手たる少女もまた、着実に疲労は蓄積しているのだ。
言葉がなくとも理解出来た。
(―――不思議だ)
魔術が交錯する。杖と杖が目に見えない線同士でぶつかり合う。
(―――疲れているのに……今までより、ずっと良く見える)
より鮮明に、より詳細に魔力の流動を掴む感覚。
魔力が鮮やかに動き出して、魔術が紡がれていく。
深い集中によって生み出された景色がフェイムの視界に映る。
彼女の特別な眼は世界の理をより詳細に彼女に届けてくれる。
一挙手一投足が繊細に感じ取れる、言葉では言い表せない奇妙な感覚だった。
まるで目の前の少女と同じになっているかのような一体感すらあった。
だが、それも永遠には続かない。
研ぎ澄まされた精神が幾ら体感時間を延長させようと、現実はいずれ到着する。
(―――機会は一度きり)
フェイムは加速する思考の中で、引き伸ばされた時間の中で冷静に見極めんとする。
ただ一度きりの好機を見逃さない為に。
そうだ。
彼女は勝たなければならない。
最早これは彼女だけの問題ではない。
彼女は彼女以外の理由の為に、勝たなければならない。
だが、しかし―――
「〈水晶華〉」
水晶の華は尚も咲き誇り、
「〈結晶刃〉」
水晶の花弁は煌き、
「―――〈千年水晶柱〉」
天賦の才は、高く聳え立っている。
地より伸びる摩天楼と見紛う巨柱。
透き通った冷徹。凍るような無機物が、舞台を埋め尽くす。
観衆がこの試合を幻想のように思ってしまう理由の一端は間違いなく彼女の魔術にあった。
魔術の度に創造される美しき水晶が舞台を彩るのだ。
水晶の城下町、或いは水晶の大森林か。
有りえざる光景が、存在しているという矛盾が幻想を現実に漂着させる。
(―――これが、大賢者の再来)
大賢者の再来。それはクリスタル・シファーという魔術師の異名である。
最高学府史上最高の才能、かつてはそう呼ばれていた事もあった。
だが定着したのは『大賢者の再来』であった。
何故か。
それが最も端的に彼女の才能を表していたからだ。
現代魔術の祖、大賢者。
序列に数えられる、世界最高の魔術師。
その再来であると。
世界は才能を欲している。
最高学府は飢えている。
まだ存命である筈の大賢者の再来と彼女が呼ばれているのも、大賢者と並び立つ才能を有する魔術師が過去から現在に至るまで存在していなかったからだ。
ある者にとっては大賢者が救いであるように、ある者にとっては絶望であるように。
大賢者とは魔術師にとっての憧憬であり、目標であり、救済であり、同時に越えるべき壁であるのだから。
それを今、フェイムは強く実感する。
魔力の波動を受けて、自分が対峙している魔術師の才能が身に染みて理解出来る。
人々が彼女を大賢者の再来と―――希望を込めて呼ぶ理由が理解出来る。
「―――不思議ですね」
不意に、声が聞こえて意識が引き戻される。
短い短い時間であったはずなのに、もう何年も聞いていないような懐かしい声。
「魔力を手繰り、魔術を編んで、互いの手の内を晒し合う……それがとても楽しい」
それは決闘という概念を至極客観的に分析した言葉だったが、そこにあったのは熱だ。
「私は、ずっとこうしていたいと思っています。でも―――」
そこで、彼女は―――クリスタル・シファーは。
「貴女に勝ちたいとも思っている」
微笑んだ。
ずっと無表情だった筈の彼女の顔は、穏やかで、美しく、玩具を目の前にした子供の様に笑っていた。
永遠を願うのに、終わりも望んでいる。
それは確かに矛盾である。しかし、フェイムもまた同じだった。
「変、でしょうか?」
「―――いえ、私もそう思っていました」
「それは奇遇ですね」
会話は一瞬の休憩だ。
本来ならば休む事無く攻め立てるべきだ。
才能は兎も角、実力の劣るフェイムは卑怯でもそうすべきだ。
この大会を通して、フェイムは自分の知らない自分を知って行った。
それは勿論、憧憬の存在であった大賢者……ゼルマ・ノイルラーに師事できたからというのもあるがそれだけでは無い。
数多の才能と争って、時に圧倒し、時に苦戦した。たった七日間の経験が、彼女の人生において輝きを放っている。お気に入りの本の様に、彼女の思い出という本棚の中で光って見える。
「付いて来てくれますよね?」
「―――勿論」
魔力が迸り、魔術が編まれていく。
「―――〈千年水晶柱〉」
「―――〈栄光なる剣〉」
巨大な水晶柱と栄光の剣が正面から衝突する。
閃光が瞬くと同時に水晶が砕け散るが、剣もまた霧散する。
しかし閃光と同時に動き出していた両者の距離は、既に白兵戦の領域にあった。
少女等の手に握られているのは水晶の刀と光の剣。
何物にも侵されぬ澄んだ名刀と、何物にも汚されぬ輝きの名剣。
二振りの剣が鍔迫り合う。
しかし、その拮抗が続いたのも僅かに数秒。
次第に圧されていくのは―――水晶の刀。
「〈結晶刃〉」
均衡の崩壊を悟ったクリスタルの行動は早く、瞬時に結晶の刃を生みだして射出する。
当然姿勢を崩さなければ無数の刃を避ける事は出来ない。
フェイムは致命傷を避けるべく身体を捩り、一瞬力が緩む。
その隙を逃さず、クリスタルは手にした刀を強く薙ぎ払う。
横に一閃。しかしフェイムが素直に攻撃を受ける筈も無い。
「―――〈光槍〉!!」
背後に生み出される光の槍が至近距離からクリスタルへ向けて投擲される。避ける寸前までフェイム自身の肉体で射線を塞がれていた光槍は、一秒とかからずクリスタルに肉体へと着弾するだろう。
「ッ―――!」
そこで初めて見せるクリスタルの表情。
水晶の如く無機質な顔に現れた、一瞬の動揺。
光槍は着弾と同に閃光を放ちながら霧散する。
フェイムには、それがが何らかの魔術によって防がれた故というのがすぐに理解出来た。
(当然、防がれる―――でも!)
体勢を立て直す為の時間を稼ぐ為、舞台駆けて距離を取るフェイム。
それは一瞬見えた好機への繋がりを見逃さぬように、自らの意識を覚ます為の猶予。
「―――初めて、そんな表情を見れましたね」
舞台に在ったのは、変わらず水晶の華。
これまでの様に花弁の全てで攻撃を防ぐのではなく、一箇所に防御部分を絞って生み出された最低限の華であった。
それが示すのはただ一つ。
これまでクリスタルが保っていた『何か』に変動が起き始めているという事だった。
魔力の消耗を考慮しなければならない段階に入ったのか、或いは普段の〈水晶華〉の生成まで間に合わなかったのか、或いは……。
考えられる理由は幾つもある。その中にはフェイムにとっては不利になりえる推測も当然含まれている。だがそれならそれで問題は無かった。
重要なのは、長く続いた試合が加速的に動き始めたという事実。
そして、そう考えたのは彼女も同じだった。
「――――――」
水晶の華が散り、クリスタル・シファーの全身が見えた。
改めてフェイムは思う。
目の前の少女は、女である自分の目から見ても余りにも美しい存在だ。
―――まるで、芸術作品のように。
そんな荒唐無稽な……変な考えをフェイムは振り払って、静寂が訪れる。
無言のまま、刹那の時間が流れる。
そうして、フェイムは気が付く。
先程まで握られていた水晶の刀は既に彼女の手には無い。
「――――――!!!!」
代わりに握られていたのは、彼女の身の丈程はある杖であった。
その時、戦慄がフェイムを襲う。
どうして今まで気が付かなかったのか。
どうして今まで気にしていなかったのか。
当たり前過ぎて、気にしてすらいなかった。
フェイムが持つ杖は俗に短杖と呼ばれるものだ。
取り回しやすく、近接戦闘でも邪魔にならない。
光を纏わせ〈光剣〉を強化する事も可能で、これも帝国より持ち込んだ特注品である。
だが、クリスタル・シファーの持つ杖は違う。
彼女のそれは彼女の身の丈程はある長杖である。
それが、突然現れたのである。
(いや、違う!だって、あの杖は―――)
そうだ。どうして気が付かなかったのかフェイムは不思議でならない。
何故ならば、今クリスタルが持つその杖は試合開始時点で間違いなく彼女が握っていた物なのだ。
しかし試合中いつの間にか杖は消失し、今再び杖は彼女の手の中に存在している。
「まさか、あの杖も彼女の―――!!??」
クリスタル・シファーは水晶杖を天に翳す。
足元から伸びる水晶の柱が彼女の身体を上へと持ち上げていく。
彼女の位置が上昇していく。
「『魔力構造凝縮』」
杖の先端に膨大な魔力が集まっていく。
余りにも濃密な魔力は色を帯びて、薄い青の光を放つ。
「ッ―――!」
フェイムが走り出す。
唸る心音の中で、冷静に強化魔術を唱えながら駆けだす。
「『結晶体創造』『支配領域拡大』」
杖が緩やかに振り下ろされる。
その切先が向くのは、自身の元へと駆けているフェイム。
濃密な魔力の光が流れ、その軌跡が線となる。
普段は目に見えない魔術式の外殻が露わとなって、静かに式は進んで行く。
小さな結晶構造が杖の先端に生み出されて、回転をしている。
何の効果か、微風がクリスタル・シファーの長い髪を揺らしている。
「『経年算定』『物質保存』『極小掌握』」
口から紡がれる言葉は魔術式の意味そのものである。
彼女は静かに過程を刻んでいる。
余りに高度で緻密で繊細な魔力操作は式を言葉にしていたとしても余人には解読できない。
彼女にもその自信がある故なのだろう。
それは現代における詠唱。
現代における神話の如き在り様。
フェイムが駆ける。
駆け抜ける。疾走し、光の如き速さで走る。
そうして残り、数歩―――それは放たれる。
「―――〈千年王国結晶〉」
それは静物の総力であった。
生み出された無数の結晶があらゆる姿形となって襲い掛かる。
刃であり、剣であり、槍であり、鎖であり、花であり、柱であり、雨であった。
最も基本的な構造を持ち、それ故にあらゆる構造を取りえる結晶魔術。
一斉に放たれるそれは最早杖の先端に留まらない。
支配領域拡大……既に舞台の上はクリスタルによって掌握されている。
舞台上、あらゆる場所から千年の歴史が襲来する。
四方八方より来る水晶の力が、フェイムの身体を目掛けて飛翔する。
あまりにも幻想的な水晶王国。
舞台という制限が無ければ、いったいどれだけの王国を彼女は築き上げていたのか。
ある者は恐れ、ある者は微笑み、ある者は心酔し、ある者は熱狂した。
幻想が現実へと来訪する。
誰もが終わりを直感する。
「―――〈終譚宣言〉!!!!」
瞬間。
魔術が―――解けて―――消える。
音もなく、静かに。
何事も無かったかのように。
魔術という虚構は―――現実に―――返る。
観客全員が、クリスタル・シファーでさえも目を見開く。
目の前の現実があまりにも信じ難くて。
それこそはフェイムがゼルマから与えられた最後の切り札。
〈複写の眼〉の保存容量を限界まで割り当て、現在に至るまで温存し続けた魔術。
カレン・ラブロックの石巨人相手にも温存し続けた、彼女の最終手段。
魔術を消し去る魔術である。
水晶の王国が滅び、クリスタルを護る静物は何もない。
片や、フェイムの手に握られたのは光の剣。
〈栄光なる剣〉ではない、単なる〈光剣〉。
だがそれは彼女が最も愛用する魔術。
彼女が最初に父から教わった、父の若き日に愛用していた魔術。
そして――――――
■◇■




