時は平等に進む冷徹である。
■◇■
「―――以上です。計画通りに実行しなさい」
薄暗い部屋の中で、女が周囲に集った部下達に命令を下す。
その数は一〇人。全員が黒い外套と仮面を身に着けており、彼等の容姿を読み取る事はできない。
黒い外套を羽織っているのは彼等の中心に立つ女も同じ。
一つ違うのは、彼女は現在仮面を外して手に持っている事だ。
「コルキス様一つよろしいでしょうか」
「……何です?手短にしなさい」
不快感を露わにしつつも女は部下の一人に続きを話すように促す。
部下にとっても女の機嫌が悪いのは当然の事なのか、狼狽える様子を見せる事無く話始めた。
「は。……あの者達は放っておいてもよろしいのでしょうか?ウルフストンの者を襲撃した以上、我等の行動を見逃すとも思えませんが……」
「……それに関しては問題ありません。今回の作戦には私も同行いたします」
「コルキス様ご自身がですか……!?」
それは部下達にとっても寝耳に水だったのだろう。
仮面によって表情は分からないが、それでも彼等に動揺が走っている事は理解出来る。
「……最早我々に失敗は許されていませんわ。この行動が簡単に見透かされるとは考えにくいですが、万が一もあります。あの男も中々にやるようですからね」
ギリと音が出る程に女は強く歯を食いしばる。
彼女の言葉の節々から伝わるのは悔しさ、怒り、そして焦燥。
彼女が思い出すのは数日前の苦い記憶。部下からの報告に耳を疑ったあの日の記憶だ。
しかし、正確にはその出来事自体が彼女を苦しめた訳では無い。その後の話……何が起こったのかを報告しに行ったあの瞬間の記憶こそが彼女を苛んでいる。
そして、その感情は部下にとっても同じものだったらしい。
「……もし、失敗すれば……」
ぼそりと部下の一人が声を漏らす。私語を注意する者は居なかった。
それは、この場に集った彼等が心内に抱く共通の感情だったからなのだろう。
誰もが同じ感情を抱いている。偶々漏れ出たのか一人の口だっただけだ。
彼等の主である女にとってもそれは同様だったらしく、普段ならば注意している筈の部下の勝手な発言を今回ばかりは注意しなかった。
彼等は知っているのだ。
群れから追い出された哀れな獣がどんな運命を辿るのかを。
その運命が、どれ程の苦難を彼等に与えるのかを。
「……これ以上の失敗は許されません。これ以上……失望させてはなりません」
女の言葉に、部下たちは頷く。
彼等を動かしている感情は同じだった。
「では、くれぐれも油断しないように気を付けなさい」
そうして、女は手に持った仮面を身に着けた。
■◇■
記憶の中で、女は確かに一流だった。
階段を上りながら、女は自身の人生を振り返る。
走馬灯と呼ぶ程悲観的なものではない。しかし、過去を振り返る女の表情は決して明るくない。まるで深い闇を覗くかのような神妙な面持ちであった。
当然認識阻害の魔術は入念にかけてある。
彼女の実力は最高学府では上位に入るものだ。意識的に認識阻害を破ろうとしない限り、余程の事がなければ彼女は存在すら気付かれない。
それでも最上位の魔術師……例えば彼女の主のような魔術師にとっては布一枚を隔てているようなものだろう。多少認識されづらくはなるだろうが、見る事も出来るし当然破る事もできる。
自嘲気味に女は笑う。その微笑は誰に向けたものでもない。
前方と後方を歩く部下も、認識阻害の効果で彼女の微笑に気付く事は無い。
そもそも仮面を装着しているので、物理的にも表情は分からないだろう。
女達が現在階段を上っているのは、最高学府にはよくある塔の内の一つであった。
最高学府の敷地は限られている。多少は拡張工事を行う余地はあるものの、基本的に最高学府は頑強な外壁と結界によって囲まれた場所だからだ。
それ故、最高学府の建物は普通の町と比べても高く作られる傾向にある。
それは塔も同じであった。
塔が建てられる目的は様々だ。個人の研究室として、研究施設として、魔術の起点として使う為、或いは単に町の景観の為という事もある。最高学府とて人間の住む場所だ。そういう事もある。
そんな塔の長い階段を、彼女たちは無言のまま頂上を目指して歩く。
そして暫く歩くと、彼女等は開けた場所に出た。塔の頂上である。
正確には屋根があるので頂上ではなく最上階と言うべきかもしれない。
最上階は開けていて、十分な広さがあった。
闘技場の舞台よりかは狭いが、一般的に広いと言って良い面積である。
彼女が周囲を見回す。
部下も確認しているだろうが、警戒を解く事はしない。
高い場所から見る事もあって、最上階からは様々なものが見える。
最高学府中央に座する巨大な本校舎、本校舎周辺に建てられたこれまた巨大な施設達、同じ建物から伸びる反対側の塔、そして―――
「―――確認したわ」
現在新星大会の決勝戦が行われている真っ最中の第一闘技場。
「……天気が良くて、不運だったわね」
闘技場には屋根が無い。
正確には舞台の上方と特別席を除く観客席には屋根が存在していない。
塔の高さは当然闘技場のそれよりも高い。
最上階からはしっかりと闘技場が確認できる。
流石に肉眼で舞台の上で何が行われているのかまでは把握できないが、それは大した問題ではない。
「……〈視力強化〉」
女は静かに魔術を唱える。
唱えたのは身体強化の魔術、その中でも特に視力を強化するものだ。
強化された視力によって、女は確かに闘技場の様子を確認する。
(……想定通り、まだ試合は終わっていないようね)
舞台の上では二人の少女が鎬を削りあっている。
どちらが優勢か、どちらが不利か見て取れる。
時折放たれる光が、少女たちの戦いがどれだけの激戦であるかを物語る。
「〈魔力感知〉」
女はその様子を視認すると、続けてもう一つの魔術を唱える。
瞬間、女の視界が拡張される。
拡張されたのは視野ではなく視界。
女の目に映るのは魔力の流れ、魔力の形、即ち魔術の形。
そして女は闘技場、その舞台を覆う半球状の膜を確かに確認する。
「―――ッ」
頭痛が走る。頭蓋の中から、針で刺されたかのような鋭い痛み。
耐えられない程ではないが、本能が苦痛を訴える痛みだ。
女はふぅ、と一息して精神を宥める。
そして改めて視界に映るソレに意識を集中させる。
〈魔力感知〉。名前の通り、魔術を感知する為の魔術である。
それは一般的な魔術だが、一方で使われる機会は少ない魔術だ。
理由は簡単である。
この魔術は余りにも見えすぎるからだ。
元より魔術師は非魔術師よりも魔力を感じる能力が長けている。
このような魔術を使わずとも魔術師にとって魔力を、そして魔術を感じるという行為は日常的に行ってるものなのだ。
この魔術は魔力の流れを視覚として捉える事が可能になる魔術。普段は感覚的に感じ取っている魔力を、より詳細に形として捉える事が出来るようになる魔術だ。
しかし、普段から魔力を感じ取っている魔術師にとって更に魔力を感知するこの魔術は精神に多大なる負荷を齎す。それこそ少し使用しただけで脳に痛みを与えてしまう程に。
特に最高学府の中は至る所に魔力と魔術が存在している。
外の世界でこの魔術を用いるよりも数倍の負担がかかるのだ。
では何故このような魔術が存在するのか。存在する以上は必要とされた筈である。
それは、魔術師の魔力感知にも限界が存在するからに他ならない。
距離が離れれば当然感知はし難くなるし、余りにも微細な魔力はそもそも感知できない。認識阻害の魔術のように、認識を反らされる事にも弱い。
故に女は痛みを承知でこの魔術を使ったのだ。
闘技場から遠く離れたこの塔の上から、闘技場に張られた結界を確認する為に。
(後は……待つだけ)
既に準備は整っている。
彼女の視界に映るのは舞台を覆う魔術結界。
外部からの魔術による攻撃を妨げ、試合中の魔術師を護る為に張られた結界である。
そんな結界に―――小さな穴が空いている。
女の強化された視力と感覚は、通常ならば気づかない程の小さな穴を確実に視認する。
「―――竜の遠吠え、破壊の息吹。強きものは吹き飛ばす」
女の指先に魔力が集中する。
黒い外套から伸ばされた手には濃密な魔力が集まっている。
「吐息は槍となりて木々を貫く。その圧はあらゆるものを震撼させる」
詠唱が進む毎に彼女は精神を消耗していく。
今も尚襲う頭痛、そして急速に減少していく魔力が彼女の肉体と精神を消耗させる。
だがそれでも、彼女が詠唱を止める事は無い。
そして、詠唱は最後の一小節へと突入する。
「熱を帯びよ、圧し潰せ。―――〈竜の」
狙いは一つ。
結界に空いた穴を抜けて、舞台上で戦う少女の元へと今。
完成された竜の吐息が吐き出される。
その、瞬間。
「―――ッッ!!??」
結界に空いた穴が―――閉じる。
慌てて女は魔術の発動を中断する。
闘技場の結界は都市結界に次ぐ程の強度を誇っている。
結界のすぐ傍でならまだしも、この距離では結界に傷一つつけることはできない。
寧ろ自身の放った魔術が観客達に気付かれ、正体の特定に繋がってしまう恐れもある。
女の判断は冷静であり、間違っていない。
この状況下でも反射的に魔術を中断させられる程の実力もある。
だが女の思考は冷静ではいられない。
結界の穴が閉じた。
信じ難い事実が、確かに女の目に映っている。
この穴は念入りに準備された、計画の要である。
この穴が無ければ計画は成功しえない。
そんな穴が閉じてしまった。
それが意味するのは、何かが起きたという事に他ならない。
闘技場の地下に向かった彼女の部下達に何か不測の事態が起こったのだ。
(まさか、そんな―――)
この計画を知るものは彼女と彼女の部下だけだ。
彼女の主ですら、全容は知らない。
そして彼女の部下は皆、彼女と同じく主に忠誠を誓った者達だ。
裏切るという事は有りえない。
であるのならば可能性は―――
そして。彼女がその答えに辿り着くと同時に。
「―――気分はどうだ」
冷静で冷徹で無機質な、まるで時計の針が動く音のような声が響いた。




