想定外の先にあるものは。
■◇■
「あ、危なかったぁ~……!」
「――――――」
それは、おかしかった。
奇妙という表現よりも、奇怪という表現でもまだ足りない。
開幕と同時の〈光環〉発動。
それはフェイムがゼルマから教わった手札の一つ。
ゼルマがフェイムに見せても良いと教わった所謂見せ札だ。
だが決して捨て札ではない。
この戦術の強みはその威力・発動速度もさることながら、その後にある。
〈光環〉は舞台上の結界内を魔力の光線によって覆い尽くす攻撃の魔術。一瞬にして全方位から襲い掛かる光の魔術は速度に対応できない一定以下の力しか持たない魔術師を瞬殺する。
発せられる光は肉体を覆う魔力防御によって身を焼け焦がすには届かないものの、十分に意識を奪うに足りる威力を有している。
そして、もし仮に〈光環〉を防がれたとしてもフェイムは攻め手を奪う事が出来る。防がざるを得ない〈光環〉は相手に防御を強制させるという事でもあるのだ。
また敢えて〈光環〉を使用しない事でフェイムの対策をしてきた魔術師の不意を突く事が可能だ。
初見殺し。同時に、対策殺し。
それが〈光環〉という魔術であり戦術。
故に、魔術自体を防がれた事は不思議ではない。
ナルミ・アズバードとの試合では別の作戦があった為、〈光環〉直後の攻撃は行わず会話による探りを優先したが、それとて防がれる事自体は想定していた。
おかしなことは、防がれた事、ではない。
「―――今、何をしたのですか」
「え、何って……何のこと?」
フェイムは目を見開いていた。
一体、どれだけの人間がこのおかしさに気が付いているだろうか。
〈光環〉という魔術の特性上、恐らく多くの人間は今の光景を見てはいまい。
間近で見ていた彼女ですら、目を疑ってしまった程である。
凡百の魔術師ならば、恐らく気が付く事も無く全てが決しているだろう。
これまで彼女と戦ってきた魔術師ならば、気が付いているのだろうか。
魔術を防がれたこと自体はおかしなことではないのだ。
おかしなことは……その前。
「魔術も使わずに、私の攻撃をどうやって防いだのですか」
そうだ。
彼女は魔術を使っていない。
「え、使ったよ?〈土壁〉。ちょっと失敗しちゃったかもだけどね」
「……失敗、ですか」
「あはは……まだ上手く出来なくて」
見てたでしょ、と彼女は目の前で崩れている土の壁を指さす。
確かに彼女の目の前と周囲には役目を終えて崩れていく最中の土の塊があった。
だが違う。これはそんな段階の話ではないのだ。
フェイムは見ていた。見てしまった。
光が舞台上の結界内を埋め尽くす直前に、現れた土の壁を。
ゼルマがかつてそうしたように、物理的な壁によって光を防いでいる光景を。
何より、
彼女が〈土壁〉を編むよりも前に、生じていた〈土壁〉の姿を。
(まさか、彼女は自分のした事に気が付いていない―――?)
驚愕して動きを思わず止めてしまっているフェイムとは対照的に、カレンは今も「何かしたかなぁ」と不思議そうに呟きながら頭を傾けている。
その様子は、カレンの年齢にしては幼く見える容姿も相まって傍目には大層愛らしく見えるものだったが……フェイムには全く別のもののように映った。
そも魔術節を唱えていようが、魔術式が編めなければ魔術は魔術としてこの世界に現れない。
それは最も魔術師にとって基本的な工程。つまり、魔術式を編むという動きだ。
魔術節とは魔術式を簡易的に呼び起こす手段。現代魔術最高の発明であり、現代魔術を現代魔術たらしめるものだが結局の所魔術式が編めなければ魔術は成立しない。
それが、彼女の魔術には存在していない。
彼女が自身で身を守るよりも早く、速く、魔術が現れる。
それはまるで、世界の方が彼女を守ったかの様な―――信じ難い出来事。
(そんな事が、あって良いの?魔術を使わない魔術師、そんなでたらめが―――)
―――許されて良いの?、と。
フェイムは自身の見たものを疑う。
それは信じ難い才能である。
魔術師とは基本的に世界の敵なのだ。
魔力とは万象に宿る力そのもの。あらゆる何かを産みだす源であり、あらゆる何かを造る材料だ。
そして魔術師はその魔力を使い、世界の法則を書き換える。
この世に在らぬ力を振るい、この世に在らぬ物を造り、この世に在らぬ事を起こす。
世界から見れば、魔術師とは自身を好き勝手する寄生虫、或いは病巣のようなものだろう。
遥かな過去、神代の時代であれば魔術は恩寵であったかもしれない。
しかし現代の魔術とは神秘を人の技に降ろすもの。
神が世界を統べる時代を終わらせ、人の手に奪った一因。
神が世界の基礎ならば、間違いなく魔術とは世界の敵であろう。
勿論、全てがそうではない。
仮に世界が真の意味で魔術師の敵であれば、今日まで魔術師が存命である筈も無い。
この『敵』というのはあくまでも概念的な話に過ぎない。
実際、魔力の代弁者とも称される精霊は時折人の味方をする事もあるし、現代でも魔術師は信仰の象徴たる古代魔術を用いる事が出来ている。
だがそれとこれとは話が別なのだ。
精霊や神は確かに世界から分かたれた上位存在かもしれない。
だが、魔力そのものでは決してない。
『敵』というものが概念上のものであるように、『味方』というものも存在し無い。
魔力は意思無き純然なる力そのもの。そこに善悪は存在し無い筈なのだ。
にもかかわらず、カレン・ラブロックが起こした現象は常識に反していた。
彼女の言葉に、願いに呼応して、魔力の方から彼女を護る。
あたかも魔力が……世界が彼女を護るかのように。
世界が彼女を寵愛しているかのように。
魔術式を用いずに魔術を作る。
それは例えるならば、手を使わずに布を織るに等しく。
それは例えるならば、声を使わずに歌を紡ぐに等しく。
それは例えるならば、命を使わずに種を繋ぐに等しい。
正しく―――神の御業である。
「――――――」
フェイムは改めて自分の考えに戦慄してしまう。
決して自身の頭の冴えを誇ったのではない。
目の前で起こった、余りにもな常識外れに対して慄いたのだ。
だが、同時に。
(……落ち着こう。今の所、それだけに過ぎない。それ以上の事はまだ起こっていない)
フェイムは瞑想の要領で自身の精神を安定させる。
観客席は動き出そうとしない両者を不穏に思ったのか少しばかりの雑音が生じているが、それすらもフェイムは意識的に無意識においやり自身の思考に集中する。
考える事を止めてはならない。魔術師の戦いとは常に最後まで考え続けなければ勝てない。
フェイムは最も基本的な事を思い出し動揺するよりも前に、目の前で起こった事を事実だと受け止める。そしてそれが当たり前だとした上で、何をするべきかを考える。
「……もう一つだけ質問をしてもよろしいでしょうか」
「へ?……あ、勿論良いよ?何かな?」
「貴女のお父様は、とても素晴らしい魔術師でしたか?」
「うん、勿論」
即答だった。
質問内容は何でも良かったとはいえ、少しの共通点を見つけで心が軽くなる。
彼女の父がどれ程の魔術師かは知らないが、父を尊敬しているという点では同じだったから。
「パパはすっごい魔術師だからね。……えっと、それがどうかしたの?」
「……いえ。試合の流れを止めてしまって、申し訳ございません」
「全然いいよ!ちょっと緊張が解れてきたし、寧ろありがたいかも!」
にへへと純粋に笑う姿に、時間稼ぎの質問を少しだけ悪い気がしてくる。だが質問したかったのは全てが嘘ではない。時間稼ぎのついでに、尋ねたかった事を尋ねただけの話。
そして既に、フェイムの方針は決まった。
「……そうですか。それは何よりです。……では再開しましょう〈光雨〉」
「え!?ちょ、ちょっと!?」
フェイムの言葉に合わせ、魔術が発動する。
舞台半分、カレンの居る側の上空より降り注ぐ光の雨。
密度と持続時間の為の貯蓄は先程の会話中に済ませている。
「あ、〈土壁〉!!」
「―――ッ!」
光の雨が土の壁に衝突する。
今回フェイムが発動した〈光雨〉は込められた魔力が通常の二倍程の特別製だが、それでも分厚い土の壁は降り注ぐ光をカレンの頭上で受け止める。
それはあたかも先程の再演かのようにも見える。
いくら〈光雨〉に込めた魔力が普段の二倍程だとしても、初撃でこの程度の攻撃であれば防げる事は分かり切っている事の筈だ。
実際、フェイムとて彼女に有効打を与える為にこの魔術を使ったのではない。
フェイムは確認したかったのだ。
そして、少なくとも消費した魔力以上の情報を彼女は得た。
(……今度は魔術を使った?さっきとの違いは何?)
フェイムが確認したのは不格好ながらもきちんとした順序で発動した〈土壁〉の姿。
魔術節を唱え、魔術式を編み、魔術を創り出すという真っ当な魔術の工程。
少し……いや、かなり不格好……言葉を選ばずに言うならば下手ながらもそれはれっきとした魔術だ。間違っても魔力の方から魔術を形成するなんてものではない。
(……それにしても、なんて未熟な〈土壁〉)
ぎりぎり『壁』としての体裁は保っているが、あれでは土そのものを創り出した方がまだ見られるというものだ。
(それでも強度を保っているのは……彼女の魔力量がそれだけ多いという事ですね)
魔術自体の出来は酷いものでも、大量の魔力を注げば強度は高まる。複雑な魔術には使えない強化方法だが、〈土壁〉のような単純な魔術であれば有効な方法だ。
「〈光線〉」
「も、もう次!?あ、〈土壁〉っ!」
光の雨が止む前に放たれる攻撃。
上方からの攻撃に加え、正面から放たれた光線は真っ直ぐにカレンの元へと進む。
しかし普通の試合ならば悠長が過ぎる程の合間をもって放たれた攻撃は、再び不格好ながらもカレンの魔術によって防がれてしまう。
「ちょっと!酷いよ!まだ話す感じだったじゃん!不意打ちなんて卑怯だよ!」
「これはあくまで試合ですから。知りたい事が知れたのなら再開するのは当然ですよ。〈二重光線〉」
土の壁の向こう側から聞こえる声に適当に対応しつつ、フェイムは続けて魔術を放つ。
先程のものより威力の高いそれは、目の前の壁を貫通するに十分な力を有している。
慌てて魔術を発動させた故か、そも魔術の構造がなっていないからか、はたまたその両方か。
カレンが発動させた〈土壁〉は強度は高くとも耐久性が低い。つまり、何度も攻撃を受け止められない。
「うわぁっ!!!」
光線に貫かれ、土の壁が割れる。
間隙から見えのは慌てふためくカレンの姿。
その光景は、土の壁にによる防御を突破した証。
光線は壁の破壊と共に散ってしまったが、確かに壁は壊された。
そして、彼女はその隙を見逃さない。
「〈光槍〉!」
先程よりも少しだけ魔力を込めて魔術を放つ。
フェイムの傍に光の槍が現れ、顕になったカレンの身体を目掛けて飛翔していく。
フェイムは仮説を立てた。
〈光環〉の時と〈光雨〉との違いは何か。
何故〈光環〉では起こった現象が〈光雨〉以降の魔術では起こらなかったのか。
それは『魔術がカレンに致命傷を与えるか否か』であるとフェイムは考えた。
初撃である〈光環〉は間違いなく直撃すればカレンの意識を刈り取るに十分な威力を有していた。
それはこうして彼女自身の魔術を見ていれば分かる。
カレン・ラブロックという少女の魔術は出力こそ高いが、彼女自身の魔力操作は未熟も良い所。最高学府の魔術師としては到底言えない熟練度である。
あの現象が無ければ彼女は防御が間に合わず、決着はすぐに着いていただろう。
対して〈光雨〉の魔術は込められた魔力こそ多いが、一つ一つの光の威力は低い。現在カレンが防御出来ているように、方向が上方に固定の為対策も容易い。
そこから考えられる発生条件こそが『魔術がカレンに致命傷を与えるか否か』というものだった。
だからこそフェイムは使える魔術の中でも威力の低いものを攻撃手段として使う事にした。今とてより強力な多重魔術にする事も可能だったが敢えて彼女は〈光槍〉を使った。
この攻撃が仮に直撃したとしても、ぎりぎり意識を失わない程度の威力に制限している。
そうまでして彼女が慎重に攻撃をする理由。
それはあの現象が、特定の方向性を持つ事を避ける為。
消極的な防御ではなく、積極的な防御……即ち反撃に転じる事を恐れてのものだ。
アレが〈光環〉を防ぐ程度ならば問題ない。攻撃に対して防衛を行うだけの機構であれば問題はない。だがアレがそれだけであるとは思えない。想定外が生じたならば、その後に続くものもまた想定外。
そして、そうフェイムが考える理由がある。
(彼女は……これまで確かに勝利している)
少しだが彼女を見ていて理解した。
彼女自身の魔術は余りにもお粗末で未熟。魔力の量こそ優れているにしても、それだけで最高学府の魔術師が破れる筈も無い。
最高学府において一年の差、つまりは知識の差は余りにも大きいのだから。
であるのならば、そんな彼女がこれまでの試合を勝利して来た理由……それが必ず存在する筈であると。
フェイムは自分の事を棚に上げて、冷静に思考する。
(精霊の加護かそれとも特殊な生得魔術か……。兎も角アレが攻撃にも起こる可能性があるのなら、アレを彼女に起こさせずに勝利すれば良いだけの事!)
そして、一瞬の思考。一瞬の溜め。
一瞬の距離を経て槍は彼女の肉体に肉薄し、そして。
―――ドォン!!と、会場に轟音が響く。
カレンの肉体に衝突した音……ではない。それにしては余りにも鈍い音であった。
では標準が逸れ、土壁の残滓に衝突した音か。
……それも違う。壁は既に崩れ、彼女の目の前に存在していない。
では、音の正体は何か。
何が起こったのか、それは一目瞭然だった。
これ以上ない程に、分かりやすい光景であったと言える。
「―――これは……やはり、ですか」
「ま、間に合った……?」
眼前の光景を凝視するフェイム。対照的に無意識に瞑ってしまった目を恐る恐る開くカレン。
その光景を目に入れるのと同時にフェイムは自分の考えが半分不正解で、半分正解だと思い知る。
不正解とは魔術がカレンに致命傷を与えるかが条件では無かったという事。それが条件であれば、今の攻撃は十分に安全圏であった。
そして正解とは何か。
フェイムの目の前に見えるもの、それはあたかも巨人の抱擁であった。
地面から、否、舞台から伸びる白石の巨腕が光の槍を受け止めている。
片腕が攻撃を受け止め、もう片方の腕が優しくカレンを守っている光景。
それは普通の土魔術の様に、新に物質を創り出す魔術とは構造が違う。
舞台そのものが操られ、その姿形を変えて巨腕となって彼女を〈光槍〉から守っている。魔力によって創られた物質とは異なり、腕は確かに現実の重みを伴って動かされている。
しかも、カレンの魔術は間に合っていないにも関わらずだ。
腕は光槍の消滅を見届けると地面から生えたまま、蜘蛛のように関節を曲げて掌を地面に添える。
まるで人間が、机に手を当てて、椅子から立ち上がる時の様に。
「……さて、どうしましょうか」
まるで、何かが地面から這い出して来るかのように。
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