魔術を好きになったから。
■◇■
ゼルマが店の外へと出ると、店先に設置された長椅子にフェイムは腰かけていた。
「待たせたな」
「いえ、私が勝手に外に出ただけですから。先輩が気にする必要はありません」
「そうか……」
沈黙が二人の間を流れていく。
何を話せば良いのか、何を言えば良いのか。
大賢者である筈のゼルマでも分からない。
ゼルマ・ノイルラーは生粋の魔術師である。
生まれながらに魔術師となる宿命を背負っていた。
魔術師が生涯追い求めるべきものも、始めから存在していた。
大賢者としての研究。魔術師ならば誰もが知りたいと願うであろうもの。
それが果たして幸福なのか、不幸なのか。それが果たして呪いなのか、祝福なのか。
最早それを判断できる立場には、既にゼルマは居ないのだろう。
彼は大賢者の一人なのだから。
彼は今更魔術師以外の生き方を求めるつもりもない。
そもそも彼にとって魔術とは、全てだ。
魔術とは彼にとって、生きる意味そのものである。
だからこそ、先程のような言葉が出てきてしまったのだろう。
大賢者であるゼルマと、魔術師であるゼルマの間にある違い。
大賢者であれば言わない言葉。大賢者には存在しない思考。
それが彼にあのような言葉を紡がせたのだ。
「あの」
やがて、沈黙を破る言葉がついに発せられる。
沈黙を破ったのはフェイムの方だった。
「先程はすいません。少し、柄にもなくはしゃぎすぎてしまったようです」
同じように、しかし少しだけ暗い面持ちで微笑んでみせるフェイム。
「先輩がそのつもりであることは重々承知しています。先程の言葉が、一時の気の迷いであることも理解しています。ですが……嬉しかったんです。そして私は先輩が先輩であることを諦めるつもりもありません。今は言葉の綾だとしても、いつかは正式に認めさせてみせますから」
フェイムは長椅子から立ち上がり、ゼルマに向かって笑う。
普段とは異なる服装とその笑顔は、彼女を皇女や魔術師ではないどこにでもいる一人の少女のように見せる。
「さて、今日はお開きにしましょうか。明日に向けて準備もありますから。先輩も予定があるんですよね?私は大丈夫です。今日はありがとう―――」
「フェイム」
「はい……って今、名前を……?」
ゼルマは腿に肘を置いて、額に組んだ両手をあてる。
そして俯いたまま一呼吸を置いて、顔を上げた。
目の前に見えるのは、間違いなくフェイムの姿だ。
「どうしてそんなに勝ちたい?」
「……なんのことでしょう」
ゼルマの問いに、フェイムは明らかに誤魔化した。
表情は変わっていない。だが、ゼルマには分かる。
「もう隠さなくても分かる」
「…………」
ゼルマは自分の考えを、淡々と告げていく。
「ここ最近の特訓は、正直かなり厳しくしてきたつもりだ。『課題だから』だとか『折角なので優勝を目指す』程度の気持ちで継続できる筈がない程には。それを乗り越えてここまで来たお前には確固たる意志がある。優勝したいという意志だ」
「………」
「だがお前は優勝賞品には欠片も興味を持っているようには見えない。名声なんぞを欲しがる人間にも見えない。つまりお前が欲しいのはもっと他のものだ。優勝によって得られるものではない、別のもの。例えば優勝までの過程……言い換えるのなら優勝に至るまでの時間とかな」
何も、フェイムは答えなかった。
だがゼルマは続ける。その沈黙こそが肯定なのだと判じて。
この特訓期間中に感じていたこと、考えていたことを吐露していく。
「初めて出会った時に言っていたな。『大賢者の秘奥を教わりたい』と。そしてこうも言っていた。『変えられない未来を変えるため』だと。お前の本題はそっちなんじゃないのか?」
今回の新星大会の報酬は、直接的にゼルマにとっては必要ないものだ。ゼルマにとって魔境の素材こそ興味はあれど、最高学府に縛られる彼には無用の長物でしかない。
しかし、クリスタルの最高学府外への野外研究を防ぐためには意味があるものだ。
それと同じである。
フェイム・アザシュ・ラ・グロリアという少女にとって、必要なのは優勝そのものではなく他のもの。真に必要なものとは、優勝に至るまでの時間の方だったと。
それがゼルマの推測だった。
しばしの沈黙。だが、その時間は非常に短い。
それでも長く感じてしまったのは、この場の空気感のせいだろう。
沈黙の中で、フェイムはゼルマの側に改めて座る。
「……そうですね。仮にも先輩になって頂いた訳ですし、お話いたします」
そして、フェイムは語り始めた。
それはフェイムがゼルマに初めて話す、自分自身のことなのだろう。
「始まりは十年前、私は一つの光景を見ました」
「未来視……〈予測の眼〉か」
「はい。そしてそれが、私にとって最初の〈予測の眼〉の発動でした」
生得魔術の発現時期は千差万別であるとされている。
生まれながらに肉体に宿ったそれが、いついかなる時に発現するのか。
物心つく以前の場合もあれば、死ぬその時まで分からないときもある。
その制御は本人にもできない。
自分自身で学ぶ普通の魔術とは異なり、生得魔術は正しく生まれ持った才能であるが故にだ。
「……何を見た?」
「場所は帝国、その中心……皇都インペリア」
皇都インペリア。フェイムが口にしたそれは大陸でも最大級の繁栄を誇る都市の名。
大陸東端に位置しながら、その都市の姿は大陸中に知れ渡っている。
〈栄光帝〉が座し、近衛兵や屈強な軍が駐在する軍事都市としての姿。
皇帝の庇護の下、様々な文化や芸術が発展する文明都市としての姿。
それらのことから、別名栄華都市とも呼ばれる都市だ。
その都市に、何が見えたというのか。
フェイムは一呼吸分だけおいて、言葉を紡ぐ。
「―――皇都インペリアが、大きな穴に沈む光景でした」
恐らくは彼女にとって、絶望以外の何物でもない言葉を。
■◇■
「私が見たものを、誰かに伝えることは難しいです」
「私ですら、もう鮮明に思い出すことはできませんから」
「ですが、身体が、そして何より心が覚えているんです」
「あれは、あの光景は天災というよりも……悪意ある災害でした」
「皇都には父も居ます。そして父の配下の近衛兵たちも」
「それに歴戦の軍隊に加えて多くの魔術師も常駐しています」
「こと防衛という点において、皇都に勝る都市はないでしょう」
「それでもなお、皇都は滅んだ。滅んでいたんです」
「最初は夢だと思いました」
「だってそうでしょう。幼き日の私が未来を見たのはそこが初めて」
「その時の私は、それが誰にでもあるような悪夢だと思ったんです」
「実際、侍従に話したときも悪夢だと慰められましたから」
「おかしな話ですよね。あれは起きている時に見た光景なのに」
「私は本当に、夢だと思ったんです」
「ですがすぐに〈予測の眼〉で見た光景が必ずその通りになることを知りました」
「最初は単純なことだったと思います」
「兵士がこける光景を見た後に、そのようになったり」
「花瓶が落ちる光景を見た後に、そのようになったり」
「偶然では説明のつかない出来事」
「共通するのは、私が見た光景が必ず現実になるということ」
「血の気がさあっと引きました」
「それは、つまりあの光景もそうであるということではないかと」
「ぽっかりと空いた大穴。底も見えない程の暗闇」
「跡形も無くなった皇都。誰一人として生き残っていない国の姿」
「つまり、あの大穴は確実にやってくる未来なんだと」
フェイムは極めて端的に過去を語った。
だが簡潔な言葉の裏に、彼女の想いが見え隠れしている。
幼き日の彼女が背負った、余りにも大きすぎるもの。
「そこから十年。十年間、今に至るまで私は死に物狂いで魔術を学びました。理外の現象を何とかするためには、魔術を学ぶしかないと考えたからです」
彼女は自分の掌に魔力を集める。
密度の濃い魔力が可視化され、淡く光を放つ。
一目見て分かる程の、魔力操作の練度。
十年という言葉に、嘘偽りは無かった。
「ですが、どうしても、どうやっても未来は変えられません。私の未来視は、あらゆる出来事が既に起こった上での光景を見せているんです」
例えば『何かが落ちる』という未来を見たとして。
それを防ぐために彼女がどんな対応をしようが、最終的に『ものは落ちる』。
彼女の未来視は確定した未来を見せる性質なのだということだ。
それは余りにも強力な力である。
『それまで』は知らずとも『その時』と『その後』が分かる力。
しかもそれは絶対に起こる。
魔術の分野に限らず、あらゆる分野で力を発揮する力だ。
だが一方で、余りにも彼女にとっては残酷な力でもある。
未来が決して変えられないのであれば、それはつまり―――。
確定した絶望を与える死の宣告に他ならないのだから。
「それでも、私には諦めることは出来ませんでした。あの未来だけは……あの未来だけは絶対に回避しなければいけないと」
ぐっとフェイムは拳を握り締める。
血が滲むかと思う程に、爪が体に食い込まんばかりに。
「将軍から剣術を学びました。自分の身を最低限護れるように。宮廷魔術師から魔術を教わりました。自分一人では限界を感じたから。父から光魔術について教わりました。私の血筋を活かすしかないと思ったから。城の図書館に籠りました。少しでも未来を変える手段が無いか探す為に。考えられる限りのことを、思いつく限りのことをやってきました」
これまで、ゼルマはフェイムのことを典型的な天才型だと考えていた。
だがそれは違っていたのだろう。
勿論、彼女の才能は天賦のもの。そこは何も間違っていない。
だが彼女は、恐らくは他の誰もが知るよりも……努力してきたのだ。
血が滲む程に、それこそゼルマの厳しさなど今更のことのように。
「それでも、あの夢を見ない日はありませんでした。〈予測の眼〉で見る光景とは違う、夢で見るあの光景は……とても、とても恐ろしいもので。いつ訪れるのかも分からない災害は……まだ子供の私にとって夜眠れなくなる程の恐怖を与えるには十分過ぎるものでした」
それは、どれほどの恐怖だろうか。
ゼルマには分からない。
それは呪いだ。
決して解けない呪い。
「ある日、どうしても眠れなくて。私は自室を抜け出して父の書斎へ向かいました。見つかれば咎められることは知っていましたが、何もしないという事に耐え切れなかったのです」
父の書斎。父とは言うまでもなく〈栄光帝〉のことだ。
確かに誰にでも入れるような場所ではない。
「父の書斎には城の図書館よりもずっと複雑な本が置いてありました。魔導書だけでなく、歴史書や冒険譚……多分父の趣味だと思います。私は書斎の中で、本の背表紙を見て回りました」
そこでやっと、フェイムは俯いていた顔を上げる。
「そこで私は、ある魔導書に出会ったんです」
声色が明るくなる。
先程とは異なる、年相応の声色だ。
「感動しました。これ以上ない程に。そこにあった理論の数々は、まるで芸術品の様に美しく、そして緻密な魔道具のように複雑でした。本当に……感動したんです」
「………」
「最初は『マグラ書』。次に『カイナの黄金』。そして『リベリアの断片集』、『トゥベングルの時計』……父の書斎にある写本は全て読み漁りました。諳んじることができる位に読み込みました。どれも本当に感動しました……」
魔術の修練について言及する『マグラ書』。
錬金術の手法について記された『カイナの黄金』。
様々な地域の魔術について述べた『リベリアの断片集』。
詩集という形で魔術について書かれた『トゥベングルの時計』。
どれもゼルマも知っている有名な魔導書だった。
フェイムが挙げた題名は全て、かつて大賢者の新刊として発表された魔導書である。
大賢者の書く魔導書には題名が付いていないことが多く、それ故に発見地の名称や発見者の名称が題名に付けられることが多い。
「私は、その本を読んで初めて魔術を美しいものだと思ったんです。今まで魔術を手段としてしか思ってこなかった私に、未来を変えるためだけに生きていた私に……魔術を学びたいという未来に導いてくれたものが……他ならぬ大賢者様だったんです」
フェイムがゼルマの手を握る。
その手はゼルマよりも一回り小さく、そして温かい。
彼女の手が、ぎゅっと強く、だが優しくゼルマの手を握る。
「いつか貴方に出会うために魔術を研鑽してきました。未来を変えるために、他ならない貴方から魔術を教わるために。恥じない私になるために魔術師を始めました。くだらないと思われるかもしれません。こんな寄り道を望むなんて薄情な人間なのかもしれません。それでも……」
ゼルマが握られた自身の手から視線を上げる。
そこには優しい眼で彼のことを見つめるフェイムが居た。
彼のことを心の底から信じている眼。
ゼルマの喉が詰まる。
奇しくも、フェイムの言葉はゼルマと同じだったから。
魔術とは、そういうものだと知ったから。
「魔術を好きになってしまった。それが、私が貴方に師事したいと考えた理由なんです。先輩」
どれだけの時間が経過しただろうか。
フェイムはするりと握っていたゼルマの手を解放する。
「……すいません。また近づき過ぎましたね」
困った様にフェイムは笑う。
らしくないにもかかわらず、ゼルマが再び見てしまった表情。
それでも、言えない。
【末裔】の大賢者であるゼルマは真実を話す事は出来ない。
「さて、そろそろ本当に帰りましょうか先輩。明日も大会は続きますから」
「―――フェイム」
だから、ゼルマは。
大賢者ではなく、一人の魔術師として。
ゼルマ・ノイルラーとして話をする。
「一つだけ約束をしよう」
「約束……ですか?」
「ああ」
ゼルマはその言葉の重みを反芻して、吐き出した。
吐き出せば、もう戻れない。
それは最早明確な裏切りになるから。
それでも、彼は。
「お前が魔術師である限り……俺はお前の先輩であり続ける」
契約魔術による“約束”では決してない。
その約束に強制力は皆無である。
この口約束を破ったとしても、ゼルマにはなんの影響も無い。
だがその言葉は、大賢者ならぬゼルマが彼女に与えられる唯一の誓約だった。
魔術が好きだと。
彼と同じ思いを抱く彼女に対する最初で最後の約束だった。
「それと、これをやる」
「……これ」
ゼルマが紙袋を手渡す。
「さっきの魔道具……」
それは先程店内で二人が試した雪を作り出す魔道具だった。
「何を買ったのだろうと思っていましたが……」
「折角だと思ってな。要らないなら売るなり捨てるなり、好きにしてくれていい。こんな状況で貰っても困るだけだろうからな」
本当なら、もっと普通に手渡すつもりだった。
贈り物と言う程、大層な気持ちで購入した訳でも無い。
だがあの話を聞いてから、そして今ゼルマがあの言葉を話してからでは少し気まずいものがある。
「……いえ。嬉しいです。ちゃんと使いますね」
「そうか。なら良かった」
「毎日使おうと思います」
「それはちょっとやりすぎなんじゃないか?」
この魔道具はコストがかからないとはいえ、毎日食べるのは厳しい。
結局は氷なのだから。
「今日はありがとうございました先輩」
「……ああ」
いつの間にか、結構な時間が経っている。
まだ日は明るいが、これ以上見て回る空気でもない。
ゼルマもフェイムも明日はやるべきことがあるのだ。
帰り道は二人で並んで歩く。
思ったよりも呆気ない別れ。
ゼルマは研究室へ、フェイムは自室へと戻っていくだろう。
「それと」
そう思っていた時に、フェイムは不意に立ち止まる。
一瞬遅れてゼルマも立ち止まり、二人の間には手が届く程の距離が空いた。
「これからもよろしくお願いしますね―――先輩」
フェイムは作り物ではない笑顔で、笑いかけた。
■◇■




