万全であれ。例え万能で無かろうと。
■◇■
『こ、これはぁぁぁ!!グロリア選手、う、浮いています!!これはまさか!?』
観客達の視線が一点に集まる。
視線の先に存在するのは闘技場の上空にて浮かぶ、フェイムの姿。
その金色の髪を靡かせる、フェイムの姿であった。
『間違いありません!グロリア選手間違いなく浮かんでいます!これは飛行魔術!飛行魔術です!』
実況の魔術師が動揺を隠せぬままに、実況する。
彼等が驚く理由はただ一つ、フェイムが空中に浮かんでいるからだ。
「〈浮遊〉じゃなくて〈飛行〉ですか凄いですね」
飛行魔術は高等魔術。
正確には〈浮遊〉ではなく〈飛行〉の魔術がだ。
一般に魔術師が物体を浮かせる際に用いるのは〈浮遊〉の魔術。これは様々な魔術に組み込まれる程の基礎的な魔術だが、あくまでも浮かび上がらせる事しか出来ない。
対して自由試合に肉体を浮かび上がらせ、空中を動くのが〈飛行〉。
魔力の消費も激しく、高等魔術であるが故に長時間の飛行は不安定となる。
もっとも、フェイムが用いているのは正確には〈飛行〉ではなく〈飛翔〉である。
〈飛翔〉とはゼルマもとい大賢者が〈飛行〉を元にして改良を加えた魔術。
『高く飛び上がる』という機能に特化した飛行魔術である。
その為、自由自在に空中を移動できる代わりに難易度の高い〈飛行〉とは異なり、縦の移動に関しては圧倒的に難易度が低い構造になっているのだ。
「とても安定している……既存の魔術式ではそうはならないですよね?もしかして既存の魔術ではないのですか?もしかして貴女が新しく造り上げた新しい魔術なんですか?」
「いいえ。私にそこまでの事はまだできませんよ。これは私の……えーと、先生から教わったんです」
「そうなんですね。最近学園に行って無かったからそんな面白そうな授業してくれる先生が居るなんて知りませんでした。よ、良ければ紹介して頂けませんか?」
「ええ。本当に面白いですよ。紹介はできませんけど」
フェイムが地面に降り立つ。
〈飛行〉に比べて難易度が低いとはいえ、飛行魔術は発動している間常に魔力を消費し続ける。フェイムにとってこれ以上の魔力消耗は得策では無い。
「あぁ……」
勿体ないと言わんばかりに、フェイムを見るナルミ。
そう、『勿体ない』である。
もっとフェイムの飛行する姿を見たいという感情に由来する感情だ。
「〈三重光槍〉」
「っと!〈闇壁〉」
落胆するナルミ等お構いなしに魔術を放つ。
集中が途切れていたナルミは一瞬反応が遅れるが、しかし完璧に魔術で相殺する。
投擲された光の槍はナルミの前方に展開された薄暗い闇の中へと吸い込まれていった。
「ひ、卑怯ですよ!」
「卑怯?決闘中に気を逸らしている方が悪いのでは?〈五重光線〉」
「うっ―――!」
光線が放たれ、闇の壁が形を変えてそれを受け止める。
光魔術にとって距離は大した意味を持たない。
故に、光魔術を防ぐ為には魔術式が構築され終わり魔術が発動されるまでの間に対抗する魔術を発動させる必要がある。
ナルミの評価通りフェイムの魔術構築速度は天賦の才だ。
本来発動難易度の高い光魔術をその適正と才能から圧倒的な速度で発動させる。
だがナルミもまた天賦の才を有する魔術師。
光魔術と同じく発動難易度の高い闇魔術を見事に操り、フェイムの攻撃を相殺していく。
だからこそ、こうした景色が有り得る。
「〈光、音、速く過ぎるもの〉」
「〈闇よ、安寧を齎せ〉」
フェイムの周囲に展開された無数の光矢が次々と射出されていく。
それを防ぐはナルミの周囲を覆う、闇の膜。
一本、二本と吸い込まれ消える光矢。それを音もなく受け止める闇。
互いに単純な魔術節による魔術ではない、高等な魔術。
膠着状態。
それは本来有りえない筈の光景だが、しかし実際に実現されている。
フェイムが発動速度にままに攻撃を途切れさせず、ナルミもまた実力故に攻撃を防ぎきる。
片方に実力が足りなければ、この膠着状態は生まれなかった。
否、生みだせなかっただろう。
光魔術は速度の魔術だ。魔力と威力、そして才能があれば魔術の特性から敵対者を瞬殺してしまえる魔術だ。
だがそうはならない。ナルミはその才能を持って闇魔術を巧みに操ることで的確に魔術に対応する。開幕の〈光環〉を防いだのも闇魔術によるものだ。
「〈光雨〉〈鉄縛鎖〉」
「ッ!〈石刃〉!」
「〈光槍〉」
「―――っぅ!」
新たに発動される二つの魔術。
舞台の上空に生み出された魔術円から光の雨が降り注ぐ。
加えて発動されるもう一つの魔術。
ナルミの足元から伸びる鎖がナルミの足首に絡みつく。
それを断ち切らんとすぐさまナルミが〈石刃〉を発動する。
足元に生み出された石の刃が鎖を断ち切り、自由になる。
だが防御から気を逸らした一瞬の隙、その隙を見逃すような教育をフェイムは受けていない。
間髪入れず投擲される〈光槍〉。
それをナルミは魔術による防御ではなく、肉体を動かすことで回避した。
身体を回転させ、転がるように避けるナルミ。
〈光槍〉は既にナルミのいない空を素通りし、背後にあった闘技場の壁に衝突する。
「はぁ……はぁ……す、凄いですね」
「その言葉、そっくりそのまま返したいですね」
微笑むフェイムに対し、ナルミの表情には疲労が見える。
だが勝負は現状拮抗している。
フェイムに決定打はなく、ナルミも同じ。
「緊張しますけど……行きますね」
ならば現状を打破する為に必要なのは、新たな魔術。
「〈樹根抱芽〉〈樹根槍〉!」
ナルミが地面に掌をあてる。
瞬間、発芽した小さな芽が大樹へと成長を遂げた。
ナルミの背後に聳える大樹、その根が彼の魔術により操られ地表に飛び出ると、それはあたかも巨大な馬上槍のように細く尖り、生物の如くフェイムを襲う。
「〈三重土壁〉」
「無駄ですよ!」
「ッ!〈身体強化〉」
物理的な強度を求め、フェイムは魔術を放つ。
石魔術こそ使えないものの、三重に重ねられた〈土壁〉の強度は〈石壁〉に劣るものでは決してない。
だが、その特性はあくまでも土。
根は深く土の壁に突き刺さり、そのまま壁を穿ち進む。
幾ら硬い壁とて、突破に十秒も要しない。
咄嗟にフェイムは身体強化の魔術を使う。
バァン!と崩れる音と共に根が壁を突き破り、根は反対側へと飛び出してくる。
肉薄する根を目の前にして回避行動をとるフェイム。
だが放出して終わりの魔術とは異なり、ナルミの魔術は根を操作する魔術。
〈飛行〉と同じく、魔術を発動し続け魔力を込め続ける限り効果は継続する。
文字通り生きて動く根。
回避行動をとったフェイムを猟犬の如く追いかけ、その肉体目掛けて伸びる。
一本目が地面に突き刺さり、回避した先へと二本目が追う。
「〈光剣〉!」
しかしすんでの所でフェイムは根を切り落とす。
伸びる光の剣は根を焼きながら切り落とし、切られた根は地面にボトリと落ちた。
そしてまた、フェイムが光の剣を振るう度に根は一本また一本と切り落とされていく。
今ある根を全て切り落としたフェイムに訪れる一時の平穏。
だが根はまたすぐに伸びる。今もナルミの繰る根は再生し続けている。
ナルミの魔力は多い。いずれ底を尽きるとはいえ、それがいつになるか。
(予定より早いですが、仕方ありませんね……)
そう決めたフェイムの行動は速い。
全身に巡る魔力。その魔力に意識を向ける。
「すぅ―――〈魔血賦活〉」
「まさか!」
「ええ。次の階段に進みましょう?」
「面白い!丁度試してみたい魔術があったんです!」
フェイムの誘いに乗るナルミ。
それはクリスタルとヴィオレとの戦いにも見られたものと、似て非なるもの。
「〈閃光強化〉〈斬撃強化〉……」
「〈大地強化〉〈生命強化〉……」
まるで合わせ鏡の様に、強化魔術を発動していく両者。
負担は大きい。魔術を同時に発動させる、その行為は数が増す程に思考を焦がしていく。
一つ、また一つと思考領域を割いていく。
フェイムの脳髄にチクリと針に刺されたかのような痛み。
それは全身に巡らされた魔力回路が限界に近付いている証左だ。
だがそれでいい。そうでもしなければ確実な勝利は得られないのだ。
そして―――魔術は完成する。
現代魔術において、古代魔術のような詠唱は存在しない。
だが複雑で大きな魔術になればなる程に、一度に完成させるという行為は困難になる。
一つずつ積み木を置いて城を完成させるのと、上空から一度に積み木を落として城を完成させる程の違いがそこには存在している。
だが今は、両者はあえて隠す。
隠して、今それは顕現する。
「〈栄光なる剣〉!!」
「〈旺然なれ、芽吹きの大樹〉!!」
栄光に輝く一振りの剣とかの世界樹を思わせるが如き大樹が衝突する。
■◇■
「ナルミ・アズバードは強い」
フェイムの目の前に居る一人の青年、ゼルマ・ノイルラーは彼女にそう言い放った。
「同世代の魔術師の中では間違いなく傑物と言うに相応しい才能の持ち主だ」
「驕りかもしれませんが……それは私よりもですか?」
普段(と言っても出会ってからまだそれ程時間は経っていないのだが)自らを褒めることが滅多にないだけに、フェイムは思わずそう尋ねる。
それに対しゼルマは、普段と変わらず続ける。
「どちらが優れている、という話ではない。お前の才能はお前だけのもの。少なくともナルミ・アズバードとは才能の方向性が異なっているんだからな」
「と言いますと?」
ギィと椅子の音が鳴り、ゼルマがフェイムの方を向く。
今二人が居るのはゼルマに与えらえた研究室。
フェイムは魔術の効率化を、ゼルマは読書をしている所であった。
「ナルミ・アズバードの才能……それは『万能性』だ」
「『万能性』ですか」
魔術師であれば聞き馴染みのある言葉。だが同時に夢物語に近しいともされる言葉だ。
何故ならそれは、一人の魔術師を褒め称える際に用いられることが多い言葉だから。
大賢者という一人の天才を表現する際に用いられる言葉だからだ。
「あらゆる属性を使いこなし、あらゆる状況に対応する。加えて魔力の総量も魔術に関する知識も深い。アズバードの名に相応しい魔術の実力だ」
「むぅ、やけに褒めますね」
少しばかりの嫉妬。
弟子である筈の自分が褒められた事は彼女の記憶の中で未だ一度も無い。
勿論間接的に能力に関して評価をされたことはあれど、それは褒めではない。
今度は隠すこともできず、フェイムは言葉にしてしまう。
「当然だ。時間があればあいつの書いた論文を読んでおけ。奴の書いた論文の中身は完璧に近しい。まさに天才。奴の才能は本物だ……悔しいが」
ゼルマの最後に呟いた言葉は幸いフェイムの耳には届かなかった。
「では、私は勝てないということでしょうか?」
フェイムは再び問う。
自らの師匠であり大賢者であるゼルマが掛け値なしに『天才』と評価する程の人物。
彼女もナルミ・アズバードのことは少しだが知っている。
名門、六門主アズバードの嫡男。次代の六門主。
若くしてその才は老獪なる魔術師を越えると称される天才。
表舞台に姿を見せることは無いが、耳に入る評価は全て彼を称えるものばかりだ。
フェイムとて家柄という目線では負けていない。寧ろ一般的に見れば勝っている。
彼女はグロリア帝国の皇族。第五皇女と継承権では下だがれっきとした皇族の一人。
また彼女の父は序列九位に数えられる〈栄光帝〉。彼女もその才を十分に受け継いでいる。
それだけに、彼女は感じてしまう。
「まさか。言っただろ『物事は始まった瞬間には決着がついているものだ』と」
「大賢者様の言葉ですね」
「お前の才能は決して奴に負けていない。必要なのは対策だ。事前の準備さえ万全にすれば、必ずお前は奴に勝てる。それが勝負というものだ」
「それは私を褒めているんですか?」
「……まぁ、そうだ」
「そうですか。そうですか。では続けてください」
何故か微笑むフェイムをゼルマは疑問に思いつつ、それに突っ込むのも変な気がしたので、そのまま話を続けることにする。
「良いか、奴の弱点は二つ。それは―――」
■◇■
「―――」
「……っ」
光の大剣が大樹の根元に食い込んでいる。
大樹から伸びる無数の枝を切り落としその幹へ。
その刃は既にナルミの首元にまで到達しているが、触れてはいない。
後少し、ほんの指先程の間隔を残して離れている。
それ以上は光の剣が動かないのだ。
太く、しなやかに伸びる大樹の幹が大剣を挟み込んで動かない。
(防がれた!しかも、動いていない)
すぐさまフェイムは第二の魔術を放とうと魔力を巡らせんとする。
しかし―――
「ッ―――!!」
鈍い痛み、先程よりも強烈な肉体の痛み。
それは魔力回路が焼けたが故に痛みではない。
針の様に鋭い枝が、彼女の腕に突き刺さったっていたのだ。
「〈光剣〉!」
魔力を抑えた短剣サイズの〈光剣〉を発動し、伸びる枝を切り落とす。
利き腕に刺さったその枝がフェイムの狙いを逸らさせていたのだ。
それによって、本来ならば胴を狙う筈の軌道は上方に逸れて首元へ。
この方向のズレはナルミも想定外だったのか伸ばした枝の半数程を用いて防御に回っていた。
「〈三重光槍〉」
「っぅ!」
最初に伸ばされた枝の一本を切り落とし漏らした事によって、生まれた想定外。
幸いだったのは、連続する筈の枝の攻撃が想定外の防御によって減らされたこと。
それによって大樹を切り落とせずとも、先手を取れたことだ。
「〈光槍〉〈光槍〉〈光槍〉」
「はぁ……はぁ……ッ〈闇壁〉!」
次々と光槍を投擲し、フェイムはナルミを動かす。
避けられる攻撃は回避するが、そうでない攻撃は防御しなければならない。
ナルミは闇の壁を張り、攻撃を防いでいく。
当初とは異なり、多重魔術にはなっていないが、その分だけ数は多い。
ナルミも反撃してくるが、フェイムは腕の痛みを我慢しつつ、それを冷静に防いでいく。
それで十分な程に、ナルミの魔術は変化していた。
そして、大技を撃ち終わってからどれだけ経過したか。
まだそれ程経過してはいないだろうが、それでも十分過ぎる程の時間だ。
「おや、もうお疲れですかアズバード先輩」
「は、ははは……そ、そんなことないですよ……?」
「なら続きをやりましょう、〈光雨〉」
「くゅぅ……〈闇壁〉!」
フェイムの〈光雨〉もまた当初に比べれば勢いが弱まっている。
だが、それで十分だった。
「ほら、どうしたんですか。まだまだ続けられますよね?私はこんなに元気ですよ」
「うぅ」
(早く)
「先輩もどうぞ魔術を撃ってきてください。先輩の魔術がもっと見たいですから」
「うぅぅぅぅ!」
(早く!)
「さぁ!」
「き、」
そして、
「棄権します!!降参です!!」
勢いよく、高く大きく、闘技場に集った誰もが見えるように、そして誰もが聞こえる様にそれは行われた。
『な!!??』
「「「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」」」
呆気に取られ実況。数秒遅れて驚愕の声をあげる観衆達。
当然だ。まさか、有りえない。
新星大会の出場者が、それもアズバードの魔術師がまさか降参を宣言するなど前代未聞。
「な、な、な何言ってるんですかナルミ様!?相手も疲弊しています!相手の態度は虚勢ですよ!今優位を取っているのはナルミ様の方なんですよ!?早く取り消してください!早く戦いを続けてください!!」
「あちゃーまた悪い癖が……だから私は無理だって言ったのに」
観客席から舞台に向けて投げられる声。
その声の主はナルミを舞台上まで引き摺ってきた二人の女性の片割れだった。
「だってしょうがないじゃんか!もう疲れてるの!もう限界なの!!」
「そ、そんなの当たり前です!そんなの理由にはなりません!」
「あーもう良いよ。どうせもう降参したから。怒られるのは後からで」
「あぁちょっと!待ってくださいナルミ様!!」
そうしてナルミはフェイムに背を向けて舞台の外へと向かう。
その背中に、フェイムは声を投げかける。
「どうして棄権を?」
「え、ま、まぁ……」
至極当然な疑問にナルミはまた当たり前のことのように答える。
「だって、あんなに疲れて、行きもあがって、集中できない状態じゃ完璧には魔術を編めないから」
そう、ナルミにとっては当たり前のことなのだ。
彼にとって勝利は全てではない。
彼にとって最も重要なのは、自分の魔術なのだ。
「では、あ、降参してしまってすみませんでした。またいつか」
そうして、ナルミは闘技場から去って行った。
残されたのは観客達の戸惑いの騒めきと、舞台上に一人。
くるりとフェイムも身体を回し、出口へと歩いていく。
その、表情は―――。
(どうやら、賭けに勝ったようですね。本当に、誘いに乗ってくれてよかった)
笑っていた。
(どうでしたか師匠。中々の演技だったでしょう?)
◇
ナルミ・アズバードは完璧主義である。
扱う魔術だけでなく、執筆する魔術論文も、どれも自身の出し得る最高の結果を出さなければ気が済まない性格なのだ。
いや、正確にはそれ以外を許せない性格なのだ。
それは間違いなく彼の長所である。
その性格故に、彼は天賦の才に驕ることなく魔術の道を進み続けているのだから。
その性格故に、彼の残す結果は常に完璧であるという評価を受けているのだから。
しかしそれは、彼の大きな弱点の一つでもある。
その性格故に、彼は完璧な結果にならない場合は行動自体を諦めてしまうのだ。
そしてもう一つの弱点。それは彼の体力の無さ。
ナルミは基本的に人見知りであり、特待生の特権を活かして最高学府内に存在するアズバード邸に引き籠って魔術の研究を行っている。
数少ない外出も、学園長によって呼び出されたときくらいのもの。
そうなれば当然、彼の身体能力は衰えてしまう。
魔術師は魔力を使って戦うが、やはり基礎的な体力は必要不可欠だ。しかし彼にはそれが存在していない。普段の環境では必要なかったからだ。
故にフェイムは最初から相手を戦闘不能に追い込んで勝利するつもりは無かった。
魔術によって彼を動かし、体力を削る。
魔術の撃ち合いによって、試合を長引かせて体力を削る。
そしてフェイムとの戦いでは体力がなくなることで低下した自身のパフォーマンスを気にかけ、勝負を降りてしまった。それこそが彼女の目的とも知らずに。
フェイムが自分はまだまだ体力が余っていると演技をしたことで、これ以上試合が長引くことを嫌ったのも理由の一つだろう。
『完璧主義』と『体力不足』。この二つこそがナルミ・アズバードの弱点。
「だからこそ、お前は勝てる」
作戦を話し終えて、ゼルマはフェイムに向かって言った。
「そう簡単に勝負を降りるでしょうか?彼はアズバードの魔術師ですよ?」
「降りるさ。そもそも奴にとって、勝負の勝敗は大した問題じゃない。特待生の義務で仕方なく参加しているだけ。負けて終わるのならそれでいいって思ってるだろう」
ゼルマの言う通り、ナルミはそもそも最初から勝負に対して消極的だった。
サポートメンバーも付けず、彼自身の気持ちとしては「まぁやれるだけやってみます」程度のもの。これまでの試合で降参しなかったのは、流石に露骨に負ける訳にもいかなかったからだ。
そしてフェイムによって体力を削られたナルミは目論見通り勝負を降りた。
仮にこのまま継戦していれば、勝敗はどちらに転がったか分からない。
勿論普通に戦っていても、フェイムが勝った可能性は大いにあるだろう。フェイムの実力は高く、才能はナルミに劣っていない。
だがそれは確実ではない。
そしてその為には、フェイムの手札を切る必要がある。
だからこそゼルマはこの戦い方を選んだ。
限りなく確実に勝負に勝てる、この戦い方を。
そして、フェイムはナルミ・アズバードを降した。
それが決着である。
◇
「本当に、流石です。師匠」




