魔術師であったもの
■◇■
「ハァ……ハァ……ッ!」
肉体に鈍い痛みが走る。杖を持つ手に、力が入らない。
ヴィオレの魔力は既に底を突いていた。
意識に障害が生じる程では無いにしても、もう先程のような大きな魔術は使えない。
初めての疲労感。初めての感覚。初めての鈍痛。
練習は重ねて来たつもりだったが、それでもこれだけの大魔術を使える機会は少ない。
威力、範囲共に大きな魔術である古代魔術はそう易々と街中では使えないからだ。
(全力は、出し切った……これで)
まず決闘という場でなければ使えない魔術。
相手を殺す気概で臨まなければ勝利し得ないと感じ、一線を越えた。
〈熔かす者が為の剣〉も〈地鳴と共に降る雷鳴〉も簡単に生命を奪ってしまえる魔術だ。
勿論、クリスタル・シファーならば耐えるだろうという前提はある。
優れた魔術師ならば肉体に纏わす魔力防御も一級。重傷は免れないだろうが、それでも致命傷になる事はないだろうという計算の元の行いだった。
手応えは確かにあった。直接触れる訳ではない魔術に手応えとはおかしな話だが、ヴィオレは確かにそれを感じていた。
爆音と爆風の中で確かに聞いた、水晶の割れる音。
あの壁さえなければ残るは魔力防御のみであり、魔術を阻むものは無い。
ヴィオレは祈る。
神に、ではない。
だがその行為を言葉にするのならば、それは確かに祈りであった。
―――どうか。
これで終わってくれと。
自分の魔術に疑いはない。自分の実力に疑いは無い。
それでも、ヴィオレは祈った。
そして―――それは裏切られる。
「――――――嘘、でしょ」
何事も無かったかのように。
何処も変わらず、ただそこに。
舞台上の上に、始まった時の様に立っている。
「とても、良い魔術でした。ですが、それだけに惜しいですね」
惜しい、という言葉の意味に気が付く前にそれは始まってしまう。
「まず古代魔術を使うのであれば、より相乗効果を意識して魔術を選ぶべきです。別々に使うのではなく、同時に衝突するように時間を調整することも必要でした。それに魔術回路の巡りが鈍っていましたね。折角の大技なのですから普段から魔力消耗の効率化をしておくべきですね。例えば魔術を発現させる場所一つでも効率は上下します。これまで同時に二つの古代魔術を発動させた経験が乏しく、結果として次撃の火力が弱まっていました。事前に発動させていた強化魔術の効果が落ちたことが原因として考えられますが―――」
突如として始まった舞台上での授業は、これまでにヴィオレが受けたどの授業よりも鮮烈に、彼女の意識に介入している。
ヴィオレという魔術師の問題点を見つけ出し、改善点を教えている。
先程まで自身を殺そうとしていた相手に、それをしている。
音が耳に届かなかった。
言っている意味が理解出来なかった。
出来ていても、それを脳が拒んでいた。
「ですが本当にお見事でした。やはり自分の目で見ることは重要ですね」
本当に、嘘偽りのない表情で、クリスタルはヴィオレを称賛するのだ。
「……って」
「どうしかしましたか?」
「そうやって!また私を見下してるの!?」
「仰る意味が分かりません」
「それが、見下してるって言ってるの!!!」
ヴィオレは叫ぶ。
これ以上ない程に直接的な訴え、だがそれすらも彼女には届いていない。
或いは、届いていても理解出来ていない。
「いつもそうだ!!出来て当たり前って顔をしてる!分からないのが理解出来ないって顔をしてる!!あの時も………!!今だって!!アンタは!アンタは!!!!アンタは魔術師でしかない!!!!」
その理由を知らぬヴィオレにとっては仕方のない事だ。
「………すみません。私はまた、失敗してしまったようですね」
クリスタルは素直に頭を下げる。
またそれがヴィオレの神経を逆撫でするが、流石に今度は叫ぶのを抑えた。
「ですが信じてほしいのは、私の評価は決してお世辞ではないということです。あなたの魔術は大変素晴らしいものでした。私は確かにそこに価値と学びを見出す事が出来ました。血統魔術の効果でしょうか、周囲の魔力の流れが通常のそれよりも活発ですね。魔術を同時に発動させる動きも流暢で、自身の性質を把握しているからこその戦闘方法であることが窺えます」
惜しみない称賛だった。
これがクリスタル・シファーからでなければ。
これが他の魔術師や、ヴィオレの両親からであれば。
自身の鍛錬に自信を持って生きて来たヴィオレは素直に受け入れていただろう。
だが求めていた筈の称賛を与えたのは、他ならない敵自身。
「だからこそ、残念です。本当に」
心底残念そうにクリスタルがそう言うと、彼女は改めてヴィオレの方を向く。
水晶の如き両眼がヴィオレを捉える。
二人の間には相応の距離がある。だがその眼は十分にヴィオレを射抜く様に、見つめてくる。
水晶。一分の濁りも無く、歪みも無く、整然とそこに在るもの。
ここまで来てヴィオレは気が付いた。
クリスタル・シファーという魔術師に虚言は存在しない。
何故ならば、彼女には嘘を吐くという行為が必要ないからだと。
彼女は彼女自身の言葉だけで、世界を生きていけるから。
「あなたを知ることで新たな学びを得ることが出来ました。ありがとうございます」
「ああ、ああああああああぁぁぁ!!!」
理解出来ないものを見て、ヴィオレの感情が荒ぶる。
魔術節を唱える必要すらない魔力弾を連打するが、そんなものが今更クリスタルに効く筈も無い。着弾した魔力弾はクリスタルの身体を覆う魔力防御によって霧散する。
「もう効きません。それはさっき確認しました」
クリスタルが、歩き出す。
魔力弾の雨の中、まるで散歩でもするように彼女はヴィオレに段々と近づく。
そうして、遂にクリスタルはヴィオレの目の前に辿り着いた。
最早魔術等関係ない距離。
手に持つその杖の切っ先だけでも他者を殺せてしまう距離。
それはヴィオレにとっても同じ。だが残りの体力には歴然の差が存在してる。
残り少ない魔力をも魔力弾として消費してしまったヴィオレに、最早立ち上がる体力すら残されていない。
「最早魔力切れのあなたに、十全の魔術は使えません。諦めて降参した方が賢明かと」
クリスタルがヴィオレに降参を促す。
彼女の言う事は正しい。既に勝敗は決している。
現状生殺与奪の権を握っているのはクリスタルの方だ。
彼女はこのまま至近距離で魔術を放ってしまえば良い。それだけで良い。
簡単な魔術でも魔力切れに近しいヴィオレには防御出来ないだろう。
この距離ではともすると命すら危ういかもしれない。
「このまま続けても互いに利点はありません。後遺症が生じる可能性もあります」
それはクリスタルの本音なのだろう。
彼女は積極的に他者を害そうという考えはない。
それは彼女にとって、魔術以外の事はどうでも良いから。
クリスタル・シファーという魔術師は非常識で常識的なのだ。
「あ、あ、ぁぁ………!」
再び、声が漏れ出す。
そこに最早強さは微塵も存在しない。
そこに在ったのは、恐怖。
自身の理解が及ばないものに対する、根源的な恐怖。
クリスタル・シファーは嘘を吐かない。
嘘を吐かなくとも生きていけるから。
嘘を吐かなくとも認められるから。
クリスタル・シファーは他人に興味が無い。
他人が居なくとも生きていけるから。
他人が居たとしても関係が無いから。
クリスタル・シファーに無駄な自尊心は無い。
改善点が有れば素直に直す。反省点が有れば素直に正す。
それが最も効率的であると知っているから。
それ以外が非効率であると解っているから。
魔術に邁進し、あらゆる知識を修め、自らの道を生き、無駄を持たない。
魔術師としての理想形。
それがクリスタル・シファーという魔術師なのだ。
だがそれは、理想的でありながら人間的では無い。
人間は無駄を持って生きている。
魔術師だとしても魔術のみに生きている者が果たしてどれだけいるだろう?
まるで魔術師として生きる為に生み出されたかのような精神性。
産まれながらの魔術師であり、魔術師を始めた者達とは決定的に異なっているとすら感じさせる。
そんなものに、
「そんなもの、勝てるわけないじゃない………!」
―――ポキ
結論が、彼女の中で出てしまったのだ。
辛うじて保っていた自尊心が折れる。
誰に聞こえずとも、聞こえてしまったのだ。
それは心の折れる音。自分が崩れる挫折の音。
自分は彼女にとっても好敵手ですらなく。
立ち塞がる障壁ですらなく。
視界に漂う羽虫ですらなく。
ただ立ち寄った本屋で偶然手に取った、本の中身程度のもの。
彼女にとってのこの戦いは、単なる興味によるものであり。
自分の持てる全てとは、彼女にとって単なる一つの知識でしかない。
決して特別では無い、他のどのものとも同じ一つの知識でしかなかった。
「これで最後です。降参してください」
杖を突き付けられ、先端に魔力が集まる。
魔術構築の前段階。後は魔術節さえ唱えればすぐにでも魔術は発動する状態だ。
喉元に剣を突きたてられている状況下で、遂に。
「〈水晶―――」
「ま、待って!!」
クリスタルを静止し、俯きながら、ヴィオレは言う。
「………負け、ました」
ヴィオレの口から、降参の宣言が為された。
■◇■
第一試合終了より、暫く。
敗北したクリスタルが、舞台裏と戻る。
待合室に大した荷物は置いていない。戦闘に必要なものは魔道具と愛用している杖だけで、無駄な準備物はそもそも持って来ていないからだ。
とは言っても鞄くらいは常に持ち歩いているので、それだけを取りに戻って来たのだ。
「 」
ヴィオレの表情は、試合開始前とは正反対のようだった。
まるで生気が感じられない、死人の如き顔。
顔の構造が変わっている筈も無いので、やはり精神状況が影響しているのだろう。
目はただ開いているだけといった感じで、虚ろだ。
扉を開けて待合室の中に入った後も、扉の正面で虚空を見つめている。
やがて、ヴィオレがぺたりと床に座り込む。
座るというよりも、落ちるといった表現が適切にも思える座り方だ。
身体の力が抜け落ち、手にしていた杖が床に転がる。
杖の先端の装飾のおかげでそのまま遠くへ転がっていくことは無かったものの、最早その杖を気にかけている様子すら見られない。
放心状態だ。
「 あ」
やがて、言葉にもならない言葉が彼女の口から漏れ出る。
何をきっかけにしてか、少しだけ思考が戻ったようだ。
「―――そう、だ」
少女は鞄の中身を思い出す。
それは決して見たいと思うものでは無かったが、恐らくその存在こそが彼女に思考を取り戻させた切っ掛けであったのだろう。
まるで生まれ落ちたばかりの獣が立ち上がる時の様に弱弱しく、傍に転がる杖を支えにして立ち上がり、ふらつきながら鞄の置いてある場所へと歩く。
普通なら数秒とかからない距離を、ゆっくりと緩やかに歩いてやっと辿り着く。
力のこもらない手つきで鞄を開けると、そこには一通の便箋があった。
封蝋には家紋が。ヴィオレの家系、ハールトの紋章である。
「………………」
本来なら、勝利と共にこの手紙を開けるつもりだった。
ヴィオレはクリスタルとの勝負を見据え、試合表が公開される前から心の準備をしていた。
智霊大祭開始前に届いた筈の手紙をすぐに開封せず、寝かせておいてのは余計な事象に心を邪魔されない為だ。
無言のままで、ヴィオレはその手紙を読む。
それはハールト本家、正確にはヴィオレの父親から届いたもの。
中に入っていた手紙は一枚だけ。
そこには彼女の両親らしく簡潔に三行程の文章が記されている。
『ヴィオレ。お前の婚約相手が決まった。
智霊大祭が終わった後、本家に一度戻ってくるように。
楽しみに待っている。』
内容自体は、そう難しいものではない。
理解に苦しむ類の難解さではない。
予想通りと言えば、予想通りである。
だが、そう、だからこそ―――
「 そっか」
この日を境に、ヴィオレ・ハールトは最高学府から姿を消した。
智霊大祭終了後に、彼女が最高学府を出たという話が広がるのだが、今はまだ誰も知らない。
■◇■




