人の畏怖を、恐怖或いは栄光と呼ぶ。
■◇■
帝国。
そう呼ばれる国家は、現在の大陸においては概ねある国だけを指す言葉だ。
グロリア。或いはグロリア帝国。
大陸東端に帝都を構え、広大な国土と絶対的な帝政の元に繁栄と栄華を極める大国である。
現代では国家の統合が進んだ事もあり侵略戦争は起こしていないが、過去には周辺の小国を巻き込み幾度となく戦争を引き起こしては国を飲み込み巨大化してきた。
大陸の東端にありながらその国力は大陸最大であり、西方諸国とある意味対立関係にある。
だが、そんな事は帝国を語る上でほんの一部分でしかない。
帝国を語るのであれば、ある一点が全てと言っても過言ではない。
帝国を治める絶対的な支配者であり。
数多の偉業を成し遂げた英雄であり。
世界最強に名を残す人間種族の一人。
序列第九位。
勇者ならぬ人の身にて、唯一序列に名を連ねる皇帝。
その身に栄光なる輝きを纏いし者。
〈栄光帝〉ルーヴ・アザシュ・レ・グロリア。
オドン峡谷百年戦争、呪術の民講和条約、荒ぶる金竜の征伐、血の皇位継承………。
現代の人間でありながら神代の英雄にも負けぬ偉業を積みあげた事から人は彼を栄光帝と呼び、勇者で無いにも拘わらず序列に加えられた強者である。
そして、今ゼルマと共に居る少女………フェイム・アザシュ・ラ・グロリア。
グロリア帝国第五皇女、彼女の言う事が真実であればそれは即ち、〈栄光帝〉の実子という事に他ならない。
(………帝国第五皇女。入学して来た事は知っていたが、まさかこんな形で顔を合わせるとは)
大陸に存在する魔術の教育機関は何も最高学府だけではない。
最高学府は魔術師の学園としては確かに大陸最高の教育機関だが、最高学府では魔術師とそれに関連する事しか教える事は無い。これは最高学府が魔術師の為の学び舎だからだ。
例えばハルキリア王国のハルキリア国立学術院、サラン商国の中央商業学船、そしてグロリア帝国の帝立全院。
特に慣例ではグロリア皇族は帝立全院に入学するのが慣例の筈である。
では何故、フェイムは最高学府に入学したのか。
(駄目だ、疑問が多すぎる………だが少なくとも)
フェイムに裏はあっても嘘は無い。
ゼルマを大賢者と認識し師事を志願した事も、完全な本心からだろう。
現在ゼルマはより人目のつかない場所………つまり最高学府のゼルマの研究室に向かっていた。
研究室は基本的に完全なプライベート空間。集合住宅であるゼルマの自室よりもよっぽど良い。
暫く歩いていると、不意にフェイムがゼルマを呼ぶ。
「大賢者様」
「………その名前で呼ぶな」
「あぁ、そうでした。隠していらっしゃるのでしたね。では何とお呼びすれば?」
「普通にゼルマかノイルラーで良い。それと妙な敬語も使うな。怪しまれるだろ」
「ですが私は弟子の立場です。師匠は敬うものでは?」
不思議そうに尋ねるフェイム。
冗談なのか、それとも本気か、恐らくは前者だろう。
「そもそも弟子入りを認めた覚えはない」
「そうですか。でも諦めませんよ。私は貴方の弟子になります」
「敬語を使うな」
「そもそも私は年下です。敬語を使うのは何らおかしな事では無いと思いますが?」
「上下関係があるように話すな、と言っているんだ」
「そうでしたか。では人前では普通に話しかけましょう。これで大丈夫ですか?」
「………それで、何だ?」
話が逸れたが、会話はフェイムがゼルマを呼んだ事が始まりだ。
「先程から気になっていたのですが、転移魔術はお使いになられないのですか?」
「何故だ?」
「大賢者の魔導書には長距離転移魔術がありました。この位の距離なら転移魔術で一瞬なのでは?どうして使わないのですか?」
「………最高学府には学園長が張った結界がある。空間転移を感知する防衛の為の結界だ」
転移魔術を代表とする空間魔術はその難度もあって使用者が少ない魔術だ。
だが使えれば、一瞬の内にあらゆる防御や設備を掻い潜り一気に目的地に辿り着けてしまう。強盗、暗殺、破壊工作、その用途は広い。
だからこそ最高学府には空間転移を感知する結界が常時展開されているのである。
「本来は外部から内部への侵入を感知する為のものだが、内部間の転移も感知される。だから最高学府内の移動は基本的に徒歩なんだ」
「大賢者であっても、ですか?」
「この結界は例えるなら水だ。最高学府という容器に満たされた水」
「水、ですか?」
「そうだ。転移魔術を使えば空間には『穴』が生まれる。この魔術はその『穴』を感知する魔術だ。これは転移魔術を使う限り逃れられない」
水中から突然物質が無くなればそこには『穴』が生まれ周囲の水が流れ込み体積が変動する。
実際には有り得ない事だとしても、転移魔術にはそれが可能でありだからこそ結界として成立するのだ。
「だから転移魔術は使わない。これで納得か?」
そもそも今のゼルマに転移魔術のような高等魔術は使えないのだが。
それをわざわざ伝える必要は無い。
「はい。ご教授くださりありがとうございます、師匠」
「………そんな事を言っても師匠にはならないぞ」
「外堀から埋めていこうかと。得意分野ですので」
「冗談に聞こえないが」
「本気ですから」
ゼルマは帝国の内情については詳しくないが、彼女が皇族である事を考えれば説得力はある。
王宮と言えば政争と謀略がつきものだ。最も、かの皇帝が治める国にそのようなものが果たして残っているのかは疑問が残るが。
ゼルマの知識は完全ではない。
ゼルマが大賢者の知識を十全に引き出せるのはあくまで【賢者機関】と同期した時だけであり、普段のゼルマは『ゼルマ』として得た知識しか存在しない。
正確には各種基礎知識等は共有されているのだが、移り変わる世情の知識までは共有されていない。
もしかすると帝国にもゼルマと同じ大賢者が居るのかもしれないが、記録情報の共有が行われていないゼルマは知る事が出来ない。
ゼルマとフェイムは歩く。
ゼルマが先導する形の為、フェイムより数歩分だけ前に出ている形だ。
そしてゼルマの研究室もとい建物まで残り半分というところで、フェイムが再び話しかけて来る。
「そろそろ到着しますね」
「そうだな」
「そういえば私、一つ気になる事が生まれました」
「何を………ッ!?」
突如、振り返ったゼルマの視界を閃光が照らした。
白く眩い輝きが周囲を覆う。
ゼルマが咄嗟に反応出来たのは、偶然に近いものだった。
頬をかすめた何かによって、触れた髪の一部が焼き切れ、はらりと散る。
その何かは確かな熱を以て、彼の髪を焼いたのだ。
「………いきなり何のつもりだ?」
「気になったので確かめたいと思いました」
再び、フェイムの右手が眩く輝く。
それは魔術だった。
光を生みだし、操る魔術。
光魔術と一般に呼ばれる魔術である。
「貴方が本当に師と仰ぐに相応しい人物かどうか、実力を試させてください」
「正気か?今、ここで?街中だぞ」
「大丈夫です、被害は出しません。そこまで愚かではありませんから」
奇しくも状況は似通っていた。
既に日も暮れ、人気は無い。
流石に中央ではまだ人が出歩いているだろうが、ゼルマの住む区域はこの時間になると殆ど人気が無くなる。
「さぁ魅せてください。大賢者の、その魔術と実力を」
「――――ッ!」
光が収束する。輝きが一点に集まり、小さな小さな点に集中する。
そして、
「―――〈光線〉」
放たれたのは一筋の光。
避けられない。放たれた時には既に辿り着いているのだから。
それが光魔術、その恐ろしさ。
『構築された時には、光魔術は発動し終えている』。これは光魔術を学ぶ時に先ず教えられる基本中の基本である。
「流石にこれは防ぎますよね」
だがゼルマとてまともに受ける事はしない。
〈光線〉が消え、現れたのは無傷のままのゼルマ。
先程の様にどこかが焦げているという事も無い。
唯一の変化点は、ゼルマの目の前で自壊していく土の壁だ。
まともに受ければ人体など軽く貫通する威力を保有する〈光線〉だが、当然弱点もある。
それは魔術式の難易度が非常に高いことだ。
詠唱を放棄した現代魔術といえど、魔術式の構築からは逃れられない。
光魔術を唱えるのであれば、他の魔術同様に光を魔力によって生みだす段階から始める必要がある。
だが光魔術は、ある程度生み出した光を収束させる必要がある。丁度フェイムがしてみせたように、一つ一つはバラバラの光を束ね合わせるという工程を踏まなければならない。
そうしなければ高い貫通力も、高温による攻撃力も伴わない。
故に光魔術は発動までの時間が他の魔術に比べ、長い傾向にある。
そしてもう一つ、これに加えた致命的な弱点がある。
「土属性による防壁の展開、正に教科書通りの防ぎ方ですね」
「褒め言葉として受け取っておこうか」
光属性魔術に限らない話だが、熱を攻撃手段とする魔術は物理防御が非常に有効なのである。
ある程度の厚みさえあれば、今ゼルマがしてみせたように基本的な〈土壁〉でも防ぐ事が可能なのである。
発動までのタイムラグと物理防御への耐性の無さ、それが光魔術の弱点。
「ではもう一つ高く行きましょう」
だがそんな事をフェイムが理解していない筈も無い。
「〈光槍〉」
既に貯蓄されていた光が槍の形へと変化する。
フェイムは創り出した光の槍を、放つ。輝きが夜を満たす。
速度は変わらない。変化したのは貫通力。
光魔術に物理的な質量は存在しない。存在するのは槍の形に固められた『光』という魔力そのもの。だからこそ高い貫通力を有している。
文字通り光速で撃ちだされた槍は、いとも容易く人体を焼き貫くだろう。
対し、ゼルマの対処は同じものだ。
「〈土壁〉」
瞬間、地面から土の壁が出現する。
先程のものよりも厚く、硬い壁。
生み出された土壁が〈光槍〉を受け止め、そして崩れる。
「―――〈光剣〉」
「ッ!」
崩れた土の壁。向こうから現れたのはフェイムの姿と光輝く剣の形。
(遮られた、一瞬の隙に―――!)
土壁を崩したのはゼルマ自身だ。
だが壁を崩すまでの一瞬の内にフェイムは距離を詰めていた。
ゼルマとてこの可能性を考えていなかった訳では無い。
だからこそ着弾し防いだと同時に壁を消滅させたのだ。
しかし、フェイムは既にそこにいた。
(射出と同時に、動き出していたのか………!)
〈光槍〉を放出する際の発光、あれは単に光魔術の副産物では無くフェイム自身の動きを隠す為のものでもあったのだ。
〈光槍〉は見てから防げない。故にゼルマは〈光槍〉の射出とほぼ同時に〈土壁〉を展開した。
だからこそゼルマは動き出したフェイムの姿を捉えられなかった。
その隙に、その一瞬の隙にフェイムは距離を詰めたのだ。
光の剣を構えたフェイムが既に剣を振りかぶっている。
〈光線〉や〈光槍〉とは異なりフェイム自身が振るう形となる〈光剣〉は、その速度自体は他二つよりも劣る。だがその威力は他二つを上回る。
点が貫通するのではない。
面が貫通するのだ。
丁度ナイフを食材に通した時の様に、ゼルマの肉体は切断される。
剣の軌跡は全て断面となり得る。
そして〈土壁〉で防ごうにも、余りにも距離が近い。
既にフェイムはゼルマに肉薄し、剣は今にも抜かれる。
だが、
「――――ッ!?」
既にゼルマは行動し終えている。
足元から現れた土の線………否、鎖がフェイムの四肢を繋ぐ。
手首と足首に土の鎖が巻き付き、フェイムは拘束された。
「―――〈光」
剣を振るうのは不可能と瞬時に判断したフェイムが次なる魔術を詠唱する。
だが、それは叶わない。
フェイムの周囲から土壁が伸び、彼女の周囲を覆った。
その姿は土で出来たドーム。決闘の際にゼルマが見せた防御を拘束に転用したものだ。
「さて、これで十分か?」
光魔術の弱点は熱にも強く、光を遮断する物理的な防御。
魔力によって生み出された土の防壁は硬く、〈光線〉や〈光槍〉を通さない。
ましてフェイムを取り囲む土のドームは彼女の周囲を丁度取り囲む程度の大きさしかなく、彼女がより高威力の魔術を用いて脱出しようとすれば彼女自身も被害を被る。
「遅延魔術ですか」
土壁一枚を隔てたドームの中からフェイムの声が聞こえた。
「一体いつから準備されてました?」
「最初の会話から万が一に備えてな」
「その時から距離を詰めてくると?私は光魔術を使っているのに?」
「『被害を出さない』のなら距離を詰めるのが普通だろう」
「そうとは限らないのでは?」
「だから万が一だ。結果正解だった」
もし近づいてこなくてもゼルマ自身が近づけば遅延された魔術は問題なく発動できる。
元々光魔術に距離は殆ど関係ないのだから、デメリットにはなり得ない。
「お見事でした。流石は大賢者様ですね」
中から拍手の音が聞こえる。
僅か数分にも満たない攻防だったとはいえ、かなり危うい状況だったゼルマからすれば素直に受け取れない称賛だった。
ゼルマが魔術を解除し、ドームが崩れ中からフェイムの姿が現れた。
少々汚れている箇所もあったが、姿自体は先程と何一つ変わらない。
「魔術陣を使わなかったのは何故でしょうか?」
「………必要だったか?」
「そうですね。未熟な私には不要なものでした」
本当は使えないのだが、言わない。
「ですが安心しました。これで課題も何とかなりそうです」
「………課題?」
「はい、課題です」
「ちょっと待て。何でお前の課題と俺が関係あるんだ」
いきなりのフェイムの言葉に思わず問い返す。
「はい、大賢者様には私と一緒に新星大会に出場して頂きたいのです。それが課題なんです」
「………はぁ?」
奇しくも同じ様な会話が既に行われていた事を、ゼルマは知らない。
「では行きましょうか、大賢者様………おっとゼルマ様の研究室へ」
「ちょっと待て………というか様は止めろ!」
最高学府の校舎に向けて歩き出したフェイムをゼルマは追った。
■◇■




