常識とは、自らの中にある他者の非常識である。
■◇■
「やあやあよく来てくれたねぇ!我が親愛なる新しき魔導士ゼルマ!気分はどうだい?」
「その呼び方は止めてください。もう結構前の事じゃないですか」
「いやいやめでたい事じゃないか。あはは、暫くはこう呼ばせて貰うから覚悟しておきたまえ?」
「はいはい、分かりましたよ………」
ゼルマは現在、先輩であるノア・ウルフストンに呼び出されある場所を彼女と共に訪れていた。
ある場所というのは最高学府の中央街、中央通り。最高学府の敷地内において最も人と物に溢れた区画である。
「今日は何の用ですか。荷物持ちなら帰らせて貰いますよ」
「失礼だな、荷物持ちなんてさせないよ」
「前に大量の本を持たされた事、覚えてますか?」
「うっ………まぁ、そんな事もあったかな?でもでも!それくらいだろう?」
「その前は買い出しに付き合ってくれと大量の備蓄食料を運ばされました」
「………私って結構酷い奴?」
「否定はできません」
ノアに悪気はない。本当に覚えていないだけなのだ。
彼女の生活力は殆ど皆無に近い。というより必要ないからこそ、生きていられると言ってもいい。
整理整頓能力は無いが、研究に必要なもの以外の余計な物は買わない。
料理技術は無いが、備蓄食料で十分満足できる。
最近ではゼルマの勧めにより定期購入を利用するようになり、幾分か健康状態はマシにはなったが、それでも彼女は根本的に余計なものを必要としない性分なのである。
彼女の天才性は、そういった性分からも来ているのだろう。
勿論ゼルマもそれは理解している。でなければ彼女と付き合ったりはしない。
「ま、まぁ!今回は私の買い物じゃないからね!」
「………?じゃあ何の為の買い物ですか」
最高学府には幾つかの商業区画がある。その為中央街に来なくともある程度のものは手に入る。なのでわざわざ中央街を訪れるという事は、中央街でしか手に入らない物を買う為という理由が殆どだ。
「ふふん、今日はねぇ………なんと君の魔導士合格祝いだよ!」
「………俺の、ですか」
「勿論君のだよ。というか君以外に買う理由なんて無いだろう?君以外の後輩なんて私には居ないからねぇ………!」
合格、という言い方は少し変だが、概念的には似たようなものだ。
「それにこう見えてもお金は沢山あるからねぇ、何でも好きなのを選ぶと良いよ!あ、勿論私から送るのとは別にね!私は私でサプライズを用意しているから楽しみにしておきたまえよ!」
「………サプライズなのに言っても良かったんですか?」
「う………まぁ悩んだんだけど、こっちの方が楽しみが増えるかと思ってね。め、迷惑だったかい?」
ノアの事だ。慣れない外出をして、彼への贈り物を選んだのだろう。
ゼルマの知る限り、ノアの交友関係はかなり偏っている………というより閉じている。彼女が言う様に、彼女と関係を持っている後輩はゼルマしか居ないだろう。
加えてサプライズも慣れていないのだろう。
その表情は早く自分が選んだものを渡したい!という感情が漏れ出ていた。
初めてのプレゼント選びにはしゃいだ子供のようだ。
「………迷惑な訳ないです。ありがとうございます」
「!………じゃ、じゃあ早速行こうか!好きなのを選んで良いからね!」
「はい、行きましょう」
「うん!」
■◇■
「流石中央街だねぇ、店の数が段違いだ」
「学校との往復生活だと滅多に来ないですからね」
中央街、中央通り。
中央街には多種多様な店が存在するが、中央通りは最もバランス良く様々な店舗を回る事が出来る場所だ。魔道具店、魔術書店、雑貨屋、飲食店、武器屋………中央通りには多くの店が揃っている。
最高学府の正門から最高学府の学舎まで真っすぐに通った文字通りの中央通り。
最高学府における最大の商業地区は伊達では無かった。
「先ずは何処に行きたい?」
「そうですね………じゃあ書店を回りませんか?」
「良い考えだね!そうしようか」
「確か中央通りで一番大きな書店が向こうにあった筈です。行きましょう」
ゼルマ達が中央通りを進む。
数分程歩くと、大きな書店の前に辿り着いた。
「おぉ、確かに大きいね。私は基本的にこういう書店には来ないから新鮮だね」
「古書店以外も面白いですよ。やっぱり新刊は古書店では手に入らないですから」
読書好きという趣味を共にする二人だが、その傾向は少し異なっている。
ゼルマは雑食。新旧問わず、書物であれば何でも読む。小説の類は余り嗜まないが、魔術に関する本であれば基本的に好き嫌いは無い。
対してノアの専門は古書、古文書の類である。ノアの所属が魔術歴史部門という事もあるが、古い時代の書物を好んで読む傾向にあった。新しめの本も読むには読むが、そういうものは最高学府の図書館で借りるか実家の力を駆使して取り寄せている。
なのでノアがこうした大規模書店を訪れるというのは意外にも滅多に無い事であった。
二人が書店の中に立ち入る。
店内には見渡す限りの本が積まれていた。
「ふぅむ………こう広いとどう見るか迷うね」
「先輩は見たい本とかありますか?」
「そうだねぇ………って駄目だよ駄目!今日は君へのご褒美を買いに来たんだから!」
「でも自由に見て回りたいって顔してますよ」
「うっ………まぁ確かに、こういう場所には久々に来るし………」
本当に隠し事が出来ない性格である。
もし彼女が最高学府の中枢に入るような事があれば、恐らくやっていけないだろう。
「なら暫く各自で見て回りませんか。俺もその方が気楽ですし」
「………良いのかい?寂しくない?」
「顔がもう喜んでますよ」
ハッと気が付き自分の手で頬を触るノア。彼女の口角は既に上がっていた。
表情筋は正直である。
「じゃあ半刻後にここで待ち合わせましょう」
「うむ!では散会!」
◇
書店の中は多種多様な本で溢れていた。
流石に最高学府の大図書館に冊数は及ばないだろうが、こちらは俗っぽい本も含めて取り揃えている。魔術に関係ないものの種類が多いのも特色だろう。
だからといって魔術関連の書籍の品揃えが悪いという事は決して無かった。
流石に高価で専門的な魔導書の類は置いていなかったが、市場に出回っている程度のものならばかなりの種類が用意されている。
ゼルマが眺めている限り、かなり最近出版されたものも用意されていた。
(………これはまだ読んだ事が無いな。あれは図書館にあったか?たまには大きい書店に来るのもいいかもしれないな………なんていうと店長に怒られるか)
ゼルマが懇意にしている書店の店長はかなりの魔導書マニアである。
仕入れる冊数を絞る事で種類を増やし、メジャーからマイナーまで豊富に用意しているのだ。
最近はゼルマの嗜好を把握しているのか、明らかにゼルマしか買わないであろう本まで仕入れている始末である。だからこそゼルマも懇意にしているのだが。
しかしこうして中央通りの書店を訪れると、やはり圧倒的な冊数が用意されている。
店長の言う通り、魔導書の種類としては互角もしくは微妙に此方の方が多いくらいだが、魔術そのものに関連する書籍としての数は此方が圧倒的だ。
(………)
思う所がありつつ、ゼルマが本棚から一冊の本を手に取る。その本もどうやらつい最近出版されたもののようだった。
題名は『大陸国家の変遷から見る、人種主義について』。
歴史から現在の価値観を探る類の本だ。
魔術に直接関連するものではないが、こうした本もゼルマは読んだ。
ペラリと始めの頁を捲る。
『…人種主義とは、数多ある人間種族の中で、人種こそが最も至高なる種族であるとして考える思想の事を指す言葉である。この思想は主に人種国家において散見され、少なくない人間が人種以外の人間種族を劣等種、或いは下位存在であると認識しているという現状が存在する。この本では大陸主要国家の変遷から、人種主義の移り変わりについて解説していく』
本の一頁目にはこのような文章が綴られていた。
人種主義。それは人種を至上とし、それ以外の種族を劣った存在とみなす、所謂差別的思想だ。
最高学府に居ると余り感じない事ではあるが、大陸の国家の中には人種主義の国家も存在する。
そもそも最高学府であっても、数において人種の魔術師は圧倒的多数派なのだ。
エルフやドワーフは種族としての絶対数が少なく、獣人は一部の種族を除いて魔術を得意とする者自体が少ない。そもそもこれらに分類されない少数種族も存在している。
人間と一括りにはするが、その中身は余りにも多い。
これに加えて現在では混血の問題もある。
混血……つまりハーフエルフやハーフドワーフ等だ。
彼等を人種とみなすか、或いは混じったもう半分で考えるのか。
それともどちらでも無い、半端者としてみなすのか………。
ここでも主義主張は別れる。
人種主義の中でも純人種主義は、人種以外の種族を亜人ですらない非人と呼称する事もある程だ。
(………ハルキリア王国の現国王も人種主義派だったか)
ハルキリア王国。レックス・オルソラの出身国だ。
大陸の人種国家の中でも最大級の国力を有する国家。
そして、三名もの勇者を保有する国家でもある。
だからこそ、ハルキリア王国は大国なのだが………。
(確かあの国は今………)
こうした単一種族主義は珍しいものでは無い。
ハルキリア王国は人種主義だが、他の種族を至上とする国家も存在する。
有名どころで言えば、獣王国は完全な獣人至上主義だ。
だがその中でも人種主義が注目されやすいのは、人種が大陸で最大多数を占める種族だからだろう。
その数を以て人種は数ある人間種族の中で、最も栄えた種族となったのだ。
そのまま数頁分を読んだ後、彼が時刻を確認するとそろそろ半刻が経過しようとしている所だった。
(………そろそろ戻るか)
読んでいた本を棚に戻し、ゼルマは入口に向かう。
ゼルマが入口に到着すると、そこには既にノアの姿があった。
「すみません。お待たせしました」
「いや、私も今来た所だからね。まぁ、ここら辺を見ていたからなんだけど」
「へぇ、何を見てたんですか?」
「うぇっ!?ま、まぁ色々だよ!」
入口付近に陳列されている本はノアが好むような歴史関連の書籍ではない筈だ。
珍しいな、とゼルマが気になり問うとノアは慌てて手に持っていた本を後ろに回して隠した。
一瞬見えた題名は『必見、生活力が向上する簡単レシピ!』だったのだが………ゼルマは自分の勘違いだろうと見なかった事にした。
「そ、そんな事より!どうだい?欲しい物は見つかった?」
「あぁそうですね。一応選びました」
「よし………ってあれ?肝心の本は?」
「まだ始めの店だけなので、もう少し考えようかと。折角中央まで来たわけですし………」
一応目星は付けた。だがまだ一店舗目である。
この後も中央通りの店を幾つか巡ると考え、保留にしていた。
しかし………。
「え、買わなくて良いのかい?」
「まだ一店目ですよ?」
「え?」
「ん?」
両者の疑問符がぶつかる。
「何言ってるのさ。今日は君へのお祝いだよ?買ってあげるよ」
「………もしかして、何でもいいってそういう意味ですか?」
「勿論何でも好きなのを選んで良いよ!最初に言っただろう、こう見えてお金はあるからね!」
「………」
ふふんと胸を張るノアを見て、ゼルマが額に手を当てる。
そもそもの感覚がずれていたのだ。
困った事に、このノアという先輩に全く悪気は無い。寧ろ完全な善意でこう言っている。
ゼルマはてっきり、今日一日巡った中で気に入ったものを何でも選んで良い、という意味だとノアの言葉を受け取っていた。
しかし実際は、ゼルマが選んだものを何でも、つまり幾らでも買ってあげるという意味だったのだ。
ノイルラーもそこそこの財産を持つ家系だが、ウルフストンは六門主の家系。
ノアが普段研究に用いている古文書は、ともすればその一冊で一ヵ月は生活できてしまう程の価格のものばかり。
金銭感覚が明らかにずれている。
「先輩」
「な、何かな?」
「先輩の気持ちはとても嬉しいです。俺なんかの為に、本当に感謝してます」
「お、おう。照れるな………」
「ですが」
「………ですが?」
「何でも好きなだけ買ってあげるというのはやりすぎだ。普通じゃないです」
「で、でもう………」
「俺はそんなに要りません。それに先輩はもう用意しているんですよね」
「………折角だし」
常識を教えている筈なのに、何故かゼルマの方が罪悪感が沸いてくる。
まるで小動物が大型動物に虐められている光景のようだ。
うるうると目を潤ませ、ゼルマを見上げるノアの姿は正しくそれだった。
「………はぁ。先輩、俺は先輩の気持ちだけで十分です。お祝いして貰えるのは嬉しいですが、そんなに買って貰った所で置き場所にも困ります」
「う………確かに………それは困るねぇ………」
以前自身の部屋が物に溢れかえっていた事を思い出したのか、ノアが同意する。
「だから今日選ぶのは一つで十分です。俺もちゃんと欲しい物を選びますから」
「そ、それで大丈夫なのかい?」
本当に誰かに何かを贈る、という文化に慣れていないのだろう。
だからこそ、どれくらいが丁度いいのか分かっていないのだ。
そして不安なのだ。
初めてできた後輩、ゼルマという人間が、自分から離れてしまわないか。
例え意識的に考えていなかったとしても、そう考えてしまっているのだ。
「はい。だから今日は結構歩きますよ。ついて来れますか?」
「………!も、勿論だよ!これでも私はウルフストンの魔術師だからねぇ!」
ぱぁっと表情を晴れさせ、ノアが笑う。
ウルフストンである事と買い物の体力が持つかどうかは余り関係ないのだが、ゼルマは別に指摘しない。
自信満々に言うノアの姿は、幼い見た目も相まって本当に子供のようだった。
「じゃあここも候補という事で。次の店に行きましょうか」
「うん!君も覚悟したまえよ!今日は徹底的に選ぶからねぇ!」
「ありがとうございます、先輩」
そうして二人は再び中央通りを進み始めた。
■◇■
○人種
大陸で最も多い人間種族。エルフに比べ魔力は少なく、ドワーフに比べ貧弱であり、獣人の〈獣化〉の様な権能も有しない。最弱の種族と揶揄されることもある。
しかしその人口は圧倒的に多く、多くの人種国家が大陸には存在している。




