魔術師の始まり
■◇■
始まりを認識する事が出来る人間は一定数居るらしい。
幼児の時の記憶、或いはもっと遡って胎児の記憶が残る人間すらも居る。
そういう人間は大抵特別な何かを有しているものだが、逆に言えば特別な何かを有していたからこそ、そういった話が後世にまで残ったのかもしれない。
では、果たして自分は?
俺の始まり。物心ついた時には、或いはもっと前から。
俺の中には誰かの声があった。
その声は常に正しく、余りにも正し過ぎたが故に俺自身には何も出来ない程だった。
脳内から聞こえる正解に導かれ、俺は成長していった。
両親に雇われた剣術の師範から剣術を含む武術を習った。幼いながらに両親から魔術を学んだ。魔術師の家系である両親からすれば、我が子が魔術を学びたいと進んで言い出したのだ、都合が良かったのだろう。
それらは全て、その声に導かれてのものだった。
そしてその声の正体に気がついたのは、本当の意味で俺が俺になった時だった。
生まれながらに、俺の生き方は決まっていた。
大賢者。それが俺という存在であり、俺の生き方を決定した存在の名前。
俺は大賢者によって生みだされた、大賢者。
大賢者の名前なんて、誰でも知ってる。それこそ、老若男女問わず誰でも。
それに俺は大賢者の末裔であるノイルラー家で生まれであり、大賢者の話は両親から何度でも聞かされた。今でも覚えている、その時の両親の誇らしそうな表情を。
自分達の家系が偉大なる大賢者の末裔であるという事。
大賢者の残した遺物がノイルラー家の血液によって起動された事で、その正統性が証明された事。
大賢者の名を汚さぬ様に、貶めぬ様に、魔術師として立派に生きなければならない事。
その時はまだ幼く、両親の言っている意味の殆どが理解出来なかった。
ただ両親のその表情を見ると、自分もまたそう生きようと朧気に感じていた。
幸せだった、子供の記憶。
正解を教えてくれる声と、優しい両親。
魔術師として生きて行く事を誇りに思い、魔術を本格的に学ぼうとしていた、あの頃。
五歳の時の、今となっては懐かしく微笑ましい記憶の時代。
そして、終わりは突然だった。
《個体識別状態起動》
――――――《完了,個体識別名【末裔】登録》
《人造魔術回路複写開始》
――――――《完了,破損率一%未満》
《人造魔術回路調整開始》
――――――《完了,制限状態開始》
《魔術資質指向調整》
――――――《完了,自動調整状態開始》
《【図書館】接続中断》
――――――《承認,記録共有切断状態維持》
《先導人格休眠開始》
――――――《承認,【末裔】内にて待機状態へ移行》
《一部記録情報共有開始》
――――――《完了,記録情報切断状態へ移行》
多分、眠っていた。与えられた子供部屋の自分の寝具の上で、ただ普通に眠っていた。
だけれど、見たのは幸せな夢では無く、情報の洪水。
「■■■■■■■■■■■■■■!!」
目が覚めた時、俺は全てを理解していた。
自分の中で聞こえていた声の正体が大賢者その人である事。
そして自分もまた大賢者である事。自分の大賢者としての名前が【末裔】である事。
大賢者は世界に複数存在し、その全てが同一人物であるという事。
自分はある研究の為に新たに生み出された大賢者であるという事。
その研究の為に、本来行われる記録情報の共有が停止されている事。
俺の魔術回路が大賢者のものと置き換わった事。
俺の魔術資質が大賢者によって調整された事。
俺がこれからどのように生きれば良いのか、その内容の事。
一つの膨大な記憶と知識を源とする魔術師。
大賢者という知識と才能、そして人格を共有する存在たち。
大賢者という名の集合体。
一夜明けた時、俺はゼルマ・ノイルラーでありながら、大賢者になった。
◇
記録情報が共有された影響か、俺は他の同年代の人間よりも精神年齢が上がった。
子供の様にはしゃぎまわる事が出来なくなり、子供の遊びにも興味が沸かなくなった。
大賢者の共有した記録情報によれば、俺自身の人格に異常が出ない程度にしか情報を共有していないらしいが、とてもそうは思えなかった。
当然だ。俺が一晩で得た情報は、普通の人間が一生で得る情報に匹敵していた。
その多くは無意識下で実行される所謂知識であるとはいえ、それでもだ。
その知識は余りにも膨大であり、俺は既に自分がそれまで生きた年数以上の人格へと変化していた。ある意味、物事を達観する様な視点を得てしまった。
不思議な、奇妙な感覚だった。
これまでの自分の記憶は全て残っている。一片たりとも消えていない。
にも関わらず、昨日の自分とは世界が違って見える。
膨大な情報が、俺をそうさせたのだとすぐに理解出来た。
俺は自分の役割について考えるようになった。
正確には、考えるというのはおかしな話だ。何故なら俺自身が何かを考えていた訳じゃ無いのだから。
起床した時に既にあった俺の生き方。それは大賢者の研究。
そのテーマはこうだった。
『大賢者の才能だけを受け継いだ魔術師は、どのような魔術を生みだすのだろうか?』
その計画から目的、そして俺がどうするべきか完璧に頭の中に入っていた。
大賢者は記録情報を共有している。
【図書館】という名の大魔術によって、大賢者としての記憶が保存されている。この魔術があるからこそ、同じ大賢者が複数存在するという現象が起きている。
しかし逆に言えば、どう足掻いても大賢者の思考回路は似通うという事でもある。
完全な記憶の共有は元人格を消し去るのも同義。人格は記憶から作られるのだから当然だ。
故に生み出されたのが【天賦】の大賢者……クリスタル・シファー。
自分が大賢者である事も、俺に行われた先導や一定の知識の共有も行わない、大賢者との関わり合いが全く存在しない新たな大賢者。
彼女は大賢者の才能……大賢者の魔術回路の複製である人造魔術回路のみを与えられ、ただ世界に存在している。彼女がどのように生きるのかを通して大賢者の学びとする為に。
そして、クリスタルがの経過観察そして保護を任せられたのが【末裔】の大賢者、ゼルマ・ノイルラー。つまり……俺だ。
その為に俺はクリスタル・シファーよりも先に生み出され、先導人格を経て肉体の基礎を作られ、そして五歳の時に大賢者となった。
俺は生まれながらに生き方が決められていた。
俺の生きる意味とは、【天賦】の大賢者の観察と保護。
それが、俺の生きる理由。
ただ少し、ほんの少しだけ幸運があったとすれば。
それは俺の人格が残ったままだったという事だろう。
大賢者の人造魂魄は大賢者の血を引くものに限られる。情報共有がされていない為に、その理由までを俺が知る事は出来ない。しかしノイルラーとシファーに俺達が生まれたのは偶然ではない。
ノイルラーとシファーは共に大賢者の血を引く家系。
そしていくら大賢者といえども、妊娠出産の過程に干渉するのは困難だ。人造魂魄があったとしても、結局は肉体が存在しなければならないのだから。
そこで大賢者はもう一つの実験を並行して行うことにした。
機会を無駄にしないという、極めて効率的な理由で。
『経過観察を担う大賢者にも自我を持たせ観察を行う』
それが俺に与えられたもう一つの生きる意味。
記録共有は完全に行えば、完全な大賢者の人格をそのまま持つ。
それにはメリットもあるがデメリットもある。
メリットは大賢者としての力を完全に持つ存在を生みだせる点。
デメリットは二度と元には戻らない点。
記録共有は一度すれば元には戻らない。共有された情報を部分的に消し去る方法は無い。
一度完全な記録共有を行った個体は、以後完全な大賢者になってしまう。
勿体ない。そうして俺はゼルマのままになった。
俺は大賢者の持つ様々な要素を制限されている。
大賢者が持つ膨大な世界の知識。
大賢者の圧倒的な魔術の才能。
大賢者が創り出した強大な魔術。
それら全てが揃ってこそ完全な大賢者と言えるのであり、いくら俺が大賢者であったとしても、これらを持たない俺は完全な大賢者とは言えない。
だがそれでいい。
それこそが、俺に与えられた僅かな幸運。
俺は――――――魔術が好きだったから。
始めて魔力を通じて世界を認識した時の感覚を忘れる事は無いだろう。魔力が放つ美しい輝きを目にした時の心の動きを忘れる事は無いだろう。
両親から魔術を教わり、褒められた時の嬉しさを忘れる事は無いだろう。一つ一つ魔力の操作を覚えていく楽しさを忘れる事は無いだろう。
魔術書の頁を捲り、まだ見ぬ世界の事を、未知を学ぶ感情を……俺は忘れる事は無い。
例え、その全てが予め定められた道だったとしても。
例え、俺の生き方が産まれた瞬間に決まっていたのだとしても。
それでも……俺は。
この感情ですら、そうあれと決められたものだったのかもしれない。
最高学府に入学したのも、使命を果たす為だ。
でも、俺は魔術が好きだった。
魔術を学ぶ事が好きだった。
大賢者の知識ではない、与えられただけの知識ではない。
俺が学び、考え、繰り返す事で手に入れた、俺だけの知識。
魔術を学び、自分自身を知るという道。
それこそが俺の魔術師としての始まり。
俺が選んだ、俺の生き方。
例え俺自身に才能が無いのだとしても、俺自身に価値が無いのだとしても。
大賢者以外の俺に、誰かに誇れる様な何かが存在しないのだとしても。
俺は魔術を学ぶ事を止める事は無いだろう。
俺はとっくに、魔術師を始めているのだから。
■◇■
―――人は生まれながらにして完成しているのか?
―――人は果たして運命から逃れる事は出来るのか?
―――人は真理に到達出来るのだろうか?
大賢者は自らの著書に、問いを残した。
この問いは、かの大賢者すらも疑問からは逃れられないのだと、一つの逸話になっている。
だからこれは、物語だ。
大賢者である一人の魔術師の物語。
一人の魔術師が、自分を知る為の物語。
『大賢者の末裔』、第一章完結となります。
ベツバラ!!に手を付けられず、数少ない読者様には申し訳ありません。
三月は忙しくなる予定ですので、今以上に不定期となりますが
何卒宜しくお願い致します。