【末裔】の大賢者
■◇■
火球が地面に落下し、業火を伴って夜道を照らす。
燃え盛る炎のパチパチという音が光から発されていた。
配下による火球が落とされたのを確認し、一人その場を離れようとするレックス。
彼の脳内には既に、今後どのようにしてあの生意気な少女を貶めるかという考えが生まれていた。
やはり自分は優れた存在なのだと。自分は貴族であり、魔術師としての実力もあるのだと。
今後も問題が生じれば、このようにして乗り越えれば良いのだと。
そんな風に考えながら、炎を背にして歩いていた。
その時。
突如、背後から轟音が聞こえる。
レックスは咄嗟に振り返る。
炎の明るさに照らされて彼の目に映ったのは地面に転がる魔術師。
彼が引き連れた配下の魔術師が、業火によって焼かれていた姿だった。
「なッ―――!!??」
何が起こった、その言葉をレックスは完全に吐き出す事が出来なかった。
それだけ続けて彼の目に映った光景は、彼の想像を遥かに超えるものだったのだ。
火球が落とされた地点。最も大きな火柱が立ち上るその地点。
炎が割れ、中から現れたのはゼルマ・ノイルラー。
彼が倒した筈の、満身創痍で転がっていたゼルマ・ノイルラー。
傷一つ無い姿のゼルマ・ノイルラー。
「ふぅ……久しぶりだなぁ、この感じ」
何事も無かったかのように、ゼルマは話す。
ふぅと息を吐きながら両手を上方へと伸ばしながら、ゼルマは炎の中から現れた。
「やれやれ、強情なのにも困ったものだ」
まるで昼食に何を食べるかを選んでいる時のように、お気に入りの雑貨店で商品を見ている時のように、或いは午後の公園を散歩している時のように。
ゼルマは何事も無かった、いつも通りの休日のように炎の中を歩み出た。
「やぁ先輩。さっきぶり」
「何で、生きてる……!?いやそれ以前に、どうやって傷を!?」
「ん?あぁ、そんな事は簡単だよ」
「ほざくな!!回復魔術は自然治癒力を上げる魔術だ!!お前の傷は、間違いなく致命傷だった!!そんな傷を、一瞬で治せる筈が無い!!」
レックスは叫ぶ。文字通りそれが信じられない光景だったからだ。
「だから回復魔術じゃないんだよ。だってこれは復元魔術なんだから」
「…………は?」
思わず、レックスの口から声が漏れる。
それまでの話しぶりからは想像出来ない程、間抜けな声。
「そうだね、少し講義をしよう。『どんな状況にも学びを求めよ』……君もまた魔術師端くれなのだからね、知りたいと思う欲求位はあって然るべきだ」
「何を、馬鹿な……」
「君の言う通り、回復魔術は基本的に自然治癒力を向上させることで傷を治す魔術でやり方だね。まぁ信仰魔術とか体系によっては違ったりもするんだけれど、基本はそうだね」
ゼルマは完全に炎の中から出ると、まるで最高学府の教師の様に語り始めた。
「これの良い所は殆どリスクが無い事だね。それに魔術を使う側の負担も軽い。肉体を生物と捉えるのなら、これはとても良い方法だと言えるね」
レックスとて最高学府で学んでいた魔術師だ。
既に最高学府を出る事が決定しているとはいえ、学んだ事が無くなった訳では無い。
寧ろレックスは最高学府で基本的な魔術について全て学び終えたと認識したからこそ、最高学府を出るという決断をしたのだ。
優秀を自負する彼にとって、回復魔術についてなど基本的な事項だった。
「でもとても遅い。あくまで自然治癒力の向上だからね。なら肉体をただの物質だと捉えれば良い。石とか木のような復元魔術によって復元出来る、そんな普遍的な物質だとね」
だからこそ、そう、だからこそ理解出来なかった。
彼の言っている事が理解出来たが故に、理解出来なかった。
そもそも復元魔術は超高等魔術なのだ。それこそ回復魔術などは比較対象にもならない。
大半の魔術師が学ぶような自然治癒力を向上させる回復魔術とは、比べようもない。
復元魔術とは、ある物質をある時間までの状態に戻す魔術。
割れた岩石を割れる前に戻し、折れた剣を折れる前へと戻す。
しかし復元魔術は、時間という不可逆を否定する魔術。
その難易度は他の魔術を隔絶されており、最高学府においても誰一人として使用する者は居ない。
理論上は可能であるとされた、大賢者の魔術だ。
「ば、馬鹿な……そんな事がある筈が……!」
レックスは察してしまう。
言葉は上手く出て来なかった。
それを言葉にしたら、本当にそうなのだと肯定してしまうから、
しかし、そうとしか考えられない。
誰一人使えなかった復元魔術を、歴史上でたった一人を除いて使えなかった復元魔術を、目の前のゼルマ・ノイルラーが使っている。
「砂塵に塗れた双眸、強壮なる瞼。レイザディの爪、隠れたり!」
脳裏に過ったその考えを払拭するように、否定するように、レックスは魔術を唱える。
決闘にも用いた古代魔術を、詠唱する。
その様子をゼルマは微笑ながら眺めていた。
「―――〈流砂の暗器〉!!」
そうして完成された古代魔術、無数の砂刃がゼルマに向かって飛翔する。
神レイザディの名を冠した、古代魔術がゼルマを襲う。
しかし……。
「〈固定〉」
それらは肉体に到着する前に、停止する。
何かで受け止められたのではなく、まるで空間そのものに磔にされたような止まり方。
本来なら有り得ない停止の仕方だった。
それが魔術なのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。
「良い反応速度だ。とても良いね。オルソラ家も少し前迄は殺し一辺倒だったんだけど、少しは魔術師らしさを手に入れたのかな?……〈発散〉」
その魔術を唱えると、停止していた砂刃が形を失い霧散した。
魔術で生み出された砂は、込められた魔力を消費し終えると消える。
その消滅に似た光景だった。
「さて、人払いの魔術は一応しているみたいだけど、これだと不十分だね」
そう言うとゼルマは何も無い空を見上げる。
終始余裕を持った態度でいるゼルマとは対照的に、レックスの動揺は収まらない。
人払いの魔術。
それは確かにレックスがこの襲撃の為に用意していたものだ。
だが純粋な魔術として発動させたのではなく、魔道具によるもの。
実家であるオルソラ家が保有する古代魔道具による人払いの術式。
それを目の前のゼルマが認識したばかりか、不十分と言い切ったのだ。
「〈不人領土〉、〈不壊の誓約〉、〈静寂〉、〈自動復元結界〉」
そして薄紫色の何かがゼルマの掌から空へと向かって撃ちあがると、それはある高さで静止してゼルマ達の居る区画をドーム状の膜で覆い始めた。
一見すると何も変化が無いようにすら思える。
だが、人払いの魔術を使用した本人であるレックスだからこそ理解出来た。
自信がかけた人払いの術式が、異なる術式によって上書きされた感覚。
より高位の魔術によって、塗り替えられたという感覚だった。
「さて、これ位しておかないと。後で治すのも面倒だからね」
何が起こっているのか理解しきれていないレックス。
だが、それを聞いたのは僅かに残った彼自身の自尊心故か。
或いは、一縷の望みに賭けたのか。そのどちらもか。
「お前は、誰なんだ」
「ん?変なことを聞くね。君も知ってるだろう、ゼルマ・ノイルラーだけど?他の誰に見えるのさ?」
「黙れ!!そんな筈が無い!!お前は誰なんだ!!??何者なんだ!?」
叫ぶ。
彼が求めている解答が返って来たにも関わらず、否定してしまう程に彼の心は揺り動かされていた。
「あの落ち零れが!あのノイルラーが!こんな芸当出来る筈が無い!答えろッ!お前は誰なんだ!?」
目の前にいる魔術師の姿は間違いなくゼルマ・ノイルラーだ。
頭頂部から足先に至るまで、着ている衣服は勿論、レックスが肌で感じる魔力さえもゼルマ・ノイルラーのものだ。
にも関わらず、余りにも違い過ぎる。
「うーん、そうだね。どうせもう終わりな訳なんだし……少し位良いかな」
そして、目の前の魔術師は語り始めた。
「僕はゼルマ・ノイルラーだよ。けど……」
まるで、自身のいたずらを明かす子供ように。
「そうだね、多分君も良く知ってる人間でもある」
まるで、生徒に答えを教える教師のように。
「色んな呼ばれ方で今まで生きて来たけど、そうだな、一番有名なのはやっぱり……」
目の前の魔術師は、答えを明かす。
「大賢者と、人は僕をそう呼ぶね」
「あ、あぁぁ……!!」
荒唐無稽な話だ。
ゼルマ・ノイルラーが大賢者、そんな事がある筈が無い。
しかし、そうとしか考えられない。
彼が感じる全てが、そうであると彼に訴えている。
彼とて魔術師である。故に、知っている。
現代魔術の祖、果て無き知識を持つ者、魔術師の中の魔術師、世界最高の魔道具技師、序列十位。
序列。それは世界に存在する圧倒的強者にのみ与えられる数字。
それは、虚空に住まう神。
それは、世界を侵略せし魔王。
それは、共和国に君臨する半神。
それは、遍く生命を支配する魔王。
それは、全てを無為にする狂乱の勇者。
それは、帝国に座す栄光なる皇帝。
序列に名を連ねる者、その全てが絶対的強者。
時に世界を脅かし、時に世界に恩寵を齎す。
その意思一つで世界の行く末を動かしうる存在達。
十二の存在からなる、目に見える形。
人がその恐ろしさを忘れぬように作られた形。
そして、序列十位に名を連ねる者。
人種で唯一序列に名を連ねる存在。
全ての魔術の祖――――――大賢者。
「有り得ない!大賢者がゼルマだと!!??そんな嘘を、そんな出鱈目を誰が信じるんだ!!」
強い言葉で否定するが、心の何処かでは理解してしまっている。
そうでないのなら、逆に誰だと言うのだと。
「嘘じゃないさ。それに僕がゼルマ・ノイルラーである事と、僕が大賢者である事は何一つ矛盾しないだろう?だって僕が大賢者なんだから」
「だからそれが有り得ないと言っている!お前が大賢者だと言うのなら……どうして此処に居る!?何故今になって出てくる!?」
「そうだね、僕もこんな事をする予定は無かった。大抵の事は何とかなるしね。でも……あの子に手を出す、それは駄目だ、許せない事だ。だから、お仕置きが必要だ」
「あの子……シファーか!?シファーが一体お前のなんだって言うんだ!?」
「何って……あの子も僕だからね」
その言葉には何一つ嘘が無かった。
レックスは確信していた。最早疑う余地も無い。
どういう訳か、目の前の魔術師はゼルマ・ノイルラーであってゼルマ・ノイルラーではないのだと。正真正銘、大賢者その人であるのだと。
「正確には記憶共有をしていないからあの個体とこの個体の人格は違うんだけど。間違いなく魂は僕自身のものさ」
「そ、そんな、事が……」
有り得て良い筈が無い。
だって、この魔術師の言葉を信じるのであれば。
大賢者が複数存在するという事ではないか。
「だからね、困るんだ。僕の研究を邪魔されるとさ。ゼルマに危害を加える位ならまだしも、殺したり……ましてあの子に手を出すのなら……もう放っておけない」
この時、レックスを襲っていたのは途轍もなく大きな恐怖だった。
仮に大罪を犯した時ですら、このレックスという男は何の反省も見せないだろう。そんな人間が、その話を聞いてしまった事、それ自体を後悔していた。
「さて、お喋りはこの位にしようかな。サービスし過ぎた。そろそろお仕置きだ」
「ま、待て!待ってくれ!知らなかったんだ!!俺は!俺は何も知らなかったんだ!!」
後ずさりする事すらせず、彼は請う。
少しでも生き残る為に、少しでも長く生きる為に。
「もう手出ししない!大人しく最高学府を出て行く!もうお前に、いやアンタには関わらない!だから!」
これまでの人生で一度もしたことが無い命乞いが、すらすらとレックスの口から紡がれていた。
これ程惨めに誰かに縋った事は無かった。だが、そうせざるを得なかった。
身体が、本能が、そうしろと訴えていた。
「うーん、少し勘違いさせてしまったかな。『愚者は看板すらも見誤る』だね。何で僕がこんな風に色々話してあげたと思う?」
「な、何を……」
「最初はやり返す位にしようかなとも思ってたんだけどね?それはもう止めたんだ」
晴れやかな笑顔で、ゼルマは言う。
「もっと良い使い道を思いついたからさ。折角なら有効活用しようかなと思ってね」
「有効……活用?」
その笑顔が、余りにも晴れやかだったから。
余りにも、普通の笑顔だったから。
「だから一先ず心を完膚なきまでに折る事から始めようか。何も歯向かう気が起きないように」
「だから、俺は……!!」
「君は幾つの魔術を同時に発動できる?魔術陣は覚えてるみたいだし、三つ?それとも四つ?僕が決闘で発動させたのは百二十四だったね」
「あ、ああ……!」
レックスは、悟ってしまった。
「なら僕は千で行ってみようか」
「あ、ああああああああああああ……!!!」
夜天を埋め尽くす魔術の輝きが、数百どころでは無い、正しく千の魔術が夜空を覆う。
余りにも美しい、無駄のない魔術式。深紅の煌きが、地上の彼等を照らす。
それはあたかも神話の再現であった。過去の伝承の再来であった。自分が物語の中に入り込んでしまったのかと、錯覚してしまう程に美しく残酷で無慈悲な光。
「ほら、しっかり守るんだよ」
レックスは思い出していた。
かつて神が快楽に溺れた街の罪人達に与えた神罰の事を。
燃え盛る雨が降り注いだという、一つの神話を。
そして、その罪人とは……自分であるという事を。
「――――――〈浄罪の火〉」
■◇■
「さて後始末も終わった事だし、そろそろ同期を切ろうかな。これ以上すると戻れなくなっちゃうからね」
静まり返った夜の中、ゼルマはそう呟いた。
そこには何の痕跡も無い。
道も建物も資材も全てが何事も無かったかのようにそこに在った。
「じゃあね、ゼルマ。君の役割を忘れないように」
○序列
正式には世界序列。この世界の強者に対して、人間達が順位付けしたもの。数字が大きいからと弱い訳ではなく、様々な影響力が加味されて数字が付けられる。
忘れるな、から始まる『序列論』は都度改訂されながら出版が続いている。