大賢者の末裔
■◇■
砂で全身を覆い尽くされたゼルマ。
その外観は砂で出来た繭、或いは巨獣に飲み込まれた虫のようだった。
レックスが握った拳を開くと、ゼルマを覆っていた砂が剥がれ落ちる。
砂の膜に阻まれ外部へと流れる事が出来なかった出血が、亀裂から流れ出た。
砂に支えられ、宙に浮いていたゼルマの肉体がボトリと鈍い音を立てて地上に落下する。
手足は押し潰され、四肢は有り得ない方向に曲がっていた。落下した肉体は芋虫の様にも似ており、気の弱い人間が見れば卒倒しそうな程の出血量によって衣服は真っ赤に染まっていた。
種族の差は関係なく、誰がどう見ても瀕死だった。
瀕死というのは、辛うじてゼルマの喉から呼吸音がしていたからだ。
折れた肋骨が肺に突き刺さり、真面な呼吸は不可能。呼吸音も肉体の微細な上下に合わせて体内の空気が喉から外部へと漏れ出た副産物に過ぎない。
もうすぐ彼は死ぬ。
決闘の時のレックスの怪我など、比較対象にもなり得ない。
それ程の重症であり、それだけの無残さであった。
「……ヒヒ!ヒャハ、ヒャハハハハハハハハハ!!そうだ!俺が!俺がこんな落ちこぼれに負ける訳ねえ!これが俺の力だ!本気を出せばこんなもんだ!」
レックスが笑う。
大きく口を開けて、高らかに嘲笑する。
「第一、何が不殺だ。実践では生きるか死ぬか……そもそも決闘のルールが俺には不利だった!!そうだろう!?なぁ!!」
「その通りでございます」
「そうだ!!俺はオルソラ家の魔術師だぞ!?人も殺せないなんて、そんな甘っちょろい魔術なんか使ってられるか!!ヒャハハハ!!そうだ、俺は、俺は選ばれた貴族で魔術師なんだ!!お前程度が、落ち零れのお前程度が!!逆らっていい人間じゃねえんだよ!!」
レックスは倒れ伏すゼルマに近づき、その肉体を蹴る。
本気で蹴り上げられたゼルマの肉体は血を噴き出しながら、転がる。
「なぁ!!??悔しくないのか!?落ち零れで恥ずかしくないのか、無能で恥ずかしくないのか!?なぁ、ゼルマ・ノイルラー!!」
ぐいとゼルマの頭髪を掴んで彼の頭部を持ち上げ、レックスは彼の顔を覗き込む。
そして、言う。
「大賢者の末裔の癖によぉ!!??」
◇
ノイルラーの曰くについて。
ノイルラー。その名前は万人が知っている程に著名なものでは無い。
六門主の家系や各国の有力な魔術師の家系に比べれば、ノイルラーの知名度は一歩も二歩も劣る。
だが、ある意味でその名前は有名なものだ。
悪名高い、という意味で。
魔術師の家系は、長い年月をかけて自らの血統に方向性を生みだしていく。或いは何かのきっかけを得て、それを受け継ぐ過程で魔術師の家系となっていく。
前者は一般的な魔術師の家系、後者はオルソラ家の様に神から魔術を与えられた家系だ。
だがこの区分は明確なものでは無い。魔術師は長い年月をかけて成るものであるが故に、現代となってはこの両方が混ざり合っている。
しかし、魔術師の家系は家系であると認識されるに足る伝説や功績が存在する。
ウルフストンにおける古代の魔術であり、オルソラにおける砂魔術もそうだ。
その何かこそが、魔術師の家系を家系と認識させるものなのだ。
ではノイルラー家の何かとは何なのか。
ノイルラーの血統魔術は魔術の連続的起動だが、ノイルラーの功績はそこでは無い。
大賢者の末裔。
ノイルラー家はかつて、そう呼ばれていた。
大賢者の血を引く者であると自称する家系は多い。
有力な家系では六門主の家系をもがそう自称する。
そういった者たちは大抵自らの家系に伝承される大賢者の逸話を話し出すのだが、その多くは疑惑のままになる。
だが疑惑のままでも良いのだ。
ようは大賢者の威を借る為の箔付けであり、権威付けなのだから。
それだけ魔術師の世界、いやこの世界では大賢者の名前は大きい。
今や大賢者の伝承を残す家系の当人ですらも、真偽不明であるとするものもある。
だが、ほんの極々小数。数にして片手の指で足りる程の数。
大賢者の血を引くと証明出来た家系がある。
そしてそうした家系は敬意や畏怖を込め、大賢者の末裔と呼ばれている。
だがノイルラーは最早大賢者の末裔呼ばれない。
呼ばれるとすれば軽蔑の意味を込めてのみ。
何故ならばノイルラー家は大賢者の末裔にも関わらず時代から取り残された落伍者であり、落ちこぼれ。大賢者の名前を汚す、大賢者の歴史の汚点。
あの大賢者さえも、末裔は優秀では無いのだと。
ある意味家系というあり方を否定する存在であるから。
ノイルラーは特に血統主義の魔術師に嫌悪されているのだ。
大賢者についてある程度知る者は、必ずノイルラーの名に辿り着く。そして知るのだ、大賢者という輝かしき存在の中に唯一存在する、ノイルラーという汚点の事を。
故にノイルラーは大賢者の末裔とは呼ばれない。
今となっては知る者も少なく、栄誉も無く、知る者からは貶められるだけ。
◇
「所詮は落ち零れだな。やはり俺に敵う筈も無い」
「……しかし宜しいのでしょうかレックス様。流石に最高学府の中で殺害は拙いのでは?」
「気にするな。俺は明日には最高学府を出る。既に許可は出ているからな。それまでの間、こいつの死が露呈しなければいい。そうすればそん時には俺は手の届かない外部だ。そんだけだろ?なぁ?」
「しかし……」
「黙れッ!!!!お前はぼろ雑巾の様にしてやろうか、おい?」
「も、申し訳ございません!……では処理は」
「ああ、燃やしとけ。そんで撒いて捨てとけ」
「かしこまりました」
……会話が聞こえた。
……下劣な会話だった。
……品の無い会話だった。
……聞きたくも無い会話だった。
しかし薄れていく意識の中で、ゼルマの聴覚は確かにそれを感じていた。
「では、今後はどのように?」
「荷物は纏めてある……一先ずは国に帰って……ああそうだ、あの女が居たか」
「あの女……?この男の仲間か何かですか」
「いや。だがクソムカつくガキだ。……そうだ、そもそもアイツが俺を馬鹿にしやがった事が始まりだ。決闘の約束なんざ知ったことか。当の本人が死んでるんだからなぁ、あんな約束は無いも同然だ」
遠ざかっていた声の元が、止まる。
配下の魔術師と共に歩いていたレックスが立ち止まったのだ。
「おい、聞こえてるかぁ!?アイツも俺が貰っといてやるよ。国で奴隷にしても良いかもな……じゃあな、惨めに灰になって死ね」
その声が聞こえ、再び足音がした。
そして何人かの足音がした。その数は四つ。
ゼルマに倒された魔術師が回復し、意識を取り戻したのだ。
四人の魔術師はゼルマの身体に近づいて来た。
「では燃やす。皆、〈火球〉の準備を」
自分達にも被害が及ばぬように一定の距離を取り、魔術師が杖を構える。
初歩的な〈火球〉とはいえ、魔力による防御も不可能なゼルマにとっては致命的だ。
いやそもそも、この怪我では〈火球〉すらも防げまい。
魔力は重ねる程にその威力と効果を増す。
これは別に一人の魔術師がしなくても良い。大人数による重ねや複雑な魔術になれば話は別だが、四人での〈火球〉ならば問題なく重ねられるだろう。
そしてその威力は当然に普通の〈火球〉の比ではない。
間違いなく、ゼルマの肉体は消し炭となるだろう。
「ではタイミングを合わせろ……」
ゼルマは思う。
酷い出血量だ、生きているのが不思議な程に。
しかしそれも辛うじて魔力による重要器官な防御が間に合っただけであり、残り数分も持たない。
間違いなく、自分は死ぬ。
ゼルマの身を襲うのは、肉体の痛み等では無かった。
自らの無力さ、惨めさ、そして諦め。
心の痛みは、肉体のそれよりも圧倒的だった。
決闘と言う場において、自分の理論が実践出来た事。
レックスに一度勝利し、調子づいた自分が居た事。
仲間に称賛され、驕っていたいたという事。
そして魔導士として最高学府から認められた事。
その全てが、今のゼルマにとっては愚かな事だった。
本当の実践では自身の理論は役に立たなかった事。
そもそも決闘という場ではレックスの血統魔術の本領は発揮出来ていなかった事。
ゼルマは、自分自身が情けなかった。
結局は落ち零れの自分自信を、何一つ払拭する事が出来なかったのだと。
自分が為したと感じていた事は全て、無駄なものでしかなかったのだと。
だから――――――。
「――――――やっぱり、俺じゃだめか……」
魔術師の魔力が滾る。
集められた四つの〈火球〉が一つの業火を生みだし、ゼルマの真上で燃え滾っている。
肉体を簡単に焼き尽くす炎の勢いと、熱の暴力が目の前に迫っている。
そして、
「「「「〈火球〉」」」」
炎が完成し、彼の身体に落下した。
その、瞬間。
◇
《一部情報|取得申請》
―――《承認,【図書館】より【魔術陣】貸与開始》
《一部魔力供給申請》
―――《承認,【脈】からの魔力供給開始》
《一部能力解放申請》
―――《承認,魔術回路一部解放開始》
《【末裔】より【司書】へ》
《本案件は今後の【天賦】観察における重大な計画阻害の危険性を孕んでいる》
《現状のまま事態が深刻化すれば、【天賦】への被害は免れないものと推測される》
《よって、第二制限の解除を申請する》
―――《承認,【賢者機関】連結開始》
◇
忘れるな。
序列とは、我々の理外にある力を目に見える形に直したに過ぎないものである事を。