形が意味を成す様に、流れもまた意味と成る。
■◇■
その部屋は幾つかの旗で飾り立てられていた。
単なる装飾旗ではない。魔術による儀式的な意味合いも含む旗である。
それらの旗にはそれぞれ意味が込められていた。
ある旗には杖の紋章が編みこまれていた。
ある旗には剣の紋章が編みこまれていた。
古い王国、神の精髄、大陸の地図……旗は部屋を囲う様に配置され、意味を持っていた。
その部屋にて跪いているのは黒髪の魔術師、ゼルマ・ノイルラー。
その目の前には十人の魔術師。
「未所属、ゼルマ・ノイルラー」
魔術師の内、中央の者が口を開く。
静寂な部屋の中で、その魔術師の声はよく響いた。
「『遅延魔術による連続的魔術の起動理論』について、本理論は確かに実践的な遅延魔術の利用について効果的である事を審査の結果把握した。魔術陣の技術を必要としない方法については才能による差異が大きく、そうした課題について本理論は一定の効果を齎すものと判断される。よって……」
中央の魔術師が前へと歩み出て、懐から一枚の紙を取り出す。
それは証書であった。
「本理論分野について、ゼルマ・ノイルラーに魔導士の学位を与える」
魔導士。その言葉はかつては名の知れた魔術師に与えられる称号であった。
現代において魔導士とは単なる称号ではない。
最高学府において魔術が公式に認められた証、学位である。
この部屋は魔導士の学位を授与する為だけの空間。
飾り立てられた旗たちも、その為だ。
魔術師は跪くゼルマにその紙を差し出す。ゼルマも地面に顔を向けたまま両手を差し出し、その紙をうやうやしく受け取った。
「以後本理論分野について講座の開講を許可するものとし、申請があれば審査後研究室を得る権利が与えられる。また最高学府内における幾つかの権利を解放する。ついては送付される資料を確認するように」
「承知致しました」
これでゼルマは魔導士となった。一種のイニシエーションである。
最高学府から公的に認められた存在になったのだ。
入学から二年目にして魔導士の学位取得。これはかなり速い速度であると言える。
クリスタル・シファーやノア・ウルフストンは例外だが、入学二年の必修科目すら修了していない学徒の中では片手で足りる程しか取得していないだろう。
当然と言えば当然だ。魔導士とは普通、必修科目を終えて自らの方向性を決定した者達が目指す指針である。二年目の取得は前例が無いとは言えないが珍しい事例なのだ。
だが、才ある魔術師が常識に縛られる筈も無い。
これまでも突出した才を持つ魔術師は時期に寄らず当然の如く魔導士を取得して来た。
それこそ、ゼルマの知る彼等も……。
「……以上でゼルマ・ノイルラーに対する学位授与式を終了する」
そうして授与式はつつがなく終了した。
■◇■
部屋を出たゼルマを待ち受けていたのはエリンとフリッツのいつもの二人。
「おめでとうゼルマ。まぁあの光景を見せられて認めぬ者は居ないだろうな」
「すげえぜ、本当に魔導士の学位を取っちまうなんてな!いや、疑ってたとかじゃないけどさ」
「ありがとう。こっちだって疑って無いよ」
先ず二人がゼルマに祝福の声をかける。この二人はゼルマがこれまでどれだけ苦しんで来たのかを知っているだけに、その分喜びも大きかったのだろう。
まるで自らの事の様に喜ぶ様子は、彼等の友情が確かなものである事を伝えてくれる。
「これで私達の中ではゼルマが一つ先を行った事になるか。これは私もうかうかしていられないな」
「そんな事無いだろ。俺だって……まだ始まったばかりだ」
そう言ってゼルマは先程貰った紙を握り締める。
「今回認められたのはあくまで魔術陣の代替運用の効果だけ。本当の意味で相応しい理論を立てられたとは思って無いさ……だろ?」
ゼルマが視線と共に同意を求める。
その視線の先、柱の陰から様子を窺う人影が一つ。
その人物はゼルマの声に応じて、諦めたのか柱の陰から出てくる。
見紛う筈も無い。クリスタル・シファーだった。
「気が付いていましたか」
「バレバレだ。気配だけ消していても姿が見えてたら意味ないだろ」
「……見えていましたか?」
「髪の毛がちらちらと、な」
「盲点でした……次からは気を付けましょう」
本当に気が付かれるとは思っていなかったのか、少々不機嫌そうな表情を浮かべるクリスタル。
視界の端に特徴的な髪が映っていれば嫌でも気が付く。寧ろ気配遮断は完璧に近かっただけに、ゼルマからすればそんな初歩的な部分でミスをするか?といった感じだ。
そんなゼルマの背後ではフリッツがひそひそとエリンに「もしかして意外とポンコツなのか?」と耳打ちする声が聞こえたのだが、ゼルマは無視する事にした。
「魔導士の学位取得、おめでとうございますゼルマさん。……ですが、そうですね。貴方の言う通りこの理論にはまだまだ改善の余地が残されていると思います」
「もう読んだのか?」
「先生の伝手で少し先に」
魔導士の学位取得の際に提出された論文は魔導士の学位認定後、一般公開される。
一般とは言っても誰にでも無償で公開されているのではなく、幾らかの閲覧料を支払う事で閲覧できる仕組みになっており、この閲覧料が魔導士の収入にも繋がる訳だ。
なので今しがた魔導士の学位を取得したばかりのゼルマの理論はまだ公開されていない筈である。
クリスタルの言う通り、論文の査定に関係した魔術師の一人が彼女の先生だったのだろう。それならば査定の段階で彼女が覗き見る事も可能だ。
……本来なら咎められるべき事なのだろうが、規則で違反とされている訳でも無い。実際提出前の論文を学徒同士で見せ合う事はよく見られる光景だ。
「それで?今日は何の用事で?」
ゼルマとクリスタルが顔を合わすのは実に三日ぶりの事だった。
三日前、つまりは決闘が終わってからの会話を最後に彼女とは出会っていない。
そこからゼルマが魔導士の申請やら決闘の後処理、その他諸々の準備に時間を取られていたという事もありエリンやフリッツとも話す機会が無い程忙しかったというのもある。
「考えました。あの時の、質問の答えを」
「へぇ……律儀だな。で、その答えは?」
クリスタルはその瞳を真っすぐにゼルマに向けて話始めた。
「貴方の言う通り、私は貴方の事を憐れんでいたようです」
余りにも素直な、馬鹿正直とでも言えばいいのだろうか、そんな言い方に一瞬緊張感が走る。
だがそんな空気にもたじろぐ事無く、彼女は続けた。
「ですがその憐憫は、私の中だけで形成されたものでは無かった。周囲の評価によって形作られた虚像でした。そんな虚像を信じ、私は貴方に対して勝手な憐憫を抱き……あまつさえ見下してしまっていた」
「……」
「改めて謝罪します。申し訳ありませんでした」
そうして、クリスタルは頭を深く下げた。
その光景は、普段の彼女の様子を知っている人間からすれば信じ難いものであったに違いない。
最高学府の者達が知る彼女とは、誰にも侵されない、そんな高潔な存在。大賢者の再来と呼ばれる程の才能を持ちながら、決して弛む事無く歩み続ける探究者。
そんな彼女が、落ちこぼれと評されているゼルマに一方的に謝罪をする。
しかも現実として起こった事を考えれば、彼女自身に悪意も過失も無い。
絡まれていた彼女を勝手に助けたのもゼルマ、決闘を受けたのもゼルマの意思、最初に彼女を可哀そうだと言ったのもゼルマの方だ言うのに。
彼女はゼルマの問いに、真摯に向き合い、自らの驕りを認めた。
水晶の如く澄んだ瞳に、迷いは無く、ただ一心に自らの身の上を振り返っていた。
「……いや、こちらこそすまなかった。アンタに言ったのは……それこそ俺の勝手な嫉妬心だった。こちらも謝罪させて貰う」
謝罪を受け取ったゼルマもまた、同様に頭を下げる。
天才と落ちこぼれ、相反する二人が同様に謝罪しあう図は奇妙ながら嵌っていた。
「ではお互いこれからは同じ魔導士としてよろしくお願いします」
そう言ってにこりとクリスタルは微笑んだ。
「ああ、よろしく」
◇
「話は変わるんだが、ゼルマ。講座はどうする?開講するつもりなのか?」
「いや、まだ開くつもりは無い。今は自分の事で手一杯だからな」
「まぁ開けるつっても開いてる奴なんて少ないだろ。ゼルマの言う通り面倒臭いらしいしよ」
魔導士には講座を開講する権利が与えられる。
講座とは簡単に言えば魔導士が独自に開く講義の事だ。
教師が開く講義と殆ど同一の形態だが、開く側により自由が存在している。何を使って、どう教えるのか、その裁量も開講する魔導士次第だ。
ただしそこで教えられる内容は魔導士として認められた分野に限られる。
内容の計画や、準備物の用意、受講学徒の管理等、面倒な事も増えるがメリットもある。
先ず受講学徒の数に応じて最高学府側から報酬が支払われる事だ。
提出論文の講座版という事である。
魔術師は兎に角、金が要る。だからこそ家柄が良い魔術師は立っている開始地点からして所謂平民出身の魔術師とは違うと言われているのだ。
ノア・ウルフストンも有り余る金で古今東西の資料を集めている。
「聞いた話じゃ講座に付きっ切りで結局自分の研究が進みませんでした、って魔術師も居るらしいぜ」
「本末転倒だな」
「特に俺はまだ二年目だ。今開いた所で大した人数も集まらないだろうしな」
「にも関わらず事務作業は生じますから。私も開講していません」
「確かに。私も自分の時間が奪われるのは嫌だな」
講座の人数はそれこそ多種多様だ。
人気の講座では必修科目程に集まる事もあるが、逆にマイナーな魔術分野の講座では一人だって集まらない事もある。そうなれば手元にあるのは事務作業だけだ。
最高学府には講義も講座をありふれている。
更に言えば教師が独自に開く教室や研究室も存在している。
最高学府の魔術師は常に多くの選択肢が用意されているのだ。
故に人気の差も明確に表れてしまう。
「……だけど研究室は申請するつもりだ。正直自室だけじゃ手狭になって来ててな……」
そして魔導士となるメリットの一つ。それが学内に研究室を持てる事だ。
学内に研究室があれば各種施設へのアクセスもしやすい。
また成果を上げる程に与えられる研究室も広くなっていく。様々な資料を収集しがちな魔術師からすれば、どれだけ広い部屋があっても困るものでは無い。
「ゼルマは読書家だからな……いや、本の虫か?どちらにせよ、折角魔導士になったんだ。得られるものは得ておかないと損だぞ」
「便利ですよ、研究室。広いですし」
「魔導士の学位を三つも取得していればそりゃあ広いだろう……」
魔術師の中には研究室で寝泊まりする者も多い。
自室と校舎の往復を面倒臭がり、段々と研究室が自宅化していくのである。
「兎も角、今日はありがとう。シファーも態々すまなかった。少し早いが、これから夕食にでも行かないか?折角だから俺が奢ろう」
「マジ!!??ぶっちゃけめっちゃくちゃ腹減ったんだよ!!流石魔導士様だ!」
「普通逆じゃないか?お前の祝いなんだから私達が振る舞うのが道理では……」
「細かい事は良いって!ゼルマが奢るって言ってくれてんだからさ!」
「私もよろしいんでしょうか?」
「構わないさ、これで和解という事にしておこう」
和解という言葉が正しいものかは分からない。
彼らは別に憎しみあっても、恨みあっても無いのだから。ただ一方的に感傷を抱いていたに過ぎない関係であり、ただ一方的に干渉したに過ぎない関係なのだから。
「……では、ご相伴に預からせて頂くとします」
だが、それで良かった。彼女は微笑みを以て応じた。
「俺、あそこ行きてえ!最近できたって言うとこ!」
「子供か!……落ち着いた場所の方が良くないか?」
「どこでもいいさ、お前達に任せる」
そうしてまだ外も明るい中、彼等は少し早い夕食を食べるべく歩き出した。
■◇■