想像は創造によって実現される。
■◇■
轟音。
音と爆風の衝撃が闘技場全体を覆い尽くす。
多くの魔術師達が、その余りの衝撃に思わず目を閉じてしまう程の衝撃が広がった。
そして、数秒。
音が止み、風が止まる。
時間にしてほんの数秒の後に、彼等は目にする。
『しょ、勝者は――――――ゼルマ、ゼルマ・ノイルラー!!!!』
歓声があがる。
現実に引き戻され、状況を理解した者達が一斉に声をあげたのだ。
舞台上に立っていたのはゼルマただ一人。
血塗れになり、足元に血だまりを作っているその姿はおよそ勝者の姿には思えない。
そしてゼルマの対面にはぼろ雑巾の如く焼け焦げたレックスの姿があった。
死んではいない。よく観察すれば微かに呻き声をあげ、呼吸の度に胸が前後に動いている。
だが、誰がどう見ても戦闘の続行は不可能。
つまり………ゼルマの勝利であった。
『し、信じられません!まさかの攻撃!まさかの魔術!!誰が予想できたでしょうか!?序盤から優勢であったレックス・オルソラが、最後の最後で全てを覆され敗北しているこの光景を!!誰が予想できたでしょうか!?頭上に輝く百の火槍の姿を!!まさに見事としか言いようがありません!!!!』
実況の熱が上がる。
当然だ。決闘では何が起こるか分からないとは言え、レックスは序盤から最後の一撃のその時まで常に優位を保っていた。しかも彼の切り札まで使用していたのだ。
『古代魔術を防ぎきり、数多の攻撃を潜り抜け勝利したのはゼルマ・ノイルラー!ノイルラーの魔術師、ゼルマ・ノイルラーです!』
レックスの古代魔術が使われた時、誰もが勝負の決着を予感した。
だがその予感を覆し、勝利したのはゼルマ・ノイルラー。
落ちこぼれのノイルラー、時代遅れの魔術師………一部の魔術師はゼルマ・ノイルラーがどういう魔術師なのか知っているだけに、衝撃は大きかった。
「あれは魔術陣なのか!?まさかそんな高等技術をあのノイルラーが!?」
「魔術陣ならば異常な数だ。あそこまで待機状態に出来る魔術師が世界に何人いる?」
「いや、おかしな話では無いのかもしれないぞ。ノイルラーの歴史は六門主よりも長いと聞く。あの噂が本当なのだとすればだが、もしかするとゼルマ・ノイルラーこそがノイルラーの完成形なのかも……」
「だとすれば気になるぅ!彼の論文読みたいな〜!」
「しかし遅延魔術と言っていなかったか?遅延魔術であれば魔術陣よりも可能性が高い筈だ」
「確かに、私もそう聞こえたわ」
「それでもあの数だ……尋常じゃない事は確かだろう」
「しかし、オルソラの古代魔術を耐えたのは何故だ?あれは遅延魔術では説明がつかないだろう?」
「そうだな……例えば別口で防御用の魔術を予め遅延状態にしていた……とかか?」
「馬鹿な。君も見ただろう?あの時展開されていた〈火槍〉は優に百を超えていた。あれだけの数の魔術を遅延しながら別の魔術を保持していた、というのは考えにくいぞ」
「だがあの古代魔術の威力は相当なものだったぞ。それこそあれだけの魔術を遅延させながら、瞬時に防御用の魔術を唱えた、という方が考えにくいのでは?」
「そうは言うがな……」
集う魔術師が口々にゼルマの見せた光景について想像を膨らませる。
決闘という催物に興じていたとはいえ、彼等もまた最高学府の魔術師。目の前で起こった魔術に興味を惹かれ、知的好奇心を刺激され、疑問が生じるのは当然の事だった。
それだけゼルマの見せた光景は多くの魔術師の予想を上回るものだった。
『観客の皆様も色々と疑問は尽きないでしょうが………兎も角!新学期最初の決闘の勝者はゼルマ・ノイルラー!!見事に勝利を奪い取りました!!』
止まぬ観客席のざわめきを半ば強引に打ち切る様に、実況がそう締め括る。
そして再度、観客席からは拍手の音が鳴り響き、ゼルマは舞台上を後にしたのだった。
■◇■
「おい!ゼルマ!!大丈夫か!!??」
「ゼルマ!!!!!!」
扉が勢いよく開かれる。
飛び込んできたのはエリンとフリッツ、そして少し後ろにクリスタルの姿。
「あんたら、怪我人の前ですよ!静かにしなさい!」
「あっ………すまない」
「静かになんかしてらんねぇよ!!ゼルマ無事か!?てか生きてるか!?」
三人が訪れたのは待機室ではなく、医務室だった。
一度は待機室を訪れたのだが、職員に医務室にいる旨を伝えられ急いで移動してきたのである。
「………無事だし生きてるよ。見たら分かるだろ」
その理由は当然、ゼルマが治療の為に医務室に運ばれたからである。
舞台から退場したゼルマがそのまま帰ろうとした所、ゼルマの怪我を見た職員達が無理矢理医務室へと押し込んだのである。ゼルマは必要ないと断ったのだが。
「馬っ鹿お前!あんだけ血流してたら心配して当然だろうが!!」
「本当に大丈夫なのか………?あれだけの出血量だ、死んでもいてもおかしくない筈だろう。いや、もう死んで不死者になっているという事は無いだろうな……?」
エリンの心配も最もだ。
ゼルマの出血量は死んでいてもおかしくない程の量だった。
その後に魔術を行使した事からも、無理をしているのが見て取れる。
今もベッドに身体を横たえ、治療を受けていた最中だったのだろう。
会話をする為に起こした上体は包帯で厚く覆われていた。
「大丈夫だ、ちゃんと生きてる。正直危なかったけどな………まぁフリッツ、お前のおかげだよ」
「そうだよ!お前!あれ俺の魔術じゃねぇか!!」
「完璧に再現した訳じゃ無いさ、あくまで疑似だよ」
「当たり前だろ、俺の血統魔術だぞ?そう簡単に真似されてたまるかよ」
「普段から練習に付き合ってくれていたお陰だ。ありがとな」
「まあな!」
そう、ゼルマの耐久には絡繰りがあった。
それこそがフリッツの血統魔術〈我が身よ、鋼となれ〉の模倣だった。
フリッツの血統魔術は古代魔術とも現代魔術とも少し異なる構造の魔術。
分類としては詠唱を省略している為に現代魔術の範疇なのだが、一般的な魔術節を使っていないのだ。
フリッツの家名であるフランケン。長き年月をかける事で家名そのものに意味を持たせ、魔術節とする。それが〈我が身よ、鋼となれ〉という魔術。
ゼルマはその魔術を模倣する事で一時的にだが鋼鉄の如き防御力を有し、レックスの血統魔術を防いだという事である。だがそれでも本家の血統魔術に効果は遠く及ばず、体表を切り刻まれる結果になってしまったのだが……それでもその模倣魔術が無ければ耐える事は不可能だっただろう。
「それで………どうしてアンタが?」
「私が来ては駄目でしたか?ゼルマさん」
「いや、駄目じゃないさ。ただ………少し珍しい組み合わせだったんでな」
「観客席で話しかけられたんだよ、そんで付いて来るってんで連れて来たんだ」
ゼルマがクリスタルと会話するのはエリン、フリッツと同じく食堂の時以来。
珍しい組み合わせ、という感想も間違いじゃない。
「先ずは……勝利おめでとうございます」
「ありがとう。素直に受け取っておく」
「正直、勝てるとは思っていませんでした。見事でした」
「確かにな。俺も驚いている所だよ」
「それで……あれは一体どういう仕掛けですか?」
「あれ……あぁ、あれね」
あれ、という言葉にゼルマは心当たりがあった。
この状況で彼女が疑問に思う事となれば、あれしかないだろうと。
「魔術陣は確かに高等技術です。ですがそれでも、遅延魔術より実践的であると評価されたには理由があります。最高学府だけの話ではありません」
「圧倒的に魔術陣の方が楽だから、だろ?」
「遅延魔術は効率が悪い。待機中常に魔力を消費し、精神を使う。対して魔術陣は一度待機状態に出来れば半永久的に待機状態に出来ます」
「幾つもの研究分野を結論付けた……大賢者の理論の中でも最大級のものだな」
「ともすれば最大の偉業と考える魔術師も居るでしょう。それだけ魔術陣という技術は魔術の世界を先へと進めました。だからこそ、疑問なのです。」
一人の魔術師が魔術陣で保持できる魔術の数は決まっている。技術が上がる毎に保持数は増加するが、半永久的に待機させられるという性質は同じだ。
但し同じ魔術陣を流用した技術でも魔術書は例外だ。魔術書は本、厳密に言えば紙という物質に魔術式を転写しているの為に、物理的に摩耗していく。
因みに現在ゼルマ等に教養発展を教えているフレーメン女史の研究がこうした魔術書の保存期間に関する研究であった。
兎も角、クリスタルの疑問はこうだった。
「貴方は何故わざわざ遅延魔術を選んだのですか?」
魔術師であれば、特に最高学府に属する魔術師であれば、そう思うのも当然だった。
最高学府の魔術師ならば誰もが知っている。
大賢者の理論の、その力を。
何百、何千の魔術師が、遥かな時間をかけたとしても勝ちえない存在。
故に遅延魔術とは最早時代遅れの技術と化し、多くの魔術師が修めはするが深めない技術だった。
だから、何故、と。
「そうか……そうだよな」
ゼルマが渇いた笑みを浮かべる。
戦闘による疲れの表情ではない。
肉体の痛み等、既に感じていない。
「………?」
「いや、アンタが悪い訳じゃない。きっと誰も悪く無い……悪いのは俺だけだからな」
自嘲するように、自分を責めるように、或いはそんな自分を慰めるように。
ゼルマは言葉を吐き出していく。
「何を言って………回答になっていません」
「アンタには分からないって事だ。無限に等しい選択肢がある、天才には……一つのものにしか縋るものが無い人間の気持ちなんてな」
「…………」
「責めてるんじゃない。産まれながらに決まってた事だからな……今更だ。今更嫉妬とか……そんなのは無いさ」
クリスタル・シファー。天賦の才を以て生まれた魔術師であり、大賢者の再来とも称される魔術師。
最高学府史上最高評価での受験合格に加えて、既に三つの魔術分野について魔導士の学位を修得している正真正銘の天才。
同じく天才と称される事も多いノア・ウルフストンの取得学位数が入学五年で三つという事を踏まえれば正に破格の取得ペースである。
誰もが疑わない天才。
ゼルマ・ノイルラーとは大違いな存在。
「アンタにはどう見える?」
ゼルマが問い返す。
曖昧な、何を問うているのかすら分からない問い。
「何が……でしょうか」
「俺は……可哀想な奴か?」
「……ッ!」
「才能が無いのに惨めに足掻く姿は……天才のアンタの目にはどう映ってる?」
「ゼルマッ!!……それ以上は止めろ」
それはある意味で、ゼルマ自身が吐いた言葉への返答。
クリスタル・シファーは答えず、逆にそれまで口を挟まずに静かにしていたフリッツが遂に口を開く。
入学時から今まで友人として過ごしていたが故の行動である。
「……悪い、ありがとう。だけど今日は疲れた。後からもう一人来るだろうしな……今日は帰ってくれ。俺は大丈夫だ」
心配をかけさせまいと、ゼルマが微笑む。
「良いのか?後で何か届ける事も出来るが……」
「鉢合わせると面倒だからな……まぁ問題は無いんだけど……一応な」
「そうか……ならまた明日だな」
そんなゼルマの気遣いを察し、エリンもまた微笑み返す。
こういう場面ではやはり年長者としての側面が強調される。
「私は……そんな事は」
「答えはいい。言っただろ、今日は疲れてる……悪いが帰ってくれないか」
「……分かりました。ではまた、必ず」
「楽しみにしてるよ」
そんな会話を最後に、三人は医務室を後にした。
◇
「うおおおおおおぉぉぉおおお!!お疲れ様だったねぇ!!勝利おめでとう!ほらほら~!沢山差し入れ持って来たからね!今日は祝宴にしよう!」
「五月蠅いですよ!!ここは医務室!重傷者も居るんですから静かにして下さい!」
「ええい!邪魔だなあ!ほら、私が来たよ!」
「……はぁ」
その後、ゼルマの想像通りやって来たノアの対応にたっぷり時間を浪費する事になったのだった。