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蛙化未満

作者: 泉田清

 日曜日の昼は、なるべく近所のスーパーに行くようにしている。一年ほど前から。

 約一年前。日曜の昼に上司Tとバッタリ出くわしたのだった。「おー、Y君、買い物?」。その場で二言三言やり取りをした。次の日の職場では「あのスーパーの総菜いいよね」等のやり取りもあった。結局スーパーでの出会いは一度だけだったし、Tとこんなに会話できたのは後にも先にもこれだけだったが。


 Tは二年前に我が職場へ転勤してきた。役職として。三十になったばかりとしては早い昇進だ。しかも女性で。もう来年にはまたどこかへ転勤するに違いない。浮いた話もない。仕事が忙しくてそれどころではないだろう。まったく同年代としては尊敬しかない人物だ。

 もちろん、そんなTに対し好意を抱いていたのだった。二年でほとんど会話もできない(私のふがいなさ故)、仕事に対する姿勢の違い、こんな二人では接近のしようもないが。まあいい。片思いというのはそれほど悪いものでは無い。片思い歴三十年の私が言うのだから間違いない。週末の夜。かの君を思いながら飲む酒は、真に甘く、そして苦い。


 土曜の昼。アパートの二階から降りると、ヴォ―、ヴォ―、田圃からウシガエルの鳴き声がした。まったく奴らはその見た目同様、ふてぶてしく昼間から鳴く。本当にウシみたいに。風情も何もない。

 梅雨の鼠色の空の下、田圃道を進み市街へ向かう。途中、何もない所で前の車が停まっていた。土の塊か何かを前にして。やがて後方の我が車に気づくと「何か」を避けて走り去った。一体なんだ?「何か」に目を凝らす。それはウシガエルだった。気味の悪い斑点模様にヌメヌメとした緑の体色、何よりその巨体、思わずゾッとした。前の車に倣い避けようとしたら、ピョコンと跳ねて田圃へ消え去った。その立派な後ろあし!艶めかしいたっぷりの肉感。それがいっそう気味が悪かった。


 夜。独り、酒を飲んで過ごす。パソコンの前でボンヤリしていると、やはりTの事が頭に浮かんだ。テキパキ仕事をこなすT、「おはよう」挨拶してくれるT、客と笑顔でやり取りするT。整った顔立ちというわけでもないのに、どの表情も眩しいくらいの表情。実際、彼女の輪郭は柔らかな光に包まれているように感じる。酒量が増えるにつれ光は増していく。ケロケロケロケロ、やがてそのまま寝てしまった。外ではこの時期に聞かれる、アマガエルの大合唱が鳴り響いている・・・


 日曜の昼。久し振りの晴天、梅雨の中休みだ。スーパーへ買い物に行った。総菜売り場でギクリとした。Tが総菜を物色している!膝丈のフレアースカートが良く似合っていた。思わず回れ右をして、逆方向の生鮮食品売り場へ向かった。お前はTに遭いたいんじゃなかったのか?一年に一度のチャンスだというのに。何という不甲斐なさ。なるべくゆっくり商品をカゴに入れていく。レジへ行くとTの姿はない。もう大丈夫だろう。清算を終え、ホッとして自動ドアを抜ける。と、そこにTがいた。

 「お、Y君」、「ああ」。再び二言三言交わした。何かがおかしい。彼女はそこらにいる女性と何ら変わらないようにみえる。表情は凡庸、何よりあの、彼女をかたどる柔らかな光を全く感じなかった。昨夜は飲み過ぎていたのか、酔いが醒めると同時に彼女への思いも覚めてしまったのか。まさに、恋は人を盲目にさせる。

 

 「じゃ、また明日」、「ああ」。そういって彼女が踵を返す、フワリとスカートがめくれ、太腿が少しだけ覗いた。何という太さ!浮き出た脂肪さえハッキリ確認できた。三十過ぎの女性の太腿。昨夜摂取したアルコールは完全に飛んでいった。片思いがまた一つ、こうして終わりを迎えたのだった。


 ケロ、ケロ。帰宅して車から降りると、昼間の弱弱しいアマガエルの鳴き声が聞こえた。梅雨の長雨が始またまるのだろう。きっと。

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