第5話 作戦開始
5月10日朝の5時30分。
前日までは悪天候であったため、上層部は作戦開始の延期を考えていたようだが、快晴となった。
前日までの悪天候が嘘のようである。
と言っても、史実がそうだったから、想定の範囲内である。
戦車のエンジンが始動し、一斉に前進を開始した。
小国ルクセンブルクには、領内通過を認めさせた。
その先にあるのが今作戦の難所の一つ、アルデンヌの森である。
最初が肝心だ。
今日にはアルデンヌにつき、二日目でアルデンヌの中間地点以上に進撃したい。
初日は順調そのもの、あたかも演習のような動きで素早く軍全体が動く。
現在、ラインベルガーはsd.kfz.251の指揮車仕様(装甲兵員輸送車)に乗車し、グーデリアン閣下と行動を共にしている。
前進を開始してしばらくすると、グーデリアン閣下が話しかけてきた。
「ラインベルガーよ、一つ聞いてもいいかい?」
「はい閣下、何なりとお答えします」
「例の、進撃停止と攻撃停止命令の件だが」
「あぁ、そういえば当日までは話さないとの約束でしたね」
「どう回避するかね?」
「それは閣下が知らない方がよろしいかと」
「なぜ?」
「少々無茶をするとだけは言っておきます。何せ、あのご老人方に反抗するも同然のことをするのですから」
ラインベルガーの考えはかなり危険だ。その行動一つとっても、バレたら速攻で軍法会議ものだろう。そんな危険なこと、今閣下に被ってもらう必要はない。
「・・・ふむ、なんとなく想像はできたぞ」
愉快そうに閣下は笑う。
「絶対誰かに言ってはダメですよ」
「そうしよう」
同乗していた通信兵が二人の顔を交互に見ている。
なんのことだがさっぱり分からんという表情だ。
しかし、笑っているということは少なくとも良いことなのだろうと、自然と笑顔になった。
前方には凄まじいほどの森林地帯が広がっていた。
起伏は少ないが、平坦ともいえない。
二日目の行動を開始した。
作戦の第一段階である、アルデンヌの突破が始まったのである。
ほぼ真西に向かっての進撃となるが、森の中は油断してはいけない。
敵とは違う、錯覚という別の不安要素があった。
グーデリアン閣下が質問をしてきた。
「アルデンヌの森を突破するとき、何か問題は発生す...失礼、発生するんだったな」
「はい閣下、他の師団と進路が被ってしまい、進撃が予定より遅れてしまった、と記憶しています。なので、他の進撃中の師団との間隔を確認すべきでしょう」
「覚えておこう」
凄まじいほどの森林地帯、さすがはアルデンヌと言ったところか。どこを見ても深い森である。
我々グーデリアン閣下の第19機甲軍団は、中央に第1機甲師団、右に第2機甲師団、左に第10機甲師団という形で進撃中だ。
しばらく経って、一つ問題が発生した気がした。
ただの勘ではあるが、少しの不安でも解消しておくべきだ。
「閣下、第2機甲師団の隣はラインハルト機甲軍団でしたね、確か」
「その通りだが、何かあったか?」
「先ほどの進撃路の混雑ですが、もうすぐ起きる気がしてきたのです。一応、確認すべきかと」
「直感か?」
「はい」
「確認しておこう、その感覚は指揮官にとって大事だよ」
無線で交信を始める。
どうやら交信中の閣下の表情から察するに、当たりだったようだ。
「ラインベルガー、君の言う通りだった・・・ラインハルト軍団と混雑が起きている」
「すぐに進撃方向を修整するよう、伝えるべきです!」
「そうしよう」
すぐにグーデリアン閣下は交通整理を始める。
元々グーデリアンは通信畑にいたため、自ら交通整理を始めた。
ラインハルト機甲軍団の進撃方向を修整するよう伝えたと同時に、自分達が今どこに向かって進撃しているのか、現在地を定期的に確認するように伝える。
アルデンヌの森は四方八方を木に囲まれ、迷いがちとなってしまう。
そのため、自分達の居場所と進撃方向を、コンパスと太陽の位置で入念に確認する必要がある。
「いいか、割り込ませるな、混乱するぞ!」
もしここで進撃路を譲った場合、全体が南にずれることとなり、かなり面倒なことになる。
グーデリアンはそれを理解した上で、交通整理を行なっていった。
進撃は今のところ順調だ。
むしろ、本当に敵に向かって進撃しているのか、不安になるくらい静かだ。
落ち着いた頃、グーデリアン閣下が笑顔で皆に言う。
「フランスの連中は大慌てするだろうな!」
「それは間違いありませんね、閣下。大慌てどころか、腰を抜かして動けないでしょう」
軽く雑談をする、それくらい余裕があった。
しばらくして、再度問題が起きた。
「またラインハルト軍団と混雑が起きています」
通信兵が慌てて報告する。
「さっきの命令をそのまま繰り返すんだ。一度起きたことだ、慌てずに対処しよう」
グーデリアン閣下は冷静に対応する、通信兵も落ち着いて対応した。
「閣下、今日中にはヌフシャトーへ到達でしょう」
「私もそう思う。多分、ほとんど敵はいないだろうから軽く越えよう。だが、油断は禁物だ」
閣下の言う通りだろう。
相手は人を殺せる武器を持っているのだから。
予定通りヌフシャトーへ到達。
予想していた通り、敵軍の抵抗は微弱ですぐに撃破した。
「今の所順調そのもの、一気にブイヨーまで走るぞ!」
グーデリアン閣下は皆の士気を上げる。
三日目にはブイヨーに到達。
ブイヨーはヌフシャトーとスダンの丁度間くらいにある街で、スモワ河が流れている。
到達するとすぐにスモワ河の渡河を開始、敵は抵抗をしてはきたが、やはり微弱な抵抗に終わった。
そしてそのままムーズ河まで進撃、さらに圧倒的少数のフランス軍を蹴散らしながら進撃した。
これにはフランス軍は大混乱となった。
まさかのまさか、絶対に来ないであろうと思っていたアルデンヌから、ドイツ軍の戦車が猛進してきたのである。
そもそも論として、フランスの作戦計画では長期戦に持ち込む計画であった。
だからマジノ線などの防衛線を構築していたのだが、それはアルデンヌにドイツ軍が現れたことで、全てが狂ってしまった。
フランス軍の急務は、どこでドイツ軍を迎え撃つのかを決定しなければなかった。
しかし、パリの司令部は混乱を極めていた。
「しかし、フランス軍には少しばかり同情しますね。練っていた作戦が全て無にきしたも同然の状態なのですから」
ラインベルガーはムーズ河に架橋している工兵隊の作業を見ながら、頭の中で今後の展開を再度確認していた。
「そうだな。私からすれば、現代における要塞の役割は終わったも同然であろう。それを軸とした作戦を計画したのだから、我々がそれを上回る作戦を計画したのだよ」
「閣下の、現代戦の考え方はどのようなものでしょうか」
「ズバリ、機動力だろう。戦車と速い足の装甲車両により、一気に目標を制圧する」
「閣下、改めて尊敬致します。私では、到底できない実現内容です。閣下は、それを実現させました」
グーデリアンの構想は第一次世界大戦後に、上層部に受け入れられるものではなかった。
しかし、そんな逆境の中でも自分の考えを曲げず、ついにはこうして戦車隊を率いて前線を闊歩している。
一種の、理想を実現させたと言っても過言ではないだろう。
そういった点で、個人的にはグーデリアン閣下をかなり尊敬している。
「そうだな・・・確かに私もかなり頑張ったが、やはり、ヒトラー総統の存在が大きかったかな」
「何故でしょうか?」
「もしヒトラー総統閣下が就任していなかったら、こうして装甲部隊を自在に動かせはしなかっただろう。もしかしたら、この装甲車両ですら数が足りていないかも」
グーデリアン閣下は片手で車両をトントン叩きながらそう言った。
「もっと言うと、この作戦ですら上層部は消極的だった。ここ、ムーズ河すら渡れないと言った奴もいたな」
「こうして工兵隊が余裕の表情で橋を掛けていますが、上層部に連絡を入れましょうか?」
「いや、やめておこう。敵だけでなく、味方にすら敵を作りたくはない」
ラインベルガーは、グーデリアン閣下が一瞬迷ったのを見逃さなかった。
ともかく、作戦の第一段階は成功である。
後は、フランス軍のあの男と、ダンケルクだろう。
ラインベルガーは状況の整理を終える。
作戦は一つの重大な局面へ入ろうとしていた。
次回「フランス軍の反撃」