第5話 苦渋の選択
—月曜日。
それは社会生活を営む人々にとって最も憂鬱であろう曜日。学生だろうと社会人だろうと関係はない。カレンダーに縛られない生活を送っている場合を除き、勉強や仕事に追われる日々の始まりは誰にとっても疎ましくて堪らないモノのはずだ。とはいえ、当然ながらそこにも例外がある。月曜日に鬱々とした想いを抱かない稀有な人間も世の中には確かに存在しているのだ。
それは勉強や仕事にやりがいや悦びを抱いている者。それに付随する人間関係も良好に営めている輩。そんな、恵まれた環境に身を置いている奴らは決して月曜日に嫌悪感を抱かない。朝っぱらからニコニコ笑顔で鬱陶しく絡んできやがった、学級委員長様こと鈴木美玲さんがその最たる例だろう。
「今日はいつになく不機嫌そうね、希美ちゃん。」
月曜の朝からご機嫌な人なんてそうはいないだろうよ。この瞬間に憂鬱さを感じない生徒はあんたみたいに学園生活を謳歌できている奴だけだ。成績優秀で友人も多い学級委員長様に、私のような凡夫の気持ちなんぞ毛ほども理解できんだろうがな。
「…それがわかってるなら放っておいてよ。昨日色々あったせいで疲れてるんだから。」
…って私は何を言っているんだ。いつもなら波風を立てぬよう『別にそんなことないよ』とか言って適当にごまかしているところだろう。そもそもの話、他人に気取られるほどの不機嫌面なんて普段の私なら絶対にしないはずだ。無意識に2つも失態を重ねてしまうなんて、どうやら今の私はよほど心に余裕がないらしい。瑠花から国分さんとしっかり向き合うよう背中を押してもらい、いつも以上の憂鬱さを押し殺して何とか学校までは来たが…。今日のところは早退してゆっくり休んだ方がいいかもしれん。
「……色々ねぇ。その様子だと、どうやら咲綾の想いは果たされなかったみたいね。」
おい、ちょっと待て。いくら何でもその発言を聞き流すほど私は疲れちゃいないぞ。どうしてあんたがそのことを知っているんだ。いや、落ち着け。冷静になれ、私。国分さんから練習試合の応援に来てほしいと頼まれたのは昼休みの時。当然その場には鈴木さんもいたわけで、私が言った『色々』に国分さんが絡んでいることを察するのはそれほど難しいことじゃないはずだ。鈴木さんくらい頭のいい人なら、そこからさらに国分さんが私に告白してきた事実を看破することも……。いや、さすがにそれはないな。あの時のやり取りからその結論に至るなんてエスパーでもない限り絶対にありえない。だとすれば答え一つ。
「……国分さんに聞いたの?」
鈴木さんと国分さんがどれほどの仲かは知らないが、少なくとも昼休みを共に過ごす友人関係であることだけは間違いない。そして、友人相手に自らの恋路を相談するのは別におかしなことじゃないはずだ。当事者としてはあんまり吹聴されたくない話題だし、文句の一つでも言ってやりたいところだが…。書くいう私も瑠花に相談してしまったし、国分さんのことばかりを責めるのは流石に筋が通らないだろう。
「そうじゃないよ。けど、聞かなくてもわかる。咲綾が希美ちゃんを好きだってことも。試合でいいところを見せて希美ちゃんの気を引こうとしていたことも。その後、希美ちゃんにその想いを伝えようとしていたこともね。」
なるほど、私はどうやら私は2択を外したようだ。疑って悪かったよ、国分さん。要するにあの告白劇を他人に吹聴した屑は私だけだったってことだ。それについては機会があれば言葉を尽くして謝罪させてもらうよ。けど、鈴木さんに話したんじゃないかと疑った件については私にも言い分があるぞ。だって、普通は予想できないだろう。
まさか鈴木さんがエスパーだったなんてさ。
いやはや、本当に流石と言う他ないよ。勉強もできて運動もできて。容姿端麗で性格も良くて。そのうえ人の心を読み取る力まで持っていたなんて、まるでマンガや小説の主人公みたいじゃないか。そうだ、将来就職に困ったら鈴木さんをモデルにラノベでも書いてみようかな。彼女がモデルなら内容に行き詰ることもないだろうし、主人公の華々しい活躍を描く面白い作品を作れる気がする。まあその手の話は散々擦られてるし、売れるかどうかは正直微妙だけど…。
「おはよう、希美ちゃん。」
現実逃避を始めていた私に投げかけられた朝の挨拶。それを受けて私の意識は一気に引き戻される。当然だろう。その声の主は奇しくも私と鈴木さんが交わす話題の中心というべき存在。私の心をかき乱しやがった諸悪の根源。国分咲綾さんだったのだから。
「お、おはよう…。国分さん……。」
たどたどしくもなんとか挨拶を返せた自分を褒めてやりたい。しっかり向き合うと決意はしたが、昨日の今日でこれまで通りの振る舞いができるほど私の精神は成熟していないんだ。国分さんの方もひょっとしたら学校を休むんじゃないかと危惧していたが…。まあ…その……なんだ。一先ずは元気そうで何よりだよ。私が告白を断ったせいで意気消沈してしまったなんて言われたらさすがに目覚めが悪すぎるからな。
「ねえ、2人で何話していたの?」
あぁ、やっぱりそう来るよな…。鈴木さん以下4人とはここ数日昼休みを共にしているが、私たちの関係は今でも変わらず友人未満のクラスメイト。登下校の際に軽い挨拶を交わすようになったくらいで、授業の合間などではほとんど会話をすることがない状態のままだ。それがいきなり2人きりで会話に花を咲かせている光景を目にすれば、昨日の出来事がなかったにしてもその内容に興味を抱くのが同然の流れと言えるだろう。はてさて、ここは何と言って誤魔化すべきだろうか…。
「ああ、ちょうど咲綾のことについて話してたんだよ。昨日は大活躍だったらしいじゃない。さすがだね、咲綾。」
って、コラ。何をあっさりばらしとるんじゃこのアホは。というか、国分さんのことについて話してはいたが試合については一言も触れてなかっただろう。そりゃあ確かに華々しい活躍だったが…。
「た、大したことないよ。みんなのサポートがあったからこそだしさ。それでも…うん……。少しでも希美ちゃんにいいところが見せられてよかったかな…。」
そうだな、よかったよかった。それより国分さんよ。最初は聞き違いかと触れなかったが、あんた前から私のことを名前で呼んでいましたっけ?いや、私は別に構わないけどさ。少し馴れ馴れしすぎないかと思わないでもないが、私がそう感じるのは人とのコミュニケーションに不慣れであるためであって、こういうノリこそ現代を生きる女子高生の普遍的なノリなんだろうよ。まあ、だからと言ってそのノリに合わせるつもりは微塵もないが。
「そ、それでさ。今日の昼休みなんだけど……。その、よかったら2人で……。」
モジモジと恥ずかしそうに言葉を紡ぐ国分さん。恋愛経験皆無の私ではあるが、その様子に何も感じぬほど私は鈍感じゃあない。悲しきかな、国分さんは友達から始めようという私の申し出をきちんと理解していなかったようだ。先ほどの思わせぶりなセリフもしかり。国分さんは私と友人関係を築くつもりなど微塵もなく、あくまでも恋愛対象として私を振り向かせる算段らしい。告白を断られたばかりだというのになんて胆力なんだと素直に感心する。国分さん、あんたはきっと将来大物になるよ。
「おい、お前ら!朝っぱらから私の希美にちょっかい出してるんじゃねえぞ!」
国分さんのセリフを遮るように降りかかったけたたましい声。その声の主が誰かなんて顔を見ずともわかる。なあ瑠花よ。先ほどの国分さんも然り、お前らはまるでタイミングを見計らったかのように登場しやがるな。鈴木さんと言い、ひょっとしてお前も何かそういう特殊能力を持っているんじゃないか?もしそうなら将来は探偵にでもなったらいい。浮気調査とかで重宝されると思うぞ、知らんけど。
「……いつから希美ちゃんがあんたのモノになったの?」
そうだそうだ、もっと言ってやれ。……と、いつもなら国分さんの言葉に同調すること必至なのだが、今日ばかりはくだらん妄言の1つや2つ寛大な心で聞き逃してやれる。国分さんにとっては最悪のタイミングだったのだろうが、私にしてみればこれ以上ないベストタイミングで声を掛けてくれた。お前が現れてくれなきゃ、私の精神はあのままどうにかなっちまうところだったよ。
「試合の応援に行ってやったってのにずいぶん喧嘩腰だな、咲綾。ま、別にいいけどさ。そんなことより、お前らに一つ伝えておくことがある。今日からしばらくの間、希美は私と二人で昼飯を食うことになった。そういうわけで、残念ながらお前らとのガールズトークには付き合えない。一々報告してやる義理もないんだろうが、最近よろしくやっているみたいだったし一応教えといてやるよ。」
おい、なんだそれ。そんなの初耳だぞ。いやまあ、今の状態で国分さんたちと食事の席を共にするのはかなり億劫だったし、そうしてもらえると助かるっちゃ助かるが…。
「ふ、ふざけないで。あんたにそんなこと決める権利は……!」
不満と怒りが入り混じた表情を浮かべ、瑠花の言葉に反論の意を示そうとした国分さん。そんな彼女を制止したのは、意外にも先ほどから黙って事の成り行きを見守っていた鈴木美玲さんであった。
「…落ち着いて、咲綾。瑠花ちゃんも咲綾も。当然ながらこの私も。希美ちゃんの意志を縛る権利なんてここにいる誰にもないわ。昼休みにどこで誰と何をしようが希美ちゃんの自由…。そう、まずは本人の意見を聞かないと…。」
なんだか面倒くさい展開になってきた。これってつまり、鈴木さんたちの中から誰と一緒に昼休みを過ごすか選ばないといけないってことだよな。5人で昼休みを共にしようとしている鈴木さん。2人きりでアプローチを仕掛けようとしている国分さん。恐らく私に助け舟を出そうとしている瑠花。この3人のうち、いったい私は誰の手を取るべきなのか。
うーん。非情に悩ましいところだが、最初に候補から外すのであればやはり鈴木さんにということになるだろうか。昨日の告白の際、国分さんは他の面々も私に何かしらの想いを抱いているかのような発言をしていた。それが恋愛感情かどうかまではわからないが、だからこそ修羅場になりかねない状況にホイホイ顔を出すのは自殺行為に等しいだろう。それに、先のやり取りで鈴木さんに僅かばかりの恐怖心を抱いたというのも理由の一つだ。国分さんの気持ちを知り、その行動まで見事に言い当てた鈴木さん。エスパー云々は冗談にしても、彼女からは得体の知れぬ不気味さを感じてならないのが正直なところだ。そういった諸々の背景もあり、できれば鈴木さん達とは暫く距離を置いておきたい。
それじゃあ国分さんはどうか。告白を断った事実があるため若干の気まずさはあるが、再三述べているように私は別に国分さんのことが嫌いってわけじゃあない。彼女のことをもっと知りたいと思っているし、友人として良好な関係を築いていきたいと心から願っている。……そう、あくまで友人としてな。国分さんに好意を向けられているのは素直に嬉しいが、如何せん私にはその想いを受け止められるほどの器量も気概も存在しない。いや、それ以前に今の私は国分さんの積極的なアプローチに少しばかり身の危険すら感じている始末だ。国分さんとはしっかり向き合わなければならないとわかっているが、出来ればもう少し時間をおいてからちょっとずつ歩み寄っていきたいというのが本音である。
さて、そうなると残るは瑠花しかいないわけだが…。いや、ここまで色々と思案を重ねてみたが、実際のところ答えは最初から決まっていたのではないか。日頃の言動をうざったいと感じることは間々あるが、それでも瑠花は私にとって数少ない……。というか、ただ一人の友人と呼ぶべき存在だ。中学時代からの腐れ縁である瑠花と2人きりになったところで今更思うところなどあるはずなく、場合によっては昨日のように今置かれている状況の相談ができるかもしれない。これらのことを鑑みれば、やはり瑠花以外に選択の余地などないといって良いだろう。
「わ、私は—。」
瑠花の名前を宣言しようとしたその瞬間…。私の視界に入ってきたのはどこか悲しげな表情を浮かべる国分咲綾さんの姿であった。国分さんがどうしてそんな顔をしているのかなんて考えるまでもない。彼女はきっとわかっているんだ。私が瑠花の名前を口にしようとしていることを。自分が選ばれないということを。
…当たり前のことではあるが、誰か1人を選ぶということは他の2人の想いを無下にするのと同義である。鈴木さんも。瑠花も。鈴木さんも。それぞれ異なる背景があるにしろ、彼女たちが私に何らかの想いを馳せてくれているのは…。少なくとも昼休みを共に過ごしたいと考えてくれているのは紛れもない事実なのだ。にもかかわらず、彼女たちの中から誰か一人を選ぶなんて本当に許されるのだろうか。そもそも、そんな権利が私なんかにあるのだろうか。
…否。そんなこと断じて否だ。しかし、だからと言ってこの場にいる全員の気持ちを尊重できる手段を私は持っていない。ならば、私が取るべき選択は……。
「…はっきり言って誰とも過ごしたくない。私は一人でいるのが好きなの。そういうわけだからさ。私のことなんてもう放っておいてよ。……お願いだから。」