第4話 馬鹿ばっかり
「ったく、いくらなんでも遅すぎるぞ。つーかこんだけ待たされてジュース一本じゃあ割に合わんだろうが。ちょうど腹も減ったところだし、お前のおごりで飯行くぞ!」
そんなに怒らないでくれよ。2時間近くも待たせてしまったのは申し訳なかったが、私だって大変な目に遭ってきたところなんだ。いや、現在進行形で遭っていると言った方が正しいか。ともかく、今は心身ともに結構疲弊していてね。悪いんだけど、ご飯をおごるのはまた別の機会にしてくれないか。
「………おい、希美。咲綾の奴と何話してた?」
教えるわけないだろう。2人きりで話すというのはつまり、他人には知られたくない内容そこにが存在しているってことなんだ。実際それは私にとっても誰かに聞かれたくない話だった。空気が読めないのは百歩譲って許してやるが、人として最低限のデリカシーは持って貰いたいね、まったく。
「…もう一度聞くぞ。いったい2人で何を話してたんだ?」
私は徹底してだんまりを決め込もうとするが、瑠花はそれに全く臆さずなお食い下がってきやがる。こうなったこいつは実に厄介だ。どんなにはぐらかしても決して引かず、私が口を緩めるまで延々にらめっこを続ける構え。何より面倒くさいのが、それが単なる野次馬根性から来た行動ではないということだろう。
「……あんたが心配するようなことは何もない。余計なお世話だとは言わないけど、できれば暫くそっとしておいてくれないかな。」
瑠花と出会って凡そ5年。私はこいつがどういう気質の人間なのかよく知っている。彼女の持つ優しさを誰よりも理解している。困っている人がいたら放っておけない根っからの世話好き。頼んでもいないのにズケズケと顔を突っ込もうとするおせっかい女。私はそんな彼女の手を借りたくなくて、普段はどんなことがあってもできる限り平静を装うよう努めているのだ。しかし、今日ばかりはそれも難しかった。こいつにすぐさま看破されるほど、心に生じたモヤモヤを私は表に出していたらしい。我ながらなんて情けない話なんだ。
「……希美。そんなに私が信用できないか?」
信用云々の問題じゃあないんだよ、瑠花…。こういう話は他人に気安く語っていいものじゃない。国分さんにも悪いし、何よりこれは私自身にとって非常にデリケートな話題だ。教師や親は言わずもがな、先祖の墓前に向けても話したくない。
…けど……しかし………。
「……ここじゃなんだから場所を変えよう。その代わり、絶対誰にも言わないって約束してよね。」
ああ、自分が情けなすぎて死にたくなってきた。
―。
…生まれて初めて告白された。好きだと言われた。付き合ってくださいと頼まれた。
相手はただのクラスメイト。運動神経抜群なバスケ部のエース。気さくで愛嬌がある友人の多い高校生。根暗でぼっちな私とは何もかもが対照的な、多くの人から愛される恵まれた女の子。
国分咲綾さんから好意を抱かれていたという事実に、私は告白されるその瞬間までちっとも気が付いていなかった。
「…八島さん。私はあなたが好きです。友達としてではなく、一人の女の子として……。」
その言葉を聞いて最初に頭を過ったのが、瑠花や鈴木さん一派によるドッキリの可能性だった。しかし、さすがにそれはないだろうと私は自らの考えを即座に否定する。あいつらがこんなタチの悪い真似をするとは純粋に思えなかったし、そもそも私なんかをからかったところで対して面白くはないだろう。ただ、そうすると彼女の告白が偽りなき真実だと受け止める他ないのだが…。
「…あ、ありがとう。国分さんみたいな人にそう言ってもらえるなんて、冗談だったとしても素直に嬉しいよ。……うん。」
そう、やっぱりこれは何かの冗談だ。きっと瑠花辺りがカメラ片手に掃除用具入れにでも潜んでいるに違いない。そうじゃなければ絶対におかしい。私は人に好かれるような人間ではなく、恋愛感情を抱かれる要素なんて微塵もないゴミみたいな存在なのだ。一万歩くらい譲って私を一人のクラスメイト。或いはその…ゆ、友人として好意的に想っていたというならまだ理解できないこともない。しかし、国分さんはそうではないとはっきり断言しやがった。これが冗談ではないとすればいったいなんだというんだ……。
「…私は本気だよ。こんなこと冗談なんかで言うわけがない……。」
だとしたら本当に訳が分からない。いったい私のどんなところに魅力を感じたのか、是非とも5000文字以内でレポートを提出してくれ。今後の参考にさせてもらうから。…なんてふざけたことを考えて現実逃避をしても意味ないか。私が今考えるべきなのは自らのくだらない今後ではなく、目の前に存在しているアホで健気なクラスメイトのことだけだ。国分さんが本気だというのなら、私もまた誠意をもって真剣に対応しなければならないだろう。
「……国分さんの気持ちは本当に嬉しいよ。けど、ごめんなさい…。私はあなたの想いに応えられない。私なんかじゃ国分さんとつり合い取れないし、そもそも私はあなたのことをまだよく知らない。…だからさ。その…。まずは友達から始めるって言うのはどう……かな?」
胸が苦しい。いたたまれない。死にたくなってくる。こんなに辛い気持ちになったのは生まれて初めてだ。告白を断るという行為がこれほど精神的ダメージを被るモノだったなんて私はちっとも知らなかった。できればこんな気持ちは二度と味わいたくない。いや、そんなこと願わずともこんな機会は一生に一度。よほど奇特な人物と接点を持たない限り、再び味わうことはもうないのだろうけど……。
「……そっか。そうだよね…。八島さんみたいな素敵な人と私じゃあまりに不釣り合いだもんね……。」
違う、逆だ逆。私の方が国分さんと不釣り合いなのであってだな…。私のことを素敵だとか抜かすアホさ加減にはもう突っ込まないが、せめて人の話はちゃんと聞いておいてくれよ。我々2人のつり合いが取れないのは私がつまらない人間であるためであって、国分さんには何一つ落ち度なんてないんだ。初期設定に恵まれなかった私と比べ、国分さんは間違えなく持っている側の人間。そのことは先の練習試合で散々見せてくれただろう。国分さんはもっと自分に自信を持ち、視野を広げて周りを見てみることを強くお勧めしたい。私なんかよりあんたに相応しい人はこの世にごまんといるはずだぞ。
「……急ぎ過ぎたのも良くなかった。琴音たちに八島さんを取られたくなくて勇み足になっちゃったけど、やっぱりこういうのはきちんと段階を踏むことが大事…。八島さんの言う通り、まずは私のことを知ってもらうことから始めていかないと……。」
そうだな、確かにそれこそがもっとも大切なことだ。世の中には一見すると様々な面でつり合いが取れていないのではと疑問に感じるカップルだってたくさん存在する。しかし、それがおかしいことだと私はちっとも思わない。寧ろ、表面上だけではわからない魅力に惹かれ合う関係性こそ、本当の意味で愛し合うってことなんじゃないかね。そして、そういう関係を築くためにはやはりお互いのことを深く理解し合うことが何より重要なことなのだろう。
……まあそれはいいとして…だ。国分さん、あんた何やら気になることを口走らなかったか?
「…わかったよ、八島さん。まずは友達から始めていきましょう。けど、私は絶対にあなたのことを諦めないから。好きになってもらえるよう、必死になって頑張るから…!」
高らかにそう宣言した国分さんは、そのまま私の言葉を待たずに教室の外へ走り去ってしまう。彼女が瞳に涙を滲ませていたことに、私ははっきりと気が付いていた。
―。
「…なんだか胃がムカムカしてきた。」
私のおごりだからと調子に乗って注文しすぎたせいだろうな。こっちはバイト禁止の校則を律義に守り、親から貰ったなけなしの小遣いだけで細々とやっているんだ。少しは遠慮してもらいたいもんだね、まったく。
「希美よ。お前のこういうところ、本当に良くないと思うぞ。」
曖昧な言い方はやめてもらいたい。確かに国分さんの告白を断ってしまったのは悪いと思っているが、私には何の落ち度もなかったはずだ。私に是正するべきところがあるなら、もっと具体的に問題点と改善策を提示してほしいね。そのために、したくもない話をおまえに聞かせてやったんだから。
「…ねえ、私はどうしたらいいと思う?明日からどんな顔をして国分さんと会ったらいい?……教えてよ、瑠花。」
私は藁にも縋る想いで瑠花に助力を求める。いや、この話題で瑠花を藁に例えるのはあまり適切ではないな。今でこそ女子校の愛されキャラ的なポジションを確立しているが、中学時代のこいつは男子からそれなりにモテる奴だった。さっぱりとした性格に決して悪くない容姿。そんな、見せかけの魅力に惹かれて告白してきたアホ共を悉く玉砕してきた過去を私は忘れていない。現在私が置かれている状況の相談相手として、これ以上に適切な人物も他にはいないだろうと断言できる。
「自業自得だ、この馬鹿。嫌いなら嫌いとはっきり言ってやればよかったんだ。そうしないからこうやって面倒な禍根を残す。」
そういうがな。私は別に国分さんのことが嫌いってわけじゃないんだ。それどころか、実はかなり好意的な印象を持っている。嫌味なところが一切ない正直な性格。1年次からバスケ部のエースを張れる才能と、それに甘んじず研鑽を重ねる愚直な人柄。私に鬱陶しく絡んでくるのは少々いただけないが、そんなことで心象が悪くなるほど彼女が持つキャラクターは決して薄くない。それならばなぜ告白を断ったのかと聞かれれば、偏に彼女をそういう目で見たことがなかったというだけの話だ。まあ、他にもいくつか理由はあるけど…。
「仕方がないでしょう。私はあんたと違って自分に好意を抱いてくれた人を蔑ろにするような真似しないから。……というか、そんなセリフが聞きたいんじゃない。過ぎたこと責めるんじゃなくて、これからどうするべきかをアドバイスしてよ。」
我ながら相談している側の態度じゃないなとは思う。だがしかし、先に人を馬鹿だと貶してきたのは瑠花の方だ。やられたらやり返すのが私の心情…というわけでもないが、こいつに限ってはどうしても言われっぱなしで引き下がりたくない。とは言え、やっぱり適切な行いじゃなかったとほんの少しだけ反省はしてやるよ。別に気にしちゃいないだろうが。
「どうするもこうするもない。お前は咲綾のことを完全に切り捨てなかった。それならその責任をしっかり果たせ。友達から始めようと言ったのはお前自身なんだろう?」
いや、あれは最低限の社交辞令というか…。告白を断った罪悪感で口を滑らせたというか……。雰囲気に流された故の妄言というか……。
……なんて言い訳が通用するわけないか。瑠花の言う通り、私は自らが発した言葉の責任をしっかり果たすべきだ。友人としてしっかり国分さんと向き合っていくべきなのだ。その結果、再び彼女から告白される事態になったとしても。反対に、国分さんから嫌われてしまう結末が訪れようとも。
「……そういえば食後のデザートをまだ頼んでなかったね。ほら、どれでも好きなモノを選んで。何せ今日は私のおごりなんだから…。」
お礼の言葉は言わない。いや、言う必要はないだろう。こいつはただ無責任に私の背中を押してくれただけ。本当は自分がどうするべきなんて最初から分かっていたんだ。だが、私にはその一歩を踏み出す勇気がなかった。だってそうだろう。告白を断っておきながら、彼女ともっと仲良くなりたいと感じたなんて。彼女のことをもっと知りたいと思うようになったなんて。そんな、屑で最低な想いを抱きながら国分さんと向き合うなんて私はできない。それこそ、誰から背中を押してもらわない限りは。
「…お前に一つアドバイスをくれてやる。」
瑠花は私が渡したメニューに一瞥もくれず、対面に座る私をジトっとした目で見つめてくる。私としては正直、国分さんと向き合うよう諭してくれただけでもう十分なんだが…。
「お前はもっと自分を客観的に見ろ。自分を卑下するな。自分のことを嫌いになるな。いつまでも過去に囚われてんじゃねえぞ、希美!」
瑠花は興奮した様子で席を立ちあがり、怒涛の如く私に言葉の雨を降り注いでくる。そして、その一つ一つが的確に私の心を貫いていく。あぁ、やっぱり瑠花に相談なんぞするべきじゃなかったか。こいつの余計なアドバイスのせいで、私の気持ちはこの店に入る以前にも増してブルー色に染まってしまった。この返しは高くつくぞ。しかしまあ国分さんの件では背中を押してもらったし、今日のところはこの一言だけで勘弁してやるか。
「…アドバイスは一つだけって言ったでしょうが、この馬鹿……。」