第2話 昼休みの一幕
「ねえ、希美ちゃん。よかったらお昼ご一緒しない?」
件の放課後談義から一夜明けたこの日。これまで一度も交わしてこなかった朝の挨拶から始まり、体育の時間や10分休憩の合間などやたらに馴れ馴れしく構ってきたアホ女2号こと鈴木美玲さん。その時点でなんとなく予感はしていたが…。ちなみに補足しておくと、アホ女1号である瑠花の姿はここにはない。あいつはチャイムと共に食堂へと全力ダッシュを決め込むのが趣味らしいからな。
「せ、せっかくのお誘いだけど遠慮させてもらうよ。えっと…ほら、鈴木さんって昼休みはいつも同じグループで食事してるじゃない?その集まりを反故にしちゃったら後々角が立つかもしれないし…。」
一応言っておくが、私は別に鈴木さんに対して含むところなどこれっぽっちもない。むしろ、それなりに好感を抱いているくらいだ。前日に彼女のアホさ加減を散々思い知らされたばかりではあるが、その程度のことで嫌いになってるようでは谷口瑠花と友人関係を維持できるはずもなく。要するに、鈴木さんに対する私の評価は今でも変わらず優秀な学級委員長様のままというわけだ。
それではなぜせっかくのお誘いを断ろうとしているかといえば、なんのことはない。誰かと一緒に食事をするのが只々面倒くさいと言うだけの話だ。しかし、それをそのまま口にしてしまうほど私は空気の読めない奴じゃない。それに、鈴木さんに放った断り文句もまんざらでたらめではないしな。
私はよくわからんが、女という生き物の多くは調和を乱す存在を必要以上に敵視する傾向があるらしい。仲良しグループの輪から抜け出し、私のようなはみ出し者とよろしくやっている姿を見たら鈴木さんの友人はどんな想いに駆られるだろう。鈴木さんに対して不信感を抱くのはもちろん、場合によっては私にまでその火の粉が飛んでくる可能性だってある。そんなの私は真っ平だ。そういうわけだからさ、鈴木さんよ。どうかここはおとなしく引き下がり、私を一人にしてくれないだろうか。その方がお互いのためだし、そもそもそれが本来あるべき形なのだから。
「それなら心配しなくても大丈夫。みんな希美ちゃんとご飯を食べたいって言ってたし。」
ああ、なるほど。一緒にというのは2人きりという意味ではなく、いつものグループに私も混ざれってことだったのか。いやはや、こいつは全く気が付かなかった。そうなると確かに私が述べた心配は全くの杞憂。何の問題もなく、仲良くみんなでお昼を共にできるってわけだ。友人への配慮を忘れず、私が遠慮なく誘いを受けられるよう促す手腕は見事という他ない。さすがは誰もが認める優等生様。
そういうところ、大嫌いだよ。
―。
気持ち悪い。息苦しい。いたたまれない。ありとあらゆる負の感情が私の中を駆け巡っていく。本当に、いったいどうしてこうなったのか。
「わぁ、八島さんのお弁当かわいい!ねえ、ひょっとしてそれ、自分で作ったの?」
そんなわけあるか。私の家事スキルが壊滅的なことは家庭科の実習を通じてあんたも知っているだろう。ああ、そんなこと忘れるくらい私に興味がないってことか。
「可愛いっていえば八島さん自身も結構イケてるよね。美容とか割と気を使ってる感じ?」
生憎と化粧水すらまともに使ったことない。それと、私は断じて可愛くない。ひょっとしなくともからかっているだけなのだろうが、それでもあまりいい気はしないぞ。
「ねぇねぇ、ヤンスタのID教えてよ。あ、それからRINEも。」
悪いがSNSとはほとんど無縁でね。まあ、仮にやっていたとしてもあんたらには死んでも教えてやらないがな。
……なんて切り返しができればどれほど楽だったか。いうまでもなく私の言葉はすべて心の中で放った悪態であって、実際には適当に共感したり謝辞を述べたりくらいしかできていない。いや、本来それは正しい対応なのだろうが…。まったく、我ながら自分が情けなくて悲しくなってくる。
「それにしても意外だよね。八島さんって1年の頃から正直近寄りがたい雰囲気があったけど、話してみると案外普通というか、逆になんか不思議な魅力があるっていうか。」
そう述べたのは1年の頃からクラスが同じだった国分咲綾さん。バスケ部のエース様に魅力があるって言われても皮肉にしか聞こえないね。
「そうそう、普段は氷の女王様っていうかプリンセス?みたいな感じでさ。私に気安く話しかけるなオーラ出しまくってるのに…。あれかな、ギャップ萌えってやつ?」
よくわからんファンシーな発言をしたのは清水琴音さん。絵画のコンクールで何度も入賞を果たしている美術部のホープらしいが、芸術家タイプの人間ってのはやはり夢見がちな妄想気質が多いらしい。
「ねえ、八島さんもヤンスタやろうよ。絶対楽しいからさ。」
先ほどからしつこくSNSの勧誘を仕掛けてくるのはソフトボール部所属の藤本結月さん。こいつはあれだな。部活云々というよりネット中毒の馬鹿な女子高生って感じだな、うん。
「みんなの食つきが思った以上で正直ビックリだよ。まあ希美ちゃんって可愛いいのに嫌なあざとさとかないから、みんなが気に入るのも当然と言えば当然だろうけど…。」
矢継ぎ早に飛んでくる言葉に疲弊しっぱなしの私を、アホ女2号の鈴木さんは満足げな様子でまじまじと見つめてくる。その顔を見ていると無性に手に持ったお茶をぶっかけてやりたい衝動に駆られるが、当然そんなことをする勇気が私にあるはずもなく。それどころか可愛いなどという戯言を否定する気力すら残されていない。今の私にできるのは、地獄のような昼休みが早く終わるようひたすら神に祈ることだけだった。
「ねえ、八島さんって恋人とかはいるの?」
私の祈りも虚しく、地獄のような時間はまだまだ続いていく。本当に、揃いも揃ってなんなんだいったい。これまでほとんど絡みがなかったというのに、距離を詰めるのが些か急すぎるだろう。いや、ひょっとすると私が知らないだけで、これこそが現代を生きる女子高生の普遍的なコミュニケーションなのだろうか。
「いるわけないでしょそんなの。恋人どころか仲のいい男の子すら1人もいないよ。」
そんなこと聞かずともわかるだろうと言ってやりたくなる気持ちをぐっと堪え、私は清水さんの色ボケした疑問にはっきりと否定の言葉を返す。いや、まあそのあれだ。こんなんでも私は健全な女子高生を生業としているわけで、そりゃあ色恋話に全く興味がないと言ってしまえば嘘になるよ。けど、それと同時に自分が恋愛に無縁であることもちゃんとわかっているんだ。女子校通いだから…なんて言い訳はしない。うちのクラスにも中学時代の繋がりや学外のコミュニティーを通じて恋人を作っている奴が何人かいるしな。私がそういう浮ついた話題と縁遠いのは、単純に恋人を作ろうとする気概と誰かに好かれる魅力を持ち合わせていないというだけの話だ。
「何言ってるのさ。このご時世、恋人が異性である必要なんて別にないでしょう。例えばほら、瑠花の奴とはどうなの?」
なるほどね。どうやら藤本さんは近代のコンプラ意識をしっかり持ち合わせた真面目な高校生らしい。ほかの面々も藤本さんの言葉に同調するかの如くふんふん頷いているし、日本の情操教育もまだまだ捨てたもんじゃないと素直に感心してしまう。かくいう私も性別のしがらみに囚われる必要はないという価値観だし、そもそも恋愛をしないという選択肢だって普通にありだと思っている。恋愛とは誰かに強要されるものではなく、自由な意志によって楽しむべきものだからね。
…まあそれはそれとしてだ。一体全体どうしてこの話題に瑠花の名前が割り込んでくるんだよ。
「あ、あいつはただの腐れ縁…。中学が同じってだけで、別に仲がいいわけじゃないよ。」
私はありのままの事実をこのアホ共に解いて聞かせる。昨日の鈴木さんと言い、いったいこいつらは私と瑠花をどんな目で見ているのか。これはひょっとすると、あいつとはしばらく距離を置く必要があるかもしれないな。
「ふーん、そうなんだ……。」
おい、藤本さんよ。そもそもこの話題はあんたから振ってきたんだろう。にもかかわらずなんなんだその間の抜けたトーンは。他の連中も何やら考え込むように黙ってしまっているし、そんなにおかしなことを言ってしまったのだろうかと不安になる。くだらない妄言を吐かないのは結構だが、妙な空気を作るのだけはお願いだからやめてくれ。
「おーす、相棒!珍しいな、お前が誰かと飯を食ってるなんて。」
謎に生まれた静寂を引き裂いたのは、突如として現れたアホな女のアホな語り掛けだった。空気が読めない奴とは正しく瑠花みたいな存在を指すのだろうが、今回ばかりは感謝の言葉を述べさせてもらいたいね。いい加減この息苦しいやり取りから解放されたいと思っていたし、戻ってきてくれて本当に助かったよ。それはそうと、私がいつからお前の相棒に—。
「ちょっと、瑠花。八島さんに対して少し馴れ馴れしいんじゃない?」
「そうそう。あなたが図々しい奴だってのは知ってるけど、さすがに相棒はないよね。」
「八島さんが誰とご飯を食べようがあんたには関係ないでしょ。ウザいから自分の席に戻ってくれない?」
おいおい、これは一体どうしたことだ。3人とも瑠花とは別段仲が悪いわけでもなかっただろう。にもかかわらず、なぜそんなにも敵意丸出しな表情で瑠花を睨みつけている?瑠花の発言のどこにあんたらの逆鱗に触れる要素があった?
「み、みんな落ち着いて!ごめんね、瑠花ちゃん。ちょうど希美ちゃんから瑠花ちゃんの話を聞いててさ。なんというかみんないろいろ誤解しちゃってるのかも…。こ、この娘たちのことは後でちゃんと窘めておくからさ。悪いんだけど、今は席に戻っておいてくれないかな?」
ちょいと鈴木さん、その言い方だと私が瑠花の悪評をあんたらに吹聴していたみたいじゃありませんか?一応言っておきますけど、私は裏でコソコソ陰口を叩く下賤な輩じゃありませんことよ。まあそんな弁明をせずとも瑠花はきちんと理解してくれていると思うが…。
「お、おう。そうしたいのは山々なんだけどさ。委員長ちゃんの座っているそこがまさしく私の席なんだが……。」
なるほどね。瑠花がここに来たのは珍しく人と食事をしていた私にちょっかいを掛けるためではなく、単純に食堂から自分の席に戻ってきたというだけの話だったか。よく見ると黒板の上に掛けられた時計はすでに昼休み終了の5分前を指しており、教室外で昼食を取っていた他のクラスメイトも午後の授業に向けて準備を始めている。あまりの息苦しさでこのまま死んでしまうんじゃないかと覚悟していたが、どうやらすんでのところで私はこの地獄空間から解放されるらしい。いやぁ、本当によかったよかった。
あぁ、それと瑠花さん。私はどうやらお前のことを少し見くびりすぎていたようだ。自分の席を占領していた連中に声を掛けたら理不尽な敵意を向けられた。そんな、よくわからん状況にもほとんど動じず、いつも通りのアホ面を崩さないその圧倒的な胆力。瑠花のそういうところ、皮肉を抜きに心から尊敬するよ。少しだが、お前を相棒と認めてやってもいい気がしてきた。
「ヤバッ!もうこんな時間じゃん。ご、ごめん瑠花ちゃん。すぐ片付けるから。」
瑠花の言葉を受けた鈴木さんたち4人は、慌てた様子で空なった弁当箱を片付けに入る。今更だが自席をそのまま使っていたのは私だけで、他の面々は鈴木さん同様私の近くの席を拝借してお昼を食べていた形だ。それなのに瑠花以外の奴らが昼休み終了5分前になっても声を掛けてこなかったのはなぜだろうと少し疑問に思うが、まあ大した問題でもないだろうからあまり気にしないことにしておく。
「なあ希美。ひょっとしてお前、私の悪口とか言っていたんじゃないだろうな?」
4人のアホ女どもが自席に戻っていくのを見守りながら、瑠花が珍しく怪訝な表情を浮かべて私に言葉を投げかけてきた。他人の評価なんぞ特に気にしない奴だと思っていたが、意外と女の子らしい繊細な面も持ち合わせていたんだな。
「…そうしてやりたいところだったけどね。残念ながらあんたの悪いところなんて一つも思い浮かばなかったよ。」
いつも通り皮肉の一つでも言ってやろうと思ったが、今日のところは正直に事実だけを述べておくとする。まあ正確には瑠花と仲がいいわけじゃないと言ったが、それは悪口ではなくただの客観的真実なのでノーカンにしておいてくれ。
「…そっか。うん、そうだよな…。お前はそういう奴だ…。悪かったな、柄にもなく変なこと聞いて。」
いったい何に納得したのかは知らないが、瑠花はそのままおとなしく自席に着いて午後の授業の準備に入る。「さすが相棒!」とか「そういうところ、大好きだぜ!」とかいう反応が飛んでくるかと思ったが、こういうしおらしい態度をされると逆に変な気分になってくる。ひょっとして、今日の日替わりランチに毒キノコでも入っていたか?
―結局その後は何事もなく時間が過ぎ去っていき、瑠花と放課後談義を行うことなく私は帰宅の途に着いた。鈴木さん以下アホ女4人衆の動向は少々気掛かりだが、そのうち私への興味も失われていくだろうから深く考えないようにしておく。
まあ実際、そんなに心配するようなことでもないだろう。私という人間は知れば知るほどつまらない、ミジンコ以下のゴミみたいな存在だ。部活やら勉強やらで充実した日々を送る奴らとは違う、スクールカースト最底辺の空虚な女子高生でしかないのだ。今日のやり取りだけであの4人がそのことを察してくれれば良いのだが…。
まったく、ただでさえ私は恵まれない初期設定を背負っているんだ。もしこの世界に神様ってやつがいるのなら、身の丈に合った慎ましい日常を送りたいって願いくらい何とか叶えてほしいものだよ。
……本当に。