第1話 放課後談義
「なあ、不思議には思わないか。」
脈絡も具体性もない問いかけを飛ばしてきたアホな女。谷口瑠花は私に一瞥もくれることなく言葉を続けていく。
「小学校や中学校と違って高校に入るには試験をパスする必要があるだろ?つまり、高校には同じ学力を持った奴らが集まってきているはずなんだ。にもかかわらず、どうして定期試験ではこんなにも明確に順位の差が生まれるんだろうか…。」
私にしてみればお前の馬鹿さ加減の方がよっぽど不思議だよ……なんてことは口が裂けても言わない。こんなんでも瑠花は中学時代から付き合いのある私の数少ない友人の一人だ。親友というよりは腐れ縁と呼ぶべき存在で特に懇意にしているわけでもないのだが、だからと言って関係が拗れる発言をする理由はどこにもない。まあ、面と向かって馬鹿といってもこいつはちっとも気にしないだろうが…。
「……偏に努力の差でしょ。中学校の内容がそのまま出るのは1年の中間試験くらいで、そこから先は新たに学んだ知識で勝負していくことになる。初期ステータスが同じでも、勉強に勤しんだ者とそうでない者との間に差が生じるには当然のことだよ。」
私の回答に何か思うところでもあったのだろうか。瑠香は不敵な笑みを浮かべながら私の方へちらりと視線を送ってくる。
「そういわれりゃそうだわな。詰まる所、私もお前も大して努力してない怠け者ってわけだ。」
おいおい、私とお前を同列視するのはやめてもらいたいね。私は別に怠けているのではなく、必要性を感じないから勉強に勤しまないだけさ。推薦を狙っているなら話は別だろうが、定期試験なんてものは基本的に赤点さえ取らなきゃ問題ないんだよ。それを理解しているからこそ私は無駄な労力を払わない。ただ単に遊び惚けているだけのお前とは根本的に違うのさ。まあ、傍から見れば同じ穴の狢なんだろうけど…。
「そろそろ帰ろう。放課後の教室に意味もなく長居していると教師に目を付けられるかもしれないしさ。勉強もせずに何やってるんだってね。」
私は机の横に掛けた鞄に手をかける。現在時刻は午後4時30分。教室には私たち2人の他に人影がなく、夕日差し込む窓から運動部の掛け声が聞こえてくるのみとなっている。部活に入っているわけでも居残り授業をさせられているわけでもない。我々のような暇人は本来終礼と共にさっさと帰宅の途に着くべきなのだ。こいつとは高校入学以来…。正確には中学生の頃から時々こうして放課後談義を繰り広げているが、いい加減この無為な時間にも飽き飽きしてきたというのが正直なところだ。
「じゃあさ、これから2人でゲーセンでも行こうぜ。」
学校指定の肩掛け鞄をリュックのように背負いながら、瑠花はまたまたアホな言葉を私に向けて放ってきた。おまえ、この学校に通ってもう2年目になるというのに未だ校則の一つも覚えていないのか。うちの学校は校則ガチガチの私立。ゲーセンどころか放課後の買い食いだって御法度だ。そもそもゲーセンって…。いったいいつの時代の女子高生だよ、お前は。
「悪いけど遠慮させてもらう。これでも私は品行方正を地で行く真面目な高校生だからね。不良の真似事ならあんた一人でやって。」
ゲーセンに行くだけで不良認定とは我ながら中々に乱暴な意見だと思う。実際、わかりやすい不良でなくとも放課後に寄り道している生徒はごまんといるしな。とはいえ、その行動が校則に反しているのは紛れもない事実なのだ。ただでさえ成績の方が芳しくないってのに、行動まで不真面目になるようでは親や教師に申し訳が立たないだろう。
「ちぇ、わかったよ。じゃあ次の休みならどうだ?それなら別に構わないだろう?」
当たり前だけど我が校の校則には休日に遊ぶことを咎める文言が存在しない。せいぜい条例違反の火遊びや制服で出歩くのを咎めるくらいだろう。しかし…だ。毎日学校で顔を突き合わせているって言うのに、どうしてわざわざ休日の貴重な時間を割いてまでお前のアホ面を拝まなければならないんだ。悪いがこれでも結構忙しい身でね。休みの日は基本的に家に引きこもって惰眠を貪ると心に決めているんだよ。
「私なんかより別の人を誘えばいいでしょ。私と違って交友関係だけは無駄に広いんだしさ。」
家でゴロゴロしたいから断る、なんて正直に言えるほど私の神経は図太くなかった。いや、実際のところ他の奴らを誘えばいいだろうという気持ちも決して嘘ではない。誰に対しても分け隔てなく会話できる天性のコミュ強。裏も表も存在しない生粋の愛されキャラ。それが私の知る谷口瑠花という人間だ。家庭科の実習くらいでしかクラスメイトと言葉を交わさない私とは住む世界が違う。中学からずっと同じクラスであるという縁がなければ、こうして放課後談義に花を咲かせることもなかっただろう。にもかかわらず、どうしてこいつは毎度毎度私を遊びに誘うのか。本当に、瑠花の考えることは昔からピクセル単位で理解できないな。
「釣れないこというなよな。私は希美と遊びたいんだ。なあ、いいだろ?」
しつこい奴だな。いっそのこと正直に面倒くさいといってやるべきだろうか。いや、それはそれで暇なら別にいいじゃんとか食い下がられること必至だろう。適当に用事をでっちあげるにしても、こいつは私のスケジュールに親戚関連以外のイベントが入り込まないのを知っているため下手な虚言はすぐに看破されてしまう。
こうなったらもう腹を括るしかないかと、私が大きなため息をついたその瞬間。廊下側の方、教室の入り口から我々へと語り掛ける声が響き渡った。
「…あなたたち、こんな時間まで何やってるの?」
教師に見つかったのではと一瞬肝を冷やしたが、声の主を確認してすぐにそれが杞憂であったことを私は理解する。我々と同じ制服に身を包む1人の少女。私はその人物のことを私はよく知っている。当然だろう。彼女は私と瑠花のクラスメイト…それも学級委員長様なのだから。
「委員長ちゃんこそ何してるんだよ。まさか、居残り勉強でもさせられてたか?」
いやいや瑠花さん。さすがにそれはないだろうよ。委員長、もとい鈴木美玲さんがどんな人物かお前もよく知っているはずだ。学年トップの頭脳に運動部顔負けの身体能力。加えて顔も性格も秀麗という絵に描いたような完璧超人。そんな、我々など足元にも及ばない優等生様が居残り勉強なんて天地がひっくり返ってもあり得ない。大方委員長としての雑用か、部活の助っ人にでも駆り出されているんじゃないか。
「ただ忘れ物を取りに来ただけよ。それで、もう一度聞くけどあなたたちは2人で何をしてるの?」
教室に入り込んでくる鈴木さんの姿を目で追いながら、私は『明日も普通に学校なのにわざわざ取りに帰らねばならない忘れ物とはいったい何なのだろう?』とどうでもいい疑問を頭に浮かべる。宿題が出されている科目はなかったと記憶しているが…。
「そうだな。強いて言うなら青春してた…って感じかな?」
おいおい、あんまり変なこと言って鈴木さんを困らせるなよ。お前のアホな戯言に付き合ってくれるほど鈴木さんは暇じゃないんだ。大体、先ほどまでの会話のどこに青春要素があるって言うんだ。
「ふーん、青春ねぇ…。ねえ、前から気になってたけど2人っていったいどういう関係なの?ずいぶん仲がよさそうだけど…。」
こいつは驚いた。スクールカースト最上位の委員長様が道端の雑草が如き我々に興味を抱いていたとは。いや、正確に言うと雑草なのは私だけであって、クラスのムードメーカーを務める瑠花は比較的カースト上位に位置しているのだろうが。って、そんなことはどうでもいい。
「別に仲がいいわけじゃないよ。中学からたまたまクラスが同じなだけの、単なる腐れ縁ってだけ。」
私は何やら誤解をしている鈴木さんに対してありのままの真実を伝える。いや、誤解と言い切ってしまうのも少し違うな。確かに瑠花は私にとって友人と呼べる数少ない存在の一人だよ。『こんな奴友達でもなんでもないんだからね!』みたいなツンデレ属性を私は持ち合わせていないし、変に捻くれても恥ずかしいだけなのでそこだけははっきり明言しておく。しかし、瑠花にとっての私がそうであるとは限らない。
「おいおい寂しいこと言うなよ。私たちは一生を共にすると誓った親友同士じゃないか。」
よくもまあ心にもないことを白々しくいえるね。それに鈴木さんも鈴木さんだ。クラスで浮いる孤立無援のぼっちに、そんな相手とまともに会話できる数少ない陽キャ。そういう我々の関係を見て『仲がいい』と形容したのだろうが、瑠花が誰彼構わずちょっかいを掛けるようなお調子者であることを鈴木さんだってよく理解しているだろう。瑠花は別に私と特別親しいわけではなく、ただ誰とでも仲が良いように振る舞えるだけに過ぎないのだ。こいつにとっての私は単なるクラスメイトAであり、数多いる話し相手の一人でしかない。でなければ、体育の時間にペアを組めず孤立するなんて悲劇が私の身に振り掛かるはずないだろうが。
「ふーん…。なるほど、なるほどねぇ…。」
親友とかいう戯言の余波か。先ほどからベタベタとくっついてこようとする瑠花を振りほどきながら、私は何やら納得した表情を浮かべる鈴木さんじっと見つめる。何か良くない予感がする…というのはきっと気のせいなんかじゃない。不本意極まりないことに、鈴木さんは根暗ぼっちではなく陽キャ女の意見を採用したようだった。
「いいね、面白いよ2人とも。特に八坂さん…。あなたがこんなにも魅力的な人だったなんてちっとも知らなかった。」
…ん?いったい何を言っているんだこの馬鹿女……じゃなくて委員長様は。アホの瑠花に当てられて頭のネジが吹っ飛んでしまったのか。或いは元からとち狂った奴だったか。馬鹿と天才は紙一重って言うくらいだし、どちらの可能性も十分ありうる。だってそうだろう?私はこの場で一言、瑠花とはただの腐れ縁だとしか述べていない。それだけで一体私の何が分かったっていうんだ。
「これまではあんまり絡んでこなかったけど、なんだかあなたとは仲良くやっていけそうな気がする。いえ、きっと仲良くなれるわ。新年度になってからまだ二カ月。お互いのことを知る時間はこれからたっぷりあるんだもの。」
ああ、そういえばもう6月だったな。代り映えしない毎日のせいですっかり季節の感覚を失っていたよ。そうだ、それなら益々休日に瑠花と遊ぶって話はなしになってくるな。なんせ6月は祝日が1日たりとも存在しないくそったれな月だ。休日の希少性が増すこの時期にアホな時間を過ごす余裕は1秒たりとも存在しない。そしてそれは、休日に限らず今この瞬間も例外ではないのだ。そういうわけだから、こんなアホ女共のことはもう放っておいてさっさと家路につくとしよう。
「あれ、帰っちゃうの?残念、もう少しお話したかったのに…。まあ時間があるって言ったのは私の方だし、今日のところはこれで満足しておくべきなのかも。それじゃあまた明日ね、希美ちゃん。」
優等生という看板に相応しいまともな人格者だと思っていたが、どうやら私は鈴木さんに対する評価を改める必要があるらしい。本当になんなんだこいつは。根暗女の私を魅力的だとかからかったり、馴れ馴れしく名前で呼んできやがったり。ひょっとしてあれか?私のことが好きなのか?一目惚れってやつなのか?
……いや、自分でいうのもなんだがそれは絶対にないな。どうやら私も瑠花の毒に当てられてしまったようだ。鈴木さんが私に惚れたなんておこがましい妄言にもほどがある。私は別に同性愛というセクシャルマイノリティを否定しないし、そもそも鈴木さんにその気があるかも全くしらないが、仮に彼女のストライクゾーンが女子だったとして私がその対象に選ばれる可能性は欠片も存在しないだろう。自分が誰かに好かれるような人間でないことを私はよく知っている。魅力的だという言葉を真に受けるほど、私は自惚れていないのだよ。
「お、おい。ちょっと待ってくれよ。」
待たん。お前はせいぜいそこの委員長様とよろしくやってろ。充実した毎日を送っているお前たちと違い、私は目下自分探しの最中でね。本来交わることなきお前ら陽キャと無為な時間を過ごしている暇はないのだよ。私の人生を彩るテーマを見つけるために…。まずは家に帰って布団に包まりながら、じっくりと今後の展望を考えていかねばな。
「そうそう、委員長ちゃんが来たせいで話が途中になっちまったけど、次の日曜はちゃんとあけておいてくれよ。ま、どうせお前に予定なんか入りっこないけど。」
にやにやと笑いながら私の後を追随してくる瑠花。そのアホ面を見ていたらなんだかもうすべてがどうでもいいと思えてきた。もういい、わかったよ。こうなったら煮るなり焼くなり好きにしてくれ。ゲーセンだろうがカラオケだろうが何処へなりとも付き合ってやるさ。但し今回だけだぞ。それと、何処でもといったが身体を動かす系の場所だけはなしな。ボルダリングに行こうとか抜かした日には弁明の余地なく絶交だぞ。ああ、それともう一つだけ忘れていた。先ほどお前が吐いた私に対する暴言のお返しを。遊びの誘いに対する了承と共に、目一杯の悪意を込めて。
「一人でマスでも掻いてろ、この馬鹿!」