父さんの幸せ02
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「父さんが立秋と同じくらいの歳の時、とても大切な恋人がいたんだ」
父さんの学生時代ということは、母さんではない。母さんの前に付き合っていた亡くなった恋人の事だろう。
「その人のことが大事で、恋人になれたことは奇跡だと思った。でも、父さんは口下手な性格だろう? 付き合い始めてからは、なかなか素直に好きだと言えなくてな」
そう言って、頬を掻いた。
父さんは俺によく似ている。いや、俺が父さんによく似ているのだ。口下手で、なかなか思っていることを素直に口にできない。
母さん曰く、言葉にするのは下手くそな人だけど大切なことは顔に出ているから大丈夫、らしい。俺にはよくわからないけれど、母さんに伝わっているのなら良いのだろう。おおらかで愛情深い母さんだからこそ、父とうまくいっているのかもしれない。
「それでも、彼女との関係は良好だった。少なくとも、父さんはそう思っていた。二人で買い物に出かけたり、誕生日には少しいい食事をしに行ったり。普通に恋人らしいことをしていた。父さんは最後まで、好きだとは言えなかったけど」
愛情を表現するのはすべて彼女に任せていたらしい。好きだと言われたら頷く。どこか行こうと言われれば、了承する。受け身に徹していたようだ。
「結局、言えないままその人は亡くなったのか」
父さんは最後の一口になったアイスクリームを口に運ぶ。そして、ゆっくりとうなずいた。
「父さんは長い間、彼女と似たような夢を見ていたんだ。何度も何度も同じ日を繰り返す夢。そして、最後には彼女が必ず死ぬんだ。何度やり直しても、結末は変わらない。どうしても彼女を助けることは出来ないんだ」
今の俺の状況と同じだ。父さんが過去に経験したものと今の状況が同じものであるならば、芹那を助けることは出来ないのだろうか。この巻き戻しには、終わりが来てしまうのだろうか。
「どうして、繰り返される夢は終わったんだ」
この巻き戻しに何か条件や制約があるのなら、知っておかなければならない。急にもう戻れませんと言われてしまったら、芹那はどうなってしまうのだ。父さんの目をしっかり見据える。
「父さん達は、諦めたんだ。明日を一緒に生きることを諦めたんだ」
父さんは、目を逸らして視線を下に向けた。口角が情けないほどに下がっている。俺はそんな父さんの胸ぐらを思いきり掴んだ。
「どうして、どうして諦めたんだ。父さんが諦めなければ、その人は……」
自分の口からこぼれた言葉が、ひどく棘を持っていたことに気が付いた。でも、一度発した言葉はもとには戻らない。
父さんにとって、その恋人は大切な人であったことは間違いない。何年も引きずっていたのだ。それに、大切な人でなければ何度も巻き戻しなんて繰り返さなかったはずだ。
自分の言葉にひどく後悔した。父さんの表情を見るのが怖い、それでもゆっくりと顔をあげた。
父さんは怒ってはいなかった。ただ、何を考えているかわからない複雑な表情で空になったアイスクリームのカップを見つめていた。
「父さんは諦めたくなかったさ。でも、彼女の命が巻き戻る前に尽きてしまったんだ。間に合わなかったんだ」
父さんの恋人は自殺だったらしい。娘に死ぬ理由なんてないはずだと彼女の家族は引き下がったそうだが、すぐに遺書が発見されたことで事件性はないと判断された。
父さんだけが彼女の自殺の理由を知っている。それはそうだ。彼女の家族にとっては初めての今日を二人は何度も経験し、そのたびに絶望してきたのだから。
「私の命は今日で終わりを迎える運命だった。運命は変わらないし、変えられない。この世の命の数は最初から定められているんだよ。先立つ不孝を許してほしい。最後まで諦めないでくれてありがとう」
父さんに宛てての手紙には感謝の気持ちと諦めが綴られていたそうだ。
「立秋。父さんは彼女を守り切ることなんて最初から出来やしなかったんだ。それなのに。彼女に痛い思いを何度も強いて、そのくせ明日に連れて行ってやれなかった」
アイスクリームのカップを俺のものと重ね、立ち上がる。
「立秋。芹那ちゃんの今日を大切にしてやれよ」
「じゃあ、また明日」
そう言って、部屋の方へと戻っていった。一人きりになったキッチンは蒸し暑く、何かが腐敗する匂いがする気がした。
芹那の命が尽きた時、この巻き戻りは実行できなくなるのだろう。命の数が合わなくなるから、明日を生きることは許されない。それならば、どうしてこの巻き戻りを神は許したのだろうか。




