君の幸せ10
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四度目の授業は、まるで壊れたオルゴールのように感じた。
昔、母が出張のお土産で買ってきてくれたオルゴールを思い出す。
当時の俺は珍しいものが嬉しくて、何度も繰り返し聞いていた。あまり高価なものではなかったのだろう。オルゴールはあまり時間も経たないうちに、同じ部分だけを繰り返しならすようになった。一定のメロディーを奏でたら、それ以上先に進むことはなく巻き戻る。同じ部分のみを規則的に繰り返していた。幼い俺は壊れたことを理解できず、何度も先に進めようとオルゴールを鳴らしていた。
今でもたまにならすことはあるが、壊れたオルゴールの音色は孤独に満ちているような気がした。俺にとっては思い出のオルゴールだけれども、他人が見たら何の価値もないガラクタなのだろう。
視界の端に映る隣の席の高橋は、うたたねをしている。おそらく、昨日は眠れなかったのだろう。高橋は割と頻繁に居眠りをしていたかもしれないが。
今頃、芹那も聞き飽きた授業を受けているのだろう。孤独感で震えてはいないか。そばに行って、同じ孤独を共有したかった。
それが出来ないことがもどかしい。
それでも、今回は彼女の側に波留が付いている。それが安心につながっていれば良いのだが。芹那は孤独感だけでなく、自分の死に対する恐怖とも戦っている。それは、高校二年生の女の子に背負わせるにはあまりにも酷な現実だった。
何度も受けた授業。もう、教師の質問はいとも簡単に躱すことが出来る。
聞いていないように思えても、意外と脳みそは覚えているものらしい。今日は、高橋も正しい解答を堂々と披露していた。
終礼の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。俺はそれと同時に教室を出ようとする。高橋も同じことを考えていたようで、俺の腕を引いて視線を合わせる。芹那のもとには波留がいるはずだが、それでも一刻も早くそばに行ってやりたかった。
芹那たちのクラスの終礼は、俺たちのクラスよりも少し早めに終えていたようだった。教室にはすでに練習着になった生徒と掃除をしている生徒しか残っていなかった。そのわずかな生徒の中に芹那と波留は含まれていない。落ち着いてもう一度教室を見渡すが、姿が見えない。
高橋に波留に急いで電話をするように命じ、自身も芹那の電話番号を探す。
ワンコール、ツーコール。
出ない、どうして出ないんだ。焦る指は小刻みに震えていた、異なるボタンを押しそうになる。震える指を懸命にこらえて、もう一度かける。長いコールを経て、ようやく通話が開始される。波留ではない誰かの声。
電話に出たのは、今までに聞いたことのないような悲痛な声をあげる波留だった。
「立秋君! 助けて。変な奴が追いかけてきて、芹那が、芹那が死んじゃう」
ふと普段は使われていない反対側の校舎に目をやっていた。視界の端に、何かから必死に逃げている芹那が映り込む。
追いかけているのは、俺の知らない人間だ。波留の言い方からしても、知らない人間なのだろう。高橋も気が付いたようだ。ここは高校だぞ、と驚きの声をあげている。
俺の脳は、焦りと怒りが混同してパニックを起こしている。それでも、足だけは芹那の方に向かって駆け出していた。
横腹がひどく痛む。俺は万年帰宅部だ。中学でも高校でも体育以外でのスポーツ経験はない。運動神経がとびぬけて悪いわけではないとは思う。でも、何か誇れるほど突出したものもなかったのだ。才能もないのに何かを努力するような熱量だって持ち合わせていなかった。
そんな俺が、これまでの人生で今が一番速く走っていると実感している。
芹那がいた校舎は、建て替え工事で現在は使用されていない。つまり、誰もいないのだ。芹那が他の誰かに助けてもらえる可能性はないに等しい。だから何としてでも、俺が行かなければならないのだ。
「立秋君、来ちゃダメ!」
俺を視界にとらえた芹那が、叫ぶ。その表情は恐怖でゆがんでいた。犯人の顔はフードで見えていないが、おそらく知らない。そもそも、芹那は人から恨まれるような人間じゃない。この殺人に意味も理由もないのだろう。
犯人が振りかざした包丁を止めるべく、思い切り体当たりをする。腕に刃がかすったのだろうか。鈍い痛みと鉄の匂いが襲い掛かる。
とっさに視線を芹那の方に向ける。芹那は何かを決意したように、まっすぐ俺を見つめていた。
途端、芹那が俺を思い切り突き飛ばす。予想外の出来事に対応しきれずに、数メートル先によろめいた。その先には、高橋が呼んできてくれたであろう教師たちと波留もいた。息を切らす高橋の胸の中にダイブした俺は、反射的に振り向いた。そこには刃物を振りかざす男と、諦めたように笑う芹那がいた。
視界が真っ赤に染まる。事態を把握するより先に、目を閉じた。
あぁ、巻き戻してくれ。
また明日投稿します!




