7話 『名前は願いって話』
「種族が人間ってどういうことだよ。お前は鬼族だろ?しかも神性の高い」
自分は人間だ、なんて意味の分からない事を言った神鬼に俺はそう口を叩いた。
「言葉の通りよ。頭が悪いのね」
自然な流れでディスられた。
「私は神の名を冠する鬼の一族に産まれた。けれど産まれた私には特徴であるはずの鬼の角が生えてないただの人間だったって、それだけの話よ」
それだけの話――彼女は春に吹く温かな一瞬の風のようにさらりと、そう言った。
「どうして、そうなったんだよ」
「知らないわよ。そんなもの……」
少し顔を歪ませ、神鬼は床に視線を落とした。
その一瞬の彼女の表情の移り変わりが、初めて彼女が怒ったのだと俺は感じた。
「私の名前、なんて書くか覚えてる?」
そう言われ、今朝の神鬼の自己紹介の時のことを思い起こす。
黒板に白いチョークで書かれた一糸乱れぬ見本のような綺麗な文字。
そこに書かれてた彼女の名前――
「角無……だったよな」
自分の口から出た言葉で、すぐに察する事が出来た。
「酷い親でしょう?」
角が無いから角無。
彼女の名前の由来は、そんな理由だったのか。
普通親という者は、子供の名前をつける時に、その子の将来や、両親の希望を託し名前を付ける。
親は子供を愛しているからだ。
けれど彼女の名前は違った。
神鬼角無――彼女のその名前は、願いや希望を託されてはいない。ただ一つ、まるで何か酷いレッテルのような物だった。
「あぁ……とても親とは思えねぇよ」
「そうよね……」
神鬼がおもむろに「ふっ……」と鼻を鳴らした。
「けれど両親も、きっと私を娘だとは思っていないわ」
神鬼は椅子から立ち上がると、俺に背を向け窓際で夕暮れに染まるグラウンドを見下ろした。
吹き付けた外の風が、黒く長い神鬼の髪を揺らす。
夕焼けに照らされ光るその髪は神秘的で、仙女のように感じられた。
「私は、新しく神鬼家担う第一女として、この世に生を与えることを許されたの。だから角の無い、ただの人間として生まれてしまった私は、両親にとっては生きていないのと一緒なのよ」
そう平坦に容易く言った神鬼がどんな顔をしているのか、後ろ姿では分からなかった。
「なぁ……神鬼」
おもむろに、俺は口を開いた。
この部活の名前――“怪人研究部”どうして彼女がそんな物を作ったのか。その理由がわかった気がして。
「何かしら?」
こちらを向かぬまま、神鬼が返答する。
「この“怪人研究部”を作った理由って……お前のその生い立ちと、何か関係があるのか?」
その質問に、一瞬、神鬼が震えたように感じた。
「分かってるくせに……。わざわざ自分で言わせるなんて、吸血鬼もやっぱり鬼の一族ね」
「はぁ……」とため息をついたあと、ゆっくりと神鬼がこちらへと振り向いた。
「淫鬼夜くんの考えている事で、正解よ」
静かに、神鬼はそう言った。
「やっぱり……そうか」
角無しで産まれたただの人間――神鬼角無。
彼女は自分がどうしてそうなったのか“分からない”と言っていた。
そしてその彼女が設立したこの部活――怪人研究部。
考えられる事は、一つしかなかった。
「私は自分がどうして人間として産まれたのか、その理由を知る為にこの部活を作ったの」
「そんな事――」
「そんな事をやってもお前が怪人になれるわけないだろ。かしら?」
神鬼は少し口角を上げ、そう笑った。
「エスパーかよ……」
別に神鬼の意見を否定したくて、そう言おうとした訳じゃない。
怪人の研究なんていうのは、何も神鬼がこんな部活でやろうとしなくとも、世界各地で専門家により行われている。
だから神鬼のこの行動は、言ってしまえばおままごとでしかないのだ。
こんな専門の研究施設も無いただの学校で突然変異の理由が解明出来るのなら、とうの昔に研究者が立証している。
だからだ。気高く高貴な彼女が、そんなお遊戯に勤しむ姿が痛々しく見えて、俺は酷い事を口走ってしまった。
「私のやっている事が無意味な事ぐらい、貴方より私の方がよっぽど分かっているわ」
「じゃあどうして――」
「諦め切れないからよ」
静かだが、熱のこもった声が小さな教室に響いた。
「私が諦めてしまったら、私は本当に出来損ないとして……角の無く生まれた、ただの人間でしかない自分を認めることになってしまうから……」
そう視線を落とし話す彼女の口元は、震えていた。
神鬼が俺を馬鹿だと罵っていた理由が、ようやく理解出来た。
「…………ごめん」
謝罪の言葉は、彼女の方には向いていなかった。
俺もまた茶色い木製の床を見て、思考を巡らせた。
考えた。
一体彼女は、どんな気持ちなのだろうか。
代々受け継いできた能力が発現せずただの人間として産まれ、それが理由で両親からは娘として認めてもらえず、生きる理由を与えられなかった彼女は、名前すらももらえなかった。
平凡に産まれて、平凡に生きてきた俺には、何も分からなかった。
「では次、私の番」
「え……?」
おもむろに発せられたその言葉に、思わず疑問の声が出た。
「淫鬼夜くんの質問に答えたのだから、次は私の番でしょう?」
(これ交代制だっけ?)
そんな事を思ったが、
(まぁ……いいか)
心の中で頷く。
「あぁ、じゃあ答えてくれた御礼だ。何でも答えてやるよ」
「そっ」と納得し、神鬼が口を開く。
「では質問。貴方は何故、そんな泥水に三日三晩つけ置いた雑巾のような姿を装っているのかしら?」
「言い方ァ!言い方もっと優しくしよ!傷つくよ⁉︎」
今までのかなしー雰囲気をぶち壊すその質問に思わずツッコミの言葉が激しくなる。
「はぁ……まぁいいけどさ。何かお前って奴が大分分かってきたし」
珍しく神鬼ではなく、俺の方がため息をついた。
「俺は吸血鬼の血が半分、サキュバスの血が半分入っててな。サキュバスの方の特性である誘惑のせいで、人の心を歪めちまうんだ」
「チャーム能力ね。それは私も知っているわ。けれどそれが、陰キャくんを陰キャたらしめる理由になるのかしら?」
「陰キャじゃねぇ!淫鬼夜だ!」
「ふふっ……面白いわね」と神鬼が笑う。
完全に遊ばれてるな……。
「まぁ別に……深い理由があるわけじゃねぇんだが……」
理由を言おうとしたところで、急に自分が言おうとしてる事を思い出し、恥ずかしくなってきた。
「まぁなんだ……そのぉ……」
いつもの喉が乾く感覚と心臓の早くなるのが、一気に押し寄せてくる。
「何よ、急に歯切れが悪いじゃない。早く言いなさい」
「えっと……まぁ……あれだ……」
意を決して、一気に言う。
「チャーム無しで、人に好きになってもらいたいんだよ」
人差し指で頬をかきながら、俺はそう口にした。
恥ずかしい。
超恥ずかしい。
死ぬほど恥ずかしい。
人に好きになってもらいたいとか、俺は小学生かよ。
未だにそんな事で悩んでるとか、自分で自分が恥ずかしくて堪らねえよ……。
「ふふっ……」
鈴の音を転がしたような優しい笑いが、俺の耳に響いた。
「ふふふ……くくっ……」
口に手を当てて、我慢したように笑っていた。
「な、何だよ!そんな笑うことないじゃねぇか!」
「ふふっ……えぇそうね。貴方も、ちゃんと考えているのね」
「少し――安心したわ」
初めて心の底から安堵した。夕陽に照らされ微笑む神鬼の横顔は、そんな事を物語っているようだった。
この世界の吸血鬼の子供の名付け方はイギリスの「Break a leg(頑張れ)」という敢えて縁起の悪い言葉を言うことで厄除けを願う風習からとっています。
なので淫鬼夜くんには吸血鬼の嫌いな「ひなた(陽)」
同じく吸血鬼の月鬼城ちゃんにも明るさを感じさせる「春流々(春)」という名前が付けられています。
おしゃれ吸血鬼社会。