6話 『神の鬼より地獄の鬼って話』
「淫鬼夜、何してる」
教室を出て外履きに履き替えようとしたところで、入間先生に声をかけられた。
「見て分からないのなら、きっと聞いてもわかりませんよ」
「全く……お前は天邪鬼の種族並に捻くれているな。鬼は鬼でも、お前は吸血鬼だろうが……」
開口一番、入間先生は大きめなため息を吐くと、やれやれと首を振った。
「今一度問うぞ淫鬼夜。お前は何をしてるんだ」
「普通に帰ろうとしてるんですが、何か問題でも?」
その返答に、またもや入間先生は大きめなため息をついた。
だが疑問だ。俺は今、そんな呆れられる程の返答をしたか?
普通に帰宅する事を許さない校則とかってありましたっけ?
「お前は私との約束を忘れたか?」
その言葉で、フルスロットルに働いた脳が急激に答えを導き出した。
あったわ。普通に帰宅する事を許されない約束が。
「俺が部活に入るとかなんとかって、約束でしたっけ?」
どうか間違いであってくれ、俺の状況予知能力よ外れてくれ。
そう祈りはしたものの、
「あぁそうだ。覚えているじゃないか」
奇しくも、予想は的中してしまった。
「え……あれ本気で言ってたんですか?」
「本気で言っていないのなら、違反物を期限が来る前に返したりはしないだろうが」
「た……たしかに」
「お前がどうしても帰りたいと言うのなら許可してやろう。だがその代わり、約束は無効ということで返却したゲーム機は返してもらうぞ」
「そ、それは嫌です!これはもう俺の所有物なんです!誰にも渡したりしませんよ!」
入間先生から守るように、鞄を背後へとやる。
「返却したくないというのなら、やるべき事は分かるな淫鬼夜?」
「わ、分かりましたよ……入部すればいいんでしょ。入部すれば」
「あぁそうだ。とても単純な事さ」
「ではついて来い」
そう言って入間先生は俺に背中を向けて歩き始めた。
この隙を利用してガンダッシュで帰ろうか、そんな思考が脳裏をよぎるが、激昂した先生にゲーム機を真っ二つにされるイメージしか湧かないのでやめた。
自分の命より、ゲーム機の命の方が重いからな。
「はぁ……さようなら、俺の帰宅部ライフ。こんにちは、俺の部畜ライフ」
涼しい夏の風が吹き入る校舎の扉に、俺はそう呟いた後、仕方なく入間先生の後に続いた。
階段で3階まで登り、長い長い廊下を歩き、その一番奥の『えっ、こんな所ありましたっけ』というぐらい前を通った事の無い教室の前で入間先生が止まった。
「怪人……研究会?」
教室の扉の前に貼られた1m程の大きさのポスター。
その真っ白なポスターには、真逆の真っ黒な筆文字で、
『怪人研究会――あなたのお悩み。必ず解決致します
報酬は感謝の心です』
と書かれていた。
しかもかなり達筆。
俺は字が汚いからあるレベル以上の文字は何でも上手いと感じるが、これは相当なレベルなんだなと俺にも分かった。
「淫鬼夜、ここが今日から放課後のお前の憩いの場となる場所であり、お前が入部する怪人研究会の部活だ。しっかり励めよ」
「はぁ……怪人研究会、どういった部活なんですか?」
「見てわからぬのなら、聞いてもわからぬさ」
してやったり、と言ったように入間先生がククッと笑う。
他人にやられると結構ムカつくな、この言い回し。
「まぁ部員同士の仲を深める為にも、そういうのは中にいる部長に聞けばいいさ」
快活にそう言うと、入間先生はノックもせず勢いよくその教室の扉を開け放った。
「よぉ神鬼!約束してた部員連れてきたぞ!」
神鬼――その名を聞いただけで、心臓が強く脈打ったのを感じた。
「お、お邪魔します……」
教室に入ると、意中の人である彼女がいた。
広い教室のちょうど真ん中で椅子に座り、足を組んで優雅に本を読んでいた。
「…………」
神鬼が読んでいた本を静かに閉じると、切れ長の目でこちらを見た。
「入間先生。私は『活力のある、清楚で、人当たりの良い、女子生徒を希望したはずですが?見る限り、彼はそのどれにも当てはまっていないように思うのですが」
「いやぁ悪いな。うちのクラスは元々部活に入ってる奴しかいなかったから、都合良く用意出来るのがコイツしかいなかったんだ」
「そんな棚に残った売れ残り品なんて、別にいらないです。部員は自分で調達致しますので、それは処分しておいて下さい」
「いや処分って……言い方ってもんがあんだろ!」
「あら、喋れたの」
「喋れるわ!俺をなんだと思ってんだ!」
「終始無言で私に気持ちの悪い視線を送る変態」
(あ……その通りです)
的確な彼女の言葉に、即納得してしまった。
「あんなに不気味な眼差しを送っていたというのに、気付かれていないと本当に思っていたの?」
「まぁ……それは……悪い。その、お前の事をどっかで見たことある気がして……つい観察してしまったんだ。うん」
ギャルゲーの選択肢を選ぶ時にしか活用することの無い脳をフル稼働させ、必死に無難な言い訳をする。
「あんなに印象的な事を日を跨いだだけで忘れるなんて、あなたの脳みそは日常言語を保存するので容量オーバーなのかしら?」
「お前、俺のこと覚えてたのか⁉︎」
馬鹿にされたことよりも、俺はそっちに意識がいき、思わず叫んだ。
「当たり前でしょう……」と神鬼がため息をつく。
「だったら何で、話しかけてくれなかったんだよ」
「その言葉、そっくり貴方にお返しするわ」
「貴方こそ、何故私の存在に気付きながら挨拶の一つさえしてくれなかったのかしら?」
(そこまで気付かれてたか……)
図星をつかれ黙る俺に、神鬼はチェックメイトと言わんばかりに追い討ちをかけてくる。
「自分には話しかける勇気が無かったというのに相手にはそれを強要する。あなたって人間として、いえ怪人として最低ではない?」
「さ、最低じゃねえし……下には下がいるし……万引き犯とか」
「その人達はもはや人と怪人という枠組みから外れてるのよ。それとも、貴方はその枠組みの頂点に立つのがお望みかしら?」
神鬼角無、観察していた段階からそれなりに規律に厳しい奴だとは思っていたが、まさかここまでとは……。
「そ、それは嫌だけどよ……」
俺は何度目だろうか、彼女に歯切れ悪く返答することしか出来なかった。
「うーむ」
そういえば居たな、というぐらい久しぶりに入間先生が口を開いた。
「なんだか話は分からんが、お前たち知り合いだったのか?」
「えぇ、一応」
「へぇ、なら良かったじゃないか!お互い知り合いなら仲が深まるのも早かろう。人間取っ掛かりがあると話は弾むからな」
「残念ながら、この人との仲はもう深まるとは思えません。彼は取っ掛かりを全て捨て、無視を決め込んだのですから」
「大丈夫大丈夫!淫鬼夜は付き合ってみれば従順で都合のいい良い奴だ。すぐに仲良くなれるさ」
仲良くというか、その評価だと王女様と下僕なのでは?
という言葉は面倒だから飲み込む。
「まぁあとは、若いお二人で楽しみたまえよ。それじゃ!私も仕事があるから!」
「あっ……先生!」
静止も虚しく、入間先生は教室から姿を消した。
「…………」
というわけで、広い教室は俺と神鬼の二人だけになった。
ギャルゲーならこういう所からフラグが立っていったりするんだが――
しばらく待っても、神鬼は俺に話しかけてくる様子も無い。
やはりゲームと現実は違うもんだな。
そんな事を思いながら、神鬼の座る椅子の隣に腰掛けようとしたところで、不意に神鬼が口を開いた。
「誰が座る事を許したのかしら?」
「はい?」
「いい?陰キャ君。この部活の主導権を握るのは部長である私なの。そして主導権というのは部活の方針を決めるだけでなく、部員である貴方の行動までも命令する事が出来るの」
本を閉じる。
「だからあなたは、私の許可が無ければ椅子一つに座ることすら許されないのよ」
「暴君かよお前!絶対君主制もいいかげんにしやがれ!」
「というかさりげなく陰キャとか呼ぶな!俺の名前は淫鬼夜だ。淫鬼夜ひなた!二度とそんな風に間違えんな!」
「そんな事で怒鳴るなんて、小さい人ね」
神鬼がため息をつく。
「あなたの前世はきっとあれね。何と言ったかしら……ゴミみたいに小さくて、まるで存在しないんじゃないかと思うぐらい体が透けていて、他者に捕食されるのが運命の海洋生物――」
「ミジンコな……」
「ふふっ、それよそれ。正解。良く出来ました」
心底楽しそうに神鬼はクスクスと笑った。
なんかコイツ、昨日より厳しく無いか?
昨日は貧血状態だった俺に血を分けてくれて凄い優しいイメージだったんだが。俺の認識が間違ってたんだろうか。
「あら、まるで『なんかコイツ、昨日より厳しく無いか?昨日は貧血状態だった俺に血を分けてくれて凄い優しいイメージだったんだが。俺の認識が間違ってたんだろうか』とでも言いたげな顔ね」
「エスパーかよ!一字一句違わず完璧見透かされたよ!」
「エスパーなんてそんな高度な異能、貴方に使う必要は無いわ。貴方という人を1日観察すればすぐに分かる事だもの」
「観察……お前、俺を今日丸一日観察してたのか?」
「当たり前よ。誰だって最初は様子を伺って、その相手がどういう人なのか観察するものよ。特にあなたのような見た目変質者には入念にね」
「そ、そうだったのか…,…」
「ただそういうのは、相手にバレないよう行うものなのよ。バレてしまえば相手に不快感を与えかねないから。大抵の人は十五になる前には出来るはずなのだけれどね。陰キャくん」
「くっ……だから陰キャって呼ぶな。淫鬼夜だ」
一々神経を逆撫でてくる神鬼だが、言っていること自体が的確な為に何かキレのある言葉を言い返すことも出来ない。
俺はまさしく、彼女の掌で踊る愚か者だった。
(こいつと二人で部活とか……マジのマジで地獄だ……。一週間ぐらいやったら、とりあえず“家の用事で”とか言って逃げ出すか)
入部してからほんの十数分。
たったそれだけの時間にも関わらず、俺はもう辞める算段を立て始めていた。
「淫鬼夜くん、そろそろこの部室の掃除をしてもらっていいかしら?」
「すごい自然な感じで言ってるが、俺は召使いじゃねぇからやんねぇぞ」
「酷いわね淫鬼夜くん。昨日は私の血をあれだけ分けてあげたというのに、貴方は掃除の一つもしてくれないなんて」
神鬼は言葉とは裏腹に全く悲しんだ様子も無く、さっきまで読んでいた本をとりあげ読み始めた。
自分はやらないという意思表示らしい。
「くっ……分かったよ。やるよ……」
血を分けてもらった手前、強くは出れない。
仕方なく掃除用具を教室の隅のロッカーから取り出し、床の掃き掃除を始めた。
構図的には継母とシンデレラだ。
「なぁ神鬼、一つ質問いいか?」
床を掃きながら、おもむろに神鬼に問いかける。
「下世話な問いかけであった場合、明日から貴方は刑務所の中で眠る事になるけれど、それでいいのかしら?」
「いや……そんな質問はしねぇよ……」
「そう、なら許可しましょう」
本に視線をやりながら、神鬼はそう答えた。
「お前が昨日、俺の誘惑が効かなかったのって、お前の種族が関係してるのか?」
「どういうことかしら?」
本から目を背け、神鬼がこちらを見た。
「いやさ、俺って昨日お前に言った通り半分サキュバスの血が流れててさ、異性であれば問答無用で誘惑して命令する事が出来る様になるんだよ」
「えぇ、たしかサキュバスにはそういう能力があったわね。けれどそれと私の種族に何の関係が?」
「俺ってあくまで半分なわけだから、誘惑の制御が上手くできないんだよ。だから今まで、俺の周りにいてチャームにかからないやつなんていなかったんだ。お前を除いてはさ。だからお前だけがかからなかったのって、やっぱり神の鬼であるお前の種族が関係してんのかなって疑問に思ってさ」
「そう……なるほどね。貴方ちゃんと考える脳を持っていたのね。驚きだわ」
「持ってるわ!そんぐらい!」
コイツ……隙あらば罵倒してくるな。
「そうね――」
神鬼はそう口にしたあと、静かに話し始めた。
「残念だけれど、神鬼の種族がチャームを効かないかどうか、それは私にも分からないわ」
「ん……?どうしてだ?自分の種族の事だろ?」
「自分の種族、ね……」
何気ない俺のその言葉に、神鬼は悲しそうに目を伏せると、真っ赤になった夕日を虚に見つめた。
「淫鬼夜くん……私は人間よ」
今までの凛々しい口調の彼女には似つかわしくない小さな声で、彼女はそう呟いた。