5話 『謎の転校生をストーカーするって話』
「神鬼角無。鬼から産まれた、人間です」
全クラスメイトの視線を一身に受けながらも、彼女――神鬼角無は物怖じなど全くした様子も無く、会釈をした。
神鬼の声は歳の割に落ち着いていて、聞いているとこちらが緊張してしまうような、そんな声だった。
「おい神鬼って……」
「そうだろ絶対。神鬼なんて苗字、あの家の人達しかいねぇし」
神鬼が自己紹介をしてすぐ、教室がざわめき始めた。
神鬼のその整った端正な顔立ちや、細くスタイルの良い容姿に関してでは無い――全て、彼女の苗字について皆は話していた。
「ねぇねぇひなた〜。すごいよあの子、苗字からして神様の息女様だよ」
隣の席に座る春流々も、他のクラスメイトと同じ話題を口にした。
「あぁ、そうみたいだな」
ぼんやりと、俺は黒板の前で凛とした花を咲かせるその少女を見つめる。
神鬼角無――昨日飢餓で狂乱状態に陥っていた俺を助けてくれた少女、初めて誘惑が効かなかった相手。
その少女はそんな名前だったのか。
そんな事を考えていられたのなんて、一瞬だった。
「神鬼――この世界を創り上げた神様か」
俺も他のクラスメイトと同じように、彼女の苗字に興味がいった。
“神鬼”という苗字を名乗れる一族は、この世に一つしか無い。
二千年前、急激に人類が怪人へと変貌し混乱状態となった時代。
その状況を神鬼家の人達は元来持っていたカリスマ力と、鬼の怪人として目覚めた事による武力。その二つの力を用いる事で大量の種族を“怪人”と定め統治し混乱を沈め、今の社会の根本を形成した。ちなみにその時の様子は『風神雷神絵巻』という名前の巻物に描かれている。小学生の歴史書の1P目に必ず載っている有名な物だ。
話は逸れたが、ゴブリン族で、あれ鬼族であれ、スライム族であれ、それぞれの種族がお互いを貶す事なく協力しあって一緒に生きる事が出来るのは、全てこの神鬼家のおかげなのだ。
だから二千年経った現代でも神鬼家は“神”と称えられ、全ての人達から崇められている。
で、その神とも称えられる神鬼家の特徴として、額には神の鬼を象徴する立派な“角”があるはずなのだが……
「無いよなぁ……角」
目を凝らすが、それらしき物は彼女の額には見つからない。
綺麗に切り揃えられた黒い前髪に隠れてしまっているのだろうか。だとすれば、相当スモールな角だ。
「神鬼は家の都合で前の学校を転校することになったらしくてな。まぁ6月という中途半端な時期ではあるが、同じクラスメイトとして皆、仲良くしてくれよ!」
入間先生が生徒に向けそう言い放った後、神鬼へと視線を映した。
「神鬼、お前の席はその窓側の空いてる席だ」
そう言って先生が指した場所は、誰も座っていない俺の目の前の席だった。
「分かりました」
そう言って神鬼はゆっくりとこちらへと歩いてくる。
彼女が一歩、また一歩と進む度に、俺の心臓の鼓動もそれにつられるように高鳴っていった。
緊張で急激に喉が乾く。
だってもう彼女と会える事なんて無いと思っていた。
もし会えたとしても、それはずっと先の事なんじゃないかぐらいに考えていた。
その彼女が、転校生としてこうしてすぐに出会えるなんて予想が出来るわけがないじゃないか。
なんて声を掛ければいい?
『昨日は血ありがとう、美味しかった』か?
『よう!運命的な出会い、しちゃったみたいだな』とかか?
色々なパターンが生まれてくるが、どれもしっくりこない。
だがその間にも彼女はこちらへと真っ直ぐ近づいてくる。
彼女も俺の姿を見れば、すぐに昨日会った人物だと気付くだろう。
(どうする……とりあえず挨拶だけするか?いやそれだと『あなた昨日のこと覚えてないの?』みたいにアイツも思うだろうしだとすればーええとー……)
抱えた頭を上げふと前を見ると、彼女が目の前に立っていた。
夜空の色をそのまま塗りつけたような黒の長い髪、それが目の前に揺れると、白百合のような上品な香りが鼻腔をくすぐった。
だからだろう。言い訳をさせてもらえば、俺は彼女の醸し出すその雰囲気にやられてしまったんだ。
なのでその時、俺が上手く言葉を紡がなかったのは俺が緊張していたとかコミュニケーションを不得手としていたとかそんな理由じゃ断じてないんだ。
「ぁ……こ……はじめま……ぁ、んと……ぁ……」
もはや言葉と呼ぶにはあまりにも疎かな言語しか、俺の口からは出なかった。
そして彼女は俺に一瞬視線をやっただけで、そのあとはもう、俺の方を振り向いてはくれなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一度知らないふりをしてしまったがために、何となく話しかけることも気まずかったので――
神鬼角無というその少女を、俺はこの一日観察した。もうそれはストーカーばりに。
ギャルゲーをプレイする至福の時間を全て削り、授業中はもちろん、昼休み、彼女の発した言葉一文字に至るまで入念に観察した。
誤解しないように言っておくが、別に彼女を好きとかではない。
チャームの効かない存在、角の無い鬼――ただそれが気になったというだけだ。
だから変態じゃないんだぜ?
で、今は観察した事を忘れる前に内容をノートに書き写してる最中だ。
まぁとりあえず、たしかに一つ分かったものがある。
神鬼角無という人間は、相当出来る人物だということだ。
朝のホームルームが終わってすぐの小休憩。転校生という最強の属性を持った彼女は例の如く大勢のクラスメイトから『どこから来たの?』『好きなものは?』『彼氏いるの?』といった定石の転校生ズクエスチョンを一斉に受けた。
だが彼女は次から次に、もはや同時に繰り出されるその質問をまるで聖徳太子のように聞き分け、一つ一つ答えていた。その立ち居振る舞いも美しく、緊張する事なく話す彼女のその様は、たしかに神鬼に相応しい神々しい威厳を感じるものだった。
前の学校で高校課程の学習は既に修了させていたらしく、英語だろうと数学だろうと、どの教科で当てられてもスラスラと答えていた。
これが、今日感じた神鬼角無という存在の全貌だ。
何故彼女に角が無いのか、という事については明日以降に調査していこうと思う。
「ひなた〜」
一通り観察文をまとめたところで、聞き馴染みのあるゆるい声が耳に響いた。
「私バレー部の助っ人頼まれてるから一緒に帰れんわ〜」
ツインテールを揺らし、ハルが「ごめんなぁ〜」と頭を下げた。
「今日はバレー部か……たしか昨日は陸上部の助っ人だったし、人気者は大変だな」
ハルも俺と同じ吸血鬼。怪人の中でも最強の力を誇る種族のハルは、ほぼ毎日と言っていいほど何処かの運動部の助っ人選手として駆り出されている。
「人気者だなんて、みんな私の体目当てなだけだよ」
体、というその言葉に誘導されるように、薄いワイシャツにギリギリ収まっているハルの豊かな胸を見てしまい、慌てて目を逸らす。
幼馴染だから見慣れたかと思えば、その膨らみは日々成長しているようで未だに直視することが出来ず、すぐに目を逸らしてしまう。
「語弊のある言い方はやめろ……」
「え〜、だってそうじゃん。みんなが期待してるのって私の個性じゃなくて、運動能力なわけでしょ?」
「運動能力もハルの個性だ。だから求められてるのも体だけってわけじゃないだろ」
「ほうほう」
「それにバレーはチームスポーツだ。ただ身体能力が高いからって勝てる競技じゃない。お前が呼ばれたのだって、その温厚な性格とか協調性を加味されての事だ」
「たしかに」
「だから安心しろ、求められてるのは鬼城春流々という存在そのものだ」
そこまで言い切ると「え〜」とハルが気持ちテンション高めのリアクションをした。
「ひなた嬉しいこと言ってくれるねぇ、びっくりだよ〜。春流々ちゃん元気出た〜」
にひ〜とハルが笑う。
目が笑っていないので少々不気味だ。
「茶化すな……真面目に答えてやってんだから」
「茶化してないよぉ〜。ほんとに元気でたもん〜」
そのハルの言葉の真意は、彼女のその無表情な顔からは読み取る事は出来ない。
だが彼女の背中から生えた黒い蝙蝠羽が嬉しそうにパタパタとなびく様子から、喜んでいるんだろう事は何となく察することが出来た。
「そういえばひなた、それ何書いてんの?」
ハルはおもむろにそう言うと、半開きになった俺のノートを指差した。
「あ、あぁ気にすんな。ただの日記だ日記」
ノートを慌てて閉じ、体の後ろに隠す。
転校生を一日中観察した日記なんて見せられるわけがない。
明日の朝には俺の家族全員に情報が広がり、
『あら〜!ヒナちゃんが生身の人に興味を持つなんていつぶりかしら〜。今夜は赤飯ね♡』
と母のテンションが相当上がるだろうことが容易に想像出来る。
母はサキュバスで、とかく恋愛に関してはうるさく面倒だからそれだけは勘弁したい。
「ひなた、日記なんて書いてたっけぇ?」
眉間にしわを寄せ、じーーとハルが赤い瞳に疑念の色を持たせ睨んでくる。
「今日から始めたんだよ」
「何で今日?新学期始まったとかなら分かるけど、今6月だよ〜?」
そこまで言ったところで「あ……」とハルが何かに気付いたように声を発した。
「あの転校生さんと、何か関係ある感じ〜?」
めっちゃドンピシャ!
「は、は……?ち、ちげぇし。関係ねぇし!ばーかばーか!」
とりあえず心の内を悟られないよう、言い返す。
「うっわ〜露骨に焦るじゃ〜ん。超怪しい〜。あとばかって言う方がばかだよ〜」
ムッとハルが頬を可愛らしく膨らませる。
「かくしごとはやめて、早く春流々ちゃんに言って楽になっちゃいなよ〜うふふ〜」
「だーかーらー違うって、隠してねぇって!」
「往生際が悪いですな〜ひなたくん〜」
「うっせ!もう俺の事はいいから、お前は助っ人行って体売ってこい!」
「え〜最低発言〜。怪人の底辺だよ〜さっきは久しぶりにかっこ良かったのに〜」
ブーブーとハルが唇を尖らせる。
「いいから!さっさと行ってこい達者でな!」
立ち上がり、俺はハルの背中を押し、教室の外へと押し出した。
「も〜ひどいなぁ〜。仲の良い幼馴染にもかくしごとなんてぇ」
「俺ももう大人なんだ。隠し事の一つや二つぐらいお前にだってするさ」
「そんな大人ぶってぇ、キッスもした事ないくせに〜」
「は、はぁ⁉︎」
突然のその言葉に思わず驚嘆の声が漏れる。
無論、した事はない。
「したことあるけど⁉︎」
が、やはり男のプライドというものがあるので嘘をついた。
「モテモテ種族のサキュバス半分入ってたわけだし⁉︎」
「うっそだぁ、ひなた昔からチャーム使ってもそういうことさせてなかったし、してるわけないよ」
クスクスとハルが口に手を当てて笑う。
背中から生える黒い羽も相まって、その姿は小悪魔そのものだ。
「分かんねぇじゃん。お前の見てないとこでキス魔かもしれねぇじゃん!」
「はいはい〜。じゃあそういうことにしといてあげるよ。ひなたくん〜」
あまり表情に変化は無いが、なんとなく得意げな感じでハルが笑う。なんかムカつく。
「じゃあお前はどうなんだよ」
「あたしぃ〜?」
ハルがゆっくりと小首を傾げる。
「そうだよ、お前はキスしたことあんのかよ」
ハルは「え〜っとぉ〜……」としばらく唸ったあと、静かに唇の端を吊り上げて、いたずらっぽく笑った。
「秘密です」
「はぁ⁉︎お前は言わないのかよ⁉︎」
「春流々ちゃんも大人ですからぁ、隠し事の一つや二つぐらいはあるんですよ〜」
「なんだよそれ⁉︎」
この野郎め!と掴みかかるが、ハルはそれを華麗に避けた。
「ばいば〜い。じゃあ体売ってきま〜す」
「おまっ……逃げんな!」
流石純血の吸血鬼、言うが早いか一瞬のうちに廊下の端へと走っていくと、俺の視界から姿を消した。
「全く……俺が言って損しただけじゃねぇか……」
大きなため息が口から漏れる。
だがそこで、自分の手にある重みに気付いた。
「まぁ、この秘密が守れただけでも良しとするか」
『観察日記』と表紙に書かれたそれを見て安堵のため息をついた俺は、机に戻りノートを鞄にしまうと、教室を出て下駄箱へと向かった。
「さて、帰ったらギャルゲーやんないとな。かなでが俺を待っている」
そんな気楽な妄想をしながら廊下を歩く俺はまだ知らなかった。
入間先生が言っていた部活――それに入部をするのが今日の放課後から出会ったことを。