29話 『主人公がヒロインの誰よりも巨乳って話』
「よっこらせ――と」
試着室へと入った俺は、胸のサイズを測るために邪魔な上着を脱ぎ、上裸になる。
「うん、普通に女だな」
試着室の鏡を見て、俺は改めてそう認識した。
金色の髪は腰まで伸びているし、男の時に比べて何処となく顔もあどけなくなった気がする。
というか何より――視線を下に向ければ滅茶苦茶でかい二つの塊があった。
それはもう今まで同級生で見た事ないぐらいにはデカい。流石サキュバス。
よくよく考えたら地毛の金髪もサキュバス譲りだし、俺は母似なんだな。
「うーん……サキュバスの血を引いた理想のプロポーションなのに、大してエロく感じないな……」
女体を見れば多少は興奮するかと思ったが、実際の所自分の裸だし特に何も感じなかった。
胸なんて極論男の時にもある。でかいか平らか。ただそれだけの違いでしか無いというのが正直な感想だ。
まぁ元より生物の裸体には興味が無いのが理由だろう。推しキャラの台詞の文字列の方が100倍エロい。
ちなみに俺の一番好きな文字は『触』だ。全体的に複雑な模様のようになっているこの漢字は“虫”という文字が入っているのも相まって、うねうねとした触手を連想させ、陵辱的で非常に良い。
『うげ、これ汚くて触りたく無い』という文字列が現れた日には興奮のクライマックスだ。
「よろしいでしょうか?」
と、そんなどうでもいい事を考えていると、カーテンの奥から女性の店員の声が俺に呼びかけた。
「あぁ、いいですよ」
「では失礼致します」
そう言って入って来た女性店員は、俺の姿を見るなりメデューサに睨まれたように固まった。
「あ、お客様。上は着たままで……大丈夫です」
と店員は俺の裸を見てしまった事に顔を赤らめながら話した。
「あ……すみません……」
なんか申し訳なくなって俺も釣られて謝罪する。
(こういうのは先に教えてくれよ春流々……)
「すみません、じゃあお願いします」
制服のワイシャツを着て、俺は店員の方を向いた。
「では失礼致します」
「んっ……」
思ったよりキツく締め付けられ声が漏れる。
「最後にバストを測られたのはいつですか?」
サイズを測ったまま店員が俺に問いかける。
「え、いや、測った事ないです」
「なるほど」と店員は頷く。
「ではいつもは、どちらのサイズを着用されてるんですか?」
「え、いや、付けたことないですけど」
「え……」
と再び店員が固まった。
だがしょうがない。無いんだもん、ブラ付けたこと。
「お、お客様の大きさですと、着用された方が年齢を重ねても綺麗なバストを維持出来るので良いですよ」
店員は戸惑いながらも笑顔を崩さずそう言った。
「それとバストですが…… トップが93……アンダーが67でHカップですね」
「あっ。そうですか」
普通にデカくて驚く。
全体的な種族の平均値はDぐらいなら大きいサイズだと聞くし、そこから更に4段階も大きいとなれば相当な大きさだろう。サキュバスの血、恐るべし。
「では、こちらのサイズの物をお持ちしますので少々お待ちください」
と言って店員はその場から去った。
そして一般ぐらい後、
「こちらのサイズでしたら丁度良いかと思います」
と言って、俺の顔が入りそうなぐらいデカい水色のブラジャーを持ってきた。
「何かご要望があれば、またお声がけください」
そう言うと店員は立ち去り、試着室は再び俺一人になった。
「よし、取り敢えず一番面倒なイベントは終わったし、さっさとこれ付けて家帰るぞ」
取り敢えず女キャラクターがブラジャーを着ける様子を思い出しながら、まずは肩紐を通し、ブラジャーを胸に当て、ホックをつける為に腕を後ろに回す。が――
「胸と背中の距離が離れすぎてて届かねぇ……」
憎き脂肪の塊により、俺の動きは阻害された。
「くそ……!届けぇっ!」
震える指先でなんとかホックの部分をキャッチし、装着した。
「おぉ――なんかすげぇ違和感」
そのブラジャーの付け心地に俺は思わず驚いた。
いらないとか無駄だとか春流々には言ったが、ブラジャーに胸を支えられた事でだいぶ肩への負担がなくなったのが分かる。
非常に快適だ。
「まぁ記念だし送ってやるか」
鏡に映っているのは巨乳の金髪吸血鬼けんサキュバスだ。きっと母に送れば大層喜ぶだろう。
俺は片手でピースをしながらスマホのシャッターを切った。
「『娘になりました』……と」
写真を添付して母さんに送信する。
スマホをポケットに入れた直後、すぐにピロリンと受信通知が鳴った。
『ひなちゃんエッチすぎッッ(>_<)!ママ、びっくりして、一瞬でイっちゃったわ!汗汗(^_^;)
でもヒナちゃん、ママは、まだ、そんなエッチな、ブラは、良くないと思うな(´・ω・`)
だから、もうそんな、破廉恥な邪魔物は取っちゃって、上裸に、なっちゃって!←半分冗談です(笑)
ママは、ヒナちゃんの、美麗な、ビーチクを、拝めたいな!連絡、待ってまーす(^_−)−☆』
「息子が娘になったという事実に適応しすぎだろ……。というか文章が全体的に親父くさい……」
普通の親なら『どうして女に?』と疑問を持つのが通常ではないだろうか?いや間違いなくそうだろう。
だがそんな普通の過程をぶっ飛ばし、息子――もとい娘の乳首を一番に見ようとしている辺り頭のネジが6本ほど外れている。
「ねぇねぇひなたー」
そんな下らない思考をしていると、カーテンを開け春流々が顔を覗かせた。
「ちょ、見るなよ!着替え中だ!」
「いいじゃーん。女の子同士なんだし」
「女同士だからって着替え中は見ないもんだろ!死守しようぜプライバシー!」
「いやいや、女の子同士なら普通だよ。もうエブリデイ見せ合いっこの触りっこよ」
「そ、そんなもんなのか……」
否定しようにも女同士のスキンシップというのを知らないわけで、普通というのなら受け入れる事にした。
「どうどう?いい感じ?ちゃんと付けれた?」
「まぁ、付けれはしたよ。辛うじてだけど」
俺は渋々下着を隠す手をどけ、春流々に水色の下着姿を見せた。
「おぉー。可愛いじゃん。サイズいくつだった?」
「ん……?あぁ、Hカップだったって。普通にデカくて驚いたよ」
「え……」と春流々の表情が凍りつく(元よりそんなに表情があるわけでも無いが)。
「春流々より……大きいの……」
「……?なんか言ったか?」
「そんな……ひなたは大きい方が好きって言ってたから、このままだとひなた、自分と結婚しちゃう……そしたら春流々は……用済み……」
声の小さい春流々に聞き返すが、春流々はボソボソと言うだけで答えてくれない。
「おーい、春流々さん?」
俺が春流々の顔を覗き込むと、ビクッと春流々は一瞬驚いた顔をする。
「なんか考え事か?」
「もういい。やっぱりひなた自分でそれ買って」
急に低い声で春流々が答えた。
「はぁ?さっきまで買ってくれるって言ってたじゃねぇか」
「もう知らない。そんなサイズ春流々の想定外です。春流々のお財布が購入を拒否しています」
「なんだよそれ……」
「知りませーん、聞こえませーん。自分の物は自分で買ってくださーい。女の子に奢られないでくださーい」
春流々は耳を両手で塞ぎ、文字通り聞く耳を持たない。
「あ、おい!待てよ!今は俺も女の子だから平等なんだが!」
と言う静止も虚しく、春流々はカーテンを閉めるとその場から消えていった。
「何なんだよ春流々……急に態度変わりすぎだろ。血足りてないのか?」
さっきまであんなに乗り気だったのに、女心というのは女になっても分からないものだ。
「まぁいいか。元々自分の物を買うわけだし、春流々に金を出してもらうのも悪いか」
買わないという選択肢もあるが、もしまた女性限定販売されたら、ブラジャーは走りやすさを考慮すると必需品だし、買って損はないだろうというのが俺の考えだ。
「あれ?春流々いねぇじゃん」
制服に着替え、外に出る。
だが店内には春流々の姿が無い。
(この一瞬でどこ行ったんだ?)
と疑問に持ち首を傾げると、店員が俺へ話しかけた。
「お連れ様でしたら、今あちらのフィッティングルームでご試着をされています」
「なんだ、春流々もなんか買ってんのか。じゃあ先買っとくか」
俺はブラジャーを既につけている事を店員に伝え、会計した。
ブラジャーは俺が予想していたよりずっと高く、5,800円もした。(まぁ、母のカードだからいいのだが。さっきの写真の見物料とか言ってそのまま踏み倒そう)
「ふぅ――ようやく終わった。これであとは家帰って、男に戻るのを待つだけだな」
ようやくひと段落がつき、俺はほっとため息をついた。
「ん……?あれ」
ふとその時、視線の端に同じくらいの歳の少女の後ろ姿が映った。
黒髪のその少女は羨ましそうに、上の方の棚にあるブラジャーを見ていた。
小柄なその少女では腕を伸ばしても届きそうには無い。
「これですか?」
それなりに背の高い俺はひょいとその目的の物を取ると、少女へと渡した。
「あ……いえ。ごめんなさい……ただ見ていただけなの。そのサイズの物は私には大きすぎるわ」
言われて無意識にその少女の胸元を見てしまう。
俺の持つブラジャーを見ればE70と書いてある。たしかにこれじゃサイズは合わないだろう。
「でもありがとう。同じ柄の物を買わせてもらう事にするわ」
そう言って目の前のBカップのブラジャーを取ると、少女は和やかに微笑んだ。
「ヒッ……!」
その少女の微笑みに、俺は思わず悲鳴を上げてしまった。
「どうかされました?」
その少女は不思議そうに小首を傾げた。
切長のまつ毛に長い黒髪は白いこの空間だとよく映えている。
何故気づかなかったのだろうか。
何故背の高い事のマウントを取るために近づいてしまったのだろうか。
「い、いや!何でもないです!」
俺は冷や汗を大量に浮かべながら、全力で彼女を俺から遠ざけた。
俺の目の前にいるその人物は、俺が一番この姿で出会いたくなかった人物――神鬼角無だった。




