20話 『その天使は、悪魔のように微笑むって話』
『人に罰を与えるのは簡単なことです。けれど……そのゲーム機一つに、どれだけの想いが込められてるでしょうか』
2年前――生徒会長選挙の最終演説。
何よりも大事な最終演説の舞台で、天使先輩は、そう教師達を叱咤した。
「…………」
先輩のその言葉に、学園長を含め全教師が黙った。
俺の想像しうる限り、学園の模範である生徒会長というのは生徒に慕われる存在であるのはもちろんで、そして何より教師達の言う事をよく聞く良い生徒である事が重要なのだと思っていた。
『あんなにも高価な機械は、そう簡単に買うことは出来ません。ご両親の手伝いをしたり、誕生日などの記念日にお願いをして――色々な事を我慢し、きっと皆一生懸命買った物でしょう』
けれど天使先輩はそんな教師達の顔色なんて気にもせず、校則を違反してゲーム機を没収された生徒のために、教師を叱咤したのだ。
『たしかに校内に違反物を持ってくることはいけないことです。けれど……その人の想いの結晶を簡単に没収していいのでしょうか!例え教員といえ、その生徒達の努力を奪う権利など誰も持っているはずがありません!』
生徒会長とは、全生徒の模範として聡明な存在であり、そして全生徒の代表でなければいけない。
何百歳も何千歳も歳上の大人達に臆する事なく、生徒の視点に立ち熱弁をする天使先輩は正に全生徒の代表だった。
『人間も怪人も、人は等しく善人である。善行が行動の基礎であるのなら、その人達を信じましょう』
違反を行う事は悪だ――
だがその一度のミスを、天使先輩は赦すと、そう言ったのだ。
『どうか先生方、生徒達の善性を信じ、よろしくお願い致します』
最後に天使先輩はそう言って演説を終えた。
そして誰しもがその演説の熱量に圧倒され、しばらく言葉を発する事が出来なかった。
かくいう俺も、その一人だ。
選挙なんてずっと自分に関係の無い物だと思っていた。
生徒会長なんて誰がなったって変わらない。
どうせ公約として使われるのは、部費だとか催事を行う際への優遇措置などで、それら全てに不参加の俺とは関係のないことだ。
けれど天使先輩は、俺のような日陰物の事すらも考えてくれていた。こんな校則に違反したはぐれ者の事なんて擁護したって大した票にはならないはずなのに。
『お前も、天使には感謝しないとな』
今朝の入間先生の言葉を思い出す。
あぁそうだ――。
なんで俺はこんな大事な事を、入間先生に言われるまで忘れていたんだろう。
天使先輩は、自分に得があるから動く人じゃない。
誰よりも目が行き届き、その全ての人を助ける為に動く人なのだと俺はあの時感じたんだ。
だからこそ俺はあの日、天使先輩に投票をしたんじゃないか。
義務じゃない。
初めて選挙で、自分から行動して選んだんだ。
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「先輩のおかげで、1年は会えないと思っていたセレナと茜――みやこにも美空にもフレンダにもアリスにもすぐに再会する事が出来ました。感謝してもしきれませんッッ!」
「おりゃッッ!」と最後の力を振り絞り、俺は先輩が起こす突風の中、床へと降り立つ。
(真正面から伝えるんだ。先輩への感謝を。なんたって天使先輩は、俺達の命の恩人なんだからな!)
「我が儘だって言ってもらって構いません。今言っていることは、先輩の気持ちを無視した自分勝手な言動だって、理解してます」
「けど――」俺は喉の奥から声を絞り出す。
「やっぱり俺は天使先輩がこの学園の生徒会長だって思います!天使先輩が生徒会長じゃないこの学園とか、想像できないんです!」
(というのもあるし、神鬼が生徒会長とか絶対嫌だ。アリス達との再会短縮校則を、アイツは俺への嫌がらせとして撤回しかねない)
だがその部分は俺は心の中に留めた。
「淫鬼夜さん――」
必死の想いが伝わったのだろう。
無意識に動かしていた先輩の翼が小さくなり、風を起こすのを止めた。
「“人間も怪人も、人は等しく善人である”――天使先輩の言葉ですよね?」
「えぇ……確かに。生徒会選挙の時の私の言葉です」
「我儘を言う怠惰な所。人に嫉妬してしまう劣情感のある所――それを先輩が自分を赦す事の出来ない罪だって言うのなら、俺が先輩のその罪を赦します」
「――ッ‼︎」と先輩は驚いた表情をし、目を丸くした。
そう。先輩から受けた問題を解決するには、こうしないといけなかったんだ。
『私は皆が期待しているような人ではないのです。愚かな堕天使なのです――』
先輩はそう言って生徒会長を辞めようとしていた。
頼まれた通りに先輩を生徒会長を降ろしたところで、この問題が解決する事はない。
先輩に必要なのは自身を赦してくれる存在だったんだ。
「俺じゃ役不足かもしれません。けど独りで抱え込まないで、頼って下さいよ。先輩に受けた恩は俺が必ず返してみせますから!」
「…………」
俺のその言葉に、先輩は俯き、何かを思考していた。
「ははっ……」と小さく先輩は笑ったかと思うと、
「ははは!そうですか!私は赦してもらえるのですか!」
腹を抱えて嬉しそうに大声で先輩は笑った。
「わ、笑うところなんですか?感動して泣くところじゃないですここ?」
「いえいえ!これを笑わないだなんてとんでもない!」目から笑い涙を先輩は零す。
そうしてひとしきり笑った後、先輩は涙を拭い、静かに呟いた。
「… 天使族である私が、他の種族から赦してもらう……ですか……」
「私にも、救ってくれる人がいたのですね」
「えぇ、そうですよ!男淫鬼夜、彼女達を救ってくれたご恩は死んでも返す所存です!あ……いや……マジで死ぬのは勘弁ですけど」
「そこはちゃんと胸を張ってくださいよ」
そう言う先輩の声は、どこか嬉しそうだった。
「淫鬼夜さんは、本当にこんな私でも生徒会長でいて良いとおっしゃってくれるのですか?」
「もちろんです。先輩以外あり得ません。明日は絶対、俺は天使先輩に清き一票を入れさせていただきます」
「そうですか――」と言った後、先輩は少し考え込んだ。
そして、
「分かりました。淫鬼夜さんがそこまで言ってくれるのでしたら、私も明日は全身全霊でお応えせねばなりませんね」
そう言って先輩は微笑んだ。
「本当ですか⁉︎じゃあ生徒会長になって――」と早まる俺を、優しく先輩は静止させた。
「淫鬼夜さんの気持ちにお応えするだけです。今頃全力でやったとて、この状況から神鬼さんに選挙で勝利するというのはとても無理な話なので、期待はしないで下さい」
「大丈夫ですよ。先輩なら絶対に勝てるはずです!なんたって相手はただの罵倒が取り柄なだけのやつなんですから!」
「なるほど。そうですか」と先輩はクスクスと笑う。
「淫鬼夜さん。最後に一ついいですか?」
「……ん?何ですか?」
「私は今回の事で神鬼さんには多大なる恩が出来ているわけです。なので――」
「なので?」
「きっと神鬼さんが生徒会長になったら施行したであろう『ゲーム機早期返却の校則撤廃』を実行しようと思います」
「えぇッッ⁉︎マジですか⁉︎」
「だって淫鬼夜さんが私を生徒会長にしたいのは、別に“この校則を神鬼さんに撤廃されたく無いから”ではなくて、私の為を思ってですものね?」
「それは……そうですが…………」
俺は何とも言えず奥歯を噛んだ。
そりゃもちろん天使先輩の事を思ってやったのは事実だ。
見返りなんて求めてないというのは本当だ。
だがたまたま神鬼が生徒会長になったら都合が悪い事が起こるだろうと感じただけだ。
(けど……やっぱ撤廃されるってなると心にくるなぁ…………うわぁ、こんな事なら協力しなきゃよかった……て、いかんいかん。マジでそんなつもりでやったわけじゃないだろ俺!頑張れ!)
「フフッ、淫鬼夜さんは素直でとても純粋な方ですね」と先輩が楽しそうに笑った。
「冗談ですよ、淫鬼夜さん」
「え……?」
「大丈夫です。神鬼さんに恩があるのはもちろんですが、淫鬼夜さんにも多大なる恩があるのです。そんな恩人に迷惑のかかる事など致しませんよ」
「ほ、本当ですか⁉︎」
「んー、やっぱり淫鬼夜さんが徳をし過ぎてる気もするのでやめましょうか」
「えぇッッ⁉︎結局ですかッッ⁉︎」
「フフッ、冗談です」
そう言って先輩は赤子と戯れるように楽しそうに微笑んだ。
「な――」
(この人……俺の反応を見て楽しんでるな……)
「けっこう意地悪ですね、先輩」
「意地悪?」
そう言って首を傾ける天使先輩。
そしてすぐ「フフッ」と意地悪そうに微笑んだ。
「そうですよ。だって――」
「私は天使は天使でも、堕天使ですから」




