18話 『走馬灯は突然にって話』
それから選挙までの1ヶ月間、俺は毎日朝の6時に学校に来ては、必ず俺より早く到着している神鬼に文句を言われた後、放課後は天使先輩と一緒に過ごす日々が続いた。
学校中に貼り付けたぬりかべの耳を回収し、結局家に着頃には日付が変わる少し前ぐらいで、ギャルゲーをやる暇なんて全く無い。
そんな忙しい日々を過ごしていると、1ヶ月という時が流れるのはあまりにも一瞬だった――
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6月9日。選挙前日。
「神鬼ちゃん応援してるからね!ハードル直してくれた御礼に明日は絶対神鬼ちゃんに投票するから!」
「神鬼殿!先日は鋼の剣を御用意頂きありがとうございました!この御恩は投票という形で返させて頂く所存であります!」
教室の前に着くと、たくさんの生徒が神鬼を中心にして混み合っている。まるで新発売のゲームが出たぐらいの勢いだ。
神鬼を囲む集団の中には、いつぞやかのスタークロノスと腐岸田の姿もあった。
「神鬼さん!俺もこの前は助かったよ!」「私も〜ありがとね!」と生徒達は口々に神鬼へとお礼の言葉を述べている。
そして皆口々に最後には「明日は神鬼に投票する」と言って話を締めていた。
「ありがとう。別に大した事はしてないのだけれど、折角みんなから頂いた好意だし是非甘えさせてもらうわ」
そう言って神鬼は俺には絶対に見せない楽しそうな微笑みを浮かべる。
「神鬼って、なんか超人気になったよな」
俺は隣にいる春流々にそう話しかける。
「うん〜。クラスの友達もだし、学校中神鬼さんの話ばっかだよぅ。やっぱりいきなり生徒会長に立候補する人はカリスマ性が違うねぇ〜」
血液を凝固化した紅色の飴を舐めながら、いつもの気怠い声で春流々が答える。
確かに春流々の言う通り、今この学園は彗星のように突如として現れた謎の生徒会長候補――神鬼角無の話題で持ちきりだ。
右を見ても左を見ても、誰も彼もが神鬼の事を話している。
そしてその会話の内容の全てが神鬼を褒め称えるものばかりだ。
『何故か自分の趣味を把握していた』
『何故か会った事もないのに自分の悩みをすごく分かってくれていた』
『何故か困っている時にタイミング良く手助けしてくれた』
大体皆こんな会話内容だ。
ぬりかべの耳、そして天使先輩の協力により神鬼はこの1ヶ月間で全生徒の趣味嗜好、そして悩みを記憶し解決した。
悩み事を解決するのは、信頼を勝ち取る上で一番手っ取り早い手段だ。
そして解決してもらった者は誰しも少なからず『お礼をしなくては』と感じる。
そんな時、神鬼の場合“投票”という何とも分かりやすい御礼の手段がある。
人気になるのも当然だろう。
だがもちろん理由はそれだけではない。
ここまでの人気は天使先輩のおかげもあるが、集めた情報を理解し瞬時にそれを最適化し解決策を練って実行した神鬼の実行力。
そして他者を惹きつけるカリスマ性の影響も大きいだろう。
「すげぇよな。誰に聞いても『神鬼は優しい、博識、素晴らしい方』だもんな」
一年間学校にいても存在を認知されないどころか、知っていても『前髪がうざい、全体的に闇が深そうで怖い、襟足がうざい』と評される俺とは雲泥の差だ。
悲しいことに……。
「気持ちは分かるよ〜。だって神鬼ちゃん心を読んだみたいに気が利くんだもんねぇ」
春流々がそう言った直後、
「失礼」
と唐突に神鬼が集団から抜け出し、前を通り過ぎた人物へと駆け寄った。
「河辺さん、ちょっといいかしら」
神鬼はその人物の肩を叩き、話しかける。
「おいらでやんすか?」
頭に白いお皿の乗った河童の男子生徒は、小首をかしげる。
天使先輩と昨日会ったばかりの中等部の生徒だ。
中等部の1年で、河童という種族もあってか泳ぎが得意で水泳部では魚人族の部長をも凌ぐ成績を誇っているらしい。
『この学園の誇り高き、未来のエースです』
と天使先輩が褒め称えていたのを覚えている。
河辺の最近の悩みは、もっぱら思春期で肌の異常で頭の皿が乾きやすい事らしい。
「実は最近、うちの父の知り合いから面白い物をもらったの。河辺さんにとても役立つのではないかと思って」
そう言うと神鬼はスカートのポケットから虹色に光る液体の入った小瓶を取り出した。
「なんでやんすか、これ?」
「今度販売される栄養水で、ドラゴンの涙とサキュバスの唾液……あとはサラマンダーの脱殻などが入っているわ。とても肌の健康に良いの」
「はぇー!そんな特級レア素材がいっぱい入ってるでやんすか!そんなのオイラがもらっていいでやんす?」
「もちろんよ。この学園の未来のエースですもの。貴方にはいつだって健康でいて欲しいの」
まるで天使先輩のような微笑みを神鬼が浮かべると、
「は、はぇー‼︎」と河辺が赤面し、素っ頓狂な声を上げる。
神鬼は超美人だし、歳上の女性にそんな風に微笑まれたらそんな風に狼狽える気持ちも非常に分かる。
が、俺からすれば『これだけ貴重な品を渡したんだから、投票しなきゃ殺すからね?』という圧に見えてしまい、あの微笑みが非常に怖い……。
「神鬼ちゃん優しいー‼︎」
スタークロノスがそう感嘆の声を上げると、
「本当本当!」「すごい神鬼さん!」「流石次期生徒会長様!」
とつられて周りの生徒も神鬼を讃える。
神鬼……神鬼……。
もう誰も、あの人の名前は口にしていなかった。
「私が次期生徒会長に当選した際には――」
ふと、窓の風を通して外の声が聞こえた。
聞き慣れたその声に惹かれて、俺は窓から乗り出し校庭の方を見る。
「私は生徒会長になってからのこの2年間、学園と交渉して学生生活の改革を行ってまいりました――」
校庭にいたのは天使先輩だった。
何も選挙活動を行わないのはあまりにも露骨過ぎるという事で、先輩はこの1ヶ月間毎日ああして校庭で選挙演説を行なっている。
だが最初は校庭を埋め尽くす程いた聴衆も、今や数十人ほどしかいない。
「昨年の実績を見て頂きますと分かる様に、現在の学園に足りない物は――」
人のいない校庭で、先輩の声が響く。
それでも凛として話す先輩の表情は、どこか寂しそうで虚しいように俺は思えた。
(本当にこれが正しい事なのか?)
頭にそう疑問が浮かぶ。
先輩が自分で望んだ事とはいえ、居た堪れない感情が心を締め付ける。
やはりどうしても、これが正しい状況とは思えなかった。
「ハルは神鬼に投票するのか?」
俺は窓から顔を避けると、春流々の方へ向いた。
「うん〜そうするよぅ。この前血液貰っちゃったからねぇ〜。しかも超レア物ぉ、ユニコーンの血液〜」
「ユニコーン⁉︎あの1滴で数千万するっていうあれか⁉︎」
思わず声が大きくなる。
ユニコーンは数ある種族の中でも極めて数が少ない種族で、一生の間に一度でも見る事が出来れば運が良いとまで言われている種族だ。
「そうそう。しかも春流々の大好きなA型血液〜」
「マジかよぉ。すげぇ物もらったなぁハル……」
「えへへ〜うれしみ〜」と春流々は笑う。
「でもハル、俺は物を貰ったからって投票先を変えるようなのはあまり良くないと思うぞ」
「ムッ、春流々はそんな物に釣られるヴァンパイアじゃないですよ〜。ユニコーンの血液はただのおまけだしぃ」
「えっ、そうなのか?」
「うん〜」とゆっくりと春流々が長い髪を揺らし頷く。
「じゃあなんで天使先輩じゃなくて、神鬼なんて新参に投票するんだよ」
「え〜……ほらほら〜、なんか最近の天使先輩ちゃんさぁ……やる気ぃ?というか愛情っぽいの見えなくなっちゃたからさぁ……なんかあんましなんだよぉ」
「愛情って、ハルへの?」
「ううん、学校の〜」と春流々は首を横に振った。
「去年みたいに『この学校の事好き!』っていうのがぜ〜んぜん伝わらないから、春流々ちょ〜っとだけ投票に抵抗あるんだ〜」
「どおかな?春流々が強い信念を持ってるって分かったぁ?」と得意げに春流々は笑う。
「そうか……」
と俺はそう弱々しく返答するしかなかった。
今の春流々の答えが、人が天使先輩から神鬼へと流れて行っている本当の理由なのだろう。
天使先輩の心のこもっていない演説に、皆春流々と同じような事を感じ、去っていったに過ぎないのだ。
皆が白状というわけじゃない。
天使先輩が望んでやっている事なのだ。
そう頭では理解出来ても、やはりどこか納得出来ないものがあった。
「そういうひなたは?どうするの〜?」
とおもむろに春流々が問いかけてきた。
しばしの沈黙。
そのあと俺は重い口を開いた。
「……俺は、天使先輩に投票するよ」
「なして?おっぱい大きいから?」
「ちげぇよ!俺が性欲でしか動かない怪人だと思ってるのか⁉︎」
重い口を開いたものの、滅茶苦茶軽く受け取られていた……。
「まぁデカくはあるが普通ぐらいだろ、普通」
俺は隣の春流々の制服のボタンが悲鳴を上げている胸元から目を逸らしつつ、必死に答えた。
「えへへ〜冗談〜」と春流々は気にもせず笑った。
「でぇ?本当はどんな理由なの〜?」
「う〜ん……そこなんだが、なんかよく分からない」
「よくわからないないのぉ?」
俺はコクリと頷く。
「あの人を見ると、頭の中で“何か伝えないと”って思うんだが、結局何を伝えないといけないのか思い出せなくて、そのままなんだ」
天使先輩と初めて部室で会って話す機会が出来た時、その“伝えなければ”という気持ちは強く現れていた。
その後も先輩と会う度に心の奥が“何かを伝えろ”と必死に叫び、脈動を打っていた。
けれど結局、今日になってもその言葉が何なのかは分からずじまいだ。
「『好きです〜』じゃない?」
「うん、実はそうかも」
「え……?」と春流々が固まる。
あの時“伝えなければ”と感じた言葉は、何かとてもキラキラと輝いていて、幸せを感じる言葉だったように思う。
もしそれが『好きだ』という事なのなら、納得がいくものもある。
「え……え……?ひなた、天使先輩のこと好きなの?」
急にどうしたのか、ひどく狼狽した様子で春流々が話す。
「まぁそりゃあ良い人だし、普通に好きだよ」
「は、春流々よりも好きなの?」
上目遣いで、懇願するような視線が向けられる。
「そんなわけないだろ。天使先輩の事はあくまで人として好きなだけで、春流々は別格だ。俺の唯一の親友だろ」
「――――」
その言葉を聞いて、ぱぁっと花が咲くように春流々が柔らかく微笑んだ。
「そうなんだぁ。そっか〜そっか〜そうだよねぇ〜」
「なんだよ、さっきからテンション変だぞ」
「いいえ〜。別に大したことじゃないんですよ〜えへへ〜」
「……まぁいいけど」
嬉しそうな春流々を横目に、俺は再び窓の外に視線を落とす。
先輩が生徒会長を降りる事、やはりそこに納得出来ない自分がいた。
「おっ、淫鬼夜。ちょうどいい所にいたな」
聞き馴染みのある声に振り返ると、入間先生が俺の方に手を振っていた。
(この人が俺に話しかけるとか、絶対ろくなことじゃないよな……)
指摘されるような悪事を働いただろうか、と思考する。
思いつくのは授業中のゲーム、トイレで溢した大量の血液、屋上で推しへの愛を大声で語る――
割と心当たりのある事しかなかった。
だから――
「すみません!授業始まるんで失礼します‼︎」
俺は全速力で走り抜けた。
が、
「淫鬼夜、お前の教室は目の前だろうが」
(早ッ⁉︎)
速攻で距離を縮めてきた入間先生に肩をつかまれた。
(こうなったらしょうがない。先手を打って先に謝る事で先生の怒りを和らげるか)
「すみません!この前の【男子トイレ大量流血事件】については悪気は無いんです!ただトイレで一人血液を飲んでたらこぼしてしまっただけなんです!この学校に超痔が重い奴はいません‼︎」
思い当たるは二日前、『腹が痛い』と嘘をつき授業をサボった俺は男子トイレの個室でギャルゲーに勤しんでいた。
まぁここまではよかった。毎日やっているルーティンワークだ。
だがしかしその日は状況が違った。
その日の俺は妹のリリィが寝ぼけて俺に噛みつき吸血された事で、体内の血液が足りず非常に空腹感が凄かった。
だからコンビニで『血液パック【大容量】』を買ってそれをトイレで飲んでいた。
大容量なんか滅多に飲まない俺は、普通のパッケージと同じ要領で手に力を入れて搾り出そうとしたところ、想定以上の血液が飛び出て床に溢してしまった。
真っ白で洗練されていたトイレは一瞬で赤と白のコントラストが奇妙な血みどろの不気味なトイレに早変わりしていた。
そして数時間後には警察がトイレを囲い込み捜査をしていた。
(何て言われるだろ……新設の綺麗なトイレだったぽいし退学か?)
頭を下げ怯える俺に対して、入間先生が口を開く。
「何の話をしてるんだ?淫鬼夜」
「へぇ……?」
罵声を予想していた分、全く違うその言葉に腑抜けた声が漏れた。
「この前預かってたゲーム機、今日で期限だ。返してやる」
「えぇ……?」
俺の二つの眼球に映るのは、両手に収まるちょうどいいフォルムをした携帯ゲーム機。
(えぇ…………??)
劣情を掻き立たせる扇状的な赤。
そして画面の横には自分の物だと示す為、カッターで彫った『鬼』という文字があった。
(えぇ………………???)
目の前に起こっている事を、俺の脳は全く処理出来なかった。
だが遅れて、溢れ出る感情が俺の脳を最大に働かせた。
「うおぉおお!やったッ!恋しかったぞレイカッッ!」
かくして俺は、何故か半年前に没収されたゲーム機を再び手にしていた。
「お前……ゲーム機に名前まで付けてるのか……」
呆れた表情をする入間先生。
「えっ?ゲーム機って名前付けないんです?自分と同じ時を共有する友達みたいなもんだと思ってましたけど」
「世界広しといえど、そんな事をしているのはお前だけだよ淫鬼夜……」
「フッ」と面白そうに入間先生が笑う。
「ま、そんな大切な物だというなら、本当にお前は天使に感謝しないとな」
「え……?天使先輩にですか?なして?」
「『なして?』じゃない。当たり前だ。天使が何をしたのか忘れたのか?」
「……皆目見当がつきませんね」
たしかに天使先輩にはこの一ヶ月間神鬼の事で協力してもらったし、感謝はしている。
だがそれとレイカが返ってくる事には何の因果関係も無いはずだ。
「う〜ん」と唸る俺に、痺れを切らした入間先生が口を開いた。
「天使が生徒会長になる前までは没収したゲームの返却は卒業時だっただろう?」
そう入間先生は口にした。
「……⁉︎」
その瞬間、電流が走った様に今までろくに使いもしなかった脳みそが思考を開始し、過去の思い出をフラッシュバックさせた。
「……………………」
「大丈夫か淫鬼夜?ぼーっとして」
黙り込み俯く俺に、入間先生は心配そうな顔を見せる。
「俺……なんでこんな大事な事を忘れてたんだ」
拳に力が入る。
爪が食い込み掌が痛いが、そうでもして自分を罰さなければ今にも悔しさで死にたくなってしまいそうだった。
「ありがとうございます先生」
「は……?」と先生は突然の感謝の言葉に首を傾けた。
「先生のおかげで、どうにかギリギリ思い出す事が出来ました」
だがまだ間に合う。
もしかしたらまだあの人の気持ちを変えることが出来るかもしれない。
「俺――絶対に天使先輩を生徒会長に当選させます!」
依頼とは真逆のその言葉を、俺は声高らかに叫んだ。
この章ようやく終わります。




