16話 『どう足掻いたって拳では剣には勝てませんよねって話』
「水の息吹 三の陣 龍滝ノ裁‼︎」
武道場へ入ると、剣道部の生徒が相手に剣を振りかぶり叫んだ。
生徒が持つの剣に何処からともなく水流が集まると、斬撃と共に重い水流が放たれた。
「うぉッ⁉︎冷たッッ⁉︎」
放たれた飛沫が俺の顔に大量に降り注ぐ。
「……ん?客人ですかな?」
斬撃を放った生徒は俺の叫び声に気づくと、闘う手を止めこちらを振り向いた。
「ごきげんよう、腐岸田さん」
と天使先輩がその腐岸田という生徒に手を振る。
「おぉ!天使殿ではありませぬか!」
「これはこれはご足労をありがとうございます」と腐岸田は頭の甲冑を外し、天使先輩へと会釈した。
(俺の事は無視かよ……)
まぁ元々影が薄いのだし、今に始まったことでもないかと諦める。
「こんな腐乱臭のする部室で辱い」
そう言って頭を下げる腐岸田。
朽ちた左目。ただれた肌。
健康と呼ぶにはあまりにも程遠い黒ずんだ肌のその腐岸田の姿を見るに、彼はどうやらゾンビらしい。
先程の鍛え抜かれた剣技を見るに“ナイト”の血筋もあるだろうか。
ナイトとは、過過去に剣を使い多くの功績を打ち当てた者に授与される称号を持つ人間を先祖にしていた種族を指す呼称で、厳密にナイトという種族がいるわけではない。
けれどそのナイトの称号を持っていた人間の末裔は、誰も彼も卓越した剣才に恵まれており、剣道部に所属している怪人が多い。
「天使殿。今日はどうしてこちらへ?」
「実は今月は『部活動の悩みを聞こう月間』でございまして、部長である腐岸田さんに何か悩み事がないか聞きにきたのです」
「ほほぅ。それは素晴らしき事ですな」と腐り落ちた左目をゆらゆらと揺らし、腐岸田は頷く。
「であれば、実は天使殿に相談したい内容がちょうどありまして――」
と腐岸田が口を開いたのと、武道場の奥で怒鳴り声が聞こえたのはほぼ同時の事だった。
「あぁ⁉︎おめぇまたかよ⁉︎」
銀色の甲冑を脱ぎ捨て、ドラゴンナイトの男子生徒が3mはあろう巨大なゴーレムの男子生徒へ怒鳴る。
「あぁん⁉︎しょうがねぇだろ‼︎弱ぇんだよこの剣がよぉ‼︎」
負けじとゴーレムはドラゴンナイトへと怒鳴った。
甲冑いらずの岩のように硬い皮膚が威圧的に光る。
岩を削って出すゴーレムの声は、野太く何処と無く怖い。
「弱いって……この剣おめえの力に合わせて“鉄の剣”にしてやってんだぞ⁉︎激アツに硬ぇよ!」
ドラゴンナイトは炎を吐き出し、相当怒っている様子だ。
だがゴーレムの部員は全く怯える様子も無く食ってかかる。
「鉄だぁ?そんなのまだ弱いんだよぉ‼︎折れて欲しくなきゃ鋼の剣持ってこい!鋼の剣‼︎」
二人はお互い睨み合い、全く信念を曲げる様子には見えない。
そろそろ言葉だけでは無く、実力行使に出そうな勢いだ。
「腐岸田さん。もしかして相談したい事というのは――」
先輩のその言葉に「はい……」と腐岸田は力なく頷いた。
「お察しの通り、あのゴーレムの部員の事でございます」
「やはりそうでしたか」と先輩。
「実はあのゴーレムの部員は先月入部してくれた1年生なのですが、力の強さは卓越された才があるものの力の加減を知らず、すぐに練習用の剣を粉砕してしまうのです……」
「はぁ……」と緑色のため息を吐き腐岸田は疲れた様子を見せる。
「彼には通常の剣よりも高価な鉄製の剣を与えているというのに、それでもこの有様……。先輩部員への態度も決して良いとは言えないので、正直退部を言い渡さなければいけないのかとも考えております……」
「そうでしたか……そこまで……。ですがさっき彼が言っていた鋼の剣を買うという事は難しいのですか?去年の剣道部の功績を加味し、潤沢な部費があったかと思いますが」
「それが……」と腐岸田は難しそうに眉を顰める。
「ゴーレムの彼への防具を特注で作った結果、ほぼほぼ無くなってしまいまして……。剣道部を志すゴーレムはあまりいないようで、だいぶ高くついてしまいました……」
「なるほど、そういう事でございましたか」
先輩は顎に手を当て考え込む。
それに合わせ頭の輪っかがくるくると回転していた。
「てめぇ後輩の癖に調子乗りやがってよぉ‼︎一回焼き入れてやるからバリくそ表出ろやぁ‼︎」
ドラゴンナイトの怒号が武道場に響く。
「おーい二人とも、ここは神聖な練習場ですよ。喧嘩はもうおやめなさい」
やや頼りない声で腐岸田が二人へと近づいていく。
(やれやれ……ここも手詰まりか……)
結局なすすべの無い現状に、俺はそう結論づける他なかった。
部費が無いのならあのゴーレムの望む鋼の剣は買えないし、それが無いのならアイツはまともな練習が出来なくてストレスが溜まるだけだろう。
となれば周りの人に八つ当たりする現状から抜け出す事は出来ない。
追加で予算が出せないのならここもさっきの陸上部と一緒でいるだけ無駄な時間だ。
「その壊れた剣、頂いてもよろしいですか?」
突然、天使先輩がそう口にした。
透き通るその声は怒声が飛び交う空間の中でも良く響いた。
腐岸田が振り返る。
「もちろん良いですが、どうされるのです?」
「私に一つ考えがあります。それと、明日には鋼の剣も用意できるはずです」
「まことでございますか⁉︎天使殿!」と腐岸田が驚愕する。
だがゴーレムの部員は違う反応を見せた。
「はぁ女⁉︎テキトーな言葉を抜かしてるんじゃねぇゾ!」
地響きを立ててゴーレムが先輩へと迫り寄る。
だが先輩はその巨体を目の前にしても、顔色一つ変え無かった。
「ご安心ください。今月は『部活動の悩みを聞こう月間』です。貴方の悩みは必ず解決致します。それに私は確証の無い言葉は口に致しません」
予想とは違い平然と話す先輩に、ゴーレムは口詰まり一歩後ずさる。
「そうかヨ。ならしっかり準備して来イ。明日用意出来てなかったらタダじゃすまねぇからナ。俺は相手が天使族でも容赦はしねぇゾ」
「えぇ、私も天使だからと甘んじるつもりはありません」
頭の輪っかを輝かせ、先輩はにこりと微笑んだ。
バツの悪そうな顔をしながらも、ゴーレムは地響きを響かせ武道場から出て行った。
「大変申し訳ございませんでした天使殿……。目上にも関わらずあのような口の聞き方を。後でしっかりとお灸を据えておきますので」
「いえいえ。譲れないモノを持つ事は武芸に携わる者として持たねばならないものです。悪い事ではございませんよ」
「ふふっ」と先輩は笑う。
「ですが天使殿、本当に良かったのですか?彼にあのような約束をしてしまって」
「もちろん大丈夫です。私は確証の無い言葉は口に致しません」
「――そうでございました。天使殿が今まで我々生徒の期待を裏切った事などありませんし、大丈夫でございますね」
一瞬、本当に瞬きする程の一瞬――先輩の笑顔がピクリと動いた気がした。
だが何事も無かったかのようにすぐに表情は戻る。
「ところで天使殿――」
とおもむろに腐岸田が口を開いた。
「はい、如何しましたでしょうか?」
「あの、先程からずっと気になってはいたのですが――」と歯切れ悪く腐岸田は言うと、俺の方を血走った眼で見た。
「なぜこの方は、ずぶ濡れで天使殿の隣にずっといるのでしょうか?」
『あんたのせいだよ!』と喉元まで出かかった言葉を俺はグッと堪えた。
腐岸田の右手で鈍く光る銀色の剣が怖かったとか、そんな理由では決してない。
決して――




