14話 『ゴーストの書記現るって話』
一時間後――
「はぁ……ようやく終わった……」
学校中を駆けずり回ってぬりかべの耳を貼り終えた俺は、たまのような汗を掻き、息を切らし校庭にある柱に寄りかかっていた。
ハーフとはいえ吸血鬼である俺は、ただでさえ朝は弱いというのに、まさかここまで体を酷使せねばならんとは……。
「神鬼角無……いつかギャフンと言わせてやるからな……」
はぁ、と息を吐き俺は校舎の自販機に売っている『A型の血液パック』を買おうとしたところで、間の悪い電話音が響いた。
「もしもし……」と俺は疲れ切った声で電話に出る。
画面を見ずとも、相手が誰かは分かっていた。
『誰が休む事を許可したかしらね?』
電話の奥で神鬼の冷たい声が響く。
雪女に会った事は無いが、きっと神鬼よりよっぽど温かな心のこもった声色だと思う。
「一仕事終えたんだ。少しぐらい休ませてくれよ……」
『そう……』
それだけ言うと電話の向こうの神鬼は黙った。
『諦めたか?』と思ったすぐ、神鬼の声が再び聞こえてくる。
『キミさぁ、さっきから調子のってるけど実はオレ、最強の吸血鬼なんだよね?』
「は……?」
普段の神鬼とは違う口調。
どうしたんだ急に、自分が吸血鬼?
戸惑う俺に構わず、神鬼は淡々と台本を読み上げるように喋る。
『だからさ、キミ達とオレみたいな吸血鬼では格が違うわけだよ。だから今回の試合で負けたのもキミ達が悪いから』
「だからお前何言って――――」
言いかけて、今まで死んでいた俺の脳みそが急に活性化を始めた。走馬灯のように次々と過去の記憶が流れていく。
あぁそうだ、あれは一ヶ月前の土曜日――
その日は溜まっていたギャルゲーの消化を終え、最近流行りのFPS――『魔界行動』というゲームに勤しんでいた。
魔界行動はオンラインで面識の無いプレイヤー達とチームを組み、他のチームを倒しながら一位を競うバトルロワイヤルだ。
自分で言うものでもないが、俺はそのゲームがかなり上手い方だった。
だから少々融通の効かないチームメイトの行動に嫌気がさしてしまったのだ。
試合に負けた後のチームルーム内でのチャット、そこで俺は――
『オレさ、結構頭に血登りやすいっていうか……なんて言うの?怒ると記憶無くなっちゃうタイプなんだよねぇ。この前なんて気付いたら目の前に体の岩ボロボロにしたゴーレム族がいたんだよね。まぁキミ達が謝らないって言うならそれでもいいけどさ……意味、分かるよね?』
「や、やめてくれッ‼︎」
そう……さっきから神鬼の喋り続けている言葉――どうやって神鬼が手に入れたのかは不明だが、これは一字一句間違いなく、そのルームで俺がチームメイトに対して行ったチャットなのである。
『住所教えてよw他の種族の血が何色かオレ見てみたいんだよね。オレ、血好きだからさww』
言い訳をさせて欲しい。
普段の俺を見れば分かると思うが、俺は謙虚で平穏を望む穏やかなハーフ吸血鬼なんだ。人の悪口なんて(対面では)言わないし、暴力は(仕返しが怖くて)出来ない程温厚だ。
ただこの時の俺は虫の居所が悪かった。
だから冷静になった今聞かされると、自分でも物凄く恥ずかしい。
『ふふっ。淫鬼夜くん、貴方学園の外では随分と威勢がいいのね』
「た、頼む……その事だけは忘れてくれ」
『どうしようかしら。こんな面白い物、学園中に共有しないと勿体ない気がするのだけれど。いえ、それよりも淫鬼夜くんのご家族に教えてあげようかしら』
「だ、ダメだッッ!学園には俺のことを知ってる奴はいないからどうでもいいが、家族だけはやめてくれッッ!」
『……知っている事とはいえ、自分でそれを言ってしまうとは惨めね……』と電話越しで神鬼は呆れた様子。
だがこればっかりはしょうがない。この学園を歩き回っても、俺の存在を認知してるのは春流々ぐらいだ。
『では淫鬼夜くん。ご家族にバラされたく無いのなら、貴方はこれからどうするべきなのかしら?』
「もちろん!神鬼様の命に従い、速やかに天使先輩の素行調査を実行すべきだと思います!」
『分かっているのなら、さっさと行動に移しなさい』
「Yes, Your Highness‼︎」
そう言って俺は軍人ばりの綺麗な敬礼をした後、即座に校舎10階の生徒会室へと向かった。
xxx
「失礼しまーす、てかしてまーす」
生徒会室の扉をノックし、俺は中の返事も待たずに扉を開け放った。
「なんだ、天使先輩いないのか」
クラス教室が二つは入るだろうかという広い生徒会室。
そこは予想に反し無人だった。
だがそれだけでは無い。
電気の付いてない部屋。部屋にある窓には全て黒いカーテンが掛けられていて、そこから漏れる少しの光だけが光源となり、この部屋を陰鬱に照らしていた。
「ふーん、中々良い場所じゃないか」
だがそこは裏を返せば、闇に生きる吸血鬼である俺には丁度いい空間だった。
それにこの部屋には窓にカーテンが掛かっている。
神鬼が何処から俺を監視しているのかは分からないが、これならば外から景色は見れないし、アイツも手出しはできないだろう。
「ふあぁ……なんか急に眠くなってきたな……」
居心地の良さに安心したせいか。あくびが溢れる。
普段よりも数時間早く起きて、更に朝から滅茶苦茶体を動かしたんだ。少しぐらいいいか。
広い生徒会室の真ん中には会議に使うような4人掛けのテーブルと、椅子が置いてあった。
眠気まなこを擦りながら、俺はテーブルから元々引いてある椅子に座る。
ふにょん
「ん……?ふにょん?」
絶妙に柔らかい感触を尻に感じる。
綿とは違う――まるで人のような柔らかさだ。
俺は自分の座っている場所を見る。
やはり普通のパイプ椅子だ。特に変わった様子は無い。
「ねぇ……キミ……重いんだけど……」
「……⁉︎」
ふと、背後から誰かの声が聞こえた気がした。
俺は驚き、即座に後ろを振り返る。
だが背後に見えるのは暗い生徒会室の空間があるだけ。他には何も存在していない。
「なんだ、勘違いか……」そう言葉を溢した直後だった――
「いや、重いんだって……」
瞬間、俺の肩を氷のように冷たい手が掴む。
驚き、背後を振り向いた目の前にあったのは、黒髪の間から見える、俺を凝視する不気味な眼だった。
「うわああぁぁぁああああ――――‼︎」
突然の事に驚き、俺は思わずそこから飛び退くと、椅子から転げ落ちると情けなく地面に尻餅をついた。
「誰⁉︎」
マジで誰なんだよコイツ。いきなり現れて驚かせやがって!
俺は側から見れば何とも無様な格好で叫ぶ。
ブレザーの下に着たパーカーのフードを深々と被り、更に長い前髪せいで顔半分を隠してるせいで、何処となく不気味だ。
白いパーカーと真逆の漆黒の髪と瞳が更にその不気味さを際立たせていた。
「いや、アタシの方がそれ聞きたいんだけど……何で生徒会室に関係者じゃない人がいるの……」
訝しげに俺を見つめてくる彼女。
驚き沈黙する俺に呆れたように彼女は「はぁ……」とため息をつくと再び口を開いた。
「アタシは幽谷貞椰子。怪妖学園生徒会第666代目書記」
コイツも生徒会だったのか――
俺はまじまじと彼女、幽谷貞椰子の姿を観察する。
生徒会といえばどうしても天使先輩のイメージが強いから、勝手に他の生徒会の奴等も天使先輩のような華々しいイメージを思い描いていたが、大きく予想を外れた。
この幽谷という女から漂う雰囲気――これはどちらかといえば俺と似た“負”のイメージを感じる。
「ねぇ、アタシは名乗ったんだしさ。早くキミも名乗ってよ。キミは何者?不法侵入者?それとも何か用があって来た生徒?」
「まぁ、その両方だな」言って俺は立ち上がると咳払いをし、いつもの調子へと喉を整える。
「俺は淫鬼夜ひなた。お前のように大層な肩書きは無い、しがない無名のモブ生徒さ」
ドンと胸を叩き誇る俺に対し「ふーん、なるほどね」と貞椰子は至極あっさりの反応をした。
聞いてきたのに、そんな薄い反応かよ……。
俺に興味が無いのは分かるが、ここまで露骨だと流石に心にくるものがある。
「というか」と変な空気感を脱する為に無理矢理口を開き、話題を振る。
「何であんた隠れてたんだ?心臓に悪いからやめてくれよ」
「おっ、もしかして怖かった?」
急に幽谷の顔が少しだけ明るくなる。
怖かったといえばもちろんそうだ。
夜に生きる吸血鬼といえど、ビックリ系には怖い。
「別に……怖いとか、そう言うわけではないが」
だがそんな事を馬鹿正直に言えるほど、俺は素直ではない。
目線を逸らし、そう嘘をついた。
「なんだ……故意ではなかったにしろ、残念」
「残念って、どういうことだよ」
そう聞いた俺の疑問は、次の幽谷の言葉で解決した。
「私、ゴーストなんだよ」
不気味な雰囲気を放つ目で、幽谷は俺を見つめる。
「生まれ持っての体質でね、無意識に他の人を驚かせて怖がらせるちゃうんだよね」と貞椰子は「フフッ」と冗談っぽく微笑んだ。
「ゴースト……通りで」
ゴースト――その種族の名前を聞くと、夜族学校に通っていた小学生時代を思い出す。
当時俺の相談相手としてよく話していた『花子さん』というゴーストとの思い出だ。
彼女はずっとトイレに居て、俺に女子のパンツの柄とか、誰が誰の事を好きとかそういう噂話。そして、ゴーストの特性なんかを教えてくれた。
花子さんによれば、ゴーストは怪人の中でも特に謎の深い種族らしい。
能力は主に透明化だったり、物を動かしたりする念動力といった怪人であれば特に珍しくも無いものだが、出生が特殊だ。
ゴーストは生まれながらゴーストでは無い。怪人として生まれるのは、人間の死後なのだ。
生前の強い後悔や怨み――それが強力なまま命を終えると、体から魂が抜け出しゴーストという怪人として生まれると教えてくれた。
そしてゴーストは大抵生前に怨念のある場所に縛られ、生まれることが多いらしい。
花子さんは生前に授業中にトイレに行った事を男子にからかわれた事が死んでも忘れられず、ゴーストとして再び生まれたらしい。
そしてトイレという空間に縛られ、生前の怨みを晴らすかのように俺を含めトイレに来る男子を驚かせていた。
だから花子さんは裏で『トイレの花子さん』と呼ばれ男子達から恐れられていると共に、女子のパンツ事情を教えてくれるという事で崇拝されてもいた。
元気かなぁ……花子さん。成仏してないといいけど。
そんな事をぼーっと考えていると「じゃあ次、アタシが質問」と幽谷が口を開いた。
「何で生徒会室に、一般の生徒であるキミが入ってきてるわけ?ここは生徒会に属する怪人または人間以外立ち入り禁止って、キミも知らないわけじゃないでしょ?」
「そんな事はもちろん知っている。けど俺は神鬼に頼まれて天使先輩をだな――」
そこまで言って、俺は口籠もった。
『天使先輩を生徒会長から下ろす為に、身辺調査をしに来ました!』なんてそんなド直球な事を言って、書記である幽谷が天使先輩の場所を教えてくれる訳がない。
「会長をどうするの?」
前髪で隠れていない右目が、キッと俺を睨んだ。
早く何か理由を考えなかねば。
「えっと……どうするってぇ……そうだなぁ……」
「歯切れ悪いね。男の子ならちゃんとハッキリ言いなよ」
怒った口調の幽谷。
その黒い瞳に映る疑念の色は、さっきよりも増しているように見える。
何でもいいから言い訳を考えないと……。
「えっとだなぁ、頼まれてるんだよ」
「何を?」とキツイ口調の幽谷の圧に耐え、俺は気合いで言葉を紡ぐ。
「その……なんて言うの?あれだよ、すごい系でなんか強い感じのサムシング。うん。そう言う感じの……」
いや、なんだよ『すごい系でなんか強い感じのサムシング』って!隠すためとはいえ、いくらなんでもアバウト過ぎるだろ!
思わず自分の発言にツッコミを入れる。神鬼の言う通り俺の頭の回転はスケルトン以下らしい。
「あぁもしかしてキミ、今度生徒会長に立候補するっていう子?」
「え……?」と思わず俺は声を漏らす。
驚くことに、案外伝わった。
「せ、正解だ。まぁ正確には立候補したのは俺の友達――いや、ご主人様だが……」
俺が友達をご主人様と言い換えた事に特に疑問を持つ様子も無く、幽谷は「なるほどね」と言って頷いた。
「生徒会長に立候補したものの、一ヶ月という短期限ではとても勝利の目処が立たず、なれば現生徒会長のあの子に会い、生徒の情報を収集し生徒の好感度を上げ、見事あの子を会長の座を引き摺り下ろそうと……そう言うわけだね?」
めっちゃ正確に伝わっている⁉︎しかも俺と神鬼が天使先輩を会長から下そうとしてる事も知っている⁉︎
ゴーストってエスパーとかあったっけ?たしかポルターガイストとかそういう類はあった気がするけど。心は読めなかった気がするが……。
「正解です……」
そう俺が認めると、幽谷は悲しそうに瞳を伏せ、パイプ椅子へと力無く座った。
「ねぇキミ、正解の景品として一つだけ聞かせてほしい事があるんだけど」
「答えられる事なら」と俺が言うと、幽谷は少し呼吸を整えて気持ちを落ち着けた後口を開いた。
「キミの友達が生徒会長になるのは、天使に頼まれたから?」
「え……」と思わず固まる。
これまたなんと直球な質問だ。
「えぇっと……そういうわけではなく……」
「いいよ。キミのその反応見て察したから」
(マジかよ‼︎)
と思わず心の中で自分の演技の下手さに驚愕する。
「知ってたんですか?」
「まぁね……」と特に驚いた様子もなく幽谷。
「天使が生徒会長を辞めたいっていうのは、前から知ってたから……」
幽谷はパーカーの中の黒髪を撫でると、俺から視線を逸らすように窓の方を向いた。
「あの子は他人に優しすぎるんだ。そのくせ自分には凄く厳しい。だからちょっとのミスも許せないし、その事を自分の罪として重く受け取ってしまう……」
悲壮めいた声色でそう言った後「ねぇ」と幽谷が俺の方を向いた。
「キミとあの子が知り合ったのっていつ?」
「うーん……一応入学した時から有名だったから知ってはいるけど、初めて話したのはその相談を受けた昨日だな」
「そっか……そんな昨日今日会った人に頼むほどに、あの子思い詰めてたんだ……」
しばしの沈黙。
気まずい空気が数秒流れる。
「会長は、第二校舎の裏だよ」
おもむろに幽谷は俺に天使先輩の場所を告げた。
「教えていいのか?俺は天使先輩を下ろす、いわばお前の邪魔をしているような奴なんだぞ?」
「いいよ。あの子が自分で決めた事だもの。それを私が止める権利は無い。私の仕事は、あの子の言葉をまとめるだけ」
悲しみのこもった幽谷の声に、俺は何か励ましの言葉を言おうと思考を巡らす。
だがいくら考えても、気の利いた言葉なんてただの一つすら出てこない。
本当に俺は、スケルトンより空っぽの脳みそだ。
「早く行かないと、あの子またどっか行っちゃうよ」
「あ、あぁ……」
俺は出口まで歩くと、扉を開け外に出る。
その扉が閉まる瞬間、隙間風が音を運び俺の耳へ届けた。
「アタシが、ゴーストじゃなければなぁ……」
自虐めいた幽谷のその声は、全てを諦めてしまったようで、死んだように冷たく感じた。
【怪人レポート-1】
ゴーストの出生について。
ゴーストは通常の人間が死んだ後に怪人として目覚め、魂だけ蘇えり生まれる。
魂が形成する姿は、生前に執念の深かった年齢の姿の場合が多い。死後100年後に怪人として目覚めるものもいれば、10秒後に目覚めるものもいる。
またゴーストは、怪人が生まれるよりもはるか昔に人間が記した『怪異書物』に存在する言葉を引用するなら“地縛霊”が主であり、呪縛を受けた場所から動く事は不可能とされている。
淫鬼夜ひなたの報告によれば、トイレに縛られた悲壮的なゴーストもいるらしい。
もし私がゴーストとして蘇るのなら、きっと呪縛を受ける場所は…………いや、やめておこう。
今回のレポートはここまでとする。
怪人研究部部長 神鬼角無




