13話 『信念ボッキボキって話』
「あっ、ひなた帰ってきた〜」
部屋を開けると、そこには幼馴染の月城春流々がいた。
本棚にあった漫画本が床に散らかり、俺の部屋を我が物顔で寝っ転がりながら干し肉チップスを貪っている。
「俺の干し肉チップス!何で勝手に食ってんだよハル!」
「え〜置いてあったから〜」
「置いてあったって、“俺の”部屋にだろ⁉︎」
「何言ってるのさ。ひなたの物は私の物。私の物も私の物じゃない」
「何そのジャイアニズム的なの!いや俺の物は俺の物だからね!幼馴染でもダメな物はダメですから!」
「え〜……ひなたケチンボ〜」
ぶーぶーと背中の羽をバサバサ動かし駄々をこねる春流々。
漫画を読み漁り、食まで楽しんでいるというのに、なんたる横暴幼馴染だ。
「てかハル……もうあんまウチ来んなよな……」
部屋の奥を見れば窓が開き、風でひらひらとカーテンが揺れている。
俺と春流々の家は隣同士だ。
何なら部屋も隣同士で、よく窓からお互いの部屋に飛び移って遊んでいた。
数年前に、俺から春流々の部屋に行く事は無くなったけれど……。
「ひなた……私がいるの、嫌?」
春流々が悲しげに目を伏せる。
普通の奴だったら気付かないだろうぐらいの微妙な表情の変化だ。だが幼馴染の俺はその変化を見逃さない。
「そんなわけないだろ。お前がいなきゃ、俺は家族以外で話し相手がいないからな……」
「じゃあ――」
口を開いた春流々の言葉を俺は遮る。
「ただお前と俺が一緒にいるのは、春香さんと春臣さんがあんまよく思わないだろ…… あとあのクソうざ執事も」
「パパとママの事は関係ないじゃん……私の気持ちの問題だし」
春流々は唇を尖らせ、拗ねたようにそう言った。
だが春流々だって自分の言っている事がただの詭弁で、間違っている事は分かっているはずだ。
俺は春流々の事が嫌いなわけじゃない。
けれど俺と春流々は、決して一緒にいてはいけない存在なんだ――
『疫病神。吸血鬼の恥。穢れた一族』
小さい頃、大人達から向けられた蔑みの言葉――心が落ち着かなくなるとドス黒い刃となり、俺の心を何度も突き刺し、打ち砕く。
『吸血鬼一族は高貴で気高く、怪人の中で最も優れた最強の一族。この一族に生を享ける事は史上の喜びであり、誇り高き事である』――これは吸血鬼一族の持つ共通の認識であり、楔のようなものだ。
だから吸血鬼一族はその楔に従い“純潔”にこだわる。
怪人が生まれてからの1000年間、他種族とは決して交わらず、同じ吸血鬼同士のみでコミュニティを作り続けてきた。
けれどその1000年に渡る楔を断ち切ったのが、俺の父だった。
父は一族の反対を押し切り、他種族と結婚し、子を儲けた。
しかもその結婚相手の種族は、あろうことか淫乱と苛まれ疎まれる種族――サキュバスだ。
そんな事を吸血鬼一族が許すはずはなかった。
父は一族中から罵倒され、謂れのない嫌がらせを受けた。そしてその悪の矢は、子供である俺にも及んだ。
サキュバスの血を受け継いだ俺の金色の髪を見て、大人達は狂ったように激昂し、罵声を浴びせた。
『穢らわしい化物の子』
誰もがそう口々に俺をそう罵った――
「…………」
突然、背後に柔らかい感触と共に人の重さが加わった。
温かい――昔からそうだった。春流々は俺が元気の無い時、いつだってこうやって抱きしめてくれて、俺を慰めてくれた。
「春流々……」
けれどもう、その春流々の優しさに甘えるわけにはいかない。
春流々と俺が一緒にいてはいけない理由――それはもちろん俺の出立ちの事もある。俺と一緒にいる事が一族にバレれば、罵声の対象は春流々にまで変わってしまうかもしれないから。
だがそれだけじゃない。
理由はもう一つある。
それはどんなに詫びようと、どんなに徳を積もうと許されるものではない。
俺個人の問題だ――
俺は伝えなければいけない。もう春流々を傷つけない為にも――
「俺は……自分で自分が許せないんだ。自分の無力からお前を傷つけてしまった自分を……だから――」
「すやぁ……」
「寝てるのかよ‼︎」
耳元で聞こえた穏やかな寝息。
「すやぁ……すぅ……」
後ろを振り向けば、春流々は俺に寄りかかったまま寝落ちしていた。
春流々なりに俺を励ましてくれてたとか、全くそんな事は俺の勘違いだった。
「くっそ〜……俺の心からの叫びを無視かよお前は……」
しかもここ俺の部屋なんだが……。
「仕方ないな……」
春流々の背中と膝下に腕を通し、持ち上げる。体勢でいえばお姫様抱っこだ。
「よっと」
ベランダに出た俺は、慣れた力加減で踏み込むと隣の春流々の部屋へと飛び移る。
春流々の部屋なんて随分久しぶりに入った。だがここ最近は家具の入れ替えはあまり無かったらしい。
女の子らしいピンクで塗装された壁紙。化粧棚と寝具、それに趣味のギターとたまにテレビで見るアイドルのポスターが飾られていた。
「いかんいかん。年頃の女部屋をじっくり見るなんて」
俺は頭を振り邪念を払った後、ベッドの上に春流々を下す。
そして春流々の部屋を後にしようとしたその時だった――
「大丈夫だよ、ひなた……」
おもむろに春流々が口を開いた。
「何があってもぉ……私はずぅっと……ひなたのお友達だからぁ……ぐぅ」
春流々はそれだけ言うと、また穏やかな寝息を立て始めた。
「分かってるよ、ハル」
俺の口元が緩み、笑みが溢れた。
「ありがとな。お前は俺の唯一の友達だ」
一緒にいてはいけないのは分かってる。
けれどもし、まだ神様がそれを赦してくれるというのなら、俺はもう少しだけ春流々の優しさに甘えようと思う――
xxx
翌日。
「4分33秒の遅刻よ。この世から貴方という存在は消しておくわ。さようなら淫鬼夜君」
「そんなちょっとの遅刻でいちいち存在消されてたら、この世から怪人一瞬でいなくなるわ!」
怪妖学園の校門前――春流々との会話の後、幸せな睡眠をして起きた俺を待っていたのは、既に俺を待っていた神鬼角無だった。
「というか俺遅刻してないぞ……まだ5時59分じゃないか」
俺は左手に巻かれた腕時計を見る。その針は確かに5時59分を指していた。
この時計の針には龍族の髭が素材として使われているから絶対に狂いは無い。
「愚かね。5分前行動はこの世の鉄則よ。特に下っ端の貴方なんて24時間前行動でもいいくらいだわ」
「丸一日待機に使うことになるじゃねぇか!俺もそんな暇じゃないわ!」
というか下っ端でもない。
「はぁ……本当にお前といると疲れるな……」
昨日の春流々との会話を思い出すと、いかにこの神鬼という女が俺と相性が合わない人かというのがよく分かる。例えてスライムとフェニックスぐらいの違いだ。
「で、取り敢えず……何で俺はお前にこんな時間に呼び出されたんだ?」
「そんなの決まっているでしょう。私を絶対なる学園の支配者――いえ、生徒会長とする為の準備よ」
「お前……思惑が全部口に出ちまってるよ……」
絶対なる学園の支配者って……コイツは理事長や先生達すら支配するつもりなのかよ、こえぇよ。
「というか生徒会長にって、再選挙をやるかどうかまだ決まってないだろ」
「そこについては問題ないわ。昨日の夜、天使さんから理事長の再選挙許可が降りたと連絡をもらったから」
「え!まじで⁉︎」
思った以上のトントン拍子加減に思わず驚く。
天使先輩からの提案というのもあるだろうが、あの神鬼が絡んでいるというのも、やはり大きいんだろうな。
「再選挙が行われるのは6月10日。すぐに準備を始めるわ」
「6月10日って……来月の話じゃねぇか!あまりにも早すぎるだろ!」
通常、この怪妖学園では6ヶ月間の選挙期間が設けられている。
本当にその候補者がこの学園の生徒会長に相応しいのか、それを生徒がじっくり見極める為の時間でもあり、その長い時間を候補者がしっかりと生かす事の出来る人であるのかというのを見る時間でもある。
「お前の相手はあの天使天使だ。全生徒からの信頼を集めるあの絶対的な生徒会長に、ただの転校生のお前が勝てるわけがない!」
「1ヶ月あれば余裕よ。もう1ヶ月あれば世界を滅ぼしていたわ」
冷めた口調でそう言う神鬼。
その声色からは彼女の本気を感じた。コイツに1ヶ月しか猶予を与えなかった学園長、ナイスプレイ!
「……そうかよ、本気ってわけか」
コクリと頷く神鬼。
「じゃあ」と神鬼がおもむろに口を開いた。
「まずは草の根運動ね。生徒の不満や悩みを徴収しない事には、支持率の高い候補者となり得ることはありえないわ」
「ごもっともだな。だが方法はどうする?この学園の生徒数は1800人だぞ。授業もあるし、とてもじゃないが一週間じゃ周りきれんだろ」
「安心なさい。その問題への解答は既に用意してあるわ」
神鬼はそう言うと、手に持っていた袋を俺へと手渡した。
袋の結び目を解くと、中には袋いっぱいに小さな何かが詰められていた。
「え……何これ……」
中から一つ取り出し触ってみる。
色はゾンビ色。形は楕円型で、スライム族の体のようにぷにょぷにょとしている。
「ぬりかべ族の耳よ」
「耳⁉︎」
「ぬりかべの耳は保音性が良くてね、後で保存した音を聞き返す事が出来るの。それに今は視認できる状態だけれど、壁に張り付ければ透明になり、諜報機器として使える優れものよ」
「ぬりかべの耳が見えないのとかはそりゃあ知ってたけど、お前どうやってこれを……しかもこんなにたくさん……」
「聞かない方が身の為よ。下手をすれば貴方は明日、海の神トリトーン様の捧げ物とされているわ」
「わ、分かった……なら聞かないでおこう……」
理由を聞いたら海の供物とされるとか、マジでどんな方法使ったんだ……恐るべき神族一族……。
「それと淫鬼夜君」と口を開く神鬼。
「暇を持てに持て余している貴方には、とても優しい私が追加で仕事を与えてあげるわ」
「いや、いらないが……」
そう言ったものの、遠慮無く神鬼は話を続けた。
「貴方は天使さんに会って、私の代わりにこの学園の生徒達の情報収集を行ってきなさい」
「……何で俺がお前にそこまでしてやらないといけないんだ」
怒りを込めた低い声で俺は話す。
校舎中にぬりかべの耳を仕掛けるだけでも骨が折れるというのに、それに加えて天使先輩から情報収集をして来いなんて、そんな事出来る訳ないだろ。
俺は絶対にそんな事をしないと、心に決めた。
「セクハラ」
「わーったよ。行くよ」
心に決めた……が、あっさり折れた。
セクハラ――それは淫鬼夜ひなたを動かす魔法の言葉。
良い子のみんなは使わないようにね。効果的面しちゃうから。
「というか一つ疑問なんだけどさ」
校舎へと向かう前に俺は神鬼に質問する。
「何かしら?」と神鬼。
「俺が今頼まれてる事やってる間、神鬼は何するんだ?」
「紙に書かれた文字を読み、ページをめくりまた文字を読み、見聞を深めるわ」
「ただの読書じゃねぇか……」
まぁいいが……元より神鬼が率先してそんな雑用をするような奴じゃないのは昨日一日で充分に理解出来ていたからな。
「じゃあ、あと頼むわね……」
そう言葉を発した後「ん?」と神鬼が小首を傾げると、俺を不思議そうに見つめた。
「えっと……ところで誰だっけ貴方?」
「存在が消えている⁉︎」
どうやら5分遅れた罰は、しっかり適用されていたらしかった……。




