11話 『母親登場って話』
「あーーーーー」
ため息。
いや、ため息と言うにはあまりにも音として成立し過ぎているそれが、口から延々と零れ出ては止まらない。
今日一日、あまりにも疲れた。
去年の夏休みにギャルゲーを48時間続け様にプレイした時よりも疲労感がある。
『脳の無いスケトルン族でも、もう少しまともな意見を出すわよ』
『貴方のように他者との関わりを避け、社会のコミュニティから乖離した人生を送っている人には分からないでしょうけどね』
神鬼から受けた言葉の暴力の数々が脳内を浮遊する――。
神鬼角無――角の無い鬼族の少女。
彼女の発する金棒に釘を打ち込んだような罵倒の応酬に、俺の心は完全にボロボロだった。
これが一日のみならず、明日も明後日も――あと2年近く続く訳だ。
うぅ……考えただけで頭痛がしてくる。
「ヒナちゃん、大丈夫ぅ?」
ふと、誰かに声をかけられ俺は意識を覚醒させた。
「ここは……」
見慣れた黒い天井に、見慣れた靴箱と床――どうやら俺はいつの間にか自宅の玄関まで帰って来てたようだ。
「そんな暗いお顔をしていたら、せっかくのイケメンが台無しよぉ?」
浅黒く焼けた褐色の肌、ギラギラと光る長い金色の髪、頭から生えた二本の山羊のようなたくましい角。
そして背中からは蝙蝠のような黒く薄い翼。
ドギツイぴっちぴちの黒シャツに身を包んだ女性が、にこにこと俺の前に立っていた。
淫鬼夜=キラビー=ララリファニ。
誰をも魅了する最恐の催淫を持つ純血のサキュバスにして――俺の母である。
上に着込んだ今にもはちきれそうな黒シャツ。
下は一段階キツいサイズのジーパンに母は身を包んで全身ぱっつんぱっつんの装い。
『ママはどうして新しい服買わないで、そんなキツそうな服着てるの?』
と幼少の頃に訪ねた事がある。
だが母から返ってきた答えは、
『束縛感が堪らないのよ♡』
という6歳の子供に対する答えとしては最悪のものだった。
まぁサキュバスの母なんてこんなものである。
脳内全部ピンク色――それが俺の母なのである。
「ヒナちゃんが元気になるよう、ママがチューしてあげる♡」
「……⁉︎」
ぼーっとしていると、豊満な胸を押しつけ母が俺の頬へと唇を近づけてくる。
「や、やめろって母さん!俺ももう子供じゃないんだから!」
「あらまぁ♡じゃあ大人なヒナちゃんにはディープなチューをしてあげないとね♡」
「そうでなく!」
どんだけ飢えてるんだよこの母親……。
そう呆れた直後、母が急に動きを止めた。
「あれ……?ヒナちゃん、今日ハルルたそ以外の女の子といた?」
すんすんと俺の服の匂いを嗅ぐ母。その姿は夫の浮気を調査する主婦のようだ。
「あぁ、まぁ部活入ってさ。そこにいる奴の匂いだと思う」
「えぇ⁉︎ひなたちゃんお部活入ったの⁉︎何部?何部?」
「怪人研究部」
「あらま文化系!」と驚く母。
「部活に入ってくれただけいいけど、欲を言えばママはヒナちゃんには運動部に入ってもらって、汗とかそれ以外の液体を流しに流して欲しかったわ♡」
「母さんは運動部を何だと思ってるんだよ……」
「え?性運動するところでしょ?」
「そんな運動をするのは、一部の映像作品の中だけだ母さん……」
「部員は何人ぐらいいるの?」
「俺と転校生の女子二人だけ」
「女子ッ⁉︎女子って言ったのヒナちゃん⁉︎」
しまった。とすぐに反省する。
女子と二人きりとか、この性にまみれにまみれたピンク脳の母が食い付かない訳がない。
くそ……話が長くなる……。部屋に帰ってギャルゲーをしないといけないのだが……。
だがお構いなしに母は俺に鼻息を荒くして顔を近付けてくる。
「女の子⁉︎リアルの⁉︎男の娘と書いて女の娘じゃないのよね⁉︎女の子なのよね⁉︎」
「正真正銘女だよ。リアルの」
男……ではないと思う。
吸血しようとした時チラリと見えた胸元。
多少だが胸はあった。本当に、多少だが。
少なくとも大きくは無い。無くは無いという言葉がしっくりくる気がする。
「まぁ〜〜〜〜〜現実の女の子♡♡ 」
目にハートマークの光を灯らせ、母が唸った。
「絵で描いたの女の子に話しかけてた時はママ本当にヒナちゃんを病院に入院させないとって心配してたけど、ついにヒナちゃんにも春が来たのね!よかったわ♡」
「もうこれもいらないわね!」と母は笑うと、豊満な胸の谷間から取り出した『精神病棟強制入院書』と書かれた紙を破り捨てた。
「俺そんな危ない状況にいたのかよ⁉︎」
神鬼に初めてお礼を言いたくなった。
「まぁ二人きりってだけで、別にリアルの女を好きになった訳じゃないけどな。なんてたって私欲に塗れたリアル女子なんていうのは純粋かつ崇高な二次元美少女に――ん?」
尻ポケットに入れていたスマホが鳴った。
『誰だ?』と俺はスマホを取り出し画面を見る。
「げ……」
メッセージアプリの画面に表示されていた『神鬼角無』という名前を見て、思わず言葉が漏れる。
部活を終えた後、神鬼に『まだ生きる事を願うなら、貴方のスマホを貸しなさい』と言われたが、まさかアカウントを共有されていたとは……。
『明日の朝6時、校門前に来なさい』
送られてきたメッセージには、そう淡々とした命令文が載せられていた。
朝に弱い吸血鬼にこんな早起きを命令とは、こいつは角こそ無いが正真正銘“鬼”だ。
『俺は吸血鬼だぞ。朝には弱いんだ。せめて7時にしてくれ』
メッセージを打つとすぐに返信が来た。
案外今時の女子らしい事をする。
「……?」
トーク欄に表示されていたのは、文章では無く一枚の画像だった。
写っているのは黒い分厚い表紙の本。
その中央に金箔で何かが書かれている。
「怪妖学園生徒名簿?」
どう言う事だ……?と首を傾げてすぐ、送られてきたメッセージですぐにその疑問は解決した。
『その時間でもいいけれど、この名簿からあなたの名前が消える事になるわ』
「こえぇよッッ!」
思わずスマホに向かって叫ぶ。
意見しただけで学校から除名されるとか等価交換の法則どうなってんだよ‼︎コイツの場合マジで出来るだろうし、より
怖いわ‼︎
「しょうがない……ここは大人しく従うか……」
『分かったよ。行けばいいんだろ6時に』
『よろしい』
と神鬼からメッセージが届いた直後、再び怪妖学園生徒名簿の画像が送られてきた。
だがそこに映る画像はさっきとは微妙に違った。
「んん……?」
目を凝らし、よく見てみる。
名簿の欄からは『淫鬼夜ひなた』という名前は綺麗に消え去っていた。
「結局消えている⁉︎」
なんでだよ!ちゃんと従ったじゃねぇか!
とツッコミを入れた直後、神鬼から返信が来る。
『私の思考を煩わせた罰として、名前は消しておいたわ。復元して欲しければ明日ちゃんと時間通り来ることよ』
『次消えるのは、名前だけで済むかしらね』と意味深な神鬼の発言を最後に会話は終わった。
「はぁ……顔を見合わせなくても疲れる……」
マジで災難だ……。
こんな富も権力も全て持ち合わせた恐喝女に捕まるなんて、俺は静かに奏との愛を育みたいだけなのに……。
「女の子⁉︎女の子⁉︎」
目をキラキラと輝かせた母が、はしゃいだ様子で俺を見る。
どうやら災難というのは続くものらしい。
俺はすぐにスマホを背後に隠す。
母に神鬼との連絡を見られるのは非常にまずい。
俺と神鬼をくっつけさせようと、神鬼にセクハラ文面を送り続ける母の姿が容易に想像出来る……。そうなれば明日、俺は名簿どころかこの世界から消えている事だろう。
「違う。ただのアプリの通知」
「嘘おっしゃい!ママには分かるわ!今ヒナちゃんのスマホからは女の子の匂いがしたもの!」
「どんな匂いだよ……」
「サキュバスだもの!ママには分かるのよ!」
すんすんと母は周りの空気の匂いを嗅ぐ。
「この女の子は清楚系……いえ、クールでドライ系――髪型は黒のロングストレートに切れ長のまつ毛は少し怖い印象ね。胸はなだらかで形の良さが売りのタイプ、けれどヒップは他に引けを取らないボリューム――そしてそれらを包み込む下着の色はずばり“黒”!自分の良さを分かってる“いやらし優等生”といった所だわ!」
「全然違ぇよ!(めっちゃ当たってるぅぅぅ⁉︎)」
サキュバスの嗅覚凄すぎだろ⁉︎電子時代にも対応してるのかよ⁉︎
「ほらほら見せてみなさい!ママがヒナちゃんの代わりにその子をホテルに誘ってあげるわ!」
鼻息を荒くし、母がスマホを奪おうと襲ってくる。
「い、嫌だよ!何言ってんだよ!てかステップ飛び越えすぎだ母さん!」
すかさず母の攻撃を避け、スマホを遠ざける。
「性行と野菜は鮮度が大事なの――つまり騎乗位はメロンなのよ‼︎」
「何言ってんの⁉︎」
避けども避けども襲いかかってくる母。
「クソ……めちゃくちゃめんどくせぇ……」
母の猛攻に手をこまねいていたその時だった。
「何やら1階が騒がしいな……せっかく熟睡しておったのに起きてしまったぞ」
天界から、救いの天使様が降臨された。




