10話 『神vs神の使いって話』
「…………え?」
意識せず、間抜けな声が漏れた。
「今、何て言ったんですか先輩?」
今、天使先輩は生徒会長から下りるって言ったのか?
全生徒に優しくて、どの種族の怪人からも好かれ愛されている先輩が……?理解が出来ない。
だって天使先輩はこの学園が好きで好きで堪らない。多分そういう人のはずだ。
そんな人が、自分からその座を降りたいなんて、俺には理由が分からなかった。
「生徒会長を下りる、ですか……」
神鬼が悩んだ様子で顎に手を当てた。
「理由をお聞きしても?」と神鬼は天使先輩を見た。
「実は……実はですね……」
ぷるぷると体を震わせ、天使先輩は下を俯く。
「本当は……あんまりこういう事は言ってはいけないんですけど……」
そして――
「もー疲れたんですよ‼︎生徒会長とかそういう重っ苦しくて堅苦しい肩書きに‼︎」
聞いた事もないようなはっちゃけた声で天使先輩が叫んだ。
「……⁉︎」
え……⁉︎何?どうしたのこの人?
今までとは打って変わった天使先輩の奇行に、俺も神鬼も目を見開いて驚く。
「はぁぁぁぁ…………やっと言えましたぁ……」
「スッキリー」と天使先輩は今まで以上に笑顔だった。
「あーすいません、ちょっと羽伸ばしますね」
呆気に取られる俺と神鬼には目もくれず、文字通り天使先輩は背中から羽を伸ばした。
『Hallelujah〜♪ Hallelujah〜♪ Hallelujah,Hallelujah,Hallelujah〜♪』
羽が出現した事で、天使ザ・ワールドが発動される。
BGMがクソほどやかましい……。
「私産まれた時からからずっと天使で、八方天使強要飽きちゃったんですよね」
椅子に深々とだらしなく寄り掛かる天使先輩――華輦で壮美な生徒会長像が、俺の中で崩れた瞬間だった。
「好きで“みんなの生徒会長”を演じていたのではないと?」
怪訝そうな表情で神鬼が天使先輩を見る。
「もちろんそうですよ!だって私って、本当は悪魔なわけなんですよ!堕天使です!堕天使なんですよ!」
天使キャラが堕天使発言……か。
「ふっ……」と思わず俺の口角が自然と釣り上がった。
あー知ってる知ってる。よく見ましたよこのパターン。
天使族はその“全ての存在を包み込む優しさ”を持つという特徴上、王道的ヒロイン種族としてギャルゲーに出演する事が多い。
そしてその天使族のヒロイン達にあるよくある悩みが今の天使先輩と同一の『自分本当は悪い子なんですよ発言』だ。
抑圧した自分の感情を伝える為にそういう悩みを主人公に打ち明ける事が多いのだが、蓋を開けてみれば『燃えるゴミを燃えないゴミに捨てた』とか『午後のマンドラゴラードを午前に飲みました』とか実は全く大したことないパターンが多い。
そして俺はギャルゲーのプロだ。
こういう悩みにどう対処するのが一番最適かも知っている。
その解決法とは――簡単に言えば『適当に相槌を打ちながら愚痴を発散させてやる』たったそれだけの事で解決出来る事だ。
俺はちなみにその攻略法を選択する事でもう366人の天使族のヒロインを攻略してきた。
「そうですか天使先輩……まさか先輩程のお方が堕天使だなんて、一体どんな悪事をしてきたと言うのですか?僕でよければ聞かせてくださいよ」
「はい……実は――」と恥ずかしそうに天使先輩は目を背け口を開いた。
「生徒会長になる時には、票数を獲得する為にお母様達のツテを辿って支援者を買収しましたし、選挙を手伝ってくれた秘書の方にも無言で50万渡しました!」
「公職選挙法違反ーーー‼︎ガチなやつーーー‼︎」
思ったよりも、重かった。
「そこまでします?たかだか高校の生徒会長ですよ?」
「“たかだか”……。そう思ってくれない人もいるのですよ。淫鬼夜さん」
諭すように天使先輩が俺を見た。
それに教えてないのに名前まで呼んでくれた。割と嬉しい。この闇に汚れた俺を天使先輩が知ってると思うと、何か言い表すことの出来ない感情が湧き上がる。
「私のお母様や大叔母様――それに先々代の我が一族の御先祖様方。天使の家の者に産まれた者は皆、この学園の生徒会長を務めて来ました。それはいつしか我が一族の伝統であり、誇りともなったのです」
天使先輩は目を伏せ、長い金色の髪を撫でた。
「その伝統を私の我儘で終わらすなんて、そんな事は簡単に出来ないんです」
「…………」
天使先輩のその言葉に、俺も神鬼も沈黙した。
伝統ある天使一族の誇りを傷付けずに、天使先輩をその柵から自由にする――難易度で言えばベリーハードだ。
こんなふざけた部活に来るようなのは、同様にふざけた依頼を持った奴――そう思っていたがどうやら大外れだったらしい。
「生徒会長から下ろす……なかなか難儀な依頼が最初に来たものね……」
眉間に皺を寄せ、神鬼が唸る。
どうやら流石の神鬼でも困っているらしい。
ならば――ここは俺が率先して意見を出すことで、神鬼の俺に対する態度を改めさせるチャンスという事だ。
だが天使先輩の名誉を傷付けずに生徒会長から降ろすなんて一体どうすれば――。
考えること数秒――答えは案外すぐに頭に降ってきた。
「身体的都合ってのはどうだ?体調が悪くて続けられそうにないとかなら、皆納得するだろ」
意気揚々と俺はそう口にした。自分でも思うが滅茶苦茶良いアイデアを出したと思う。
だが、隣の人間はそうは思わなかった。
「はぁ……」と深いため息を神鬼は吐いた後、切れ長の目で俺を睨んだ。
「あなたねぇ……脳の無いスケルトン族でも、もう少しまともなアイデアを思いつくわよ?」
「はぁ?なんでそんなこと言われなきゃいけないんだよ。結構使えるアイデアだっただろ」
結構どころか、即決採用レベルのアイデアだ。
「さっき天使先輩が言っていたでしょう。自分の“今の名誉を落とさずに”って」
「体調崩してやめるってのが、そんなに名誉が落ちる事か?」
「はぁ……」とここまで深いため息は存在したのかという程のため息を神鬼が吐く。
「今ここで天使先輩が生徒会長を降りてしまったら、今後この学校の生徒会長の歴史で天使先輩は“病気により退任した生徒会長”というレッテルを貼られてしまう事になるのよ?」
「う……たしかにそれはそうだな……」
今まではスポーツ万能成績優秀の才色兼備の天使先輩の肩書きが、一気に成績優秀な病弱キャラに変わってしまう可能性がある――まぁ、悪くない肩書きだが。
「それにね淫鬼夜くん。人に嘘をつくというのは心に大きく負担が掛かるものなのよ。嘘をつく相手がいないあなたには全く分からない事でしょうけど」
「今俺は、生きてきた中で一番心に負担がかかってるよ……」
コイツは喋る度に俺を罵倒しないといけない縛りでもしてるのか?どんなプレイだよ。
「じゃあそんな言うならお前もアイデア出してみろよ。何かちゃんとあるんだろうな?」
「ふっ」と神鬼が馬鹿にしたように微笑みコーヒーを啜る。
「えぇ、いいわよ。既にあなたを罵倒する単語以上にアイデアを思い付いているわ」
「こほん……」と神鬼は咳払いをし場を整えると、口を開く。
「もう一度……選挙を行うというのはどうでしょう」
一瞬、この世の時が止まったのでは無いかというぐらい教室が静まり返る。
それぐらい神鬼のそのアイデアは奇抜なものだった。
「もう一度、選挙ですか……?」
ややあって口を開いたのは天使先輩だった。
「えぇ」と神鬼が頷く。
「公平を重んじるのが学校というもの。私は今年の生徒会長を決める選挙の時に学校にいなかった。それを不公平だと学校側に感じさせる事が出来ればもう一度選挙をやり直す事が出来るのではないでしょうか?」
「た、確かにそうですね……。それなら選挙をやり直す理由としては納得がいきます」
「だがどうする?選挙をやり直すとして、神鬼が勝てる保証はないだろ」
「チッ……」と鳴る舌打ち。
そして『余計な事を言うなこのド陰キャ吸血鬼』とでも言っているような目線を向けた後、すぐに天使先輩へと向き直る。
「こういう事はあまり言いたくはないのですが、私も名のある家の娘です。少し天使先輩のお力添えを頂ければ可能性のある選挙は出来るかと」
「なるほど、そうですね。頼んだのは私ですし、出来る限りの協力はもちろん致しましょう」
「ありがとうございます」と神鬼が頭を下げる。
「でもいいんですか?一度なってしまえばそう簡単に生徒会長の座は降りられるものではないですよ?これからこの学園でお友達と遊ぶ時間も短くなってしまいます」
天使先輩が天使っぽい優しい助言を諭す。
さすが天使、優しい。
「それはご心配には及びません。人の上に立つ職務には慣れているので」
そうだな、まぁコイツはそういう奴だろう。一般の生徒というよりは学園を支配している立場にいる方が似合っている。性格キツいし。
「ふふっ、流石神鬼家の御令嬢――神鬼角無さんですね」
「知っていられたんですか?」
「もちろんです。生徒会長として、学校の生徒を把握するのは当たり前じゃないですか」
「それに――」と付け加える天使先輩。
「貴方程の有名人、それで無くともすぐに目がつきますよ」
今までより一段階低い声。少し棘のある言い方。
さっきまでのグダった天使先輩よりよっぽど“本当の天使先輩”を見た気がした。
天使族は元来『神の使い』として清く高潔な存在として讃えられてきた種族だ。
だからこそ天使先輩の一族はこの学園の長として君臨し続ける事もできた部分もあるだろう。
そう考えれば、正真正銘『神』の一族である神鬼は天使先輩からすれば自分の地位を脅かす存在――邪魔者であるはずだ。
少し……警戒ぐらいはしといた方がいいかもしれないな。
俺がそう考えたのと、天使先輩が立ち上がるのはほぼ同時だった。
「では、私も明日の準備をしないといけないので。今日はここで失礼させて頂きます」
そう言って立ち上がると、天使先輩は教室を後にした。
「…………」
神鬼と二人――何となく気不味い雰囲気の二人が残された。




