罪に惹かれた魂よ
1人の人間に関する掌編小説です
星空の瞬く海岸線を見つめ、私は1人で立っていた。何も持っては来ていないが、却ってそれが丁度良かった。
昔、母は言った。「お前が産まれたのはあのテロの日と同じ時間なんだ。だからお前はきっとあの中の誰かの生まれ変わりなんだ」と。私が「首謀者と被害者のどちらの生まれ変わりであるのか。」と聞いた時、「そんなの誰も分からないよ。」母は笑って誤魔化していた。それは私がまだ8歳の頃だった。
両親は10年以上前に死んだ。その時私は18歳で、確か初めて免許を取った日の事だった。私と両親を乗せた車は暴走するトラックに追突されたのだ。無残な程につぶれた両親の体を見て私は何を思ったのか。多分、悲しいとは思っていた。だがそれ以上に、悲しい筈なのに涙を流せない自分が恐ろしかった。
それから時間も経ち、私は職場の同僚と結婚した。平均的な住まい、平均的な収入、平均的な関係性。ありふれたごく一般的な家庭だった。だが私達には1つ大きな問題があった。残念なことに子供には恵まれなかったのだ。私は死産を2回経験した。私自身、それらの事は確かに辛かった。だがそれ以上に夫の方の精神的負担が大きかったようだ。「私は大丈夫だから。この子達もきっと大丈夫だから。」そうやって私は夫を何度も慰めたが、彼には他人の不幸に対して感傷的になりすぎる癖があったように思う。いつも人の不幸話を聞いては夜な夜な泣いていた。そんな彼の精神がこの連続した不幸に耐えられる筈など無かった。彼は酷くやつれた様子でそのうち仕事にも顔を出さなくなった。
その日、事件が起きた。家に帰ると自室で夫が死んでいた。服薬自殺だった。急いで救急車を呼び、部屋の窓から赤いランプ点滅を待っている時、私は気が付いた。ガラスに映し出される私の顔は嬉々として歪んだ笑みを浮かべていのだ。
私は履いていた靴を脱ぎ棄て、波打ち際に向けた歩みを進める。少しずつ近くなるさざめきが私への手向けとなり、水面に写る空虚な月が私を誘う。きっとこれは神が私に与えた罰なのだ。あの日、天に昇った穢れきった魂がのうのうと人型に宿った事への罰なのだ。
私の足に貝殻の破片が刺さり激痛が走ろうとも、砂埃が目に入ろうとも、歩みを止めることはない。今度こそ私は私自身の魂を終える必要がある。穢れた魂が天に昇ってしまうのならば、私は海の深き暗闇の底に辿り付き、海底都市を築いていると言うダゴンだとかハイドラに会い、この穢れた魂に永遠の終焉を与えなければいけない。
始めは膝下までしかなかった水面がもう私の胸辺りまで来ている。一瞬、両親や夫、2人の赤子の顔と共に「死ぬのが恐ろしい」と考えがよぎったが、ここまで来て引き下がることは出来ない。それにもう帰る場所なんてどこにもない。
「またこの世界に合間見えぬように。さよならを。」
星空の下で嬉々として歪んだ笑みをした1人の女は、誰にも看取られることも無く、深く薄暗い海の闇へと静かに沈んでいった。