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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
第三次巨人戦争 中編
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11


「《請け負おう、うつくしいひと。貴女(おまえ)の望みならいくらでも》」


「…終わったよ」

「!」

 心底疲れきった声が酒場に下りてきた。気まずい空間に残らざるを得なかった優一だが、いつもの崇の声色につい安堵の息をつく。

「あいつはどこ行った」

「外に転移したんじゃないかな。藤崎君、私達も出よう」

「え?」

「魔力世界でも数少ない、恐らく本物の『内象顕界』だ。見ない選択肢は無いよ」



 昼とはいえ冷たい空気が肺を満たす。無為に火照った身体には丁度いい寒さが昂ぶりを諫めてくれる。

 遥は目を瞑り、放ったままにしてあるコウモリの視界を覗く。巨人の群れを先導するのは「歯」のついた鎌を担ぐ赤い悪魔だ。視界を動かせば村まで十キロもない。

 始めよう。血の対価に相応しい薔薇を咲かせなければならない。

「――《Les murs gèlent et les épines se couvrent. (城壁は凍てつき、茨が覆う)》」

 紅い魔力が遥を中心に渦巻く。それは両腕を広げただけのような狭いものではなく、宿屋の屋根を覆い、放牧場を超え、湖に魔力の渦を映していく。

「《Mon château ne se décomposera jamais. Ce n’est pas un cercueil qui est enterré. (我が城は不朽。足下に眠るは棺に非ず)》」

 異質な魔力に巨人は皆空を見上げた。宙に浮かび禍々しい魔力を放つ男を視認したが、何故だか誰も止める気にならない。

 誰しも理解した。今この時、この一瞬、この一帯を支配するのは神でも巨人でもない。

 ――ただ一匹の吸血鬼が如きに、全ての制圧権が渡ったのだと。

「《Les roses d’hiver fleurissent encore plus magnifiquement. (冬の薔薇は尚紅く)》」


内象( Jardin)顕界( du cœur )――『大薔薇・(Eglantier )大棘城塞(Châteauroc)


 まず地面が割れた。村の防壁の外側に亀裂が入り、後退った巨人達の目の前で紅い岩のようなものが次々と突き出す。

 次の瞬間、凄まじい勢いでやはり紅色の「壁」が生えた。防壁を悠々と上回る高さの壁が生え、次々と仕掛けが展開される。胸壁ができ、銃眼が開き、塔が姿を現し砲台が侵略者へその目を剥く。

『――あれは』

 赤鬼(レッドキャップ)はその異様に気付くも後発が止まれる距離ではなかった。鎮座した城壁の足元に埋まる雪がぼこぼこと蠢く。

「さて、先手は私がとろう」

 城門の回廊に立った遥が指を鳴らした。その途端蠢いた雪から紅い茨が飛び出し先頭の肉持つ巨人(イェッタ)を串刺しにする。そこから更に急激に成長した棘が更に肉持つ巨人を穿ち、先頭集団は壊滅する。

『肉持ち共止まれ!霜の巨人(ヨトゥン)、お前らが先行しろ!』

 肉の体を持つものでは徒に消耗するだけだ。「霜」という固形の肉体ではない体を持つ霜の巨人が命令通り押し寄せる。

「ほう、回りが早いな。だが早すぎる。種類の少ない戦力とはいえ、そう手札を易々と見せるものではないぞ」

 遥が指を鳴らすと城門が無音で開く。戦士の雄叫びが轟き、山の巨人(ベルグリシ)が駆け霜の巨人と衝突した。

 その本能はヒトの胎を介したところで薄れるものではない。双方必死の形相で激突し、血を流し、肉体の一部を霧散させ殺し合う。瞬く間に戦地と化した平原、巨人は最早互いしか見えていない。何が介入しようが、地が裂けようが、それは埒外のものでしかない。

 一つのものしか見えていないものほど仕留め易いものはない。悪性の魔性同士、相手の考えは手に取るように理解できた。

「フッ!」

 互いに味方側の巨人を守って紅いレイピアと歯の生えた鎌が衝突する。鎌の歯はレイピアの刃を齧り取ったが、レイピアはひと振りすればすぐにその刃を取り戻す。

『チッ』

 赤鬼が鎌の背を掴みその首を回すと手品のように鎌の歯が無くなり刃物の刃に変わる。代わりに鎌に浮き上がっていた目の一つが埋まり、新しく口が一つ増えた。

『いい度胸じゃねえか。顔に傷が付いても泣くなよ?』

「そういう台詞は、傷を付ける実力を得てから言うものだ」

 尊大な台詞に赤鬼は鎌を振りかぶると一気に距離を詰め首を狩る。しかし鎌は遥の薄笑みを残したまま霧と化した首をすり抜け、風に吹き赤鬼の背後をとった遥は血の斬撃で強襲する。斬撃を受け止めた刃がその血を吸うと、赤鬼は遥の上をとった。

「《開け》」

 空の一部が裂け、吹雪が吹き付ける。風の煽りを喰らった遥は木々に衝突する前にどうにか吹雪の範囲外へ避けたが、その遥の目前で赤鬼が鎌を振りかぶる。

『そォ、ラァッ!!』

「ッ……!!」

 脳天を狙った振りかぶりは遥が空中で後退したことでその胸に深々と刺さった。その口端から血が流れひゅうと歪に乾いた息の音が漏れる。だが笑っているのは遥の方で、赤鬼は短気に眉尻を吊り上げた。

『体固めてんじゃねえよ!』

「存外滑らかでよく研いだ刃だ。少しは歯の方もそれくらい手入れをしてやったらどうだ?」

『がァッ!!』

 薔薇棘(エグランティエ)が赤鬼の体をいくつも貫き得物を握った手が千切れる。百舌鳥の早贄のように憐れに突き刺さった胴と下半身だが、死の間際の生き物よろしくそのどちらもが藻掻いて棘から自由の身になると肉片が首目がけて集まりその体を再生した。

 遥は胸に刺さったままの鎌を力を込めて抜く。刺された直後は流血していたが、鎌にその血は付いておらず乾いた血がぱらぱらと舞う。なにも自らの身体を群体とするだけが吸血鬼の業ではなく、遥はその体液を瞬時に固めることで鎌を押し留めた。悪魔の武器を刃先だけでも体内に残すのはリスクが大きいが、遥も魔性のものであるからこそこれを成したのだ。

『何余裕ぶっこいてんだよ』

「…ほう?」

『俺の鎌は生きてる鎌だ。肉を食い破る成り代わりの鎌だ!()()()()()()()()()()()()のが定石だろォ!?』

 赤鬼が高らかに叫んだその時、骨を砕く音が身体の内から聞こえた。

「ッ――!!」

 ぶちぶちと咀嚼している。胸中に生じた歯が遥の組織を食んでいる。

「これは痛い。痛いな……」

 そう言いながら遥が左手を上げると顕界させた城壁から紅い猟犬が飛び出す。まだそんな余力があるのかと赤鬼は造作もなく猟犬の首を狩るが、遥に近付けば近付けども衰えない城壁の猟犬や薔薇の棘に眉を顰める。

 内側を食われている痛みに遥はまともに動けていないが、苦痛を与えることに重点を置いた攻撃を喰らったにも関わらずその内象は揺るぎもしない。棘や蔦をあしらいとうとう遥本体への接近が叶った赤鬼が見た遥の眼は、これまで見てきた死にかけの生き物の中で最も爛々と輝いていた。

「まさか考えが同じだとは!」

『!』

 遥の左手が鎌を掴み、吸血鬼の怪力で振り上げた体制のまま固定する。その一瞬を逃さず、鍔に至るまで深々とレイピアを突き刺す。

「だが君のはあまりに醜悪だ。見目も匂いもよろしくない。蝕むという行為はね、美しくあるものだよ」

『何言、って――』

 その続きは赤鬼の口から咲いた薔薇が塞いだ。鎌の口に、目に、真っ赤な薔薇が咲く。赤鬼の右目に、頬に、肩に腹に足に、剣が如き棘を生やした蔦と薔薇が咲く。

『がはッ、ぎ、ギィっ……』

 薔薇が咲く。薔薇が咲く。醜悪な悪魔の血を吸って、怖気立つほどに美しい赤薔薇が咲く。

 ぱん、と赤鬼の体が内から弾けた。血の雨の最中肉片が再生し、赤鬼が再び復活する。

『や、止めろッ……!!クソ、クソがァッ……!!』

「おや、『不死』か……。はは、これは困ったな…」

『ギィッ!!やってられるかこんなもん!ああ残念だ、てめえも残念なんだろうがよォ!!』

 またもや赤鬼の体が弾けた。ぼたぼたと滴る血を連れて薔薇が雪の上に増えていく。ぱくぱくとその口が動いたが、数度弾けた後に痺れを切らし赤鬼は舌に生えた薔薇を毟り取って叫んだ。

『《開け》!!』

 瞬間、ここではない景色の背景が向こう側に見える穴が開く。巨人達の怒号と鋼の擦る音が響く中、赤鬼の声だけがやけに明瞭に届く。

『ああクソ、また殺せねえなんてよ…』

 毒々しい呪詛に遥の中にある歯がまた内側を噛み切る。呻き声で返事をしたが、後には宣言通りの美しい薔薇と吸血鬼、そして尚も崩れない城壁だけが残った。


* * *


 部屋の扉が開き、優一が水と薬を乗せたトレーを持って入ってくる。

 時刻は夜の九時。ランプの火に浮き上がった影が悠々とページを捲っているが、優一の入室を聞き取るとその手を止めた。

「すまないね、藤崎君」

「…いえ。夜の薬と浄化結晶です」

 遥は本に栞を挟んでサイドテーブルに置くと寛げていた胸元の魔法札を剥がす。その胸には鎌傷の形の「口」が牙を剥き出しに開いていた。

 赤鬼との戦いでその身中に赤鬼が振るう鎌の「口」を残された遥だが、崇から吸血という形で血を貰っていたことが幸いしその傷は周囲が思うより軽症の範疇だった。

 赤鬼が残した傷、そして遥が赤鬼に取り込ませていた自身の血液による薔薇もそうだが、双方共に物質的な呪傷での痛み分けとなった。遥には鎌の「口」、赤鬼には「薔薇」が延々と巣食うようになったが、物質的な呪いは術者と距離が離れればその呪いも弱まる。術者が死ねば自然と呪いも解けるため、死の危険が迫っているというものではなくなっていた。

 とはいっても、赤鬼は『不死』だと遥は見抜いたが遥自身はそうではない。「口」の咀嚼を遅らせる浄化と鎮痛薬は必要不可欠で、特に何を言われるでもなく優一がその世話を引き受けたのは昼間の話だ。

「しかしまあ、君は随分奇妙な子だ」

「は?」

「一度は敵対し、日常として大切にしていたものの一部を崩した男の世話を恨み言もなくするとはね。そうまで薄情な子ではないのだろう?」

 水晶に似た浄化結晶を胸の「口」に放り込むとギイギイと弱ったような声を上げる。

「……薄情ではないですけど、これでもどうしたものか微妙だったんですよ」

「微妙?」

「結局遥さんは今も人間をまず「食料」と見るでしょう。あの時も百パーセントの悪意でやってたのならまだしも、そういう話じゃなかったですし。実際、食料扱いってことを除けばあの女の子達は丁寧に扱われてた方ですから、考えたところで堂々巡りじゃないですか」

「ふむ」

 新しい札を貼って「口」を塞ぎ、古い札を優一が持つトレーに置く。

「結果誰も死んでませんし、そこまでの恨みがあるわけじゃないんです。許しはしませんけど。しかるべきところで裁かれて罸を受けたのならまあ…ってところで納得してるんですよ」

 崇が調合した鎮痛薬を遥は無理矢理水で流し入れる。やけに薬が苦い気がするのは優一の至って中立的な思考がかえって罪悪的に感じさせるせいだからなのかもしれない。

「なるほど、なるほど。君はなるべくして記録者に、入るべくして【右筆】に入ったのかもしれないね」

「……」

「いや、皮肉ではないさ。だからそう睨まないでおくれよ」

 懐疑的な優一の視線に遥は優し気な困り顔を作るが、トレーに空のコップを乗せて部屋を出るその背中に値踏みするような目を向ける。

(悪意、ね……)

 柔い魂だ、と遥は(くら)く微笑していた。


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