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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
第三次巨人戦争 中編
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 その夜。

 夜を歩くものがいた。真っ赤な腕のその男は、息をするように馬小屋に向けて呪を放つ。

 安心しきって眠る人間共は朝になったらどんな表情をするのだろう。ああ、楽しみだ。心は躍るばかり。

 しかし、この真っ赤な悪魔が来たのはただの娯楽のためではない。こんな退屈な頼まれ事は面倒なだけだが、雇用関係が成立している相手からの頼みならサービスと銘打ってやってやらないとベッドのランクを下げることになるかもしれないから仕方がない。

 当時の最高作が「お使い」から帰ってこなかったから、その尻拭いをしなければならないのは不本意だ。楽しみを作らないとやっていられない。

 さて悪魔は広い道に立ち、村の奥へ歩き出す。しかし悪魔はその歩数僅か四歩で足を止めた。

「やあ。こんな夜更けに散歩かね」

『…こんなとこに吸血鬼がいるなんて聞いてねえぞ』

 女が好みそうな温かな低音が不釣り合いに冷たい空気を伝ってくる。しかし浮かび上がる真紅の瞳に隙は無く、縫い留められたように悪魔の足は動かない。

 だがそれを意に介する程悪魔の階級は低くない。難なく硬直を解くと、左手の爪を鋭く伸ばした。

『俺に何の用だ』

「それは私のセリフだな。山の巨人(ベルグリシ)の村に君のような悪魔が用事があるとは思えない。あまりに召喚者が下手だったのか?可哀想に」

『俺が人間なんぞに()ばれるかよ、バカが。まあ――知り合いの『使い魔』が失敗したんでな、かわりに俺がやってやりに来たんだよ』

「成程。なら、早めに済ませて帰るといい。恐ろしい獣が眠っているからね」

『そりゃどーも』

 心にもない礼を言って悪魔は再び歩き出す。しかし数分歩いて飽き、悪魔は背中に手と同じくらい真っ赤な羽を生やして飛翔する。

 こんな村に吸血鬼がいることは不可解だったが、悪魔にとってはどうでもいいことだ。村の奥へ奥へと飛び、結界を難なくすり抜け、やがて村の高台へ降り立つ。

 目的の物はここにある。悪魔は台座に手を伸ばした――が、そこには何も無かった。

『…は』

 悪魔は空気を握り潰す。その時聞こえたのは、キィと鳴く小さな羽音。顔を上げれば真紅の点二つが悪魔を捉えていた。

『――あの野郎!!』

 台座に土を付けコウモリを掴もうとするが爪が触れる前にコウモリは更に小さく分身し村の入り口側へ飛んで行った。逃がすかと悪魔が空を翔けコウモリを追った先は、あの吸血鬼の下だった。

『おい、吸血鬼!てめぇ知ってて黙ってたな!』

「…はて、何のことだね」

『杯だ!ああ、そりゃあそうだ――無尽の魔力をお前が見落とすワケがねえ!寄越せよ、それは俺らの物だ!!』

 悪魔が手を振り抜くと真っ赤な爪がナイフのように吸血鬼――遥に向かって飛んでいくがその爪は遥が僅かに目を細めると飛ぶ力を失い屋根に落ちる。

 悪魔は舌打ちをし再度爪を伸ばしたが二射目を放つことは叶わず、突如「何も無い」所から放たれた斬撃を左の目尻に受けた。

『ッ誰だ!』

「……大分感覚を塞がれているようだ。誰にも気取られず入り込んだのは見事といえるのだが」

「まあ、正統な魔法使いが二人も居るとなりゃあそうするだろ。実行者はあんまりにも杜撰(ずさん)だがな」

 『不可視(インビジブル)』の魔法が解け、斬撃の主が姿を現す。大柄なその男の体からは魔力が揺蕩っており、満ちた月の金色を思わせるその色は獣の耳や尾を象っているように悪魔の目に映っていた。

『人狼じゃねえか…!』

「人間がこんな夜に外に出れる訳が無えだろ」

「どうするかね、“魔門の悪魔(ファウラス)”。君は恐ろしい獣のうち一匹を起こしてしまったわけだが――次に目覚めるならば、“蛇”だと思うがね?」

 悪魔と吸血鬼と人狼、世界に名だたる怪物が図らずも場に揃う。しかし会合は長くは続かず、踵を返したのは悪魔だった。

『チッ。今日駄目だったなら仕方ねえ。……次は正面から来てやるよ』

「へぇ、そいつは楽しみだな?」

 人狼――ウォルフのその言葉は悪魔にではなく遥に向けて言ったものだが、それを自分に向けたものだと受け取った悪魔は赤いだけの目玉をウォルフに向ける。

『身辺整理はしておけよ、犬野郎。タイミングは早いが、この村は潰れて営巣地になる。逃げられるんなら上手に逃げてみろ』

 そう捨て台詞を吐いて悪魔は姿を消した。決め手と言える情報は残さなかったが思わぬ邂逅に遥は微笑む。

 ウォルフは屋根の下で身じろぐ音に眉を顰めた。悪魔の来訪に気付いたのは最初遥だけだったが、ウォルフが外に出たのは血の臭いがしたからだ。夜は『夜を歩くもの』の世界であり、それ以外のものが外に出るのは相手がいかに小物に見えようが危険を伴う。血を流したもの……呪い殺された馬には可哀想だが、朝日が昇るまで弔ってやることもできない。

 悪魔の存在は最初に予見されていたが、今このタイミングであからさまな動きを見せた理由は未だ掴めない。確実といえるのは悪魔が何者かと手を組んでいることだろう。

 提示されていた「脅威」がいよいよここまで迫って来た。


* * *


「……よりによって、どうしてこの子達が……」

 日が昇り、犠牲となった五頭の馬達は既に事切れていたが崇は彼らに真っ先に駆け寄った。崇達が村を歩く際にその背を借りていた馬達…シェシュとバルモ、トゥルパンは体中に深い裂傷を負い、大量の血が寝藁を染め濡らしている。

「…おかしい。これだけ酷い傷なら悲鳴を上げているはずだ。しかもこれは一方的な…バルモは間違いなく反撃しただろうに」

「…呪いだよ」

「呪い、だと?」

「手伝って欲しい。昨日来たあの子達の蹄鉄を見せて」

 崇の眼は僅かに潤んでいたが声は震わせなかった。その声にアルヴァラは何も言わず頷き、厩舎に入り奥の馬房に入っている軍馬の脚を持つ。

「……アルヴァラ、視えるかな。赤い魔力の痕跡が残っている。『赤鬼(レッドキャップ)』はこの子達が連れてこられたのを知って、この子達を殺すつもりで呪ったのかもしれない。それなら、あの子達が呪い傷を負った辻褄が合う」

「これが…この赤い魔力が、本当に昨晩の悪魔のものなのか?」

「藤崎君に解析してもらうけれど、恐らく間違いないよ。彼は以前赤鬼と交戦したから、照合はすぐに行える筈だ」

「…呪詛返しは、呪いをかけた本人に跳ね返すもののはずだ。どうして、シェシュ達が……」

「…赤鬼はいくつもの犯罪を行い、関わっている悪魔らしい。自ら手を下しただけじゃなく、呪い殺した数も少なくないだろうね。呪いは彼等の十八番だ。流石に蹄鉄の呪詛返しを打ち消す事は出来なかったようだけれど、完全に逸らす事は難しくない……あるいはそれを可能とする魔道具なり、能力なりを持っているのだと思う」

 軍馬全員、五頭分の蹄鉄を全て確認する。その蹄鉄には全てべっとりと赤い魔力が染み付いており、軍馬の周囲にいる馬達は心なしか怯えている。

 崇は桶を借り、ウエストポーチから十字架の装飾を付けた手のひら大のガラス瓶を取り出すと、蓋を抜き口を逆さにする。瓶からは水道水のように内容量を軽く上回る量の中身が桶に溜まっていき、桶の六分目まで満たされたところで崇が入れるのを止めても瓶の中はまだ満たされているように見えた。

「これは?」

「聖水だよ。呪いそのものはもう無いけれど、悪魔の魔力を残しておいて良いことは何も無いからね。ああ、そうだ。拭う前に魔力をこれに採取するから、これを藤崎君に渡すのを頼んでも良い?」

 続いて崇は黒いラバーグローブとは別にコルクで蓋をした小さな試験管を取り出しアルヴァラに見せる。「勿論」と頷いたアルヴァラに「ありがとう」と返すと、崇は桶に満たした聖水に白布を浸して十分に染み込ませてから絞る。

 脚を持ち、試験管の底を魔力が特に濃く残っている部分に押し当てる。すると試験管の中にゲル状の赤い液体が発生した。

「…良し。それじゃあ、お願いします」

 蓋がしっかり閉まっていることを確認し、試験管が丁度一本入るサイズの木箱に入れてアルヴァラに渡す。アルヴァラの背が見えなくなったのを確かめてから崇は白布を取って蹄鉄に残った魔力を拭い、手入れをしていく。

 試験管に取り出した魔力は一度付いたら落とすのに中々骨が折れそうな色と質感だったが、聖水を含んだ白布で拭えばその赤は薄れ、白布にしぶとく残る魔力も桶で洗えば消え去る。

「ッ!」

 五頭全員の手入れが終わり白布を洗っていたその時、ぱしゃりと聖水が跳ね袖を捲り上げた素肌に飛んだ。崇は闇の魔力を持つとはいえ聖水が弱点というわけでもないのだが、聖水に込められた法力が肌に触れたその時、以前己を蝕んだ法力の感触が思い出された。

「!う…うッ……!い、た……ッ……」

 痛みに咄嗟に腕を掴みかけたが寸での所でその手も聖水を触ったグローブであることに気が付いた。頭では違うと分かっていても身体がその苦痛を覚えてしまっている。ここで下手に触れればパニックを起こしてしまうだろう。

 崇は右手のグローブを外し、魔力を右手に纏わせ左手のグローブも外す。桶の縁に叩き付けるようにグローブをかけると、大きく息を吐いて膝を突いてしまう。

「ブルルッ……」

「あ……ごめんね……」

 軍馬達が心配そうに崇を見下ろす。手をついてどうにか立ち上がろうとした崇を、ここに来てから初めて人型になった古代が支えた。

『(…いい、片付けは俺がやろう。無理をするな)』

「古代…」

 桶を持って厩舎の洗い場に持って行く古代を崇は止めようとしたが、服の裾を引っ張られ振り向く。裾を噛んで止めた軍馬もそうでない馬も、崇の心を敏感に感じ取った表情をしていた。

「あ……」

 崇は振り返り軍馬の所へ戻る。裾を引っ張った真ん中の軍馬の鼻筋を撫で、額を寄せる。

「…ごめんね、大丈夫…大丈夫だから……。……ごめんね……ごめんね……」

 鼻筋の青毛の色がしっとりと濃くなる。外にある洗い場から聞こえる水の音にかき消されるほどに小さい声は震えていた。

 古代は黙々と、しかしいつもより時間をかけて使った道具を洗う。だが厩舎の入り口にやってきた人物に気付くと、テレパシーで声を掛けて止めた。相手と目が合うと視線と動作で戻るよう促す。

 その人物は何かを察し、不愛想な古代の態度に気を悪くせず宿屋に戻る。それを見届けてから古代は洗い終わった道具を日の当たる所へ立てかけると、小さな鰐の姿になって主人の所に向かった。


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