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「《強化》、《強化》、《強化》……」
崇はぶつぶつと自身に強化魔法を次々かけていく。手はナックルダスター状の防具に変身した古代が守っているが、それ以外はまともな装備を着けていない。しかしこれは崇にとっての最適解で、これ以上何かを装着するとかえって動きを阻害してしまう。
それを含めて巨人族と戦う以上、その身体能力と同等の力がなければ話にならない。崇は【妖精の輪】に属して初めて、これまでにない数の強化魔法を自分にかけていた。
『――どうした。こんなに熱烈に呼ぶのは久しぶりじゃねえか』
その時、耳障りの良い男の声が崇の耳に吹きかかる。乙女の腰を砕きにかかる微熱のような声はしかし、姿こそ無いものの消しきれない血と狂乱の匂いを燻らせている。
「――……」
だが崇はその声を無視して詠唱を続ける。声の主は崇の知る存在だが、今はただ邪魔でしかない。
『つれねえなあ。望んでるんだろ?だから俺の名の力を使ってんじゃねえか。お前が望むのなら俺達は全てを与える。そういうものだ、そうだろう?』
『アレス』。ギリシャの十二の神性の一柱、戦を司る狂乱の神。自分の名前に宿る『力』を使う声をその耳が拾い、天より声を届けていた。
「……暇なのですか。アレス神」
『…お前の声を拾えるくらいにはな。しかし本当に久しい。なあ、俺の記憶が正しければ二回目だろう。教えてくれよ、お前はアテーナーやヘカテーには頼らないのか?』
対価ではないが、土産話でも寄越せと言わんばかりの声色に崇は眉間を一層強張らせる。しかし言わないと力を貸してもらえないと思ったのか、渋々崇は口を開いた。
「私という「もの」が戦い、怒り、力を振るうのをアテナ様は快く思わないでしょう。戦う力など御貸し頂ける筈も無く。それが全てです」
その返しに、アレスは笑うかに思われたが――返ってきたのは、感情に満ち足りた声だった。
『ああ――悦い。実に、イイ女だ、お前は。開き直りはせず、しかし己の怒りから目を背けず、課された「やり方」の期限なんざとっくに切れるくらいの時が経つというのに自分の持ちうるものの範疇でしっかり片を付けようとする。自分がどうやって発散させようとしてるかも分かってやってるってのが眩しいな』
「……もう始まります。無様は晒せませんので口を閉じて貰えますか」
『…巨人か。久しぶりに見るな。それなら…お前の負荷を軽くしてやるよ。さあ――どこに欲しい?お前が望むならどこにでも。拳か?眼にか?それとも、その全てに――』
「両膝より下。それだけで結構です」
『…相変わらず賢いこって。仕方ねえ。それじゃあ。
しっかり、使い切れよ』
その声が薄れると同時に崇の足に崇のものでない魔力が纏う。赤黒いそれは見た目こそ変わらないが尋常でない『闘気』によく似ていた。
戦神アレス。戦争の狂乱が具象化した彼は、崇やその師が流れを汲む冥府に関わる神だ。アレスが荒ぶればその戦禍で人が死に、冥府の住人が増える。『光』の戦神がアテナなら、アレスは『闇』の戦神と言っても良い。属性が近しいからこそ崇は彼の名が持つ力で魔法をかけた。
「……やりましょうか」
これはただの腹いせだと分かっている。感情論で力を振りかざしていい事など無いのも知っている。だが、この怒りは、抑え込んで呑み下してはいけないものだ。崇は自分だけではそれができない。幼少期は違ったが、今は冷静すぎる性格になっている。だからこそ、崇はアレスの力を借りるのだ。「怒り」というものをその熱量を失うことのないまま昇華させるために。
「本気でやる気かよ……」
「ハッ、あんな程度じゃ簡単そうだな」
ダロンが地面を踏みしめ威嚇の衝撃を放つ。波が直撃する前に崇は地を蹴る。闘気の余波が地面を抉るが、それを見る前にまずダロンの鳩尾に強烈な蹴りが入った。
「ぐっ……オッ……!!??」
「!そこ、かっ!!」
デュアが真上を見上げると脚を振り上げた崇と目が合う。着けたままだった籠手で受け止めたが、ビリビリと振動が走り気付けばその破片が降ってきた。
崇は空を蹴るとデュアの兜に飛び乗る。ダロンが拳を止めたのを見て挑発的に優雅なターンを描いた。
「童話の巨人程莫迦では無いらしい」
「てっ…めえ……!魔法なんざ使いやがって!何しやがった!」
「膂力を貴方がたと同じにした、それだけの事。ぎゃあぎゃあと喧しい」
「澄ましてんじゃねえ!!」
デュアの手が崇を鷲掴む。意気揚々とダロンに見えるようその手を突き出すが、手の中の崇は平然としている。
「クソが、握り潰してやらぁ!」
デュアが両手で崇を掴み力を込める。魔法で守りを固めているとはいえ巨人の握力で握られようものなら人間はぺしゃんこになってしまうだろう。
しかし崇が眉を僅かに動かしたその瞬間、爆発するような勢いの黒炎と見目以上の熱量がデュアの掌を焼いた。
「ぐあぁっつ!!!」
「何だ……何しやがった、てめぇ!!」
『(…汚い手で触れるな)』
冷ややかな声の主は古代だ。崇は悠々と再び地面に降り立つと、真上から迫るダロンの掌を撥ね退け籠手の関節部分を強蹴し膝を突かせる。
「随分と簡単に膝を突く。そんなに地面が好きなら一生「仲良く」しているか?」
「ちっ……コケにしやがって……!!」
二人はなおも立ち上がるが、その眼光は最早喧嘩のそれではない。
だが、それを受けても尚崇は薄く笑んだ。
場面は変わる。
「さて……後は、どうにか申請を通してくれれば良いのだけど」
「…手間をかける」
「いや、防備が万全でなければおいそれと戦えねえならそれをどうにか解消できるよう動くのが当たり前だろ。……んぁ?あれ、エコレか?」
レイオと共に村の防衛状態の視察をして戻って来たクロードとウォルフを迎えたのは非常に狼狽えた様子のエコレだ。
「ふ、二人ともー!頼むよ、弟子ちゃん止めて!」
「は?」
「ど、どういうこと?」
「そっ…その、弟子ちゃんが顎岩の奴らとケンカになって…!」
「馬鹿者!!!なぜ止めなかった!!」
「ごめんなさい!!」
半泣きのエコレにレイオの雷が落ちる。しかし息を詰めた二人は、揃って顔を青くした。
「…エコレ、アタシ達を乗せて全速力で走ってくれるかしら」
「あ、え、う、うん、もちろん」
「まずい。急がねえとあいつら……」
「走るよ!…ごめん、完全に俺のせいだ。無理にでもなんでも間に入っていれば…!」
「違う」
「へ?」
「あの子。本気で怒ると、とんでもないことになるのよ」
エコレの心配と人間二人の心配は全く異なっていた。二人の脳裏には、在りし日の思い出が鮮明に思い起こされる。
「前にも一度、似たようなことがあったの。アタシ達が崇ちゃんのところへ駆け付けた時には全部終わってたけど……」
「…崇を襲った奴は全員、バッキバキに心を折られてた。どうしようもない奴ほど徹底的に心身共に叩きのめされてたな」
「……え、そっち?」
そんなことを話していると訓練場に着く。ここまで騒ぎになれば当然戦士達は集まっているが、誰も喧嘩を止める気配がない。ギャラリーとして集まっているのではないのはどう見ても明らかなのだが、それは遠巻きの最前列に座って眺めている魔法使いのせいだった。
「よお。お前達も見に来たか。いやあ、己も崇の癇癪を直で見るのは初めてでな」
「テオドール殿!そんなことを言ってる場合ですか!」
「止めろとでも言うのか?あれを?お前達があれの性格を知っているなら、寧ろ止めてはいけないことを分かっていると思うがな」
テオドールは杖で向こうを指す。それは今や喧嘩というにはあまりに優勢が分かり切っているものだった。
「鈍い、鈍い!鈍ら以下だなこの腕は!」
「先の威勢は何処へいった!なあ、おい!私に言い放ったことを忘れているようだな、(規制音)野郎が!」
「…気のせいかしら。聞いたことないノルド語が聞こえたわ……」
「そうだな。俺も聞いたことねえわ」
巨人達の顔を見れば崇がこの年頃の女性が使ってはいけない言葉を使っているのがよく分かる。彼女の名誉の為ここで明言しておくが、崇は決してそのような言葉を使う女性ではない。言葉の使い方を何よりも知る師に育てられた彼女は、当然ながらその心得を誰よりも理解している。
…だが、この師弟の悪い特徴として、一度敵対した相手、相性の悪い…特に「嫌う」相手には滅法容赦が無い。雀の涙程も無い。そうなった相手には、相手に最もダメージが入る方法を使うのだ。安易な言葉を使うならば「報復」として。
顎岩の二人に崇が結果、喧嘩を売り、そしてほぼ勝利状態にあるのもそれだ。二人が崇に向けてきた言葉や態度は決して「良い」ものではなく、誇りも心も傷付けた。溜まりに溜まった怒りと悲しみが堰を切った、否、爆発した。崇は折れなかっただけで、受けた傷は相応のものだ。
――ならば、同じだけの傷を受けてみろ。
これは崇にとっては正しく、そして必要な「怒り」の発現なのだ。それを第三者が無理に止めていいものか。…テオドールの言うことに間違いは無い。それは事実であるのがこの場にいる誰にとっても辛かった。
「…しかしテオドール殿」
「あ?」
「あのような言葉を教えたのは……」
「……悪いな、育ての親が悪かったもので」
珍しく反省の素振りが見える声だが、それは今更というものだ。
そうしていると一際巨大な地響きが鳴り響く。決着がついたのだ。
大の字になって倒れるダロンの頭に額に、赤黒い闘気が消えた足が乗る。
「さァて。「人間」の「女」なんぞに眉間を踏まれる「戦士様」は一体、何を教えてくれるんだ?」
すっかり怯え切ったダロンの目が崇の目を見上げる。逆光のせいか光のない目は底が見えず、冬の湖に投げ込まれた時以上の寒気が全身を襲う。
「口が利けない?立てもしない?そんなわけが有るものか。誇りある「戦士」がまさか、そんなことが有る筈も無い」
崇は足裏を踏ん張るように力を入れる。ぶるぶると眼が震えるのを見て、崇は残酷に冷笑した。
「…能が足りるのなら覚えておけ。お前達は力で敗けたのではないよ。ただ、他人を見る能と、他人に対する礼と、浅はかなばかりの脳味噌に可哀想な程の自意識があったから負けたのだ。ああ――。
余りに、弱過ぎるな」
妖精眼が微笑む。柔く、柔く、慈しみと優しさを備えて微笑む。それが他者の目にどう映るかを知って妖精眼は微笑む。
こうして、内輪で起こったこの事件は、巨人族の歴史の中で最も衝撃的な事件の一つとして幕を閉じた。




