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「寒いね」
「そろそろ雪が降るかもな…晴れてるだけよしとするか」
駅を出ると冷たい風が吹きつける。優一のスマホ画面に表示されている探図は、ここから信号を一つ超えた所にある地下鉄入り口に例の魔力を示している。
「そういえば竹中さん、古代さんはどこに…」
「うん?ここにいるよ」
崇のストールからミニサイズの鰐のようなトカゲが顔を出す。
「へ?」
「ああ、あの姿は人型になった姿なんだ。今日は寒くなると思ってここに入っててもらったんだよ」
そうだ、と顔を出したついでに古代を優一の手のひらに乗せる。
「あっ…たかい!?」
「でしょ。古代は火蜥蜴の親戚みたいなものなんだ。ちょっとの間持っているといい。すぐ温かくなるから」
「おい、行くぞ」
「はいはい」
ウォルフの「犬」が先導し、髪ゴムが落ちていたという箇所の匂いを嗅ぐ。
「同じか」
『ワン!』
「次はこっちだ。よく覚えろよ」
「…あの、竹中さん。ちょっと聞きにくいことなんですけど…。あ、古代さん返しますね。ありがとうございました」
「ああ、もう大丈夫?」
「はい。それで…その、どうしてここの常駐部門は竹中さんとウォルフさんしかいないんですか?えっと、居るという意味なら古代さんやメルヴィスもそうですけど…」
「ああ…そういえば、うちの部門名も教えてなかったね。
君は【輪】の常駐部門に異動になる、という事しか聞かされずにここに来ただろう。ここは…魔力世界側に関わったことがある人物なら、まず良い噂は聞かない部門なんだ」
「え…?」
「どこで尾ひれが付いたかなんて、心当たりがありすぎるから数えてられないけれどね。――部門名は、“パンドラの檻”。世間様じゃあ、「呪われている部門」なんて言われているかな」
「……ッ」
優一は分からなかった。確かに、科学が世を支配する〈現世〉に魔法使いがいるなんて珍しいというのは知っていたし、魔法使いは古い風習を重んじるものであるから、現代に溶け込んでいる彼らは同族によく思われていないのかもしれない。
けれど、優一が見てきた彼らは「普通」だった。
(竹中さんは、分かってて受け入れたんだ。ウォルフさんも。…だから、そっけなかった。でも……。
竹中さんは、まっさらな目で「僕」を見てくれた。ウォルフさんも、チャンスをくれた)
自分の見た彼らを信じたい。優一は、温まった手をぐっと握りしめた。
* * *
「…クソッ。匂いが切れてやがる」
「君でも駄目?」
「ああ。これ以上は無理だ。街全体が薔薇臭え」
「薔薇?」
「バラの匂いなんてしませんけど…」
「ヒトの鼻ならそんなモンだ」
駅前から離れ、血液の魔力を辿っていたが大学近くの交差点で追跡が絶たれた。
「吸血鬼は薔薇の匂いを纏うとは聞いたことがあるけれど…それ?」
「多分な。あちらさんも痕跡を残したのはミスだったんだろう。捜索願いが出ている以外、手掛かりもなにもなかったんだからな」
「どうしましょう…。こっちは変わらず、何も映らないです」
「んんん…」
嫌そうに頭を捻っていた崇だが、他に打つ手がないと溜息をつく。
「仕方ない。誘き出そう」
「え…だ、大丈夫なやつなんですか、それ?」
「正直余計なモノも寄ってくるかもしれないから避けたいけれどね。他に打てる手もないし――」
崇が袖を捲った、その瞬間。
「崇!!」
『……!!』
爆発音に似たと共に銃弾が降り注ぐ。明らかに崇を狙ったそれは、黒い鱗模様のシールドに阻まれた。
「…使い魔か。魔女のお約束ってワケ」
ガシャン、と重い物を落とす音が静寂に響く。音の正体は、ビルの上に立つ人影が銃を無造作に捨てた音だった。
「ありがとう、古代」
『(気を付けろ。薔薇の匂いがする)』
「…なにコソコソしてんの。ああ、魔女になに言ってもムダってこと?ならいいわ。今ここで――命で償え!!!」
「!!」
吠えるように言い放つとビルから飛び降り、一直線に突っ込んでくる。その手には、少女の手には似つかわしくない大刃のサバイバルナイフが握られていた。
「くっ…!!」
「退くぞ!態勢を立て直す!」
「うわぁっ!?」
首根っこを掴まれた衝撃で悲鳴をあげるが、それに構わずまた爆発音が、今度は至近距離で聞こえる。
「待て!!」
「《鉄鋼蔦》!」
「っ…卑怯な!」
ウォルフが叫ぶと少女の足元から鉄の蔦が成長し、拘束する。
「《走れ》!」
「っ、分かってるよ!」
ウォルフの言葉に崇も優一も、勝手に踏み出した足に転ばないよう走り出す。
「な、なんでいきなり襲ってきたんですか!?」
「知るか!あんな無茶苦茶な能力の吸血鬼なんざ、会ったの今夜が初めてだっつうの!」
「吸血鬼なんですか!?」
「目が赤い。けれど、目元のオーラが赤紫だった…。本当にあの血液の主か?」
「満月が近いくせにあれだけ暴れまわるかよ…っ、と!!」
「ひええ!!」
「逃げるな!!!」
後ろから飛んできた紅いナイフがウォルフと優一の顔を掠る。
「血質も高いか…ったく、追われるのは性じゃねえんだよ!」
コンクリートに焼き印のようにウォルフの足跡が残る。
「っ…何だ?」
後を追ってきた少女が何かを察知して一瞬足を止める。それと同時に、足跡が勢いよく爆発した。
「…よし。《跳ぶぞ》!」
「へ…」
「分かった!」
目まぐるしい逃走劇の混乱は、突然の浮遊感で終了を告げる。
「わああああああ!!?」
走っていた足は気付けば地面から離れ、優一は空に放り出されていた。
「よっと」
「うぶっ!」
恐怖に目を瞑るとごつごつしたものに受け止められ、腹から変なうめき声が出る。どうやら地面に激突するのは避けられたようだ。
「吐くなよ」
「う、ウォルフさん…なんだったんですか…いまの……」
「魔法だよ。それ以外何があるんだ?」
「そういう…ことじゃ…」
久しぶりの全力疾走で息が続かない。血液か魔力か分からないものが、全身をぐるぐる回っているような感覚になる。
「落ち着いて。浅くでいいから息をして、少しずつ長くしていくんだ」
過呼吸でうずくまる優一に崇が駆け寄る。ポケットから青い水晶を取り出すと、優一の手にしっかりと握らせる。
(抵抗力が思ったより低い…。これは…少し考えないといけないな)
「あ…竹中…さん…」
「うん、大分落ち着いてきたね。立てるかい?」
「はい…。えーと、ここは?」
立ち上がって辺りを見回すと、ビルの明かりが同じ目線か下にあるのが見える。貯水タンクを見つけたことでようやく、ここがどこかの屋上だと優一は気付いた。
「地雷トラップで時間は稼いだ。…つっても、そろそろ来そうだがな」
「ああ。鎖の準備だけしておいて。――来た!」
月光に照らされた人影が、崇を狙いナイフを構えて降ってくる。
「げほっ!…よくも…ちょこまか逃げてくれたな…!!」
「随分と殺意が高いね…。そんな華奢な身体で、よくここまで暴れたものだ」
「うるさい!!この、魔女がッッ!!」
「『魔法使い』と言ってくれよ。その呼び名は好きじゃない」
明るい所で見ると、少女の服は爆発に巻き込まれたせいか端がほつれ所々黒く焦げている。しかしその素肌は全くの無傷だ。
「藤崎。あの女の魔力の数値を測れるか」
「分かりました!」
「いつこっちに矛先が向くか分からねぇ。急ぎでだ」
少女は頭に血が上っているせいか、目の前の崇に執拗に攻撃を仕掛けている。手に持ったサバイバルナイフも、いつの間にか吸血鬼特有の「紅い」サバイバルナイフになっていた。
「避けるな!戦え!」
「当たったら串刺しだろう。死にたくないから、なっ!」
避けた勢いを利用した蹴りがナイフを持った手首を打ち付ける。宙にナイフが舞い地面に突き刺さった瞬間、巨大な棘がナイフを中心に四方に広がった。
「痛いのは嫌だなぁ…」
「黙れッ!お前が…お前たちが元凶の癖に、被害者面するな!!」
「元凶…?」
「その眼にその魔力…っ、闇の魔女が、闇の魔法使いがやってることは知ってるんだ!京花を…あたしの友達を、返せえええええッッ!!!!!」
少女の咆哮ともいえる叫び声に呼応し、紅いナイフが次々と形成される。その切っ先が崇に向いた瞬間、少女の胸を剣が貫いていた。
「「!!」」
「あ……」
ゆっくりと剣を抜かれ、倒れ伏した少女の身体から真っ赤な血が池を作る。
「仕事が遅れて申し訳ない。無事かね?【妖精の輪】の諸君」
月光に浮かび上がったのは、茶髪を一括りに結び狩装束に身を包んだ、紫色の眼の男性だった。突然現れた人物とあっけなく倒れた吸血鬼に崇もウォルフも息を呑んだが、茫然と優一の唇からその名前が漏れる。
「遥…先生……?」
「ああ…妖精の輪に連なる組織にいるということは知っていたが、まさか会ってしまうとはね。いやしかし、敵対せずに会えたことは喜ばしいよ。藤崎くん」
優しく優一に微笑みかけると、まだ警戒を解かない崇とウォルフに狩人…遥は恭しく頭を下げる。
「初めまして。私はこの街の大学で教師をしている遥透という者だ。藤崎くんは私の生徒でね。…だが、今の状況ならこう名乗ろう。私は、『吸血鬼狩人』と――」
「違う!!!」
遥の声を遮り、優一が叫ぶ。その顔は青ざめペンを持つ手は震えていたが、否定できない事実が青く映し出されていた。
「遺留品の血液と…魔力数値、百パーセント、一致。……貴方は、ダンピールなんかじゃない…。吸血鬼だ!!」
柔和な微笑みを浮かべた遥の表情から、一瞬で熱が失われる。優一を見つめたその瞳は、紫から狂った紅へと変貌した。




