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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
第三次巨人戦争 中編
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 高台へ登る。

 歩を詰めるごとに、空気が薄くなり魔力は濃くなる。

 不思議だ。氷の、雪の魔力で満たされているのがこの地の空気であるはずなのに、匂いは大地の、森の匂いだ。

 高台に辿り着くとフリュムが下りるところだった。高台の台座には大麦の杯(ビュグヴィル・スコール)が置かれている。その正面に、彼は居た。

 神代より生きる山の巨人(ベルグリシ)、その最後の一人。旧き巨人、「ヨール」。

『――――輝ける角の子よ――――』

「っ……!!」

 声が響く。山に吹き荒れる風のような声が虚空を過ぎる。

 古ノルド語だ。話者はほとんどいない、神代の言語。知識として知り得るだけだったそれを言語として実際に使う人物に会うのは初めてだが、どうしてか、崇はヨールの言うことが分かった。

「あ、なた、は……」

 胸が潰れるような圧迫感、目の前の相手は(おそ)れる相手ではないという安心感、その二つが衝突している。神や精霊とは違う心根と、(おお)いなる存在に遠くない未来に成るであろう魔力を声や息遣いの一つ一つに感じ取れる。

『――――(よく、来た。我等の祖と同じ起源を持つ子よ。障りは、ないか)――――』

「……山長、殿。巨いなるもの、ヨールよ。私は、貴方が知るような()()では、ありません…」

『――――(ああ、ああ、いいのだ。師より、よく聞いている。それを責めるなど、すまい。……だが、同じ、匂いのものは、求めてくる、だろう)――――』

 「同じ匂いのもの」。その言葉に崇は杖を強く掴む。

『――――(五つの山を、越え、(おり)が溜まる地に、強く匂う場所が、ある。あまりに、(おぞ)い。使われている、何もかもが、地に(つんざ)きを…沁み渡らせている…)――――』

 深い、深い声だ。恐らくヨールは、大地と同化している故に肉持つ巨人(イェッタ)が産まれるそこで何が起きているのか、何が居るのかを感じ取っているのだろう。

 悍いと嘆くその声は、怒りや憤りは塵ほどもない。崇が感じたもの、あるいはそれよりも(むご)く、悍ましいことが起きているというのに、どうしてその声には慈しみがあるのか。

「どうして――どうして、貴方は、怒らないのですか。どうして……優しいの、ですか」

 「自分」と同じものがその原因となっている事を崇は否定できない。理屈や原理はないが、分かってしまう。

 戦いを生き残り、後を託した子孫をそのように扱われ、怒っているはずなのだ。この事態に憤りがあるはずなのだ。それを感じ取っているなら、怒りを持つことは当然である。

 頭では分かっていてもどうしようもならないものが感情、激情だ。目の前の人間が原因そのものでなくても、同じものなら怒りは向いて当然であるはずなのに、どうして。

『――――(問いたいことは、幾らでも。だが、ぶつけるものでは、ない。人間であろうと、巨人であろうと、命であることに、変わりはない。苦しみに向かうものであるものに、変わりはない)――――』

「……ヨール、殿……」

『――――(賢き者に、託す。上手く、伝えよ。……輝ける角の子よ。その呪は、元は呪ではない。…それが、いつか祝となれるよう)――――』

 重い風が崇の頬を撫でる。その風を最後に、ヨールは再び沈黙した。


* * *


 高台から村長の家に戻る途中、崇の顔に影がかかる。

「?」

 見上げると、その翼に炎を纏った(サギ)のような鳥が崇の真上にいた。その大きさは現世にいる鷺のものより大きく、猛禽類と比べても大型の鷲に近いサイズだが崇はすぐにそれが何であるかを思い出す。

「フレイミアの分身か?」

『左様。テオドールが急いで迎えに、と。掴まるといい』

「分かった」

 何か進展があったのだろう。崇は迷わず跳躍し鳥の姿をした分身の足をしっかりと掴むと、分身は大きく羽ばたいてスピードを上げ滑空していく。

 分身は村長の家の窓に迷うことなく入ったが崇の足が窓枠にぶつかることはなかった。入ったのは話し合いをしていた広間だが、そこにはテオドールしかいなかった。

「師匠。戻りましたが…」

「ああ。大麦の村に小隊を出して調べに行く事になった。これらを四人分頼む。在庫は幾ら有る?」

「…ええと、透明化の薬に隠しの香、七色石に…双子ヒュドラの精製アンプル。あのですね、魔力技師なら何でも持っていると思わないで下さい。上の三つは四人分ありますがアンプルはありませんよ。というかそんな物出回っていませんし、貰ったこともありませんから!」

「お前でも無いか」

「というか下賜されても断ります。十割面倒事になるので。…巨人にも回る毒が必要なんですか」

 (そうだ)と返し、じゃあ如何(どう)するかなとテオドールは頭を掻く。代替品が無いかとウエストポーチを漁る崇を見て、何かを思い出したように指を鳴らした。

「ああ、(おれ)の毒を遣ったろう。()だ残っているか?」

「残るどころか一瓶丸々ありますよ!あんなん使う配合あると思うんですか!!」

「じゃあそれで四本作ってくれ。最悪絞らなければならないと思ったが、必要無さそうだな」

 ヒトより蛇のそれに酷似している犬歯を指さしてテオドールは愉快そうに笑う。崇は対称的に物凄く嫌そうな顔をしているが、それさえもテオドールは愉しんでいた。

 テオドールが崇に渡した紙に書いた品のうち、「透明化の薬」と「隠しの香」は徹底的に自分の存在や痕跡を消すためのものだ。戦闘を避けなければ時間をとられるのもあるが、浮上してきた『敵方』にどんなものであれこちらの情報を与えないためでもあるだろう。霜の巨人(ヨトゥン)が増えている以上いずれ勘付かれるだろうが、打てる手を打たない道理は無い。

 「七色石」はその名の通り七色のいずれかに輝く石だ。小さいがその色はどこにあっても注意を引き、道しるべにもなる。だが今回はそちらよりも、巨人が待ち伏せしているかどうかの安全確認に使う。もし潜んでいた場合、「毒」で速攻を仕掛ける。テオドールが話していた「毒」とは、何を隠そう『バジリスク』の毒だ。詳細は省くがテオドールはどうも、大昔伝説に名高い毒蛇を討伐した時その肉を食べたため、自身も同じような身体になったと崇は本人から聞いている。真偽の程はどうであれ、猛毒であるのには間違いない。少量のアンプルでも巨人を殺すには十分すぎるだろう。

 調査に出るのはテオドールとクロード、ザクスノットとエコレの四人に決定した。昼食の後、崇は門の前で四人に道具の使い方を伝える。

「透明化の薬は塗り薬です。瞼と鼻、耳の中に塗り込んでください。お互いの姿は皮袋に入れた、魔法をかけた(ハシバミ)の枝があるのでそれで認識できます。隠しの香は持っているだけで大丈夫。七色石は良いとして、アンプルです。良いですか、こちらは絶対に必要にならない限り触らないで下さい」

「これは毒かの」

「仰る通りです。このアンプルは、ここまで対策を施しても霜の巨人に見つかってしまった時、もしくはそれに準ずる時にだけ使ってください。一撃で霜の巨人を殺します。刺すなら、骨に届かせる位の意思で刺して下さい。指先を掠りでもしたら、良くて五年全身不随になる程度です。だからそのような状況にならない限り、決して、決して、決して触らないで下さい。手で遊ばせるなど言語道断。良いですね」

「なんでずっと俺見て言うの!?目が怖いよ!弟子ちゃんの妖精眼俺が知ってるやつと違う!」

「お前の態度が軽いからではないかな」

「ふざけるような巨人(やつ)じゃないから俺!」

 何かあったら使い鳥を飛ばすことを約束し、四人は大麦の村に向かった。



 隣の村とはいえ目的地までは巨人の足でも相当な距離がある。しかし山の巨人も策を講じており、交易の中継地点として利用している洞窟に転移魔法の魔法陣を設置していた。湖の村最寄りの中継地点から大麦の村最寄りの中継地点まで転移すれば大幅に時間を短縮できる。

 調査隊の四人が大麦の村に着いたのは午後三時過ぎ。大麦の村から見て北東の方向にある顎岩の村から来ていた調査隊と合流し、再度調査目的を確認して村に入る。

 顎岩の村から来ていたのは【妖精の輪(フェー=ルウェン)】の職員三人と温和そうな若い巨人が一人だけ。これに顎岩での年長者がいたなら協力体制は作りやすかったが、ザクスノットの見立て通りそう簡単にはいかないようだ。

 肉眼で見た村は、やはり「悲惨」の一言であった。家は軒並み薙ぎ倒され、巨人の死体が転がっている。老いた巨人の遺体は既に表面が岩のような質感に変わっているが、若い巨人の遺体はまだほんのりと温かい。

 山の巨人は、人間に近いものではあるがその本質は精霊や妖精の類いのものだ。死ぬと石や岩、土や砂に変わり自然に還る。それが山の巨人の『命の廻り』だ。

 老衰で亡くなる巨人や、病に倒れた巨人は還るのが早い。それは魂が残り少なかったからだと巨人は理解している。だがそうでない理由で亡くなった巨人は、還るのに年単位の時間を要する。魂の残りが多すぎるため、体から魂が離れるのに時間がかかるからだと伝えられる。

 この村にある遺体の多くが、温もりを残していた。

「…………」

 テオドールはひとり、優一が視た「あの」遺体を探す。

「………青臭ぇ」

 村の奥からその臭いは漂ってくる。血の臭いと混じって不快指数は上がるばかりだ。

 床部分と柱しか残っていない家に、その女の遺体はあった。他の巨人の遺体と比べると随分綺麗で、表情は絶望に染まっているが首の骨が折れているだけで他に外傷は無い。

 女巨人が何をされていたかは優一が伝えたことと相違無かった。股の間からは栗の花に似た臭いのする濁液が溢れ出しており、それは家の外まで滴っている。

 事を済ませた巨人がそちらへ去って行ったのだろう。テオドールはその方向へ目を向けたが、溜まりを作る精液に皺が出来るほど眉を顰める。

(この気配…………間違い無い。『魔精殺し(ブリシム)』だ。鏖殺と抹消の邪滅(レーク)が取り溢すか。…いや、違うな。働き蜂気取りの溝蠅が集めたのだろう。『あれ』を)

 崇の持つ『魔精殺し』に比べれば劣等だが、その魔力は確かに遺体と床を蝕んでいる。敵方が魔精殺しを持つものを産み出しているなら頑強を誇る山の巨人が一晩で壊滅するのも納得のいく話だ。

「……ーん……あーん……うあーん!」

「…!子供が!」

 鼓膜を震わせた命の声にテオドールは目の間に魔力を集中させた。テオドールの視界が変化し、「温度」で世界を見るようになる。蛇が持つ赤外線感知器官、「ピット器官」を使ったのだ。

 声の主は残骸に偶然できた空洞の中にいた。まだ産まれて一ヶ月ほどの赤子だ。巨人族の子供だけあって大きく、腕で抱える事ができず膝に乗せる。

「……………。………まだ、乳飲み子ではないか…」

 赤子の頬には精液が付いていた。拭った布が魔精殺しで消滅する前に投げ捨てるが、この赤子はもう長くないことは魔精殺しと最も長く付き合った事のあるテオドールだからこそよく分かってしまった。

「…よし、よし。母は、眠ってしまったよ。お前ももう直ぐ、同じ眠りにつく」

 魔法で子供が喜びそうなものを幻で出してやろうかと杖を持ったが何を出したら良いのか分からない。思案していると、使い魔(ファミリア)のフレイミアがとても小さな花火を出した。

「きゃっ、きゃっ!」

「…綺麗だろう。楽しいか。……そうか」

 今に至るまで全身を保っているという事は、この赤子は()える時は全身が一気に滅えるのだろう。恐らく今、赤子の全身に魔精殺しが回っている。これでは、触れてやることすら出来ない。

 一切の摂理、道理を無視し、魔力持つものを蝕み、侵し、()し去ってゆくのが『魔精殺し』。ただ待つことしかできない己に内側が軋む。この時だけは、テオドールは人が神に縋る気持ちが分かった。その本質がどのようなものであれ、希望と願いと悲哀を以て祈るしかない。苦しみの先は安らぎであれ、と。

「…あーう?……」

「…では、な。次の生は、必ずや全うできるであろう」

 赤子の体が魔力の塵になる。だがその塵すらも魔精殺しは滅し尽くし、後には何も残らない。

 テオドールはローブを赤子のいた瓦礫に置いて行く。魔精殺しに触れたものは持って帰れないからだ。他の職員も残った魔力の正体に目星が付いているだろう。巨人にも魔精殺しの伝承はある。深刻性の把握は、そう難しくない。

 調べるだけ調べたら、火を放つ。村の外周から押し寄せる火を放ち、大地に染みた魔精殺しを相殺させ、全てを焼き払う。半世紀は草木の根付かない不毛の地となる程に。

 …その夜、豊穣を約束された村が燃えた。何一つ残すことなく。


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