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門番詰所の馬留で待っていたシェシュに再び跨り、ユーニグリンドと大麦の村の巨人、フリュムに並走し村長の家に向かう。フリュムは見た限り青年といえる年頃の見目をしている巨人だ。あちこちが擦り切れ乱れているが身に付けているものは良い質のもので、大麦の村ではそれなりに上の地位にいることが窺える。腕に抱えたものを僅かでも離すまいと腕を寄せ、神経質に辺りを見回すものだから崇もその布の塊に視線を向ける事は早々に止めた。
太陽はすっかり昇り天気ばかりは良いが、村の空気は重い。北西の空にはまだ薄すらと残る狼煙があるが、もう一時間も経てば消えてしまうだろう。道ですれ違う人はなく、遠目に家畜の世話をしている女性が見えるだけだ。
「村長!ユーニグリンドだ、フリュム殿と弟子殿をお連れした!」
「――ユーニグリンド!よかった、無事だったのね。…久しぶり、ね。フリュム」
「え、ええ…お久しぶりです、伯母上」
「…ええ。どうぞ、お入りになって。レイオとザクスノット、それからこれらの事態を調べている人間も来ているわ」
村長の奥方に招き入れられ、個人の家にあるものでは相当な規模の広間に通される。
広間では武装した巨人が三人、獅子首のレイオと剣のアルヴァラ、そして奥方が言っていたザクスノットという老戦士に、優一も合流した“パンドラの檻”のメンバーとテオドールが中央に置いた地図と通信器を囲んでいた。
「――おお、フリュム!よかった、無事であったか!」
「お久しぶりです、ファルステン殿。…そちらの方々は、【妖精の輪】の方ですね。仔細は私も伺っております。…良い魔術師の方々と、良い長でありました」
フリュムの言葉にクロード達は目を伏せる。大麦の村に滞在していた部門がどうなったかは推し量るべくもない。
フリュムは机に布の塊を置くと、意を決した面持ちで口を開いた。
「……。我々の村は、壊滅しました。
目で数える限り五十。実際はそれ以上だったでしょう。霜の巨人と肉持つ巨人…不死の巨人がいたかどうかは私には分かりませんでしたが、今やそれを確かめる術はありません。先触れは無く、魔術師の先見でも視ることは叶いませんでした。我々に分かったことは、奴らは明らかな「目的」があって村を襲撃してきたということだけ。その場しのぎの足止めを仕掛けて時間を稼ぎ、どうにかこれを持ち出すことができました」
フリュムが布を解き、中のものを顕わにする。
それは金属製の杯だった。中は空だが仄かにアルコールの香りが漂ってくる。黄金もかくやの輝きに磨かれ、ある神に仕えた召使いが酒を造っている様子を描いたレリーフが施されたこの杯は、紛れもない傑作といえた。
「…!」
「おお…まさか、再びこれを目にする日が来ようとは」
「…フリュム、父君は」
「…父は、足を悪くしておりました。本来ならば正しきシャーマンでなければ触れてはならぬ品であることは重々承知…揺り戻しは元より覚悟の上です」
年長の巨人はこの杯が何であるかを知っているようで、触れるどころか手を近付けようともしない。村長は眉を険しく寄せていたが、テオドールに頭を下げた。
「テオドール殿、旧き賢人の貴方であれば祟りは起きますまい。この杯がまだ力を持ち、欠けていないかを確かめて頂きたい」
「……。良いだろう。崇、お前も此方へ来い」
テオドールは杖を崇に持たせ、片手で杯を取る。緊迫した空気が支配したが、テオドールは何事もなく杯を再び置いた。
「欠けも漏出も無し。神威というには薄く柔い神気だ。若造、この杯は何だ?」
見掛け倒しだったと言いたげな語気にフリュムはやや表情を険しくする。
「これは『大麦の杯』といい、天の神フレイの召使いビュグヴィルによって授けられた杯。この杯は持ち主が望めばいくらでも麦酒で満たされ、その麦酒は魔力そのものであります」
「ほお」
「師匠」
「麦酒」と聞いてテオドールの目付きが若干変わるのを崇は見逃さなかった。視線で釘を刺し、本題に戻る。
「成程、こいつを狙っていたと?」
「はい。単に麦酒を飲みたいから、などはありえないでしょう。ただ、何のためにという疑問があるのですが…」
「神代には魔術を使う霜の巨人がいたというが、まさかそれが?」
「ありえなくはないが……儂も魔術を使う霜のは見たことが無いぞ」
クロードは杯を前にして何かを考えているようだが、村の有力者三人の考えに割って入ろうとはしない。優一と崇は心当たりはあるものの、クロードが何も言わないでいる以上その部下が何かを言うわけにもいかない。
必然的に、提言したのはテオドールだった。
「なあ、もう『肉持ち』から目を逸らすのは終わりにしろよ」
「…っ……で、ですが……」
「お前達山の巨人が霜の巨人と交わったなどという非生産的な疑いなどかけるものか。そも生命の循環の期限はお前達の方が余程詳しいだろうて。認めるには苦痛を伴うのだろうが、既に村が一つ落ちたろう」
テオドールの見目は二、三十代の、巨人からしてみれば「若造」の年齢のものだがその言葉は聞き分けのない子供にする説教に等しかった。歳を重ねれば価値観は固定化され自分の常識外にあるものを認めるには痛みを伴うのは人間も巨人も変わらない。だが、ここで巨人族だけに主導を任せていては事態は何も動かないところまで来てしまっているのだ。
「肉持ちは人間の胎から産まれている。短い周期で産めるよう胎やつくりを弄り、胎の数も増やし、次々と産み落とされている。区別はつかんが霜の巨人そのものも同じように殖えているかも知れん。肉持ちより霜の方が強いのは明らかだからな」
「……っ……何故、そのような……」
「目的があるのだろうよ。ここまで数が増えれば只の殖え方では説明がつかん。神の落とし子でも無い限りは」
「テオドール殿…何故、人の、と断言できるのです?」
「それをお前が疑うか、阿呆が。お前達が女を外に出さんのはどこの村でもそうだと聞き及んでいる。理由のある不出の掟が有っても尚女巨人の胎が使われているというなら、お前達の信条にさんざ歯向かった村が在るという事になる。それの方が有り得んだろう」
共同体はそれを取り囲む環境が厳しければ厳しいほど結びつきやルールは厳格化していく。ましてや神代の終わりからこの北欧の山中で暮らしてきた巨人が生存のための掟を易々と破るなど、人為的に巨人が殖やされているという推測を遥かに超えてありえないことだ。
「人間がこの事態に関わっているとすれば、杯を狙ってきたという仮説にも説明がつきます。我々人間は巨人と比べると魔力が圧倒的に少ない種。相手の目的がどうであれ、これだけの大事を引き起こしている以上魔力源の確保は必須でしょう」
クロードが人間側として意見を足す。村長はそれでもまだ考えていたが、仕方がない、と顔を上げた。
「今度は、我々が従い動く番だ。人間が関与しているというなら巨人の世しか知らぬ我々に出来る事など知れている。そうではないか」
「…諸手を挙げて歓迎できることではないが、それが道理か。既に後れをとっているのは事実」
「では、儂らは他の村に働きかけねばな。氷樹は思考が柔らかいが顎岩は名の通りだ。なに、そこらは腕の見せ所だろう」
三人の意見が一致すると村長は頭を垂れた。
「御両名。どうか導を示してくだされ。我らは出来る限りの力を以て従いましょう」
…
ザクスノットが相棒としている鷹にカメラと記録装置が取り付けられ、窓から力強く羽ばたく。目指すは壊滅した大麦の村だ。運び込まれた神具については最古の山の巨人であるヨールに捧げ置くということで満場一致し、フリュムが再度布に包み丁重に運ぶ。
優一の端末画面を覗き込もうとした崇だったが、テオドールと村長が崇を呼び止めた。
「崇。お前はヨールの処へ行け」
「え?山長殿の所へ……私が?」
「弟子殿が目覚められるより以前、山長様がお伝えになったのだ。『輝ける角の子を此処に』、と。輝ける角というのは、貴方の姿の一つだと」
「え、ええ…。確かに、そうです」
「確り話して来い」
「分かりました…」
崇に心当たりは全く無く、首を捻りつつフリュムの後を追う形で高台へ向かう。
「……。――見えました!」
たっぷり十分後、優一が声を上げた。すぐに全員が端末を見ようと身を寄せる。
端末の画面には煙が上がり建物が薙ぎ倒され、備蓄庫から溢れ踏み潰された麦が映った。これまで何百年も冬の侵攻に耐え忍んできた村の一つが踏み荒らされ何もかもが砕け散った様子にザクスノットが口元を覆う。
「……まだ、敵が残っている」
苦々しくレイオが歯ぎしりする。何かを探しているのか、十体強の霜の巨人が村を無遠慮に徘徊し死体を足蹴にしている。
「何をしてんだ、こいつら」
「あの杯を探しているように見えるわね…」
その時、映像が揺れる。優一は計器に指を滑らせたが、映像はすぐに安定した。
「やや気流が激しいようだ。これ以上近付くのは無理だろう」
「分かりました。クロードさん、端末をお願いしていいですか?魔法で視認度を強化して、目に繋げて見ます」
「大丈夫?」
「魔法はメルにお任せするので、失敗しませんよ。大丈夫です!」
メルヴィスがクロードにウインクし、群青色の魔力を手に集め魔法陣を優一の左目にかざして描く。
『《繋がりなさい》!』
メルヴィスがそう命じると優一の左眼周りに魔法陣が張り付き魔法が完成した。右目を手で覆ってから左目を開き、数回瞬きしたのち指でオッケーサインを作る。メルヴィスは得意そうに頷いた。
優一の視界は、まるで自分が空を飛んでいるかのように鮮明で風を切る感覚が音もないのに伝わるほどリアルだった。酔いそうになる感覚はほぼ無く、視界同期のデメリットは無いも同然。後でメルヴィスにお礼をしないと、と思える程には余裕がある。
今鷹が飛んでいる高度から見るよりも更に近くで見えるように魔法をかけてもらったため景色の流れが倍近く速い。だがどうにか巨人が何をしているかは分かった。
(?あの巨人、膝をついてる…?)
敵方の巨人は衣服を纏わず、全裸か局部を隠す腰布、もしくは簡単な鎧を着ているだけ。優一の目に留まった巨人も背中を晒していることから敵の巨人であると分かる。
肩などから冷気が上がっている様子はないことから恐らくは肉持つ巨人。何をしているか確認しようと、鷹が旋回し視界にその肉持つ巨人が入るのを待つ。
「――。あ、え、…ッ……!!!」
だが再度肉持つ巨人が視界に入った瞬間、それを見たその時、優一は本能的に目を瞑り同期を切断した。体に力が入らず、音を立てて椅子から落ちる。
『ユウイチ!?』
「っ、どうした!」
「見つかったのか!?」
周りが騒然とするが優一には世界がゆっくりと動いて見えた。今見たものに脳が現実を見ようとするのを拒絶する。本能的に許せず、生理的に赦せず、視界に入れたことの後悔が脳髄を浸し脳神経がフル回転で働く。
吐瀉物が飛沫く音で優一は現実に返ってきた。ほとんど消化され色のついた水のようなそれの臭いと酸で喉が焼ける嗚咽に浅い呼吸を繰り返す。
「あ、あ、あれは、駄目です。あいつら、は……っ!」
「優一、落ち着け!無理に喋んな!」
「大丈夫、です。話せます。敵の巨人、増えようとして、いるんです…!」
「『増えようと』?」
テオドールの表情が険しくなる。袖から緑色の液体が入った小瓶を取り出すと、優一が浅い息をする口にねじ込み無理矢理上を向かせて中身を流し入れる。
「話せるだろう。何を見た」
テオドールが飲ませたのは即効性の回復効果がある魔法薬だった。口に吐瀉物と薬の臭いは残るが胃酸で荒れた喉は癒え吐き気にまつわる頭痛や喉と胃の痙攣は収まっている。ハーブの匂いで気分は逆に悪いが文句は言えない。
「村の、吹き飛ばされた家、に、女性の遺体が。それと」
「それと?」
「それ、と、せ、――性交、を」
そこで精魂尽き果て優一はウォルフに縋りつき崩れ落ちる。
テオドールの左瞼を縫い付ける端が、ぶつりと切れた。




