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「……おはよう、アルヴァラ…」
「っ、崇……!良か、った、痛むところなどは、あるか…?」
「……まだ、ぼうっと、する…。いたいところは、ないよ」
「そうか。テオドール殿に使い鳥を飛ばしてくる。欲しいものはあるか?」
「…いい。自分で…」
崇が脇に立てかけてある杖を取ろうと腕を伸ばす。が、アルヴァラはすぐにその手をとって制した。
「駄目だ。今は目が覚めたばかりで調子は戻っていない。…すまない。とにかく、今は休んでてくれ」
手を離してアルヴァラは部屋をそそくさと出る。母親に崇の目が覚めたことを伝え、外に出て風の精に呼び掛ける。
「テオドール殿へ伝言をお願いしたい。『弟子殿が目を覚ました』、と」
尾の長い鳥の姿をとった風の精はくるりとアルヴァラの頭上を旋回すると南へ飛んでいった。宿に戻るとノルンが新しい水差しとタオル、柔らかいドライフルーツを用意してくれていたのでアルヴァラはそれを持って崇の部屋に入る。
「テオドール殿は村長の家へ向かったようだ。…食欲はあるか?母がドライフルーツを出してくれたのだが」
「ありがとう。…私はどれくらい眠っていた?」
「二日だ。高所から転落したんだ、無理もない。…記憶は、あるのか?」
「……。………済まない、纏める時間をくれないか。正しく伝えられない」
「いや、無理に思い出さなくていい。すまない…」
「謝らないで。迷惑をかけたのは私の方なのだから」
崇は苦しげな表情を浮かべる。アルヴァラは少し迷ったが、何かあったらすぐに呼ぶようにと声をかけ部屋を出た。
(――あれは、間違いない。間違えようがない。人工的に生み出されたのか?蘇生されて生きているのか?…どちらでも変わらない。けれど証明するにはまだ足りない。もう一度…もう一度、あれの声が聞こえるか、試さないと……)
「――崇。目が覚めたか」
「師匠」
顔を上げた崇は陶磁器よりも白い顔色で、血の気がほとんどない。だがその眼は魔力に満ちた輝きを放ち、何かを視ていることを悟らせる。
「――います。この地に」
弟子の嘆願のような宣告にテオドールは縫った片目に魔力を集める。一見何もしていないように見えるが、崇の目にはテオドールの左眼に集まった魔力が四方八方の方角へ動き、眼球がありとあらゆる方向へ動き崇とテオドールの知る『それ』を探しているのが視えた。
「数は幾つだ」
「…私が眠っている間は三人でした。流れ込んできたのは一人ずつでしたが、母体が彼女達だけだとするとまだいるかと思うのです、が」
その瞬間、石で脳天を打たれたような『思念』の衝撃が崇を襲った。すぐさまテオドールは崇の額を鷲掴んで押し倒し魔法を使う。
「《堰き止めよ高波。楔を打たれし磔の逆十字。澱は浄の盾に阻まれ深淵の境にて泡と消えよ》
――それ以上探るな。お前は不感を貫け」
「っった……はい」
テオドールは詠唱を終えるとすぐに手を離したが、崇はまだ衝撃が残るのか額を押さえ呻いている。
「お前は暫く静養しろ。『眼』が必要になったら呼ぶが、それ以外は意識を外に向けないようにしておけ。孰れ厭でも突き止めなければならなくなるだろうからな」
「分かりました…」
テオドールが部屋を出て行くと崇はまた一人になる。が、ベッドの壁をやや強めに叩くと隣の部屋から何かが転げ落ちる音がした。
「……聞こえていた?藤崎君」
『………はい。すみません』
「少し気が抜け過ぎていたんじゃあないの?…ああ、大丈夫大丈夫、怒っていないよ」
壁越しの声はやや震えていた。大方、巨人が造ったものだから壁も人間基準より厚いと油断していた、といったところだろう。最初の事件に比べたら格段に慎重さも自主性も育っているが、まだ抜けている部分があるのは褒められることではないものの、崇は少し安心できた。
「一応訊くけれど、どこから聞いていた?」
『えっと……何かが、この地にいる、というところから…』
「ああ君、師匠と一緒に戻って来たのか。…何の事か、察しはついている?」
どちらも壁に背を預けて話していることを互いに感じ取る。どちらともなく自分の声が聞こえやすいよう、少し細工をして話は続けられる。
『…巨人を産んでいる『何か』がいる、ということ、ですか』
「ああ。…私は、どうにもその存在を受信したようでね。お陰で寝覚めが最悪だった」
『嫌なやつじゃないですか…。予知夢みたいなものですよね?まず外れない…』
「まあ外れてくれないだろうね。…女の魔法使いや魔女はそういうものなんだ。男よりその手のものの感受性が格段に強い。ちゃんと対応の仕方は分かっているから、そこまで心配しないで良いよ」
『…あ、「不感」って、そういう』
「ああ。手当たり次第に怪電波を飛ばしているような奴は無視しておくに限る。個人的に寄ってきたら、その時は相応に抗するさ」
『この事、クロードさんやウォルフさんには伝えますよね?』
「…いいや。いずれ言わなければいけなくなるだろうけれど、それまでは言わないで欲しい」
優一が壁の向こうで息を詰める音が聞こえた。
『分かりました。記録者の信条にかけて』
崇は目を緩やかに伏せる。優一には申し訳ないと思ったが、それ以上に即答してくれた事が嬉しかった。
もしあの日、ルカの申し出を受け入れていたら間違いなく崇の願いは聞き入れられなかっただろう。任務の早期完了を是とし、崇を「道具」として扱ったかもしれない。
「――一応、言い訳もあるのだけれど、聞いてくれるかい?」
『えっ?い、言い訳ですか?』
「個人的な感情は半分くらいだよ。まあそれでも情報を共有しない事には変わらないし…。二人にはすぐバレるだろうけれど、流石に個人の事情だけで報告しないわけじゃあないよ」
『ま、まあ、それは確かに…』
「あのね、あの二人は信じてくれるよ。間違い無い。けれど巨人族…アルヴァラはともかく、村長や獅子首殿は今の段階じゃあ信用してくれないだろう。夢見を知らないということは無いだろうけれど、私達人間の魔法使いはまだ彼らの信用を十全に得る事はできていないんだ。今回私の感知だけで事を進めようとするのは無理があるし、無用な軋轢を生まないことが今は大切なんだよ」
『難しいですね…』
「今は地道に調査を進めていくしかないね。…そうだ。進展はあった?」
『あ、もちろんです!とりあえず昨日までの分を…。…これ対面で渡していいですか?』
「…ふふっ。ああ、うん、お願いするよ」
優一が端末からデータを送ろうとして、微妙に怪訝そうな様子で声を投げてきた様子が見えるようだ。ほどなくしてノックされた扉に崇は「どうぞ」と返した。
* * *
翌日。朝から小気味良く糸車が回る音がする。
「やってるねえ!体の調子はもう良いのかい?」
「ノルンさん。はい、もうすっかり」
「うんうん、何よりだよ。グラシルの銀の絹を作るんだろ?だったら飾り紐も編まなきゃいけないだろうと思い出してさ。今日それの編み方を村の子が練習しに来るんだけど、あんたもどうだい?」
「――!はい、是非!どういう飾り紐なんですか?」
「『フュルギャの宿り木』って聞いたことないかい?」
「…お守りですか?守護霊を宿すという…」
「なんだ、知ってるんじゃない!そう、それさ。あんた達はお守りとして知ってるんだね」
『フュルギャ』というのは、北欧で語られる守護霊の一種だ。特定の人物や家を守る存在であるとも、自分自身の精神体であるともいわれる。このフュルギャは夜、動物の姿をとって目的の人物に近付いてくるという伝承がある。『フュルギャの宿り木』はそのフュルギャが訪れやすいようにするための目印であり、誰かに贈る物の紐にそれを使うことでその相手の守護を願うものなのだ。
「あたしら山の巨人にはノルド編みっていう編み方が伝わっていてね、それで宿り木やお守りを編むのが女の行う仕事の中で最も大切な仕事なのさ」
「成程…。勉強になります」
「やだねえ、そんな堅っ苦しくなくていいんだよ!それじゃ、その子達が来たら呼びにくるわね!」
ノルンが元気づけるように(手加減はしてくれたようだがそれでも強い力で)崇の肩を叩き、また後で、と部屋を出て行く。
敵方の巨人――霜の巨人、肉持つ巨人、不死の巨人――の動向が大きく変わり、崇が目覚めた報せを受け“パンドラの檻”とテオドール、湖の村を代表する戦士らで昨日協議が行われ、改めてこれからどう動くかの方針が定められた。余程のことが無い限り崇は村の中でサポートに回り、ウォルフと優一は調査に専念、クロードとテオドールは他の村に滞在している【妖精の輪】の職員や協力組織と調査結果を精査し必要があれば臨機応変に動く、という方向性で落ち着いた。つまり崇が目覚める前とほとんど変わらない。
【輪】側は人員を増やしたいようだが、巨人側はどの村もこれ以上人間が山や村に入ることに否定的なようだ。結局【輪】は「現場の判断に一任する」という、「職員を信頼しているように見せかけた責任放棄」といえる通知を出してきたため逆に動きづらくなったという。
(どうするのだろうね……。――?)
部屋は暖かいというのに、崇は眼の奥にまた冷たい何かを感じる。まるでそれは、この平穏は束の間でしかないと態々伝えに来たようだった。




