11
十二日の夜。
「ただいま戻りました~」
「お帰り。どうだった?」
「はー…あそこ本当ダメね、今のところ全部当たりだわ」
「当たりは出たら駄目なのだろう」
皮肉入りの冗談に真面目な返しを入れたのは同行したアルヴァラだ。あの境界でクロードも知っている限りの手を試したが、どうにもできないとなるといよいよ崇が策を講じる番だ。テオドールなら何かしらの情報を持っているだろうと皆が思うところだったが、その彼は中々捕まらない。崇曰く、「自分達で如何にかしてみろ」という事らしい。
「生体分析は専門じゃあないからどうにもねえ…。肉があるという事は私達や山の巨人に近いものであるという事だ。妖精と混じってそちらが強くなったとはいえ、こんな短期間で数は増えないだろう」
「でも現に数はいるのよ。優一君、解析はまだかかりそう?」
「できる限りの情報は送ってるんですけど…監視部門と連携してるので情報はすぐに貰えたそうなんですが、今てんやわんやしてるみたいですね」
「どうにか明日で進展させたい。あの向こうに何があるのか分からないが、理由もなくああして居座っているのでもないだろう」
潜伏している巨人達はなにをするでも数を増やしているのでもなく、枯れ木の向こうに存在しているだけだ。狩場は反対方向のためぶつかることはないのだが、異なるとはいえ同じ「巨人」という種であるためかそれを感じて落ち着かない様子の巨人も出始めた。悠長にはしていられない。
「じゃあ明日は私とクロードだね」
「お願いします」
「崇ちゃんと組むの、かなり久々ね。明日の朝はウォーミングアップしてから行こうかしら?」
「厭だよ、私が疲弊するだけで終わるじゃない」
「竹中さんも体力ないわけじゃないと思うんですけど…」
「ちょっと、厭だよ。一緒にしないで。巨人の足に並んで走り続けるような奴等と一緒にしないで」
(二回言った…)
ウォルフやクロードの常人離れした体力も優一は見慣れてきてしまっていたが崇の心底嫌そうな表情に「あれは普通じゃなかった」と遅まきながら思い出す。
やれやれと困ったような呆れたような表情で眉を寄せた崇だったが、ああ、と何かを思い出した様子で優一を手招きした。
「忘れる所だった。藤崎君は見るの初めてだよね?」
「何をですか?」
「ああ、……――満月で転化したウォルフを、さ」
「っ!」
その言葉に人狼狩りでのあの恐ろしかった姿が鮮明に蘇る。忘れられるはずがない。
「…思い出さない様にしていたんだね。大丈夫。私が付いているから」
立ち竦んでしまった優一に崇が冗談半分で手を差し出す。優一がはっと我に返り真っ赤になったのを見て、穏やかに笑って崇はウォルフの部屋のドアを開けた。
部屋は真っ暗だった。カーテンは一筋の光も入らないよう接着したかのように閉じられている。
崇が部屋の電気を点ける。優一の目に飛び込んできたのは、巨大な黒い檻と、その中で眠る「何か」だった。
「えっ……こ、れって……?」
「大丈夫、大丈夫。君が思っているような酷いことでも、押し付けられたものでもないよ。これはウォルフも承知している事だ」
「えっ……!?」
「こちらへおいで。君にお願いしておかなければいけないことがあるんだ」
檻の戸を開けて崇は中に入る。優一もおずおずと入ると、ベッドの上に眠っていたのは茶色い毛の狼――ウォルフだと気付いた。
「…?寝てるんですよね…?」
「ああ」
「ありえなくない、ですか。ウォルフさんですよね?どうしてこんなに近いのに、反応がないんですか…?」
困惑した顔に崇は穏やかに表情を和らげる。
「順に教えようか。まずこの狼だけれど、ウォルフで正解だよ。満月だからね。転化したんだ。ではどうして起きないのかというと、転化している間も眠り続ける薬を飲んだからだ」
「あ…じゃあ、毎月部屋から出てこない日は…」
「ああ、眠っているんだ。睡眠というより、冬眠に近いのかな。薬の効果で覚醒しない程の深い眠りに入り、体温や心拍数も下がる。その様子をこうして記録しているんだけれど、明日はそれをやって欲しいんだ」
ノートを開き、項目を実際に測定しながら説明していく。
「体温は大体三十一度から三十五度。体温計はこれね。耳で測るよ」
(動物用だ…)
「…ん、三十三度。問題無いね。次は脈だけれど、自分の脈を測った事ってある?」
「あー……理科の授業でやったような。あまり覚えてないです」
「じゃあまずは自分の腕でやってみようか。こう、手首の手の向きで、親指側のここに人差し指と中指を並んで乗せて…少しだけ押さえる感じでね。振動が伝わってこない?」
「…あ!ここですか」
「そうそう。これの回数を一分間測定したものが心拍数。それで、ウォルフの脈の測り方なんだけれど…」
もっとこちらへ、と崇は手招きし、ウォルフの脚を開き太腿の内側に手を入れる。
「っ!?」
「藤崎君、照れない」
「えっ、いや、あの、えっえっ…!!」
「これは医療行為だから。犬の脈はここからとるというだけで、それは元がヒトだとしても変わらないよ。大丈夫、ウォルフに承諾は取ってあるから」
(あの、その承諾した時のウォルフさん、絶対目が死んでたと思うんですが……)
何だか前にも似たような出来事があったような気がする、と優一は少し気が遠くなる。
しかしやらねばならない。世知辛いことだが。
「太腿の動脈が一番強く脈拍が分かる所なんだ。見つけるのには少しこつが要るけれどね。まず、太腿の骨…大腿骨を探そう。そこが基点になるから」
実際にウォルフの太腿に触りながら脈の探し方を教えてもらい、その順序をメモした上で実際に自分だけで脈を探す。
(えっと、まずは大腿骨を見つけて…それで、付け根に向かって登っていく…。それ、で……尻尾の方向に…。………?)
少しずつ位置を探っているが中々見つからない。数分格闘するが、崇にかなり位置がずれていると指摘されやり直す。
そうしてトライアンドエラーを繰り返すこと四回目。ようやく、強く指の腹に脈が触れたのを感じることができた。
「あった!」
「お、どこ?」
「ここです!ここ…」
「…ああ、正解。じゃあ、測ってみようか」
(ちっっか!!)
至近距離で見ることになった崇の顔に赤面等々のリアクションを通り越して優一の思考がフリーズする。
身長差がある(崇の方が十センチ程高い)ため普段崇の顔を間近で見る機会は無く、当然そのような雰囲気になる仲でも無いためその造形を観察する機会も無い。女子大生に騒がれる程整った顔立ちなのは嫌というほど優一は知っていたが、こうして見ると睫毛は細めで伏せているため分かりにくいだけでそれなりに長く、切れ長の眼ではあるが冷たい印象は感じられない。顔の彫りも深すぎず、成程いつかクロードが言っていた通り、男女という性別の概念を取り払った「美形」というものは彼女のようなものを指すのだろうと納得できる。
「藤崎君?」
「っあ、す、すみません!!!」
「調査続きで疲れているようだね。一回だけ実際に測ってみたら終わりにしよう」
「は、はい」
指先でしっかりと触れ、指を押す脈拍に集中する。
脈拍は三十三回。正常だね、と崇の判定に心底ほっとした。
「大体三十回前後が目安だと思って良いよ。たまに二十五回とかの日もあるけれど、心配しなくて大丈夫。ただし二十回を切った時は、必ず私とクロードの両方に緊急で通信を入れて」
「了解です…!」
「まあ、そこまで気負わなくて良いよ。一日三回、ご飯の後にでも測りに来れば良いから。取り敢えず明日の朝、私も見ていてあげるからやってみようね」
「はい!」
それじゃあお休み、と部屋を出て自室に戻る。部屋の鍵をかける音がやけに響いた。
* * *
翌日。
ウォルフを優一に任せ、崇とクロードは戦士が集まる訓練場に向かう。話はちゃんと通っていたようで、崇という「女」が村の外に出る事に大っぴらに良い顔をする巨人はいなかったが、反対されることもなくその「境界」への供に、若い戦士三人をつけてもらえた。
「…」
「どうしたの?」
「…いや、少しね。――『あの二人に以前、揶揄われた事があって』」
巨人に内容を聞かれないよう、崇はフランス語でクロードに伝える。クロードはそれに何かを返すことはしなかったが、「分かったわ」としっかりと頷き返してくれた。
今日ついて来る戦士は、あの顎岩の村から来たという巨人二人と、アルヴァラの三人。歳が近いのか、三人の巨人は親しげに話している。
そうしてやって来た件の「境界」は、今日も静かだ。
「…気のせいじゃ、ないわね。血の臭いがするわ」
「昨日はしなかったの?」
「ええ。…さて、ここが境界だけど」
「…朝、話した通りに。ただ、退かない方が良いと判断したら殲滅する方向で動きます。判断はクロードに任せるので」
お願いします、と三人に向けて頭を下げ、崇は一歩を踏み出す。
静寂。そして。
「――――――はは――よ――――――」
吠え声。
「動いた!」
「っ…!?崇ちゃん!!」
古代が崇の守りに動いたのが見えたが、膝から崩れ落ちた崇にクロードが声を張り上げる。
「待て!動きはしたが、襲っては…!」
「だから女が出るのは嫌だったんだよ!」
「埒が明かねえ、割るぜ!」
「「《陸砕き》!!」」
肉持つ巨人に崇を襲う動きは見えないことにアルヴァラが気が付いたが、顎岩の二人は大剣を肉持ちごと地面に叩き付ける。その瞬間、雪が割れた。地割れが発生し、肉持ち達を飲み込んでいく。
「崇!!!」
小さな人間の体躯が雪と土と肉持ちの狭間に消える。
「はは」
誰かの声が聞こえた。




