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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
第三次巨人戦争 前編
82/98

10


 十一日。滞在四日目。

「また肉持ち(イェッタ)か……」

 地響きに混ざるような重い溜め息が聞こえる。溜め息の主とは別に、ヒュウ、と感心するような口笛が一つ。

「すみません、付き合っていただいて」

「んん?いいっていいって!親父は気難しいだけだからさ!」

 どんぐりのような目が優一を見つけてにかりと笑う。人好きのする笑顔の彼はエコレといい、口を真一文字に結んだ獅子の毛皮の人物ことレイオの息子だ。肉持つ巨人の出現地点調査を行うにあたって、人間だけでは帰れなくなるかもしれないと同行を申し出たのがこの二人である。

「すげえなあ狼皮の人間(ウールヴヘジン)は!一人で俺達をひっくり返す人間なんて今までいなかったんだ、肉持ちにも劣ってねえ!」

「…!やっぱり、そうですか?巨人族から見ても…」

「ああ、人間だーって最初は皆怪訝そうだったけど、今なら来てくれたのがあいつでよかったって言うと思うよ。ヴァールさんが死んでから、気落ちしてたし――」

「エコレ。余計な事を言うな」

 ぎろりとレイオはエコレを睨みつける。協力関係ではあるが優一達は余所者、知られることを不快に感じる心情もあるのだろう。

「おい。あれは放っておいていいのか」

「え?あ……ちょっと見てきます」

 レイオが指差した先ではウォルフが身動ぎせず立っている。優一が近付こうとしたその時、頭を打つような衝撃と共に巨大な影が優一とウォルフを覆った。

「《動くな》!!」

「っ!!」

 衝撃の正体はウォルフの言霊だった。霜の巨人(ヨトゥン)が立ち上がり、目の前にいる人間を認識し腕を振り上げる。

「狼皮の――」

 至近距離での出現にレイオが斧を持つ。しかし霜の巨人の腕が天を衝くよりも早く、ウォルフの拳が巨人の腹に叩き込まれ大きな風穴が開く。

「あれだけじゃ倒れねえだろ!加勢する――…っ!」

「…!」

 戦士二人が目を見開く。次の瞬間、霜の巨人に開いた穴が闘気(オーラ)状の脈模様を広げ霧散した。

「すっ……ご……」

「パンチ一発で消し飛んだ…!すげえ!!」

 大きく息を吐いてウォルフがこちらに戻ってくる。が、その顔は険しく、目はいつもよりぎらついているように見える。

「お疲れ様です!怪我はないですか?」

「――ああ。地図、あそこにポイント付けろ。今日はここまでだ。あそこから先はまだ行けねえ」

「え?先…何か見えましたか?」

「視えねえが、臭いがする。肉持ちの臭いだ」

「!」

 優一がすぐに飛翔体を飛ばす。モニターを二つ出現させじっと睨みつけるが、そこに肉持つ巨人の反応はない。メルヴィスがそこに吐息の燐光を吹きかけると、モニターにじわじわとオレンジ色と蒼白のポイントが浮き上がる。それは二つ三つではなく、五や十まであった。

「こんなに…!」

「何だ?この点」

「蒼いものが霜の、オレンジ色が肉持つ巨人の魔力反応です。あの向こうに少なくてもこれだけいるんですよ…」

「っな!?全っ然気配しねえよ!?マジで…?」

「魔法で感度を大分上げてもこれくらいしか分からないんです。恐らく、これ以上いる可能性があります。ウォルフさん、臭い以外はしなかったんですか?」

「ああ…。肉持ちは物凄く臭う。薄い奴もいるが、熱に籠もった血の臭い…あるいはそれ以外の何かの臭いだな。だが、今日が満月前だから分かっただけかもしれねえ。明後日以降は鼻が今より利かなくなってくるだろう。その前にどうにか対策考えねえとな」

 現在地から村はかなり離れているが、巨人の足と人間の足では文字通り尺度が違う。レイオが険しい表情をしていることにウォルフは一層感覚を研ぎ澄ませるが、有益な情報が得られるのは嗅覚のみで他は冷風荒ぶこの風景となんら変わらない。

(ここは良くねえな…気が立って仕方がねえ)

 明日の夜には満月が登る。月が満ちるほど人狼の魔力や感覚は高まり、欠けるほどそれらは落ちていく。極力漏らさぬよう努めているが、この日ウォルフは荒れやすくなっている気性をどうにか宥めすかしていた。しかし環境が違うとそれも難しい。

 先の言霊が向ける相手が外にいない怒りを内包したもので、それを仲間に放ってしまったことをウォルフは悔やんだ。感情を殺すつもりはないが、出さなくていい、ヒトが持たない激情をどうにか自分の腹で消化するには時間がかかる。

 刻一刻と月が近付く。それが余りに恐ろしい。予兆か、呪いの紐付けか、被害妄想か、どれであってもろくなものではなく結果同じものが足並みを揃えやって来る。

 丸二日抜ける分の「前払い」を済ませ、宴会の誘いを断ってウォルフは優一を馬に乗せ駆けた。ただ、真っ直ぐに。



 その頃、崇は宿で糸を紡いでいた。次に依頼されたのは風を読む装置に使われる『風気布』の交換だったが、これはすぐに終わった。しかし次の、『銀の絹(シルヴェル・シーデン)』という特別な素材で作られた品の修復依頼は長くかかってしまうと分かったのだ。修復ではなく、新たに作らなければならないと判明したのが昨日の話である。

 ただ直すだけならすぐにできたが、崇が新たに糸から紡ぐことにしたのは依頼人である女性が身ごもっていたからだ。銀の絹は名に「銀」とある通り、魔が避ける神聖を持つ。そのため古くから特別な品に加工され、人々を魔性から守り続けてきた。巨人族の村も例外ではなく、その恩恵の伝統にある。

 依頼人やその家族が他と変わりない家であれば直すだけで事足りたが、新たな命が生まれるのを待つ家はそうもいかない。出産は命懸けであり、祝福に訪れるものもいれば不幸を運ぶものも訪れる。ならば古い銀より新しい銀が良い。申し訳なさそうに女性は頼んだが、崇は二つ返事で承諾した。

 さて、そういった経緯で崇は現在ひたすら糸車を回している。昨日の昼に最上質の羊毛(「絹」とはあるが実際は滑らかな線維なら何でも良い)と銀をグラースに仲介してもらって手に入れ、羊毛を洗い一日かけて乾かして使えるようにしてからようやく糸紡ぎに入った。もちろん、その乾燥には古代が一役買っている。

「…取り敢えず一本。……まあ、及第点か……」

 どうやら腕は鈍っていなかったようだ。膨らんだボビンから空のボビンに替え、糸紡ぎを再開する。二個目のボビンが半分ほどまで巻かれたその時、誰かが帰ってきた音が聞こえてきた。

「お帰り、二人共」

「竹中さん!ウォルフさんが…」

「――ああ、結構きているね。怪我は?」

「……ねえよ」

 肩を借りてはいないものの表情に辛さが出ている。とはいえ、対処法はもう分かっているので大きく心配する必要もない。備えは既にある。

 優一には下で待っているよう指示し、崇はウォルフと共に部屋に入る。既にクロードの荷物は優一の部屋に移してあるため、丸二日はこの部屋はウォルフだけの部屋だ。

 コートも脱がず、ウォルフはベッドに体を投げ出す。魔力が濃く、原始的な生命の気配がそこら中に満ちるこの環境は満月を前にした人狼には酷だった。満月になるのは明日とはいえ、今にも顔を出さんとする獣性を抑えるのは楽ではない。

「ほら、後もう少し頑張って。服はともかくコートまで毛だらけにする訳にはいかないでしょう」

「あ゛ー……」

「あちらにはちゃんと伝えてきた?」

「ああ……抜かりはねえさ。それと、俺の代わりにお前が入るかもしれねえって事も言ってある。“蛇目(バジリスク)”の弟子だって歳のいってる奴等が話していたから……そこまで、文句は言われねえだろ。一回は、単騎で放り出されるかもしれねえがな……」

「分かった。調査結果は藤崎君に聞けば大丈夫?」

「ああ。……だが、あいつが描いた地図のポイントは、よく照らし合わせてから行けよ。線を引いた所より先には行くなと言ってあるが……行こうとする奴は、いそうだからな……絶対、行くんじゃねえぞ」

「境界が?…ああ、明後日には調査をもっと進められるよう十全に準備をしておくよ。ものが何であれ、君がそこまで念押しするのならそこを見極めなければならないのだろうから」

 崇はウエストポーチから仄かに光を放つ青白く透明な液体が入った瓶を取り出す。これこそが人狼を無力化できる唯一の魔法薬、『睡狼薬』である。

 『睡狼薬』――“Wolfsbane Potion”はその名の通り睡眠薬の一種だ。ただし英名の「Wolfsbane(トリカブト)」が示すように、ただの狼に使えば三滴で息絶えてしまう程に鎮静作用の強い薬でもある。

 これを使えば人狼は月が満ちてから欠けるまでの一日を眠り続けて過ごす。身体は転化するが、薬の効果が切れるまで目覚めることは無い。この薬で眠っている間だけその人狼は子供と一緒に眠れる、との謳い文句が付くことからその確実性は明らかだろう。

 崇は必ずこの薬をストックし、いつどのような状況でも処方できるようにしている。この薬を発明したのは崇ではないが、崇の薬学の腕はこの薬を調合するために上げたと言っても過言ではないくらいに、ウォルフにとって必要不可欠な薬なのだ。

 蓋を開け、ウォルフは一気に薬を飲み干す。さらりとした薬は一滴も残ること無く、ウォルフの喉仏が上下する。

 鈍い酩酊が頭を打つ。()()は最悪だが、これを飲む時だけは安心して眠ることができるのが痛烈な皮肉でしかない。

 二、三度瞬きした頃、ぐらりとウォルフの頭が揺れゆっくりとベッドに倒れ込む。眠りに落ちるまで一分もかからなかった。

 崇は入り口側のサイドテーブルに置いたノートを開き、先月分の記録を確かめ次のページに今日の日付と入眠時刻を書き入れる。しばらく待って、呼吸が規則的になってきた頃合いで一度揺すってみる。身動きをしたり目を開ける様子も無く、呼吸も変わらない。手首に指を当てて脈を測り、減少してきていることを確認するとそれらを記入し崇は杖を持つ。

 崇は心内詠唱で呪文を唱え、杖尻で床を叩く。すると結晶の「枠」が次々と形作られ、それは複数組み合わさり『檻』を成した。

「…………」

 穏やかな寝息を立てウォルフは眠っている。満月の前後は家でも睡狼薬を使うのは変わらないが、ウォルフの部屋は特殊な造りにしてあるため音も振動も届かず、また外にも漏れないようになっている。今崇が『檻』を作ったのは、家――もしくはウォルフが個人で持っているセーフルーム――以外で満月を迎えた場合の措置として決められているためだ。

 人狼はその呪いによる致死率の高さから行動や権利にかなりの制限を掛けられる。噛んだ対象が呪いに耐える耐えないに関わらず、人狼の呪いは噛んだ時点で成立する。爆発的な呪いの感染を防ぐためには感染源を封じ込めてしまうのが一番早く確実だ。今は昔に比べて自由や人権を侵害されるようなことは少ないが、満月の前後ばかりはそうも言っていられない。相手のためにも自分のためにも、何も知らない第三者のためにもこうして『檻』を作ることが最善策だった。

 寝入ってから一時間後、超強化鋼性皮で作られた口輪(マズル)をウォルフの口元に装着する。これでようやく、人狼の無力化は終わりだ。

 檻の中に入り、目元にかかった髪を払ってやる。いつも無造作に前髪をかき上げているので普段は前髪が数本下りている程度だが、今はほとんどが下りてしまっている。それなりな頻度でウォルフは散髪に行くが、代謝がいいからか髪も伸びるのが早く前髪もそれなりに長い。

 穏やかに眠る顔を見つめていると何かをしてあげる事もできない事象に埋めようのないもどかしさが湧いてくる。ノートに口輪の装着を書き込むと、崇は部屋を出た。


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