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最初に直すものは偶然にも崇達が宿泊しているこの宿屋にあった。広場で主婦達が話していた「時計」は、宿屋の時計のことだったのだ。
「これなんだけどね…あたし達じゃ直せそうになくて」
「ああ……確かに、そうですね」
女将が持ってきたものは水晶の輝き眩く、見て分かる程に繊細な銀細工の薔薇が施された置き時計だった。
「何年前だったかな…旦那が結婚記念日に贈ってくれたものなんだよ。置き物としても別に悪くないんだけど、やっぱり時計として動いてほしくてねえ…」
「ご主人からの…!とても良い目を持つお方なのですね」
「みたいだけどねえ。海軍に招致されてから戻ってくるのがいつも突然で、分かんない人だけど」
「海軍に?」
「そうそう。うちは頼まれれば傭兵やったり護衛したりの家だからさ、山を下りることはよくあるんだよ。でもまさか海に出るなんて思いもしなかったけどね!」
女将の話に「ああ、だから銀の薔薇か」と得心する。自分の代わりに妻を守ってくれるよう、銀と薔薇の棘に願いを込めたのだろう。時計にしたのは、この女性が実用できる物を好むからだ。
部屋に戻り時計部分を注意深く抜き出す。作業のため、崇とテオドールの泊っている部屋には魔力技師の携帯型作業机を持ち込んである。
作業用片眼鏡をかけ、崇はピンセットで慎重に部品を取り出していく。ネジ一つを外し、歯車の噛み合わせを解き、指先で探る心地で時計を解体していく。込められた願い、職人の技巧を切ること無かれと全ての神経を集中させる。
「?」
そうして全ての部品を広げるも、おかしな部分は見当たらない。一つ一つ見ているが錆びて軋んでいる部分も無く、崇は首を傾げる。
と、その時だった。
『GUーーー!!』
「『壊し屋』!くそっ!」
飛び出してきたのはツナギにゴーグルを付けたげっ歯類のような見た目で腕に抱えるほどの大きさの、通称『グレムリン』と呼ばれる妖精だった。
捕まえようとしたが腕からするん、とすり抜けグレムリンは部屋を飛び出していく。この妖精は『壊し屋』と崇が呼んだ通り、物を、特に飛行機の計器や精密機器を故障させる悪戯で有名な妖精だ。
恐らく、別の家にあるであろう持ち込まれた品と一緒に海を渡り、この村にやって来たのだろう。精密機器が少ないこの村では、成程置き時計は格好の居場所だったようだ。
「こら、待て!」
崇も部屋を出てグレムリンの後を追う。グレムリンはあっという間に階段を降り、一階の酒場へ飛び込んでいく。
「ああもう――足元失礼するよ!」
いつの間にか夜になっていたようで、酒場は巨人が賑やかしく酒を飲んでいた。その足元を縫うように崇はグレムリンを追いかける。崇の妖精眼が利くのは何も失せ物探しだけではない。ましてや元は森暮らし、悪戯好きな妖精を追うことは頻繁にあったのだ。後れを取ることは無い。
「捕まえ…たっ!」
「GUUー!!!」
不服をありありと訴える鳴き声を上げるがそれを聞いてやるほど初心者でもない。しかしその瞬間、割れるような笑い声が酒場に響いた。
「うわっはっはっはっは!!!」
「おいおい、何してんだお嬢さんよ!」
「…?」
男達の笑う意味は分からず、崇はグレムリンの首根っこを捕まえて外に出る。宿屋からそれなりに離れた所でグレムリンの首根を掴んだまま思いきり振りかぶり、出来る限り遠くへ投げ飛ばす。
無駄に疲れた、と上着も着ず出てきたせいでかじかむ手に息を吐き、宿に戻る。すると「狩猟女が戻ってきたぞ!」と誰かがはやし立てる。
「狩猟女?」
「ウサギを素手で引っ掴むなんて女のすることじゃねえよ!」
「男よりも女に好かれそうな顔してるならそりゃそうか?」
「こりゃ嫁の貰い手もつかねえな!うはは!」
男二人は愉快そうに酒を煽るが、崇は翻訳術式無しで会話ができるのだ。彼らが自分を虚仮にしているのはしっかりと分かった。
(怒るな)
酒に喧嘩はつきものとはいえ、流石に巨人相手に喧嘩を売ろうとは思わない。喧嘩は売っても乗ってもその時点で負けなのだ。ましてや男が強い村でもめ事など起こそうものならこの先が危ぶまれる。
「…そうか」
そもそもどうして顔も合わせていない男に好き勝手言われなければならないのか。
反抗心が顔を出すが、感情にはおくびにも出さない。「逆らっている」と思われれば余計に面倒だ。
崇は部屋に戻ろうとするが、通り道に足を置かれた。まだ試しているつもりなのか、と流石に眉間に皺が寄る。
崇に今できることは話さないことだ。口を開いたが最後、師匠譲りの舌が嫌厭に任せて攻撃する。師よりは我慢強い崇だが、雄性雌性で量られることが何よりも癪に障る質だった。
ニヤニヤと歪む表情の真ん中に拳を叩き込んでやろうかと相当に険呑さが募る。しかしその時、崇の背中を大きな手が押し出したと同時に上から水のかかる音がした。
「っ!?」
「――酒が不味い。頭ァ冷やしな」
思わず見上げると壮年の瞳が見下ろしている。しかしあれよあれよという間に次々と掌が崇を階段の方向へ押し、階段を上がったその時には先程の男二人が文句を言う声と同時に扉が強く閉められる音が耳に届いた。
「………???」
ふわふわと混乱で浮かぶ気持ちのまま崇は流れに任され部屋に戻る。
「………あっ!」
部品を置いたまま放置していたことを思い出し慌てて机に向かうが、なんと時計は知らずの内に元の形に組み上がっていた。
「………邪魔者が居なくなったから、ですか」
呆然と自分で組み上がった時計に訊ねると「ボーン」と短く鐘が鳴る。はああ、と大きな溜め息をついた。
「無駄に疲れた……」
そういえば今は何時だ、と原因を取り除いた時計を見ると、もうすぐで短針が「1」を指そうとしている。
「………え…?」
時刻を認識した途端、眠りが崇を落す。
数分後、物音がしなくなったのに気付いた女将がドアをノックするが返事が無い。入ると、器用に腕を机に引っ掛けて寝ている崇と、修理が終わった置き時計が時を刻んでいる。女将はくすりと微笑むと、崇をベッドに寝かせてやった。
「はっ!」
朝の九時。
「九時…?」
そのまま寝たせいか首元が緩められている。薄く香水を振って着替え、酒場に降りていく。
「おはようございます…」
「おはよう!昨日はお疲れだったねえ。時計、直してくれてありがとう。ちゃんと動いてたよ!」
「ああ、昨日はすみませんでした…」
「うん?ああ、あいつらのことは気にしなくていいのよ!顎岩から来た若いのなんだけど、妙に鼻につく子達でねぇ…。レイオさんがちゃんと締めてたから、あんたはしっかり背筋伸ばしな」
お腹空いてるでしょ?と出されたのはクリームシチューパイだ。ありがたく受け取って適当に座ろうかと視線を巡らせると、隅の席に座っている優一の背中を見つけた。
「お早う、藤崎君」
「あっ、おはようございます竹中さん」
「相席いいかな?」
「いいですよ!どうぞどうぞ」
「ありがとう。昨日はどうだった?」
「昨日は早速狩りに同行したんです。馬は怖がっちゃうので僕は弓使いの方の肩に乗せてもらって行ったんですけど、すさまじかったですね…」
優一の前には何枚もの方眼紙が広げられている。少し覗くと、地形が描かれているように見える。
「でも、初日にしてはかなり良かったんですよ。岩で狭まってる所があったんですけど、ウォルフさんとクロードさんはその間から追いかけることができて。なのでお二人は今日も朝から呼ばれてます」
「そうか。これ、地図?」
「あっ、そうなんです。昨日狩場周りの地形とかを記録してたら、ついでに地図みたいなものを作って欲しいと頼まれて。訓練場に建物があるんですけど、そこに欲しいそうなんです」
成程、と見てみると、山が囲む地域だが所々渓谷のように切り立っている所もあるように見える。
「神代の頃は山長さんのような大きさの巨人が普通で、地形がよく変わってたからこうした地図は作らなかったそうなんです。人工衛星の画像と比べてるんですけど、確かによく見るとここみたいに下から盛り上がった跡があるんですよ。興味深いですねー…」
「ここ?…崖のように見えるけれど」
「そこですそこです。どちらも針葉樹が生えてるじゃないですか。多分昔、ここから動いた山の巨人がいたんですよ」
そう語る優一の目はキラキラと輝いており、慣れない環境だがとても楽しそうだ。
「凄いね。民俗学って、ここまでするの?」
「あー…地形までは、しないと思います。社会科が好きだったので、こうして地図作って観察してるとワクワクしちゃうんですよね。それにせっかくだから次の発表は北欧の風習にしようかなって」
最初の心配は杞憂だったようだ。ここでの生活や情報をそのまま現世で発表することはできないだろうが、任務という重苦しくなりがちな状況で楽しみを見出せていることに安心する。
「私はしばらく村の中で魔道具の修理を優先することになるかな。女性が村の外に出ることを良く思わないようだから、必要となったら呼んでくれ。調査の方針は他の村からの連絡と合わせて、出来る限り夜に集まって話そうと伝えておいてくれるかな」
「了解です。あ、そうそう。ウォルフさんが、馬具のあてがあるかどうかと。無くても大丈夫とは言ってましたけど、できるなら欲しいって言ってました」
「ああ、そうだったね。こっちの技術部門に聞いてみるよ」
「お願いします。では、それも伝えておきますね」
食器を返し、崇は部屋に戻って注文票を確認する。各々、いよいよ本格的にこの村での任務が始まった。




