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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
第三次巨人戦争 前編
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 日が昇ってもなお凍てつく空気が吐く息を星の囁きに変える。そこまで寒いのか、水が氷になりやすい地なのか。

 テオドールは村を見渡せる高台に向かって登っていた。いざ動き始めても関節は寒さに軋み、蛇の因子が動くことを拒否する。使い魔(ファミリア)の炎を一塊飲み込んで来たにも関わらずこの体たらくとはな、とテオドールの口端が引き攣る。

 盆地にあるこの村は神域の中に作られた村だと言っても過言ではない。神の干渉は無いに等しいが、入山すればそこは神の領域だ。しかしその山の中で唯一、神でないものが混じっている。それに続く道が、今テオドールが登っている高台への道だ。

 睫毛が凍る。息に溶け、すぐさま凍る。雪を踏みしめ、それでも登る。

 テオドールには確信があった。だから今登っている。震えと、波、そして音。

 高台にようやく到着し、杖をつく。

『――よお。起きているんだろう』

 目の前に聳える「山」に向かってテオドールは声を投げる。

 その声に、山が身動(みじろ)ぎする。

『大した用があったわけでは無いが、同代はもう殆ど残っていないのは(おれ)もお前も同じだろう。喜ばせてくれ。

――お前の名前は何だ』

 その声に邪気は無く、淡と、隠すことのない喜びが混じる。滲む孤独も。

『――――ヨール』

 地鳴りがテオドールの鼓膜を震わせた。


* * *


「……――……名前…?」

「っ、地震…!?」

「相当近いぞ!」

「――いや。山長(やまおさ)様が動いただけだ」

「山長様?」

 村長の家から出た直後、大きな振動が地面を揺らす。ウォルフの耳はその源が間近なことを察知したが、巨人達は揺れを気にすること無く平然としている。

「この真向こうに、緑がまだ多い所があるだろう」

「あの山か?確かに不自然に緑が多いが…」

「あれは、俺達山の巨人(ベルグリシ)の長。山長のヨール様だ」

「……え?山が?」

 優一が目をぱちくりと瞬かせる。

「あれは山のように見えるが、俺達と同じ山の巨人だ。スカンディナビアの神代…『神々の黄昏(ラグナロク)』を越え、その後大陸の神との戦争が起こったが、それに加担せず生き残った巨人だと伝え聞いている。旧い時代の巨人の、最後のお一方だ」

「…途轍もない(おお)きさの方なのだね。神代の頃はあの大きさ巨人が地上を歩いていたのか……」

 揺れはすぐに収まり、ウォルフ達三人は男の巨人がいつも集まっている訓練場に馬を走らせる。崇は村長の家近くにあるという広場に向かうことにした。

「崇、お前は言葉に詳しいのか?」

「うん?ああ、そうだね。師匠の武は到底継げなかったけれど、それ以外は継いだから。言語に関しては自信があるよ」

 アルヴァラは最初から崇を名字ではなく名前で呼んでいるが、それに悪い気はしなかった。「名字」という括りがそもそも無いのが巨人族の特徴なのかもしれない。軽薄さはないが、丁度良い気安さだった。

「…先程、名前、と言っていただろう」

「え、ああ、うん。聞こえていた?」

「ああ。あの声は、確かに名前を言っていたんだ。それを「名前」だと気付いたのはお前しかいなかったから、言葉に強いのだなと」

「耳が良いんだね。あれ、やっぱり名前だったんだ」

「誰かが…いや、お前達以外に名前を知らない人間は一人しかいないか。彼が会いに行ったんだろう」

 そう話しながら歩いていると広場に到着する。広場では市が開かれており、女性の巨人が作物や肉、糸や染料などを物々交換していた。

「凄い…」

「馬は置いて行こう。聞こえるとはいえ人が多いからな。…その、どこに乗せたら良いだろうか」

 女性を乗せるということに気恥ずかしさがあるのかぎこちない様子のアルヴァラに少しだけ笑い声が漏れる。

「ふはっ。別に、どこでも大丈夫だよ」

「そうか…。なら、肩に」

「ありがとう。じゃあ、よろしくお願いします」

 肩に腰かけると流石に高く、腹の内が(すく)む。市場は活気に溢れ、雲がない天気なのも相まって熱気立つ。

 肉類で取引されるのは獣肉に淡水魚と思しき魚だが、いずれも崇から見れば抱えきれないほどの大きさだ。マグロくらいの大きさの魚が小魚として売られているのを目にした時には、人間と巨人の尺度の違いや感覚の違いに少し眩暈がした。

 糸は羊のもので、寒冷地の羊であるため保温性にとても優れているものだった。この村への道中で遭遇した熊と同様、羊も巨大化しているため住民の衣服を作るのに十分な羊毛を得ることができるという。羊毛の硬さがほとんどなく、カシミアのように柔らかかった。

 しかし、珍しいものを見に来ただけではない。本当の目的は、崇の「仕事」を必要としている人を探すことだ。興味にばかり任せている訳にはいかず、そちらの聞き込みも行っていく。

「あらあら!村長が言ってた魔法使いって、あなたのことだったの!」

「随分と小さいのねえ」

「誰かのとこの時計が壊れたとか言ってなかったかい?」

「誰だったかね…」

 流石に話す時はアルヴァラの肩から降りていたが、真上から見下ろされる経験はほとんどなく少しだけ尻込みする。

「鍛冶のイェーンとグラースさんの夫婦が修繕のリストを作ってたはずだよ。奥さんに聞いてみたらどうだい?ほら、あそこで革細工の受付をしてるよ」

「ありがとうございます!」

「あんた良い声してるねえ!聞き取りやすいよ」

 教えてもらった巨人の屋台に向かうと、アルヴァラに気付いた女性が声をかけてくる。彼女がグラースと呼ばれていた巨人だろう。

「こんにちは、アルヴァラ。防具の修理かしら?」

「こんにちは、グラース叔母さん。今日は修理のことではなくて…」

「――あら、人間の女の子じゃない!どうしたの、あなた、とうとうお嫁さんを見つけたの!」

「お…」

「!!ち、違う…!」

 崇は見えなかったが、アルヴァラの目尻から耳が一気に赤くなったのをグラースは見逃さなかった。

 ごほごほとむせた揺れで肩が動き、それに合わせて崇はアルヴァラから飛び降りる。触れない方がいいかと気を回し、崇は振り向かずグラースに話しかけた。

「初めまして、グラースさん。私は昨日からこの村に滞在させてもらっている魔法使いで、竹中といいます」

「魔法使い…ああ!村長が話していた、技術仕事のできる魔法使いさんかしら?」

「はい、そうです。グラースさんが修繕物のリストを持っていると教えてもらいまして」

「そう、そう。すぐに渡してあげたいんだけど、今持ってきてないのよ。もう少ししたら畳むから、それまで待っててくれるかしら?」

「ええ、分かりました」

 アルヴァラの耳朶にはまだ赤みが残っている。肩に乗った時に気付いたが、それには触れないのが気遣いだろう。

 グラースが屋台を畳み終わり、二人は彼女について行く。グラースとその夫の家は広場から離れており、宿屋から向かえば近い距離にあった。夫のイェーンは鍛冶をしていると聞いていたが不在らしい。

「採掘に行ってるのよ。さ、入ってちょうだい」

「お邪魔します」

 人間と巨人の中間サイズに合わせてある宿屋とは違い、この家の物の大きさは巨人に合わせた大きさだった。グラースは飲み物を持って来ると、崇の前に置いたマグを指で叩いて大きさを変えた。

「さ、どうぞ。ばたばたしててごめんなさいね。私はこの村で、革製品とか布防具の修理や作製をしているグラースよ。夫のイェーンは鍛冶職人をしているわ。よろしくね」

「竹中崇です。こちらこそ、よろしくお願いします」

「先に来てた魔法使いさんのお弟子さんだったかしら?腕が立つと聞いていたそうだけど、専門はあるの?」

「得意なのは縫製や金属細工ですが、専門ではないですね。呪法直しから機械修復まで、一通りできますよ」

「細かい作業が得意なのね?そう、お願いしたいのはそこなの」

 グラースが出したのは注文票だ。文字はノルド語だが、崇はどうにか読める。見知らぬ地に行くといつも思うことだが、言葉が分かるのは本当に大きな財産だ。

「時計と風気布とシルヴェル・シーデン…銀の絹ですか?それの修理や直し…確かに細かい作業ですね」

「ええ…。その注文票の品物は、全て人間が作ったものなの。この村に残していってくれたり、交換で手に入れたものなのだけど、私達じゃ直し方も分からないものが結構あって…」

「成程、承知しました。期限は…特に無いようですね」

「ええ。元からあったわけじゃないから、使えないと回らなくなる…みたいなのは無いらしいけれど、丸の数が優先の度合いだから、それから取りかかってあげて」

「はい」

(素材はここの村のものでどうにか回せるかな…取り寄せる事にならなければ良いけれど)

「もし必要な道具があったら来てちょうだい。夫にも伝えておくから。それと、素材の調達は男に頼みなさいね」

「男性にですか?」

「そう、狩りに行く男に頼むの。女にさせたら男の評判が墜落するようなものよ」

「…分かりました」

 注文票を預かり、一度宿に戻ることにする。グラースはもう少し話したそうだったが、崇はすぐに取りかかりたいから、と準備のために先に一人でグラースの家を出た。

(………頼らなければ、いけない)

 シェシュに跨り、スピードを上げる。

(この村は、女は内で、男は外だから)

 広い道に出れば真っ直ぐ進むだけだと教えてもらっている。雑念を振り払いたいのに、そういう時に限ってとめ留めなく溢れてくる。

(………………厭だなあ)


(厭なのは、どうして?)


「――……シェシュ?」

「ブルルッ…」

 風を感じなくなってようやく、シェシュが止まっていることに気が付いた。

 シェシュは心配そうにつぶらな瞳を向けてくる。ごめんね、と首を撫で、今度はちゃんと集中して走らせる。

(……「どうして」、など)

 ――理由も、それが生理であるわけでもないのに嫌うのがどうしてかなど、自分が一番よく分かっている。


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