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「あれは…」
「ああ?崇、見たことあるか?」
「いや、無い。…一応、彼女が行ってから入ろうか」
遠目で見ていると女性は怒ったような表情で家の前に停めた車に乗り込み発進した。
「…行きましたね」
「ああ。行こうか」
車を降りてインターホンを鳴らすと、すぐに扉が開く。扉の向こうにいたのは、真っ白な髪の一部を藤色に染めた老女だった。
「こんにちは、浅野さん。【妖精の輪】から来ました。竹中です」
「ああ、竹中さん。お久しぶりです。グレイズさんも」
「どうも」
「あら、そちらの男の子は?」
「ああ、うちの部門に先日配属された『記録者』です」
「はじめまして。藤崎優一といいます」
「初めまして、浅野洋子といいます。どうぞ上がってください。お茶を淹れますね」
「――それで、事件というのは、どのような?」
「ええ…」
不安そうに手を組み、ぽつりぽつりと洋子は話し始める。
「事が起きたのは一昨日…二日前のことです。私には孫がいまして、同じくこの街に住んでおります。物静かで大人しい子でありますが、気立てのよい子でして。私にとっても自慢の孫だったのですが…。…一昨日、娘から『京花が帰ってこない。お母さんのところに来ていないか』と連絡を受けたのです。私も孫が行きそうなところを捜したのですが、見つからず…。娘と一緒に捜索願を出しに行ったとき、これを見つけたんです」
洋子が引き出しから取り出したのは、切子細工風の飾りがついた髪ゴムだった。
「…血が付いていますね」
「はい…。それに、何だかそこに赤いもやがかかっているように見えて…」
「そうですね…僅かに魔力が含まれてるように見えますが、お孫さんは貴方と同じで『視える』方ですか?」
「いえ…。そういった事は聞いておりません。娘も視えてませんから、恐らく私だけかと…」
「分かりました。お孫さんのお名前は?」
「黒峰京花といいます。歳は十九で、駅前の大学に通っておりました」
(黒峰さん…!?)
「ありがとうございます。それでは…」
「ん。この髪ゴム、少しの間預かってもいいか。犬で追えるようになり次第返すんで」
「ええ。どうか…どうかよろしくお願い致します」
深々と頭を下げる洋子に見送られ、三人は車に乗り込む。
「…藤崎。お前、その黒峰って娘と知り合いか?」
「えっ!?」
「依頼者の前で露骨に顔に出るのは避けろ。浅野さんは気付かなかったからよかったけどな」
「すみません…。その…黒峰さんは、同じゼミの同級生なんです。行方不明だなんて、知らなくて…」
「…そんなもんだよ」
それだけ言ってウォルフは黙ったが、赤信号でポリ袋を優一に投げて寄越す。中には、先ほど洋子から預かった髪ゴムが入っていた。
「う、ウォルフさん?」
「それに残された魔力の解析作業とか諸々、お前の考え得る限りのことをやってみろ。本格的な捜査は今夜だ」
「!はい…!」
「……」
「なんだよ」
「いいや」
穏やかな表情で微笑む崇に、ウォルフは余所見にならない程度に顔を背けた。
* * *
夜の九時。
「藤崎くん。準備はできた?」
「あ、ちょっと待って下さい。後はこれで…」
優一の机には鳩に似た鳥が描かれた紙が広げられている。
「ウォルフさんは…」
「リビングにいるよ」
「分かりました。行けます」
紙を丸めてリビングに降りると、半透明の狼を揃えたウォルフが待っていた。
「ええと…。竹中さん、ウォルフさん。念のため、綴りを確認してもらえませんか?」
「綴り?」
「はい。間違ってたら追従できないので」
広げた鳩の絵を見ると、スケッチではなく「線画」の中にそれぞれ「竹中崇」と「Wolf Greys」と書かれている。
「合ってる」
「うん、問題ないよ」
「ありがとうございます。じゃあ、こうして…」
優一が慣れた手つきでペンで線画をなぞると、紙の中の鳩が形を持って浮かび上がった。
「ええと、これは『執描』のひとつで、レコーダーの機能を備えた通信機だと思ってください。記録機能はたしか記録チップを持ってると思うので、あんまり意味はないかもしれないですが…。今竹中さんとウォルフさんの名前を書き入れたので、この子たちはお二人に追従します。音声だけですが通信もできますし、この子を通じて僕の『探図』を送ったり、援護などもできる…ので…」
「持っててくださいお願いします」まで一応言い切ったが、ほとんど蚊の鳴くような声になったのが優一自身も分かった。
「へえ。いいね」
「鳥型か」
「これなら追跡と情報共有を分けられていいんじゃないか?ウルフの『犬』は追いかけることに関しては一流だけれど、私じゃ追いつけないしね」
「…そうかもな」
「ありがとうございます!あ、あと、解析結果とポイントを出したんですが、捜査のポイントとかはもう決まってたりしますか…?」
「今まではウルフの犬の鼻頼りだったから、とくにその手のことはしてなかったかな。見せてもらえるかい?」
「はい!」
優一は先程とは別の、紺地の紙を広げる。丸めていたにも関わらずぴったり平らに広がったそれには、すでに『探図』が描かれていた。
「えーと…まず、血液に含まれていた魔力の数値を照合した結果、『吸血鬼』のものと判定しました」
「『吸血鬼』?」
「はい。どうして髪ゴムに吸血鬼の血が付いてたのかは分かりませんが…。【右筆】に保存されている純吸血鬼のデータと血液の数値データを合わせると、九十五パーセントが適合したんです」
留塚市の地図が描かれた探図の右上に空気中の魔力を伝播して「窓」が開き、解析データが表示される。
「九十五パーセント…。昔からの吸血鬼か、相当力のある吸血鬼だな。名前は分からないのか?」
「それが…吸血鬼は数が多くて、ここまで適合していても個人の特定をしようとすると一週間はかかるそうなんです。分かるのは、この吸血鬼が『眷属』として吸血鬼になったということしか…すみません」
優一が言う「照合」とは、この場合「種」の照合にあたる。【右筆】は記録機関であるがゆえに膨大なデータを有し、種の遺伝子や魔力を解析したデータを保有している。今回であれば右筆が持つ『吸血鬼』という種のデータと、遺留品に付着していた血液とその魔力のデータを照合することで、この事件に吸血鬼が関与している、という結果を導き出した。
この照合のパーセンテージは高ければ高いほど純粋な種となる。吸血鬼はその「発生」が大きく分けて二つある種だが、大半は吸血鬼による人間の「眷属化」であり、純粋な吸血鬼になるには膨大な時間がかかる。そのため、崇はこの吸血鬼を「急速に力をつけたもの」か、「永い時を生きたもの」と判断したのだ。
「吸血鬼か…少し面倒だな」
「そうですね…。地図から魔力の検出ができないかと思ったんですが、髪ゴムが見つかった地下鉄の入り口しか…」
「…どうやってんだ、これ」
「ええっと、【右筆】は機関で人工衛星を保有してるんです。GPSの通じる範囲ならこうやって、探図の上に照合した魔力をマークしたり行動範囲の追跡ができるんですよ」
「はー…」
「頑張って覚えて下さいよお爺さん」
「誰がジジイだ誰が!」
(じ、ジジイ…?)
崇は笑っているが優一は正直反応に困る。
「後で覚えてろよ…。今日は分担は無しか?」
「そうだね。メルヴィス!」
『なあに?ソウ』
「留守を頼むよ」
『いいわ。…怪我しないで、ちゃんと帰ってきてね』
メルヴィスの鱗粉が電灯に反射して少し眩しい。彼女に見送られ、三人は長い夜に足を踏み入れた。




