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滞在二日目。部屋の空気は温められており、寒い時期ではあるがそこまで起きるのが苦にならず崇は伸びをする。身支度を済ませ一階に降りていくと暖炉の前にテオドールが陣取っていた。部屋にもヒーターはあるが、彼には慣れ親しんでいる暖炉の方が良いのだろう。
朝食を作ってもらっているとウォルフとクロードが、少し遅れて優一が降りてくる。その優一の肩付近にはメルヴィスが浮いており、調子も良さそうだ。
朝の鍛練から戻ってきたアルヴァラも加わり、全員で朝食をとる。今日は村長に挨拶に行き、そこで詳しい話をする。その後時間があるなら村を一周し案内してもらう予定だ。
外に出て宿の馬小屋に向かうと、輓馬と見紛う筋骨の馬が四人を待っていた。
「おっきいですね……」
「そうか?これくらい普通だろ」
「どう見ても輓馬じゃない」
重種だがその顔つきは温厚で、警戒している様子もない。
現世と異なり、魔力世界は技術の高低に地域格差がある。鉄道が敷かれているのは都市部で、車も同様、土地開発が進んでいる所でしか使われていない。よって、魔力世界の主な足は「馬」だ。
魔力世界出身のウォルフやクロードはもちろん、長く住んでいた崇も乗馬経験がある。優一は現世生まれ現世育ちなため、当然ながら馬に乗るのは初めてだ。
「あら。鞍やあぶみは?」
「ああ。…そうだ。言うのを忘れていたが、今それらの馬具は二つしかない」
「どうして?」
「壊れた…いや、壊された。外して置いていたのを不注意で誰かが踏んだはずだ」
「確か、あぶみは絶対いるんですよね。どうしましょう…」
「……」
クロードと崇は無言でウォルフを見つめる。はあ、とウォルフは大きく溜め息をついた。
「分かったよ。乗れねえことねえしな」
「乗れるんですか!?」
「昔討伐隊の訓練で野生馬を手懐けるのをやらされたことがあるんだよ。相当やりにくいが、できなくはない」
馬小屋から出し、放牧場でまずは触れ合う。
「よしよし。っふふ、人懐こいね。いい子いい子。名前はなんていうんだい?」
「こいつはシェシュという。乗ってみるか?」
「そうだね。…あ、すまない。ありがとう」
アルヴァラに手を貸してもらい、崇はシェシュに跨る。馬の背から見る景色は高く、遮るものがない風景は風の流れが速く感じられる。
馬を足にしなくなって久しいが、体は覚えているものだった。教えられずとも馬を歩かせ、常歩で柵沿いに進む。
「…広いねえ」
馬に乗ってようやく柵で囲われた範囲が見渡せる。馬で移動するとはいえ、この村では常に襲歩で走らせないと時間がかかりすぎるそうだ。通常、馬だけでなくどの生き物でもトップスピードを維持して長距離を走ることはまず不可能だが、魔力世界の馬はそもそもの速力が現世の馬とは異なるから可能だという。問題は、騎手がそれを御することができるか否か。
「…シェシュ、私ね、こうして君達の背に乗せてもらうのは久し振りなんだ」
シェシュの耳がぴん、と立つ。
「だからね、どうか君の力を貸して欲しいんだ。いいかな?」
「ヒーン!」
「っと!」
シェシュが突然駆ける。崇はすぐに重心をかけ、シェシュに体を預ける気持ちで乗る。シェシュの走りは崇を振り落とそうとしているものでなく、楽しく走っているのがよく分かるものだった。怖くはないが、ブランクを不安に思っていたのが伝わっていたのかもしれない。安心させているような走りでもあった。
「…あははっ!ありがとう、シェシュ」
あっという間に三周ほど走り、スタート地点で止まってもらう。長い睫毛が縁取る大きな黒い瞳と目を合わせ、鼻筋から顔を撫で首を軽く叩く。
突然走り出したのを心配していたアルヴァラが「大丈夫か」と近付いてきたのに対し「大丈夫」と返し、他のメンバーの様子を聞く。
優一は今日はクロードと一緒に乗ることにしたようだ。問題なく乗れたようで、今は常足で慣らしているらしい。
だが問題はウォルフのようで、運が悪かったかウォルフが選んだ馬は大分気性の荒い馬だった。
「そういえば、鞍が壊れたのもバルモに乗れず他の馬に変えるために外していた時だったからな…。他の馬にした方が良いのではないかと言ったんだが」
「あー…怖がっていないからかな」
ウォルフは人狼だ。人間は見た目だけではまず気付かないが、動物は本質を見抜く力が強い。馬も同様、天敵である狼だと分かれば怖がる馬が大半なのだろう。それならば気性が荒くとも怖がらない馬がウォルフには合っている。
「ハッ!」
「おおー!ようやく!」
「凄い…ってか速いわね!…あれ、全速力じゃない?」
バルモが高くいななくと先程のシェシュ以上の速さで走り出す。しかしそれに振り落とされるウォルフではなく、あぶみも無い中安定してバルモに跨り手綱をとる。
「――よぉーしよしよし!いいじゃねえか、気に入ったぜ!」
「…よく平然としていられるな、彼は」
「凄いよねぇ」
「以前乗った人間は振り落とされて背中をしこたま打っていたぞ」
「わあ」
元軍人は凄いな、などと呑気に思っていると優一の悲鳴が聞こえてくる。いよいよクロードも襲歩で走らせたようだ。
「うまい具合に性格がばらけたな。トゥルパンは走るのが好きだがあまり騎手のことを気にしない。しっかりリードできているなら大丈夫だろう。あの少年は馬に乗るのは初めてか?」
「ああ、彼は現世の出身なんだ。一番若いからね。馬にはまず乗る機会がないし、こう大きくて速いと怖いんだろう」
「現世は馬がいらないのか?」
「代わりの乗り物があるんだ。『車』というんだけれど」
「あの鉄の箱か」
「ああ、見たことある?」
「…ブルルッ」
崇とアルヴァラが話していると拗ねたのかシェシュが崇に鼻を擦り付ける。仕方ないなあ、と撫でてやるとトゥルパンが戻ってきた。
「どうだ、乗れるか?」
「ええ、大丈夫よ!思ってみれば高速道路走るのと速さは同じだし、平気平気」
「まだどきどきしてます…はあぁ……」
(乗せて行く必要は無いようだな…)
小柄とは言うが、巨人の体躯であればアルヴァラが人間を乗せる、もしくはポケットに入れて歩くことは造作もない。ただそれを何回もされるのはプライドに関わるが。
少し休んでからいよいよ道に出る。数人の巨人が酒場を訪れたのを見て、「あ」と優一が口を開いた。
「アルヴァラさん、思ったんですけど、馬に乗ってても潰されることってないですよね…?」
一瞬、空気が静止する。優一もそれに気付いてそれを否定しようとしたが、アルヴァラの声が重なった。
「ああ、無い。首にベルを付けているだろう。人間には聞こえないそうだが、それは俺達巨人族が聞き取れる音を出すベルだ。今まで馬が踏まれた事件は一度もない。安心してくれ」
「そうですか!すみません、急にこんな。…行きましょうか」
大丈夫ですよ、と申し訳なさそうに優一が笑う。
『(…優一は、本当に大丈夫なのか?)』
「(…多分ね。無理をしていないのは本当のようだし)」
自分が遭遇しなかった、そして巨人といえど種が異なるからとはいえ、自分の家族を踏み潰された悲しみはそう薄れるものではないだろう。それでも無理をしていないと見れるのは、彼が元々持つ公平な視点とそれを受け容れられる性格があるからだ。巨人というだけで無差別に憎むような人物だったなら彼はここにはいない。
クロードに目配せし、馬を歩かせる。まずは、村長の家に向かうところからだ。
「――噂は聞いているぞ、【妖精の輪】の客人殿。ようこそ私達の村へ。私が村長のファルステンだ」
「お招きいただき光栄です、村長殿。友盟に従い【妖精の輪】より“パンドラの檻”、ここに参上致しました」
他の巨人よりも一等大柄な巨人がこの村の長だ。老年の村長だが、壁には錆び一つなく輝く武具や棍棒、弓が飾られている。巨人は老若男女問わず戦士だと伝え聞いているが、その話に違いはないようだ。
「早速だが、昨日の不死の巨人の首を検めた。あれは間違いなく不死の巨人。三人目のものだ。テオドール殿が先日斃した方法と、やはり同じ方法で…?」
「ええ。足が地面に着いている間はどのような傷であっても再生したのですが、転ばせたら一撃で倒れました。一体目と二体目は、この村付近で出現したのですか?」
「左様。そして昨晩だが、ここから北にある村…私達は『氷樹の村』と呼んでいるが、そこの村から離れた森に四人目の不死の巨人が出現したと昨晩通信が入った。テオドール殿と共に入ってきた人間が持ち込んだものでな。壊れてはおらんはずだが…」
村長は席を立つと通信器から情報を用紙に印刷し戻ってくる。破かないよう慎重につまんだそれは巨人の指には小さい。
[2019.11.09 01:24 【妖精の輪】ロシア支部施設部門“イグラー・ラヴーシュカ”より報告
四人目の不死の巨人“エピアルテス”の出現を目視で確認、討伐を完了した。解析結果は追って報告する。以上。]
「ふむ…。この名前は?」
「討伐条件を発見したテオドール殿の案でな、不死の巨人は確認され次第『ギガントマキア』とやらで神々が戦った巨人の名を付けたらどうだと。他にも、貴方がたが倒した三人目は“ポリュピュリオン”と呼称している」
しかし…と村長は顎髭を撫でる。
「我々は行動範囲に区分を決めているのではないが、妙に近場に肉持つ巨人が増えている。攻めてきたならば迎え撃てばよいだけだが、躯が残るのが良くない。『あり方』が変わるのではないかと危惧している者もおる」
村長が言う「あり方」というのはこの山の環境のことだ。
人間だけでなく、種としての巨人と数えられる『山の巨人』も「肉」を持つもので、その証といえるかは曖昧だが彼らも「村」という共同体を作って生活している。
それは「肉」を持つものが『神』という超自然の存在の膝下から独立した証でもあり、支配を受けるのでなく、隣人として在るようになった証明でもある。だからこそみだりに神の領域には踏み入らず、「化学」という神を試しその威光を失墜せしめんとするものは魔力世界では栄えない。
つまるところ魔力世界の住人は種は違えど自分達の「領分」を弁え、神の怒りに触れぬよう暮らしている。そのため、特に環境が厳しいものであればあるほど気を尖らせなければならないものだが、その筆頭が「死体」だ。
死は恐れるものではないが、それに纏わるものは避けねばならない。死体が一つあることは、未知の病原菌を詰めたアンプル銃の引き金に指がかけられていることと同等なのだ。
「そうですね…。門牆のユーニグリンド殿よりお聞きしたかと思いますが、私達はこの村に滞在し、調査に助力していただく対価に戦働きを挙げました。宜しければ、狩りや防備を手伝わせていただけませんか?」
「…ふむ。まあ、良いだろう。だが弟子殿は別だ」
「私ですか?」
「必要もないのに女を戦いに出すことは掟で禁じておる。聞けば、技術仕事ができるというではないか。村ではいくつか魔法使いが置いていった品を使っているが、直せる者がおらん。そちらに回ってくれ」
高圧的な態度にウォルフはやや眉間に皺を寄せる。崇は表情を変えることもなく「承服致しました」と頷いた。




