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「久しいな、“木霊”」
「…師匠。お久し振りです」
高台になっている場所から魔法使いが降り立つ。改めて、彼の説明をしておこう。
魔法使い――「テオドール・ギフト」は、崇の師だ。その名は英雄としても悪名としても広く知れ渡っており、魔力世界で彼の呼び名を知らない者はいない。“蛇目”と聞けば、二次大戦前生まれは恐怖に青ざめるか顔を顰め、若い世代はその英雄譚に憧れを抱く者も少なくない。
人狼狩りの際、テオドールは崇の気配を感じ取り封鎖された森に容易く侵入し、用を済ませると来た時と同じように苦も無く帰っていった。その時崇とは会わなかったが、師弟の再会の時は思った以上に早く訪れた。
「ちゃんとやっているようだな。息災で何より。
で、そこの奴等――“パンドラの檻”か?多少はやれるようだな」
巨人との戦いを見ていたような口振りでテオドールは薄く笑う。
「お前達の事は崇から聞いている。聞きたい事は山程あるだろうが、先に洞窟に向かう。其処が今夜のキャンプ地だ」
「…薄々思っていましたが、師匠が迎えだったんですか」
「道理というものだろう。そら、行くぞ」
テオドールと崇が重なるとテオドールが角度によっては見えなくなる。崇はとりあえず三人を目で促し、テオドールの後をついて行く。
巨人と戦った地点から少し離れていたが、日没まで余裕を持って洞窟に辿り着くことができた。洞窟の入り口は狭かったが中は広々としており、床の防寒をしっかりすればテントを出さなくても快適に眠れそうだ。
「さて。日が暮れる前に準備を済ませるぞ。グレイズ、お前は飲み水を探してこい。リュピは枝を集めろ。藤崎と崇は己についてこい。今日の晩飯を探す」
どうして名前を知っているかを深く突っ込んでいても仕方がない。タネは「崇が手紙に書いていたから」でしかないのだから。
しかしテオドールは指示を適当に出したのではなく、それぞれの得意分野にちゃんと振り分けていた。ウォルフに水を探させたのは、ウォルフの聴覚と嗅覚が優れているからだ。水の流れる音を聞き逃さず、血の臭いが全く無い水場をウォルフなら簡単に見つけられる。
クロードに枝を集めさせたのは、僅かな足音や動きで敵対する生き物に気付かれるような鈍さがないことを知っているからだ。クロードの感覚は非常に鋭く、体質のこともあるからこそ気配を感じ取ることに長けている。
一見すると楽なように見える水汲みと枝集めだが、今最も重要度が高く危険な作業はその二つなのだ。
「此処ら辺りにグナーデが居たんだよな。崇、探してくれや」
「私を探知機代わりにしないで下さいよ」
「あ、探すなら僕が……」
「あー、お前はいい。お前は見ている事が仕事だ」
「え?」
「…」
師匠の意図を察した崇だが、敢えてそれを口には出さない。
辺りを探すと、テオドールが言った『恵み』――立派な角を持つ牡鹿と、つがいの牝鹿、その仔が見つかった。
「居ました。仔連れです」
「なら牡だな」
テオドールはその辺りに転がっている石を適当に選別し、一番良さそうな石を持つ。
そして迷いなくそれを振りかぶると、片目を縫っているにも関わらず投石は見事に牡鹿の脳天を打った。
「!!」
優一の肩ほどまでの高さの牡鹿がドサリと倒れる。牡鹿の妻子はテオドールが近付く前に逃げ出し、数秒も経たない内にその姿は見えなくなった。
「よーし。臭みはまあ有るかも知れんが量は食えるな」
牡鹿はまるで時間が止まったかのように目を開いたまま死んでいる。つい数分前まで生きていた牡鹿の「死」に、優一は呆然と立ちつくす。
「戻るぞ」
テオドールが杖を振ると空中に牡鹿が浮き上がり、後をついてくる。その手足はだらりと垂れ下がり、眼だけが濡れて光を反射している。
洞窟に戻るとクロードとウォルフがそれぞれの仕事を終えて戻ってきていた。既に焚火が燃えており、洞窟の空気を温めていく。
「よし。藤崎、捌いてみるか」
「っええ!?で、できないですよ!」
「教えてやる。どうだ?」
ナイフはこれだ、と石のナイフを渡される。おそるおそる、優一は鹿に触れる。その身体はまだ温かく、生きているようだ。だが、鼓動だけが感じられない。
「っ……」
極度の緊張状態が続いたからこそ平静を保てていたが、先の巨人戦といい、狩りの一瞬といい、優一の前眼に叩き付けられた光景は命が潰える凄惨な光景だった。……慣れなければいけないと分かっているのに、眩暈がする。
「……すみ…ません…。できないです……」
「…そうだろうね。師匠、苛めるのは止めてやって下さい」
優一からナイフを取ってテオドールに返す。崇は自分の石ナイフを取り出すと、鹿の前に膝を付き小さく祈りの言葉を呟く。そして顔を上げると、慣れた手つきで鹿の解体を始めた。
使う部分だけを残し、今使わない肉は食肉加工で保存し、皮は素材として処理する。崇は最後に残った骨と頭をまとめると、それを布に載せ丁重に外に運んで行った。
その間にウォルフが湯を沸かし、クロードが席を整える。崇が戻ってくる頃には、ブラウンシチューの良い匂いが漂ってきていた。
「師匠、シチューですか?」
「ああ。材料ここまで揃えて来ているならやらなきゃ損だろう」
魔法のポーチや、技術の進歩による食料の携帯化で崇とテオドールが昔旅をした頃よりもキャンプ食のバリエーションは増えている。傍目から見て分かり辛いが、崇は少しだけ楽しそうに口端を綻ばせていた。
そうしてまた待つこと十分。今日の夕飯、シカ肉のブラウンシチューとジャガイモの煮潰しが完成した。
「できた」
「おう、飯だ飯。器くれ」
「すみません、作っていただいて」
「己は食いたいから作っただけだ」
パチパチと爆ぜる焚火を囲み、重い装備を解き食卓を囲む。詳しい話は食べた後とテオドールが言ったため、それぞれの言葉で食前の祈りを唱えシチューを口にする。
「……」
「どうした、優一」
「あっ…。いえ、すみません」
スプーンがあまり動いていない優一にウォルフが声をかける。食べなければいけないと分かっていながらも、優一は中々スプーンを運ぶ手を動かせない。
「――実際に狩るのを見たのは初めてか」
「……はい」
「現世の出か。その感触はどうだ」
失望したのでも呆れた様子でもなく、淡々とテオドールは優一に問う。
「……知らないでいた、だけなんですね」
昼間のウォルフの言葉が優一の頭をよぎる。
「ああやって、…狩って…『殺す』ところを見ないでいただけで、自分はそういうのとは無縁だと思っていて……」
「まあ、そうだろう。最初は皆そうだ」
焚火に薪を足す。
「――突き詰め出したらきりが無い。だが、どこで生きていても、生きているものは何かを食べる。生きることは食べることで、飢えることは死ぬことだ」
から、と薪がずれる。焚火の周りは暖かくても、外からの空気はしっとりと冷えている。
「食えなくなった奴から死んでいく。そういう風に世界はできている」
星が綺麗だった。爆ぜる火がゆらぎ、淡々とした言葉が染み入るように入ってくる。
「獲物を憐れむのは、人の傲慢だ。悔いるなら、恥じない生き方をすれば良い」
「生き方…?」
「…旧い考え方だ。命を食べることは、その命を取り込むことだ。そうやって力を得た時代が確かに有った。随分遠い昔だが」
不思議だと優一は思った。一度見ている、一度聞いている声なのに、初めて会った人のように感じる。しかしそれと一緒に、人狼狩りの森で見た彼は紛れもなくこの魔法使いなのだと確信さえ抱いた。
「命を取り込んだのなら、その命を取り込んだ己達は、恥じるような、腐らせる生き方をしてはならない。食べて、生きることが罪ならば、とうの昔に地獄は溢れかえっているだろう。命を見届けて、知らないことを恥じたのならば、後は自分が腐らなければ良い」
そういうことだ、とテオドールは鍋に残ったシチューを全て優一の器に流し入れる。
「今一番食べるべきなのはお前だ。小さいからな」
「はい!?」
小さくない――と言い返そうとしたが、悲しいかな、確かに優一がこのメンバーの中では一番小さかった。
とは言え空腹感が丁度良く蘇り、しっかり完食する。膨らんだ腹を撫でていると、プラスチックの袋を開ける音がする。
「…何開けてるんですか」
「あ?見て分かるだろう」
テオドールの手にあるのは、マシュマロの袋。崇の手にあるのは、金串。
「マシュマロは焼いても美味しいよ?」
「知ってるわそんくらい」
「じゃあ焼こう。はい、串」
ウォルフの眉に皺が寄ったのは食事が済んでも本題に入る気配がないからなのだが、師弟はそんなことを気にした様子もなくマイペースにマシュマロを串に刺す。
「急くな急くな。大事な事だろうが、飯が楽しいってのはよ」
「あ、これくらいかしら。やりすぎると焦げちゃうのよね~」
「藤崎君、それくらいが丁度良いよ」
「じゃあ…」
初焼きマシュマロな優一に視線が集まる。さく、と小さな良い音がする。
「…!!…!!…!!!」
その瞬間、優一の表情が輝いた。感動に目を輝かせ口を覆う様子を、その感動を知る大人達は暖かい目で見守る。
「…!!!おいしいです!!」
「でしょ~?」
「あーやっぱうめぇわ。ビスケットあったかな…」
「有るぞ。勿論チョコレートも」
「抜かりないですね、師匠」
板チョコとビスケットで焼いたマシュマロを挟めば魔のスイーツ、「スモア」の完成である。
「考えた人天才ですね」
「美味しいものを美味しいものに挟めば美味しくなる。当然のことだよ」
「『Some more!』だからスモアなのよね。おいし~♡」
わいわいとマシュマロを焼いていると、すぐに袋は空になった。




