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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
第三次巨人戦争 前編
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「ルカ。藤崎君は世界の理に干渉する力を持ち、それを使わない保証があるのではない。だから彼がこの任務に就くことに反対するんだね」

 沈黙した部屋に崇の静かな声が響く。

「…そうだよ」

「そうなら、君はその対価をどう私達に払ってくれるかを示さなくてはいけない。知っての通り私達は呪われている。呪いを持った人間と過ごす精神的負荷に耐えられる職員は少ないことは君が一番良く知っているけれど、彼が抜けた穴をどう埋めることを示してくれる?」

「…ランクⅣの記録者を同行させよう。世界の危機に近い任務の記録は何においても優先される」

「それしかできないだろうね。けれど私達はそれに"Ja(はい)."とは返せないよ。極限状態が予想される任務でパニックになってもらっては困るんだ」

 最も強く、最も恐れられ、最も凶悪な呪いを持つ魔法使いがそう言うならばそれに反論の余地は無い。クロードの“赤瑠の顔貌”に耐え、“人狼の呪い”のリスクに耐えても、“魔精殺し(ブリシム)”の恐怖に耐えられる記録者はいなかった。

 今だから分かることだが。「耐える」という見方をしている時点で、呪いを持つ者と過ごすことはできないのだ。かつて誰よりも非力で脆弱だった優一が、“パンドラの檻”でそれを証明してみせたのは言うまでもないことだ。そして単純で、見様を変えれば酷く利己的な理由だが、崇達は「優一がいないと困る」のだ。恐らく、彼のように自分達とその『呪い』を受け容れられる記録者は今の【右筆】にはいない。業務に障りが出るからか、心を砕いて成したひとつのかたちが崩れるのが嫌なのか、その真相は誰も語らないことだが。

「ねえ、クロード。これはこちらが対価を示して交渉することではないかな」

「…交渉?」

 ルカは怪訝そうに眉を顰める。しかしすぐに崇の言う「対価」の正体に思い当たり、もしや、と驚いた様相を見せる。

「…崇ちゃん、本当…アナタの言葉は、武器ね。

――ルカ。知っての通り、“パンドラの檻”はアタシを含めて三人の呪い持ちを抱えているわ。そんな人員を抱える部門を設立させるには、部門代表のアタシがその()()()を保障できるようにしなくてはいけない。常駐部門の部門代表の条件に、部門員を一対一で制圧できること…とあるのは、アナタも知っているわよね?」

 クロードは上着を椅子に掛けるとワイシャツのボタンを外していく。露わになった胸の中央よりやや左、丁度心臓の真上に位置するのは、十二本の針を持つ時計の刻印だった。

「『絶対限命(ファースト・プライオ)』……!!」

 確信を持った声でルカはその刻印の名を口にした。

 神聖さを持ちながら、どこか禍々しいような。圧倒的な威圧感に似たものを持つその刻印に優一は目が離せなくなる。

「アタシはもう、『世界への危険』を抱えることには慣れてるの。優一君もアタシの部下。この刻印の対象にしてでも手放すのは惜しいわ。彼の「安全性」は、部門代表の“赤の聖約(ルージュ・プロミーズ)”が保証する。これが「対価」よ」

 それを知らないほどルカの責任は軽くない。『絶対限命』はその身に刻むことで効果を発揮する刻印(シンボル)の一つだが、その効果は彼の持つ『聖約』など非にならないほど重く、強い。しかしその効果を知る者は限られている、曰く付きの刻印だ。

「……いいだろう。その刻印を持つ君がそう言うのなら」

「!」

「くれぐれも、よろしく頼むよ。信じるに値した結果を見せてくれ」

 詳細と辞令の書類が入った封筒を受け取る。その時、ルカが封筒を掴んでいる力が一拍ほど緩まなかったのはここだけの話だが。

「他にはどこの部門から来るという話は聞いていない?」

「あー…確定した情報はないけど、手あたり次第に実力のある部門や組織をあたっているとは聞いたかな。噂だけど、エジプトの“戦車”とか、ロシアの施設部門“イグラー・ラヴーシュカ”とか」

「“ラヴーシュカ”?げえ、あそこ結局【(ルウェン)】の扱いになったのかよ。施設部門じゃなくて工兵部門だろ」

「そんな部門はないだろう。あそこでようやく戦後処理が終わったんだ、聞こえるところで文句は言わない方がいいんじゃないか」

「言わねえが、罠をかける相手の区別はつくんだろうな…」

 ウォルフが知っている、ということは軍関係の話なのだろうなと崇は資料のページを捲る。

(……?)

 ふと、目の奥が冷たく疼く。だがその疼きはすぐに収まった。



 次の日。

「出発は六日。スウェーデンまでは飛行機で行って、そこで魔力世界に入るわ。現世のエステルスンドにあたるポイントが目的地。湖畔にある巨人族の村を目指すわ」

「山脈の中じゃ、開発もまず進んでねぇだろ。ルートはどうすんだ?」

「村までは歩きで三日。緩急の少ないルートを使うわ。一日目に途中にあるここの洞窟で、先に村に到着したメンバーと落ち合うことになってる。荷物は最小限でって書いてあるけど…」

「ああ、背負う荷物はね。装備だけしっかりして、必要な物は服に仕込むなりポケットに入れるなりしておいて。キャンプ用具はポーチに入れておけばいいよ。腰を据える所が無いとどうせ出せないしね」

「魔法のポーチ、ってやつですか」

「理解が早いね。私のポーチもそれだよ」

 崇が出したのは細いウエストポーチだ。取り敢えず、と崇はポーチの口を開ける。

「服装は…後でいいか。まずアイゼン、ストック、ピッケル。水筒は山用のやつね」

 どう見てもウエストポーチには収まらない登山用具がテーブルに置かれる。

「テントは雪山用を準備しておくよ。キャンプ用品は全員が取り出せるように細工しておくから、そこは心配しないでいいよ。マットと寝袋、それとバーナーに湯たんぽね。バーナーは念のため二つ入れるよ」

「どんだけ出てくんだそのポーチ」

「なんでそんなに詳しいの…?」

「師匠のところにいた頃は出先でよく野宿をしたからね。雪山は数回しかないけれど」

 あの時は師匠が死んでしまうかと思って焦ったなぁと懐かしさを感じる。崇が十代の頃は今のように機能性を考えられたストックも、火を起こすバーナーも持たずキャンプをしていた。便利なものは使うに限る。

「道具は大丈夫そうね。あ、そうだわ。優一君の手袋よ」

「ああ。二人のも調整するけれど、優一君のは作らなければいけないね。藤崎君、手を借りるよ。採寸したら買い出し?」

「そうね。崇ちゃんはもう準備が済んでるようなものだし」

「うん。こっちは大丈夫だよ。採寸オッケー」

「へっ?」

 知らぬ間に優一の手の型紙が作られ、崇はメジャーを戻す。ウォルフは慣れた様子でジャケットを持ってきた。

「崇、このメモでいいんだな」

「うん」

「じゃあ行きましょ!何で防寒着の買い直しもしなくていいかは帰ってから聞くわね♪」

「あっ」

「やったなこいつ」

 「やっべ」という顔をしているが崇は見事に引っかかったので言い訳もできそうにない。

「クリエンタ・トラウのエキスで許してくれないかなあ……」

『(流石に冬の崖は駄目だったんじゃないだろうか)』

「いや崖とは言ってないよ…どっちにしろ駄目か」

 クロードが好んで使っている化粧品である花のエキスでも説教は避けられないだろう。クロードが怒るのは当然で、冬の崖に黙って登りに行ったとなれば誰だってそうする。良くはないと分かってはいるが、崇の変身した姿は山羊で、本能的に崖に登りたくなるのは仕方なかった。

「まあ仕方ない…。こっちやろう、こっち」

『(そうだな)』

 工房に入り、赤茶の布を広げる。出した布の上に型紙を乗せると古代が型紙の上に炎を吐く。すると型紙は燃え尽き、布は引火せず型紙の線が焼き付いた。

 次に作業机の引き出しから左から二番目にある赤銅色の鋏を取り出す。

「《Φλόγα. (炎よ)》」

 そう唱えると刃に炎が宿り、古代の火で燃えなかった布を容易く切れるようになる。裁断が終わると、崇は古代の背中をするりと撫でる。手のひらより少し小さいくらいの鱗を古代から貰うと、古代がその鱗に炎を吹きかける。すると、鱗が結晶の縫い針に変形した。

「――《其れは炎の傍らに》」

 静かに崇は唱え始める。呪文を紡ぐと針に糸が通り、徐々に伸びていく。この糸はただの糸ではなく、呪文によって紡がれる糸だ。この呪文の糸で縫う、折るなどして作られたものは魔法の道具となる。魔法技巧(マジッククラフト)のひとつだ。

 崇はこの魔法の糸を紡ぐことがいっとう得意だった。「糸」に縁でもあるのか、編んだり紡いだりすることは師匠よりもうまくできる。だからこそ魔力技師の職についたのかもしれない。

崇は確かに呪文を唱え続ける。日が沈む頃には、夕日のような煌めきを持つ糸が一束出来上がっていた。


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